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第63話:前途多難な船出
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明秀高校の文化祭は誰でも気軽に入れるわけではない。生徒の親族、OB、OGを除く関係者以外は立ち入ることはできない。ただし、唯一の例外は在校生に配られる招待チケットだ。
一人につき三枚配られるその招待券を持つ者だけは入場を許される。もちろん使わずに破棄することもできるし、そうするくらいなら譲ってくれと言うクラスメイトに対して悪代官のような悪い顔をして金銭で解決する輩が毎年後を絶たないという。俺のクラスでも当然のように起きた。首謀者は眼鏡をかけた秀才とだけ言っておこう。
俺や悠岐だけ特別変な衣装を着せられることになった以外、文化祭で行う喫茶店の準備は大きなトラブルもなく進み、無事当日を迎えることが出来た。
他のクラスでも甘味処などと言った感じで似たような出し物はしているところはあるが、そことの違いは提供できるドリンクの種類の豊富さと、その質にあると思われる。
なんでも、寺崎さんのお兄さんが家電メーカーに勤めているそうで、喫茶店のことを相談してみたところやけにテンションが上がり、会社に確認して倉庫に眠っている使い道のない古い機種―――そうは言っても一年前のモデル―――を用立ててくれたのだ。しかもそれだけでなく、メニュー表などを作ってくれた上にラミネート加工までしてくれたので至れり尽くせりだ。
「でも公私混同しすぎて上司から笑われたって言った。ここまでする余裕があるなら仕事も頑張ればいいのに……」
と寺崎さんは言っていた。
機材の内訳はコーヒーメーカーに始まり、スムージーを作るミキサー、女性に人気のあるコールドプレスジュースを作れるスロージューサーがそれぞれ複数台。その場で入れるから絶対に美味しいからここは大きな差別化だ。
となると次に問題となるが食材だが、コーヒーに使う粉末や砂糖・コーヒーフレッシュは業務用スーパーで安く大量に買い上げ、スムージーなどに使う野菜や果物は前日にある程度の量を買っておき、途中で中抜けして補充をしていくことになっている。
ちなみに各クラスにはこの文化祭に向けて10万円の予算が用意されている。その中で準備を行い、それに用いた金額以上の利益を出すことが出来ればその分はまるまるクラスの利益として懐に収めることが出来る。
「諸君! ついに文化祭当日を迎えたわけだが……準備はいいか!?」
時刻は朝8時45分。文化祭開催まで15分となり、委員長の菅波さんがクラスメイト総勢31名を前に演説を始めた。
「ここから先は戦争だ! 死に物狂いで客を呼び! 死に物狂いで稼ぐんだ! そうすればその先に待っているのは焼肉食べ放題とかカラオケ歌い放題とか、もう色々なパラダイスだ!」
「「おぉぉぉぉぉぉ!!」」
「招待した知人は絶対に立ち寄らせるんだ! 客引きには何と言っても夏のヒーローが二人もいるから問題ない!」
俺と悠岐を除く他のクラスメイトはごくごく普通のウェイトレスの格好をしているのだが、悠岐は片目が隠れるウィッグに眼帯とフリル付きのブラウスとズボン、その上にベストを羽織った、英国の悪の貴族の幼い当主の格好をしている。そして俺もビジュアル系のような服から黒を基調とした執事然としたシンプルな燕尾服に変わっている。
その理由は、俺の燕尾服姿の写真を委員長が撮影しており、それを悠岐に見せたら、
―――ふざけるな! なんで晴斗がそんなカッコイイ服で僕がこんなフリフリなんだよ!? と言うかこれじゃ晴斗はご主人様というより執事じゃないか! なら僕をこいつのご主人様役にしろよ! 委員長のお姉さんならきっとその手のキャラの服も持っているんだろう!?―――
と騒いだ。何をいまさらと思っていたのだが、委員長の頭にピコンと電球が灯り、大急ぎで準備がなされた結果、気が付けば俺と悠岐の主従関係は逆転していた。だが俺としてはどっちみちいじられるのは確定だからどうでもいいんだが。
