月は夜をかき抱く ―Alkaid―

番外編7（2024年文披31題）

20・泡沫の街（摩天楼）

　由真はもうほとんど誰もいないビルの屋上に登る。前に歩月や星音も呼んだことがあるが、二人はここがどんな場所かは知らない。由真は適当な壁に寄りかかって夜の街に目をやった。遠くに摩天楼が見える。A地区には新しいビルが建設中で、C地区は永遠に工事をしてるのではないかと思うくらい工事が続いている。街は常に生まれ変わっているのだ。人間の細胞が常に死と再生を繰り返しているように。
　彼女もこの風景を見たのだろう。いや、あの日は雨が降っていた。水の中に煙る摩天楼を眺めて、何を思ったのだろうか。何かを考えることなどできなかったのだろうか。
　綺麗な声で歌う人だった。無邪気に笑う人だった。けれどその声は記憶の中で少しずつ綻びが出来始めている。寧々が言っていた。人はその声を最初に忘れてしまうのだと。本当かはわからないけれど、忘れたくはない、忘れてはいけないと時折思い出す。
　この街の光の下には沢山の人がいる。けれどその中で孤独になってしまう人もいる。綺麗な声を持つ彼女は、最後は誰にもその声を届けることなく夜の街に落ちていった。声を奪われた人魚姫が泡となって消えていったように。

　滲んだ夜の光は暗い海の中で煌めく鱗にも見える。手からこぼれていったものを嘆いても元に戻ることはない。それでも問い続けてしまう。

　あのとき私はどうすればよかったのか。
　どうすれば彼女を助けられたのか。
　おそらく答えは永遠に出ないとどこかでわかっていた。