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After Story1〜卒業〜
しおりを挟む長い冬が終わりを迎え、空気に春のにおいが強く感じられるようになってきた。ほんのり暖かさを乗せた風が、淡いピンク色の袴を着た私の頬を撫でていく。
今年の桜はまだ蕾。
大学の卒業証書を抱えた私は、晴れやかな気持ちで蕾を見上げていた。
湊尹と再会してから5回目の春ーー。
私は21歳になっていた。
卒業式の帰り道、まっすぐにあの寺の桜の木へ向かった。
打ち上げに誘ってくれる友人達に「用事があるからごめん!」と謝ると「彼に会いに行くんでしょー」とからかわれた。
卒業式の日にはこの桜を見に来たかった。
明日から新社会人になる私の決意表明だ。
「見て!やっと栄養士の資格を取れたのよ。頑張ったでしょう?」
桜木に向かって卒業証書を見せびらかす。
大丈夫。周りに誰もいないから頭がおかしい人には思われない。
「次は管理栄養士の国家試験よ。がんばらなきゃー!」
けれどその時。背後から声をかけられた。
「大きなひとりごとですね」
「っ!!」
飛び上がるほど驚いた。この寺の庭は観光客も気づかない穴場なのに。
けれどその声の持ち主を私はよく知っている。
恥ずかしくて火照った顔を卒業証書で隠しながら私はおずおずと振り返った。
「|湊(みなと)……」
背の高い若い僧侶が微笑んで見つめている。端正な顔立ちは前世にも引けを取らない。
そう、彼はーー。
「|舞桜(まお)様、ご卒業おめでとうございます」
「湊、また『様』付けになっているよ」
湊尹の今生の名前は『|湊(みなと)』という。
『桜姫が|舞桜(まお)』に。
『|湊尹(そういん)が|湊(みなと)』に。
二人とも前世と同じ字が使われている。とっても不思議な偶然だった。
「……あ、そうですね。何年経ってもなかなか難しいですね」
湊が慌てて口に手をやった。
再会してから数年は「桜姫」と呼び続け、やっと「舞桜」と呼べるようになったけれど、うっかりすると「様」がつく。
湊尹らしくて笑ってしまうのだが。
「ホントにそろそろいい加減慣れてよね。人に聞かれたら驚かれちゃうわよ」
ポン、と軽く湊の胸を叩いた。
「!」
その腕を湊に掴まれて、そのまま抱きすくめられた。キュンと私の胸が高鳴る。
「舞桜、卒業おめでとうございます。苦労していましたけどよく頑張りましたね」
「ーーうん……」
私は居心地の良い湊の胸に深く顔を埋めた。
こんなこと前世の私達は出来なかった。貴族の姫だった私と、僧侶だった湊尹。どんなに惹かれあっていても身分の差がそれを許さなかった時代だった。
「……あれ?そういえば湊はどうしてここにいるの?お勤めの途中でしょう?」
不思議に思って湊を見上げた。
湊は今生でも僧侶の道を選んだ。
京都の寺に長男として生まれた湊は仏教系大学を卒業して、今はこの寺で修行中の身だ。いつかは父親の後を継いで実家の寺の住職になる予定だ。
「はい。そうなのですが、おそらく舞桜がここに来ているだろうからと住職からお許しが出たんです」
「さすがご住職様ね。なんでもお見通しなんだわ!」
私は目を輝かせた。
この寺の住職は、5年前修学旅行中にこの寺で倒れた私を助けてくれた人だ。
湊尹と私の前世を知っている頼もしい味方なのだ。
湊の実家の寺と、この広大な寺の宗派が同じなのも何かの縁なのか、快く湊の修行を迎え入れてくれた。
まさか千年前と同じ寺で勤めることになるなんてまったく不思議なものだ。
「お見通しというか、あなたの行動が単純というか……」
クスクス笑う湊に私は意地悪く小さく舌を出した。
「単純で悪かったわね!今日はこの桜に卒業証書を見せに来ただけだからもう帰るもの」
湊の腕を解いて私は桜に視線を移した。
湊も隣に立って桜を見上げる。
風が静かに葉を揺らす音と、遠くから聴こえる鳥のさえずりに目を閉じた。
「ーーーー……」
目を閉じてしまえば、あの頃と何も変わらない。
心に秘めた切ない恋心。別れが迫る恐怖の中でも、あなたの隣にいられる時間がなにより幸せだった。
たとえ手に触れることすらできなくても。
「ーー今年ももうすぐ咲きますね。その頃またここで逢えますか?」
湊の声に我に返って目を開けた。
「……あ」
今一瞬、過去に気持ちが戻っていた。湊尹との別れが近づいていた頃の自分に。
「ーーっ」
私は頭を振るった。
もう何もないはずなのに、今でもたまに不安になる時があるのだ。
また、私の前から湊が消えてしまったらどうしようってーー。
「ああ、仕事が始まったばかりで忙しい時期ですからね。なかなか逢えないかもしれませんよね……」
「?」
隠してはいるが残念そうな声音の湊に私は首を傾げて、ハッとした。
桜が咲いたら逢おうって言ってくれたのに首を振ってしまった……!?
「ち、違う!逢えるよ、逢いたいよ!」
食い下がるように湊の胸元に飛び込んだ私に驚いて、湊は顔を赤らめた。
「……あ、なら良かったです」
嬉しそうに微笑む湊に胸がキュンとした。
ああ、もう……!!
五年も付き合っている私達は未だにキス止まりの関係。
大学入学を機に京都で一人暮らしを始めた私だが、湊は部屋に来ることはあっても、一度たりとも泊まっていったことがない。
二人の交際は双方の両親からも公認なのにだ。
(私に魅力がないのか、未だに『様』付けが抜けない湊の心持ちなのか……)
私はこっそりため息をついた。
(早く身も心もあなたのものになりたい……なんて言えるわけないわ)
はしたない自分に泣けてくる……と心で嘆きながら卒業証書の筒を胸に抱えた。
「じゃあ今日はそろそろ帰るね。お勤めの邪魔しちゃってごめんなさい。ご住職にもお礼を伝えておいてね!」
少し寂しそうに湊が頷いた。
「分かりました。気をつけて帰ってくださいね」
「うん!じゃあ、また連絡するね」
バイバイと手を振って歩き出した私を湊が呼び止めた。
「え?」
振り返ると、湊が赤い顔で口ごもっていた。
「あの……、照れてしまってなかなか言えなかったのですが」
小さく咳払いして湊は私を見つめた。
「その袴、とてもよく似合っていますよ」
「……!あ、ありがとう!」
私は顔が熱くなるのを感じた。二人して照れてしまう。
「十二単のあなたもとても可愛らしかった。着物姿が……とても懐かしいです」
湊は少し寂しそうに微笑んでいた。
まるで昔の私を今の私に重ねているように見えた。
私は襟元に触れて衣の重ねを撫でた。
「今はもうなかなか着る機会ないものね。成人式も終わっちゃったし」
「そうですね。でもーー」
言いかけて湊はハッと黙ってしまった。
「湊?」
「なんでもありません。引き止めてしまってすいませんでした」
言うつもりはないらしい。
私は不思議に思って傾げた。
(ーーまあいいか)
「じゃあ、またね!」
「気をつけて帰ってくださいね」
「うん!」
私は湊に手を振って歩き出した。
(えへへ、湊に褒めてもらえちゃった)
嬉しくてワクワクする。薄ピンク色の着物の袖が機嫌よく揺れた。
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