「今宮君と坂本君には二日間、終日この格好で過ごしてもらうからそれだけで客引きになる! 我らが勝つに為にはその客を誘導して、しっかりをお金を落としてもうことだ!」
「「おぉおおおおおぉ!!」」
「さすれば我らの未来は明るいぞぉぉぉおお!! 日曜日はそのまま宴会じゃぁああ!」
「「うおぉぉおぉぉおお!!」」
まだ文化祭は始まってすらいないのに、俺の心は折れそうだった。隣にいる悠岐はメイド服から変更になってご満悦のようだった。
だが俺は、これから来る二人のことを思うと、この格好は悩みの種以外のなんでもない。思わず憂鬱なため息を吐いた。
*****
俺は三枚の招待券のうち、使用するのは二枚だけ。里美さんは親族枠でそもそもチケットはいらないし、ナオちゃんは学校に着いたら連絡してもらってその場で券を渡す予定だ。郵送すればあの女に見られる可能性があるからだ。では誰に渡したかと言えば、それは隣に住んでいる女子大生さんだ。
「高校の文化祭かぁ。懐かしいな……それで、晴斗のクラスは何をするの? 喫茶店? それともお化け屋敷とか?」
「喫茶店です。機材もそれなりの物が揃うので、そこそこ本格的な感じになりそうです」
自宅での夕食後、配布された券を渡すために早紀さんの部屋を訪ねた俺はあれよあれよという間にソファに座らされて並んでテレビを見ながら談笑していた。
「喫茶店は王道だよね。私もやったなぁ。でも馬鹿男子が騒いだせいでメイド喫茶だったけどね。後は……執事喫茶とか? なんだか色物喫茶系が多かったなぁ」
それは早紀さんが可愛いからだし、すらっとした美脚でパンツ姿が似合うから男装も似合うからだろう。間違いなく客は早紀さん目当てで来たことだろう。
「どうしたの、晴斗? うん、うんって頷いているけど……あっ! 私のメイド姿とか想像したんでしょう!? やっぱり男の子ってメイドさんが好きなものなの?」
「早紀さんのメイド服とか男装執事とか、気にならないわけないでしょう。想像くらいさせてください」
「ふーん。ということは、晴斗は私に『ご主人様』って呼ばれたいわけか……ふーん。そうなんだぁ」
早紀さんの顔がからかいがいのあるネタを見つけた毒舌MCに変貌している。これは早急な話題変換が必要だが、そんなことを許す人ではない。早紀さんはフフッと笑みをこぼしながら髪をかき上げた。
「ご主人様。そろそろお風呂に入る時間ではありませんか? お背中、お流ししましょうか?」
こぶし一個分距離を詰めてきて上目遣いで提案してくるメイドさん(仮)。もしここで俺が、お願いします。と言えば本当に背中を流してくれるのだろうか。
「それとも……このまま、ベッドに入られますか? ご主人様がお休みになられるまで、添い寝……致しますよ?」
俺の心臓に手を当てて、瞳を潤ませながら恥ずかしいけど勇気を振り絞っている様子で更なる提案をしてくるメイドさん(仮)。
「……添い寝でお願いします」
理性が崩壊した瞬間だった。いつもならぎゃふんと言わせるために一芝居打とうと思う脳だが、目の前にいるメイドさん(仮)にそんなことはできない。何故なら俺はご主人様(仮)なのだから。
「どうしたんですか? 添い寝、してくれるんですよね? ベッド行きましょうよ」
「にゃ!? 晴斗君、本気で言っているの!?」
「本気ですよ。それと、今の俺はご主人様ですよね? そしてあなたは今、俺のメイドだ。冗談でした、は通用しませんよ?」
早紀さんの手を取り、俺は強めの口調で言う。そう、彼女がメイド役に扮するというのなら俺もまたご主人様役に徹するとしよう。
「どうしたんですか。ほら、ベッドに行きますよ? 今日も疲れているんですよね。そんな主人を癒すのもメイドの仕事ですよね? 違いますか?」
「ち、ちがく……ない、です……はい」
「ならいいですよね。俺と一緒に寝ましょうよ。さぁ、行きますよ」
彼女の手を引き上げて無理やり立ち上がらせる。きゃっと驚きの声を上げて勢いそのままに俺の腕の中にそのまま飛び込んできたので抱き留めた。
「あっ……晴斗……」
「ハハハ。ごめんなさい。冗談が過ぎましたね。ごめんなさい」
「また……また私をからかって……ドキドキさせて……晴斗のバカ」
