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第16話〜最後の逢瀬〜

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 暗い廊下を灯りもなく歩いていく。時折小さな物音が聞こえると、男は私を背後に隠し刀に手をやった。

 昼間に通る道とは違う裏道だったので、私には今どこを歩いているのかも全く分からなかった。広い寺の造りが月明かりにボゥ…と浮かぶので少し気味が悪かった。

 それからしばらく行くと男は再び床に片膝を付いた。

「桜姫様。寺の裏庭に着きました。その角を曲がれば桜がございます」

「あ、ありがとう」

「それほどお時間はございません。私はこちらに控えておりますので、なるべく手短にお済ませください」

 コクン、と頷き、私は一人歩き出す。静かな闇に私の着物の衣擦れだけが小さく響いた。一瞬立ち止まり、角を曲がる。

「―ー……湊尹!」

 満開の桜の木の下に懐かしい湊尹の後ろ姿が見えた。たった四日で懐かしいなどとおかしく思うかも知れないけれど、本当にそう思ったのだ。

 私の声に反応して、湊尹が振り返る。足早に私がいる廊下の下まで近づいてきた。

湊尹、少し―ー……痩せた?

「桜姫―ー……」

 湊尹の声にドキとした。どれだけ私を心配してくれていたのか、どれほど私を想ってくれているのか、その一言だけで全てが伝わってきた……。

 私は床にしゃがみ込み、手摺から身を乗り出した。

「約束を守れなくてごめんね……」

 湊尹は無言では首を振る。

 乗り出した私の顔を見つめる彼の顔は、寂しさと安堵と……そして愛しさが滲んだ複雑な表情を浮かべていた。


 今夜で―ー……最後なんだね……。


 私と湊尹がこうしていられるのは、今日で最後―ー……。

 湊尹にも分かっているんだね……?

 もう二度と、戻れない。
 私たちの愛しい時間……。

 私は伊織を捨てて湊尹と逃げることは出来ない……。私の逃亡の手を引いた事が判明したら、死罪は免れない。
 そして湊尹……あなたも謀反僧になってしまう。

 追われる身になるような迷惑を貴方にはかけられない。―ーかけたくない。


 私の願いはただ一つ。


 伊織も、湊尹も、幸せに生きてほしい。

 だから湊尹―ー……。

 今日でお別れだよ……。



「今日はね、草履を忘れずに持ってきたの。少し遅くなってしまったけど、一緒に桜の下まで行きたい」

 涙が頬を伝う。

 でも、湊尹に気付かれないようにしたい。

 私の笑顔をいつまでも忘れないでいてほしいから。

 お願いです。
 夜の闇よ。どうか私の涙を隠していて。

 階をゆっくりと降り、草履を履く。
 湊尹は袿の上から私の手を取った。

 最後まで直接手に触れてくれない事が辛く感じた。

 砂利が草履と擦れて音を立てる。着物の裾を引き上げて私は湊尹と共に庭に出た。こうして庭を歩くのは久しぶりだった。

「桜、咲いたのね」

 目の前には闇に浮かぶ満開の白い花びらが緩やかな風に揺れている。美しくて、切ないこの花を湊尹としばらく眺めた。

「毎年桜は咲くけれど、咲かないでほしいと願ったのは今年が初めて」

 そう言った私の横顔を湊尹は振り返った。

「私もです……。けれどやはり美しい。姫の御名に相応しい花です」

「湊尹たら!」

 私たちはクスクスと笑った。
 悲しいはずなのに湊尹といるといくらでも話していられる。離れていた時間が嘘のように思えてしまう。
 
 私たちの日々は明日も続くのではないの?そう思えてならなかった。

 けれど、別れは着実に近づいていた――。

 湊尹は私と向かい合い、口をつぐんだ。
 まるで私の姿を目に焼き付けるように。

「湊尹?」

 不安になって名を呼ぶ。

「桜姫……。この度の東宮様との御婚約、誠におめでとうございます」

「……………」

 夜風に桜が音を立ててざわめく。

 深々と頭を下げる湊尹を、私は悲しい気持ちで見つめた。
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