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6月

水も滴るいい男

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梅雨時期に惨敗し続け、とうとう髪を縛ることでやり過ごすことになりました。
別に湿気に屈したわけじゃないんだからね。これは戦略的撤退なだけなのである。
と、言い訳をすると惨めになってきた。

こんなネガティブ思考になっているのは、少しだけ私の心が荒んでいるせいなのである。

だって、だって。
千香ちゃんがああぁぁぁ。
知らない男子に呼ばれてついて行っちゃうからぁぁぁああ。

あれ、絶対告白だよ!
私の千香ちゃんに、私の許可なく告白するなんて許せないー!
今までも何人かいたけど、高校に入ってからさらに頻度が増えてる気がする。
千香ちゃんも呼び出された時に行きたくないって拒否すればいいのに、話くらいは聞くってついて行くからぁぁ。
学校では猫被ってるから、キャラの都合上その場でバッサリ断れなくなってるんだよー。この猫かぶりお人よしめー!そんなところも好きだけどさー!
私は一人残されて寂しいのー!

深いため息が出てしまうのは、しかたないと思う。
廊下の窓辺で外を見る。
雨が降って薄暗い景色を見て気分が晴れるはずもなく、今の私はアンニュイモードである。
ていうか、雨が強くなってきている気がする。朝は曇ってるだけで、雨自体はついさっき降り出したばかりなのに。
そんな事実に気づいてしまえば、気分はさらに急降下である。

ここから見えるのは、校舎の外壁と、校舎と校舎を繋ぐ外にある渡り通路と、その横にまばらに植えられている木だけである。
あの渡り通路は体育館から職員室に行く時には近道になるけど、それ以外では使う機会はない。
それに雨の日は特に使われない。もし使いたくなっても雨の日は、校舎に入って遠回りした方がいいと思う。

何も知らなかった高校入学当時、私が初めてあそこを通った時が雨の日だった。
あまり幅が広くない通路の半分ほどがすでに雨で濡れていて、大きな水たまりがいくつかあった。
それは外にあるせいで横から吹き付ける雨を防ぐ壁がないせいと、古い屋根が雨漏りしていたり穴が開いているために雨を遮れていないせいだった。
通れるけど、完全に濡れずに通るのは不可能である。ちょっとは濡れてしまうのだ。

と、濡れた時のことを思い出しさらに気分は下降する。もうこれ以上、下がることができないくらいのどん底状態である。

その渡り通路に女子生徒が一人いるのが見えた。
あーあ。雨降ってるから、きっと濡れてるんだろうな。

あれー?なんだか、あの子美鈴ちゃんに見えるんだけど私疲れてるのかなぁ。
気分が落ち込みすぎて、可愛い子の幻覚が見えてるのかも。
こんな日に、わざわざあの渡り通路使うような奇天烈な子じゃないよね、さすがに。ない、ない。

水たまりを避けているのか、ピョコピョコ飛び跳ねながら通路を進んでる。
ここまで、鮮明に幻覚が見えるって私、ヤバくない?昨日は早く寝たから寝不足ってことはないと思うんだけど。

あれれ、おかしいな。私の幻覚にもう一人奇天烈仲間が参上である。
雨が降っているのに、向こうから通路の方に傘も差さずに走ってくる男子がいる。あちらから来るということは、裏門から来たのかもしれない。

傘を差さなかったから全身濡れたのだろう。
渡り通路の心もとない屋根の下に避難してから、彼は雨粒を払うように全身を叩いている。
こちらに背中を向けて払い落としているので、私からは後姿しか見えておらず幻覚奇天烈男子の顔は分からない。
ふっ、所詮私の幻覚だろうしね。私の妄想力では男子の顔はカバーできないんだよ。可愛くないものには興味がないから。

私の幻覚美鈴ちゃんは渡り終えそうなところだったのだが、その男子生徒に気づいたのかやはりピョコピョコと水たまりを避けながら戻ってきた。
こっちの表情はよく分かるんだよなあ。やっぱり女の子だから想像できちゃうってことなのかな。
え、無理がある?視覚以外の五感を閉ざしてちゃんと現実を見ろ?
見ているよ、大丈夫。あれは私の最底辺の気分が生み出した幻覚、妄想で本物じゃないはずなのです。

躊躇いがちに声をかけ、幻覚男子も美鈴ちゃんの方に顔を向けた。
雨のせいで髪が濡れいつもとは違った雰囲気を纏っているが、あれは葵先輩……?

千香ちゃんの家にお泊りに行ったときに見る、お風呂上がりで髪が濡れているバージョンの葵先輩にソックリである。
けど、まさかねー。雨の中、葵先輩が走ってくるわけないじゃないか。
うん、違うよね。髪とかが濡れている男子で知っている人が葵先輩だけしかないから、私の脳が勝手に葵先輩を使っているだけだよね。

美鈴ちゃんは慌ててポケットからハンカチを取り出して葵先輩を拭こうとしている。
一方の先輩は、濡れたせいでワイシャツが体に纏わりつくのが嫌なのか、ネクタイを片手で緩めてワイシャツの首元をパタパタと動かして中に空気を入れ乾かそうとしている。

そこで、葵先輩が美鈴ちゃんに笑顔を向け何やら話している。
美鈴ちゃんが腕あたりを拭いていた手を止め、先輩の手がその手に重なって美鈴ちゃんの前に移動させる。
どうやら、葵先輩の幻覚が美鈴ちゃんの幻覚にもう拭くのは平気だと言ったらしい。

まだ心配そうな美鈴ちゃんを前に、葵先輩はただ大丈夫だと告げているのだろう。
濡れた髪を下からかき上げながて色気を振りまきながら笑って対応している。
かき上げる仕草は、お風呂上りの際に時々やっているのを見る。髪が濡れている時のクセなのかもしれない。

普段はキチンとしていて優しいオーラが全面に出ているのに、制服を着崩したり髪が濡れていたりと普段とは異なる一面が葵先輩の印象を変える。葵先輩の家ではよくあるけれど、学校ではレアな光景であると思う。
私はお泊りによく行くからそういう様子を見る機会があるのだが、さすがは攻略対象!ギャップで落とすのですね!とその時に感動した覚えがある。

美鈴ちゃんのハンカチを持つ手を握って、顔を同じ高さに合わせてから笑顔で何か言うと、美鈴ちゃんが折れた。
美鈴ちゃんの顔がここからでも分かるくらい赤い。ふふ、やられたな。

ここで幻覚の二人はそれぞれ校舎の中へ戻って行って、姿が見えなくなった。



その日の帰り、千香ちゃんの家に遊びに行くと葵先輩が珍しくクシャミをした。
なので、千香ちゃんにお願いして台所を借りて、暖かい飲み物を淹れて差し入れしてあげた。
自分の頭が軽い自覚はあるが、心の中ではなんだかんだと言っても幻覚と現実の違いくらいはさすがに分かっているつもりである。
あの時は千香ちゃん不足で気持ちが高まらなかったせいで現実逃避したくなっていただけなのである。気分良くないときは現実って直視したくないよね。
今だってまだ、千香ちゃん成分が足りていないけれども。……はっ!そうだ、すぐそこにいる千香ちゃんに抱きついて補充しよう!


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