顔にほんのり朱をさして呟く早紀さんを俺は優しく離した。あっと名残惜しむような声を出すが、これ以上密着していたら本当に一緒のベッドに入りたくなって、甘えたくなってしまう。あの夏の日の続きを―――したくなってしまう。
「そ、そうそう! まだこれ、渡していませんでしたね。今日来たのもこれを渡すためなんですよ」
テレビから流れる音声も聞こえぬほどの沈黙を無理やり破る為、俺はここに来た目的である文化祭の招待券をポケットから取り出して彼女に差し出した。
「文化祭の招待券です。これがないと入ること出来ないんですよ。9月25日、26日の土日なんでどっちか都合がつけばどうぞ」
「う、うん。土曜日なら一日大丈夫だからその日に行こうかな。晴斗は大丈夫なの? 店番とかあるんじゃない?」
「大丈夫ですよ。どうせ俺はこの二日間は客引きを兼ねて自由に歩き回っているほうがいいと思うので、終日自由みたいなものですから」
「そっかぁ。晴斗と坂本君は活躍したからねぇ。店にいるより外に出ていたほうが宣伝になるよね。あぁ、しかも例の格好で歩けば注目度は間違いなしか。なるほど。よく考えているのかな?」
「当日が憂鬱ですよ……ハァ……」
「フフッ。それなら私を誘わなければいいんじゃない? なんで私をわざわざ誘ったのかな?」
小悪魔的な笑みを浮かべて尋ねてくる早紀さんに俺は頬をポリポリと掻きながら、視線をそらして答えた。
「そ、それは……俺が早紀さんと一緒に文化祭を回りたかったからですよ。いけませんか?」
「フフッ。素直でよろしい。なら土曜日行くからね。学校着いたら連絡するから迎えに来てね、執事さん?」
*****
「ハァ……まさか早紀さんとナオちゃんが来る日が被るとはなぁ。さて、どうしたものか……」
時刻は10時を少し回ったところ。俺は恥ずかしながらも執事の格好姿のまま校門に向かった。校内の生徒のみならず、開門と同時にやって来た親御さんや他校の学生と思われる人達から向けられる奇異の視線にすでに精神的ダメージが蓄積している。
「―――っあ! 晴斗さ―――ん!!」
正門入り口前のガードレールに寄りかかっていた少女が大きく手を振って所在をアピールしていた。かつての恋人の幼馴染の妹の荒川奈緒美だ。
「久しぶりだね、ナオちゃん。少し見ないうちに……いや、変わってないね」
最後に会ったのは半年前になるが、その時と比べると少し大人びているように見えるがまだまだ子供らしいあどけなさが残っている。
「もう! これでも私だって中二なんですよ? 昔みたいに子ども扱いしないでくださいよ!」
「ハハハ。ごめんごめん。でもナオちゃんはナオちゃんだからさ。俺の呼び方も『晴斗さん』って……昔に見たいに『晴斗お兄ちゃん』って呼んでくれてもいいんだよ?」
むぅと膨れっ面になるナオちゃんの頭をぽんぽんと叩きながら、招待券を用意して入場受付へと向かった。ナオちゃんは俺が手を置いたところをしきりに撫でてふにゃっとした笑みを浮かべていた。
「あら、君は……今宮君? その子は君の招待客かな? それとも……彼女?」
受付をしていたのは生徒会長だった。いいネタを見つけたとばかりに声をかけてくるので俺はやんわりと否定しながら、
「違いますよ、会長。この子は……近所に住んでいた、昔よく遊んでいた子です」
「へぇ。そうなんだ。まぁそう言うことにしてあげる。はい、ここにあなたと招待者の名前をそれぞれ書いてね」
「は、はい!」
ナオちゃんは緊張しながらも生徒会長から渡されたボールペンで俺の名前と自分の名前をさらさらと記入していく。丸文字でいかにも女の子らしい文字だ。
「ありがとうございます。では、楽しんできてくださいね。今宮君、しっかりエスコートするんだよ?」
「わかってますよ。会長もお仕事頑張ってくださいね」
「応援しているなら今日でも明日でも構わないから差し入れ持って来てね! 今宮君のクラスの喫茶店、前評判いいから」
はいはい、と手を振って俺はナオちゃんを連れて校内へと入った。はぐれないように彼女の小さな手を握るとびくっと小さく震えた。
「あっ、ごめん。昔の癖で……嫌だったか?」
「ううん! 嫌じゃないです! むしろ嬉しいです! だって……もう晴斗さんとは会えないと思ったし、昔みたいに遊べないと思ったから……」
