上 下
5 / 31

第5話〜初めての……〜

しおりを挟む


 その夜。

 遠くに聞こえる風の音を聞きながら、床の中で私は怪我をした指先を見つめていた。湊尹の言葉のひとつひとつ。仕草のひとつひとつを意味もなく何度も思い返していた。

 僧侶の湊尹。
 
自分とはまったく違う生き方をしている人。普通なら出逢うはずもなかった。

「ーーふう……」

 私は寝返りを打って天井を見上げた。

 この胸の高鳴りを私はどう理解したらいいんだろう……。

 ほんの少ししか話していないのに、誰かを特別に想うことなんてあるんだろうか?
 私は頭を抱えた。

「バカみたい……」

 もしもこれが「恋」というものだとしても、決して叶うはずがないのに。
 それに私には恋をする資格もない。

 そう遠くない未来に私は東宮(とうぐう)の元に嫁ぐことになるらしい。いつか都を治める帝に即位する人だ。

 私がこの寺に身を隠されている理由はそこにある。反対勢力の派閥がこの縁談を潰す意気込みなのだ。
 つまり私の暗殺計画。

『顔も知らない男の為に命を狙われるなんてバカげてる!』

 そう父に反抗した日……。
 私は初めて強く頬を打たれた。

『恐れ多くも東宮様になんたる言いぐさだ!東宮妃として入内させる為に今まで大事に育ててきたのだ。全ては一族繁栄の為。私の娘なら役割を果たせ!』

「…………」

 私はあの時打たれた右の頬にそっと触れた。今にも痛みが甦るようだった。

 昔から出世には執着心を持っていた父だが、私を愛してくれていると思っていた。
だから父の言葉は衝撃だった。

『私は出世の道具なの?』

 問いただす私の手を握り母はこう答えた。

『東宮様の正妻の座を勝ち取れば大殿様の出世は間違いないのです。良いですか桜。一族の繁栄はそなたにかかっているのです』

 私は絶望した。

 これ以上何を求めるの?
 今までだって十分幸せだったじゃない……。

 両親が私利私欲に満ちた汚い生き物に見えた。私はただ皆と笑い合って生きていければそれでいいのに……!

 そこで気付いた。

 私には、信用出来る人がいるのだろうか、と――。

 優しい笑顔を浮かべて私に接する親戚筋の人たち。
 父が催す宴にやってくる若い公達(きんだち)たちは御簾ごしに楽しい話を聞かせてくれるけれど、今思えば私が入内する可能性がある事をみんな知っていたのかもしれない。

 だとしたら、出世の為に私の機嫌をとっていたのだろうか――……?

 思えば思うほど疑心暗鬼は深まり、気付けば私は誰にも心を開けないようになっていた。

 けれど。

 なぜか湊尹の笑顔は信じられた。

 湊尹は私の機嫌とりなどしなかった。張り付けたような笑顔を見せたりもしなかった。眉を寄せたり、呆れたり……そんな自然な表情を見せてくれた――。

だから、私は……

「……湊尹」

 彼の名を口に出してみる。

「……!」

 頬が染まるのを感じる。
 ドキン、ドキンと私の鼓動は速度を上げた。

 こんな想い、今さらどうしたらいいの?

私は途方にくれて衣を頭から被った。







 結局一睡もしないまま朝を迎えた。
 伊織が起こしにくるより早い時刻に一人部屋の外に出てみた。冷たい風は袿を一枚羽織っただけの私には少し寒かったけれど、今はそれで良かった。

 この寺に来て二ヶ月。何の答えも出ないまま時間だけが過ぎていく。色々な考えが廻った。両親に従う事も、ここから逃げ出して一人生きることも、……死ぬことも。

 けれどその心は固まる度にまた形を変えてしまう。結局私は思うだけで行動に移せない甘えた人間なんだと痛感した。

「その上今さら恋なんてね。ホント甘えた人間」

 つぶやいて私は自分を軽蔑して笑った。

 けれどそれを人生の選択肢に加える事はない。私には選べないし、選びようもない。
 
 三日前に戻れるのなら、私はあの日あの場所にはいかない。

 恋なんて知らない方がずっと幸せだと思うから。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

王太子さま、側室さまがご懐妊です

家紋武範
恋愛
王太子の第二夫人が子どもを宿した。 愛する彼女を妃としたい王太子。 本妻である第一夫人は政略結婚の醜女。 そして国を奪い女王として君臨するとの噂もある。 あやしき第一夫人をどうにかして廃したいのであった。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈 
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

【完結】捨てられ正妃は思い出す。

なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」    そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。  人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。  正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。  人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。  再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。  デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。  確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。 ––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––  他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。  前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。  彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。  

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

ある公爵令嬢の生涯

ユウ
恋愛
伯爵令嬢のエステルには妹がいた。 妖精姫と呼ばれ両親からも愛され周りからも無条件に愛される。 婚約者までも妹に奪われ婚約者を譲るように言われてしまう。 そして最後には妹を陥れようとした罪で断罪されてしまうが… 気づくとエステルに転生していた。 再び前世繰り返すことになると思いきや。 エステルは家族を見限り自立を決意するのだが… *** タイトルを変更しました!

処理中です...