一度言葉を切り、すぅと深呼吸をしてから彼女は言葉を続けた。
「晴斗さんにまた会えて、すごく嬉しいです。だから、ありがとう。晴斗お兄ちゃん!」
満面の笑みで言いながら、俺の腕に抱き着いてきた。驚きと同時に俺の脳裏によみがえったのは懐かしい思い出。俺を慕ってくれていた可愛い少女の姿。寂しがりで、甘えん坊で、俺の膝の上に乗って来ては姉と喧嘩していたあの日々。
だがそれと同時に俺は自分の考えの甘さを知って数分前の自分を殴りつけたくなった。子供じゃなく、中学二年生になった女の子に『お兄ちゃん』と呼ばれることの甘美さと背徳感。この場面を悠岐をはじめとしたクラスメイトはもちろん、早紀さんに聞かれでもしたら―――
「晴斗お兄ちゃん、電話鳴ってるよ? 出なくていいの?」
「っえ? あぁそうだな。出ないとまずいな―――もしもし?」
『っあ、もしもし、晴斗? 私だけど。今どこにいる? 学校着いて中はいったんだけどそう言えば教室の場所とか聞いてなかったからわからないなぁって思って。迎えに来てくれたら嬉しいなぁ』
電話の主はよりにもよって早紀さん。会いたいけれど今は一番会いたくない人。
なぜ通知画面を見てから電話に出なかったのか、俺は数秒前の自分を殴りたくなった。だが早紀さんの口ぶりからすると校舎に入ったばかり。ならここに居続けるのはまずい。そう判断した俺は周囲を確認する為に視線を左右に振り、さっと後ろを振り返った。だが、これがいけなかった。
『あっ! 晴斗見つけたぁ―――って……ねぇ。今、晴斗が一緒に居る子は、誰かな?』
視線の先にいたのは、スマホを耳に当てたまま直立している早紀さん。
お気に入りのカワウソ―――いくます! と敬礼している絵柄―――が描かれたTシャツの上にチェック柄のジャケットに大人らしさ一層際立たせるボルドーのパンツスタイルの美女が髪をかき上げながらゆっくりとした足取りで近づいてきた。
『どうしたの、晴斗? 黙ってたらわからないよ? ねぇ、晴斗の腕に抱き着いている女の子は、誰かな?』
「さ、早紀さん……め、目の前にいるんだから電話で話す必要ないですよね? こ、この子はですね―――」
事情を説明するために俺が言葉を選んでいると、早紀さんはスマホを胸ポケットにしまいながらすぅとナオちゃんの前に立って、視線を合わせるようにかがみながら、
「フフッ。よく見たら可愛い子じゃない。ねぇ、どうしたのかな? もしかして迷子? 人がたくさんいて親御さんとはぐれちゃったのかしら?」
早紀さんは俺の腕にぎゅっと抱き着いているナオちゃんに、まるで安心させるかのように笑顔と優しい声音で問いかける。
だが、その心配は明後日の方向を向いており、むしろナオちゃんの心に火をつけた。
「私はこう見えても中二です! ま、迷子じゃありませんし親とも来ていません! それに晴斗お兄ちゃんとは昔から知り合いです!」
より一層強くなる俺にしがみつくナオちゃんを見て、早紀さんの矛先は俺に向けられた。
「こんな可愛らしい女の子に懐かれて…‥晴斗、あなた鼻の下伸ばしじゃないかしら? まさか晴斗にロリコン趣味があったなんて知らなかったなぁ。お姉さんショックだなぁ」
俺にロリコンの気はないと否定しようとするのだが、またしてもそれ言葉にするより早く、早紀さんは空いているほうの腕を取る。そして勝ち誇った笑みをナオちゃんに向けた。
点火していたところにガソリンを盛大にぶちまけたようにナオちゃんの心火はさらに大きく燃え上がり、しかし次に発した声は吹雪を思わせるほど凍てついていた。
「ねえ……晴斗お兄ちゃん。このおばさん……誰?」
ナオちゃんが戦略級の威力を有する爆弾を投下した。早紀さんのこめかみがビキビキと音を立てたのが聞こえた気がした。心なしか口元もヒクヒクしている。
「ねぇ……晴斗。ちゃんと説明してくれる? この子いったいどこの誰なの?」
「晴斗お兄ちゃん、こんな人無視して早く行こうよ! 私お兄ちゃんのクラスの喫茶店に行きたい! 坂本さんにも久しぶりに会いたいなぁ」
さて、どうしたものか。いつの間にか空いた方の腕を取っている早紀さんと彼女に牙を向けるナオちゃんに挟まれて、この嬉しいけれどまったく嬉しくない状況をどうするか、俺はぼんやり空を眺めて考えた。
一人につき三枚配られるその招待券を持つ者だけは入場を許される。もちろん使わずに破棄することもできるし、そうするくらいなら譲ってくれと言うクラスメイトに対して悪代官のような悪い顔をして金銭で解決する輩が毎年後を絶たないという。俺のクラスでも当然のように起きた。首謀者は眼鏡をかけた秀才とだけ言っておこう。
俺や悠岐だけ特別変な衣装を着せられることになった以外、文化祭で行う喫茶店の準備は大きなトラブルもなく進み、無事当日を迎えることが出来た。
他のクラスでも甘味処などと言った感じで似たような出し物はしているところはあるが、そことの違いは提供できるドリンクの種類の豊富さと、その質にあると思われる。
なんでも、寺崎さんのお兄さんが家電メーカーに勤めているそうで、喫茶店のことを相談してみたところやけにテンションが上がり、会社に確認して倉庫に眠っている使い道のない古い機種―――そうは言っても一年前のモデル―――を用立ててくれたのだ。しかもそれだけでなく、メニュー表などを作ってくれた上にラミネート加工までしてくれたので至れり尽くせりだ。
「でも公私混同しすぎて上司から笑われたって言った。ここまでする余裕があるなら仕事も頑張ればいいのに……」
と寺崎さんは言っていた。
機材の内訳はコーヒーメーカーに始まり、スムージーを作るミキサー、女性に人気のあるコールドプレスジュースを作れるスロージューサーがそれぞれ複数台。その場で入れるから絶対に美味しいからここは大きな差別化だ。
となると次に問題となるが食材だが、コーヒーに使う粉末や砂糖・コーヒーフレッシュは業務用スーパーで安く大量に買い上げ、スムージーなどに使う野菜や果物は前日にある程度の量を買っておき、途中で中抜けして補充をしていくことになっている。
ちなみに各クラスにはこの文化祭に向けて10万円の予算が用意されている。その中で準備を行い、それに用いた金額以上の利益を出すことが出来ればその分はまるまるクラスの利益として懐に収めることが出来る。
「諸君! ついに文化祭当日を迎えたわけだが……準備はいいか!?」
時刻は朝8時45分。文化祭開催まで15分となり、委員長の菅波さんがクラスメイト総勢31名を前に演説を始めた。
「ここから先は戦争だ! 死に物狂いで客を呼び! 死に物狂いで稼ぐんだ! そうすればその先に待っているのは焼肉食べ放題とかカラオケ歌い放題とか、もう色々なパラダイスだ!」
「「おぉぉぉぉぉぉ!!」」
「招待した知人は絶対に立ち寄らせるんだ! 客引きには何と言っても夏のヒーローが二人もいるから問題ない!」
俺と悠岐を除く他のクラスメイトはごくごく普通のウェイトレスの格好をしているのだが、悠岐は片目が隠れるウィッグに眼帯とフリル付きのブラウスとズボン、その上にベストを羽織った、英国の悪の貴族の幼い当主の格好をしている。そして俺もビジュアル系のような服から黒を基調とした執事然としたシンプルな燕尾服に変わっている。
その理由は、俺の燕尾服姿の写真を委員長が撮影しており、それを悠岐に見せたら、
―――ふざけるな! なんで晴斗がそんなカッコイイ服で僕がこんなフリフリなんだよ!? と言うかこれじゃ晴斗はご主人様というより執事じゃないか! なら僕をこいつのご主人様役にしろよ! 委員長のお姉さんならきっとその手のキャラの服も持っているんだろう!?―――
と騒いだ。何をいまさらと思っていたのだが、委員長の頭にピコンと電球が灯り、大急ぎで準備がなされた結果、気が付けば俺と悠岐の主従関係は逆転していた。だが俺としてはどっちみちいじられるのは確定だからどうでもいいんだが。
「今宮君と坂本君には二日間、終日この格好で過ごしてもらうからそれだけで客引きになる! 我らが勝つに為にはその客を誘導して、しっかりをお金を落としてもうことだ!」
「「おぉおおおおおぉ!!」」
「さすれば我らの未来は明るいぞぉぉぉおお!! 日曜日はそのまま宴会じゃぁああ!」
「「うおぉぉおぉぉおお!!」」
まだ文化祭は始まってすらいないのに、俺の心は折れそうだった。隣にいる悠岐はメイド服から変更になってご満悦のようだった。
だが俺は、これから来る二人のことを思うと、この格好は悩みの種以外のなんでもない。思わず憂鬱なため息を吐いた。
*****
俺は三枚の招待券のうち、使用するのは二枚だけ。里美さんは親族枠でそもそもチケットはいらないし、ナオちゃんは学校に着いたら連絡してもらってその場で券を渡す予定だ。郵送すればあの女に見られる可能性があるからだ。では誰に渡したかと言えば、それは隣に住んでいる女子大生さんだ。
「高校の文化祭かぁ。懐かしいな……それで、晴斗のクラスは何をするの? 喫茶店? それともお化け屋敷とか?」
「喫茶店です。機材もそれなりの物が揃うので、そこそこ本格的な感じになりそうです」
自宅での夕食後、配布された券を渡すために早紀さんの部屋を訪ねた俺はあれよあれよという間にソファに座らされて並んでテレビを見ながら談笑していた。
「喫茶店は王道だよね。私もやったなぁ。でも馬鹿男子が騒いだせいでメイド喫茶だったけどね。後は……執事喫茶とか? なんだか色物喫茶系が多かったなぁ」
それは早紀さんが可愛いからだし、すらっとした美脚でパンツ姿が似合うから男装も似合うからだろう。間違いなく客は早紀さん目当てで来たことだろう。
「どうしたの、晴斗? うん、うんって頷いているけど……あっ! 私のメイド姿とか想像したんでしょう!? やっぱり男の子ってメイドさんが好きなものなの?」
「早紀さんのメイド服とか男装執事とか、気にならないわけないでしょう。想像くらいさせてください」
「ふーん。ということは、晴斗は私に『ご主人様』って呼ばれたいわけか……ふーん。そうなんだぁ」
早紀さんの顔がからかいがいのあるネタを見つけた毒舌MCに変貌している。これは早急な話題変換が必要だが、そんなことを許す人ではない。早紀さんはフフッと笑みをこぼしながら髪をかき上げた。
「ご主人様。そろそろお風呂に入る時間ではありませんか? お背中、お流ししましょうか?」
こぶし一個分距離を詰めてきて上目遣いで提案してくるメイドさん(仮)。もしここで俺が、お願いします。と言えば本当に背中を流してくれるのだろうか。
「それとも……このまま、ベッドに入られますか? ご主人様がお休みになられるまで、添い寝……致しますよ?」
俺の心臓に手を当てて、瞳を潤ませながら恥ずかしいけど勇気を振り絞っている様子で更なる提案をしてくるメイドさん(仮)。
「……添い寝でお願いします」
理性が崩壊した瞬間だった。いつもならぎゃふんと言わせるために一芝居打とうと思う脳だが、目の前にいるメイドさん(仮)にそんなことはできない。何故なら俺はご主人様(仮)なのだから。
「どうしたんですか? 添い寝、してくれるんですよね? ベッド行きましょうよ」
「にゃ!? 晴斗君、本気で言っているの!?」
「本気ですよ。それと、今の俺はご主人様ですよね? そしてあなたは今、俺のメイドだ。冗談でした、は通用しませんよ?」
早紀さんの手を取り、俺は強めの口調で言う。そう、彼女がメイド役に扮するというのなら俺もまたご主人様役に徹するとしよう。
「どうしたんですか。ほら、ベッドに行きますよ? 今日も疲れているんですよね。そんな主人を癒すのもメイドの仕事ですよね? 違いますか?」
「ち、ちがく……ない、です……はい」
「ならいいですよね。俺と一緒に寝ましょうよ。さぁ、行きますよ」
彼女の手を引き上げて無理やり立ち上がらせる。きゃっと驚きの声を上げて勢いそのままに俺の腕の中にそのまま飛び込んできたので抱き留めた。
「あっ……晴斗……」
「ハハハ。ごめんなさい。冗談が過ぎましたね。ごめんなさい」
「また……また私をからかって……ドキドキさせて……晴斗のバカ」
顔にほんのり朱をさして呟く早紀さんを俺は優しく離した。あっと名残惜しむような声を出すが、これ以上密着していたら本当に一緒のベッドに入りたくなって、甘えたくなってしまう。あの夏の日の続きを―――したくなってしまう。
「そ、そうそう! まだこれ、渡していませんでしたね。今日来たのもこれを渡すためなんですよ」
テレビから流れる音声も聞こえぬほどの沈黙を無理やり破る為、俺はここに来た目的である文化祭の招待券をポケットから取り出して彼女に差し出した。
「文化祭の招待券です。これがないと入ること出来ないんですよ。9月25日、26日の土日なんでどっちか都合がつけばどうぞ」
「う、うん。土曜日なら一日大丈夫だからその日に行こうかな。晴斗は大丈夫なの? 店番とかあるんじゃない?」
「大丈夫ですよ。どうせ俺はこの二日間は客引きを兼ねて自由に歩き回っているほうがいいと思うので、終日自由みたいなものですから」
「そっかぁ。晴斗と坂本君は活躍したからねぇ。店にいるより外に出ていたほうが宣伝になるよね。あぁ、しかも例の格好で歩けば注目度は間違いなしか。なるほど。よく考えているのかな?」
「当日が憂鬱ですよ……ハァ……」
「フフッ。それなら私を誘わなければいいんじゃない? なんで私をわざわざ誘ったのかな?」
小悪魔的な笑みを浮かべて尋ねてくる早紀さんに俺は頬をポリポリと掻きながら、視線をそらして答えた。
「そ、それは……俺が早紀さんと一緒に文化祭を回りたかったからですよ。いけませんか?」
「フフッ。素直でよろしい。なら土曜日行くからね。学校着いたら連絡するから迎えに来てね、執事さん?」
*****
「ハァ……まさか早紀さんとナオちゃんが来る日が被るとはなぁ。さて、どうしたものか……」
時刻は10時を少し回ったところ。俺は恥ずかしながらも執事の格好姿のまま校門に向かった。校内の生徒のみならず、開門と同時にやって来た親御さんや他校の学生と思われる人達から向けられる奇異の視線にすでに精神的ダメージが蓄積している。
「―――っあ! 晴斗さ―――ん!!」
正門入り口前のガードレールに寄りかかっていた少女が大きく手を振って所在をアピールしていた。かつての恋人の幼馴染の妹の荒川奈緒美だ。
「久しぶりだね、ナオちゃん。少し見ないうちに……いや、変わってないね」
最後に会ったのは半年前になるが、その時と比べると少し大人びているように見えるがまだまだ子供らしいあどけなさが残っている。
「もう! これでも私だって中二なんですよ? 昔みたいに子ども扱いしないでくださいよ!」
「ハハハ。ごめんごめん。でもナオちゃんはナオちゃんだからさ。俺の呼び方も『晴斗さん』って……昔に見たいに『晴斗お兄ちゃん』って呼んでくれてもいいんだよ?」
むぅと膨れっ面になるナオちゃんの頭をぽんぽんと叩きながら、招待券を用意して入場受付へと向かった。ナオちゃんは俺が手を置いたところをしきりに撫でてふにゃっとした笑みを浮かべていた。
「あら、君は……今宮君? その子は君の招待客かな? それとも……彼女?」
受付をしていたのは生徒会長だった。いいネタを見つけたとばかりに声をかけてくるので俺はやんわりと否定しながら、
「違いますよ、会長。この子は……近所に住んでいた、昔よく遊んでいた子です」
「へぇ。そうなんだ。まぁそう言うことにしてあげる。はい、ここにあなたと招待者の名前をそれぞれ書いてね」
「は、はい!」
ナオちゃんは緊張しながらも生徒会長から渡されたボールペンで俺の名前と自分の名前をさらさらと記入していく。丸文字でいかにも女の子らしい文字だ。
「ありがとうございます。では、楽しんできてくださいね。今宮君、しっかりエスコートするんだよ?」
「わかってますよ。会長もお仕事頑張ってくださいね」
「応援しているなら今日でも明日でも構わないから差し入れ持って来てね! 今宮君のクラスの喫茶店、前評判いいから」
はいはい、と手を振って俺はナオちゃんを連れて校内へと入った。はぐれないように彼女の小さな手を握るとびくっと小さく震えた。
「あっ、ごめん。昔の癖で……嫌だったか?」
「ううん! 嫌じゃないです! むしろ嬉しいです! だって……もう晴斗さんとは会えないと思ったし、昔みたいに遊べないと思ったから……」
一度言葉を切り、すぅと深呼吸をしてから彼女は言葉を続けた。
「晴斗さんにまた会えて、すごく嬉しいです。だから、ありがとう。晴斗お兄ちゃん!」
満面の笑みで言いながら、俺の腕に抱き着いてきた。驚きと同時に俺の脳裏によみがえったのは懐かしい思い出。俺を慕ってくれていた可愛い少女の姿。寂しがりで、甘えん坊で、俺の膝の上に乗って来ては姉と喧嘩していたあの日々。
だがそれと同時に俺は自分の考えの甘さを知って数分前の自分を殴りつけたくなった。子供じゃなく、中学二年生になった女の子に『お兄ちゃん』と呼ばれることの甘美さと背徳感。この場面を悠岐をはじめとしたクラスメイトはもちろん、早紀さんに聞かれでもしたら―――
「晴斗お兄ちゃん、電話鳴ってるよ? 出なくていいの?」
「っえ? あぁそうだな。出ないとまずいな―――もしもし?」
『っあ、もしもし、晴斗? 私だけど。今どこにいる? 学校着いて中はいったんだけどそう言えば教室の場所とか聞いてなかったからわからないなぁって思って。迎えに来てくれたら嬉しいなぁ』
電話の主はよりにもよって早紀さん。会いたいけれど今は一番会いたくない人。
なぜ通知画面を見てから電話に出なかったのか、俺は数秒前の自分を殴りたくなった。だが早紀さんの口ぶりからすると校舎に入ったばかり。ならここに居続けるのはまずい。そう判断した俺は周囲を確認する為に視線を左右に振り、さっと後ろを振り返った。だが、これがいけなかった。
『あっ! 晴斗見つけたぁ―――って……ねぇ。今、晴斗が一緒に居る子は、誰かな?』
視線の先にいたのは、スマホを耳に当てたまま直立している早紀さん。
お気に入りのカワウソ―――いくます! と敬礼している絵柄―――が描かれたTシャツの上にチェック柄のジャケットに大人らしさ一層際立たせるボルドーのパンツスタイルの美女が髪をかき上げながらゆっくりとした足取りで近づいてきた。
『どうしたの、晴斗? 黙ってたらわからないよ? ねぇ、晴斗の腕に抱き着いている女の子は、誰かな?』
「さ、早紀さん……め、目の前にいるんだから電話で話す必要ないですよね? こ、この子はですね―――」
事情を説明するために俺が言葉を選んでいると、早紀さんはスマホを胸ポケットにしまいながらすぅとナオちゃんの前に立って、視線を合わせるようにかがみながら、
「フフッ。よく見たら可愛い子じゃない。ねぇ、どうしたのかな? もしかして迷子? 人がたくさんいて親御さんとはぐれちゃったのかしら?」
早紀さんは俺の腕にぎゅっと抱き着いているナオちゃんに、まるで安心させるかのように笑顔と優しい声音で問いかける。
だが、その心配は明後日の方向を向いており、むしろナオちゃんの心に火をつけた。
「私はこう見えても中二です! ま、迷子じゃありませんし親とも来ていません! それに晴斗お兄ちゃんとは昔から知り合いです!」
より一層強くなる俺にしがみつくナオちゃんを見て、早紀さんの矛先は俺に向けられた。
「こんな可愛らしい女の子に懐かれて…‥晴斗、あなた鼻の下伸ばしじゃないかしら? まさか晴斗にロリコン趣味があったなんて知らなかったなぁ。お姉さんショックだなぁ」
俺にロリコンの気はないと否定しようとするのだが、またしてもそれ言葉にするより早く、早紀さんは空いているほうの腕を取る。そして勝ち誇った笑みをナオちゃんに向けた。
点火していたところにガソリンを盛大にぶちまけたようにナオちゃんの心火はさらに大きく燃え上がり、しかし次に発した声は吹雪を思わせるほど凍てついていた。
「ねえ……晴斗お兄ちゃん。このおばさん……誰?」
ナオちゃんが戦略級の威力を有する爆弾を投下した。早紀さんのこめかみがビキビキと音を立てたのが聞こえた気がした。心なしか口元もヒクヒクしている。
「ねぇ……晴斗。ちゃんと説明してくれる? この子いったいどこの誰なの?」
「晴斗お兄ちゃん、こんな人無視して早く行こうよ! 私お兄ちゃんのクラスの喫茶店に行きたい! 坂本さんにも久しぶりに会いたいなぁ」
さて、どうしたものか。いつの間にか空いた方の腕を取っている早紀さんと彼女に牙を向けるナオちゃんに挟まれて、この嬉しいけれどまったく嬉しくない状況をどうするか、俺はぼんやり空を眺めて考えた。
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いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
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