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鎌鼬
2・メンブレン
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ハルが作った種を守るための保護膜は、それを使えない由真と無能力者である梨杏を除いたアルカイドの店員全員分と、協力者であるカナエと純夏の分が用意されていた。ただし予備を作る余裕はなかったらしく、一度の失敗も許されないのは由真にとってはそれなりの重圧だったらしい。全ての作業を終えてソファーに横になっている由真に、寧々は声をかける。
「でもどうにか全員成功したからよかったじゃない。それにミスってもまた作るって言ってたし」
「でも『失敗しちゃった、ごめん』とか言えるような問題じゃないじゃん。……今日はもう疲れたよ」
「理世子がアイスボックスクッキー置いて行ったわよ。食べる?」
「食べる」
能力を使うと空腹になるというわけではないが、疲れたときは甘いものが一番だ。これで星音を含め、すぐにでも何かが起こるという危険はなくなった。けれど安心ばかりとしていられない。クッキーとココアを由真の前に用意すると、由真はゆっくりと体を起こした。
「――それで、この前の話だけど」
由真には先日ハルから聞いた話を全て伝えた。由真だけは寧々の過去を、寧々の復讐すべき相手を知っている。
「まだ具体的にどう動くかは決めてないわよ。相手が相手だもの。気付いていないふりをして今の膠着状態を維持しながら準備を整えたいところね」
「でもハルさんの話が本当なら、あの人たちの目的は」
機動隊、というよりは警察組織の後ろについている存在は、能力者のいない元の世界に戻すことを目的としている。そのための強力な特殊光線を発する警棒が機動隊に支給されているのだ。何か事件が起きたときにそれが使われる可能性は高い。
「……私たちが関わる前に終わった事件もある。その中であれが使われていたなら」
「実際、表立って言ってはいないけど、制圧後に亡くなっている人は増えている。でも闇雲に行ったところで向こうが本気を出したら私たちでは勝てない」
まず数が違いすぎる。由真がいくら強くても、黄乃が多人数への攻撃を得意としていても、勝つことができる相手ではない。今まで膠着状態を維持してこれたのは、互いに本気を出してはいなかったからだ。これまでのアルカイドの立場は、あくまで警察の協力者である民間の調停人だったのだから。
「無策で襲撃するわけにもいかないし。今方法を考えているから、それまでは同じように過ごすしかない」
「それはわかるんだけど」
由真は膝の上で拳を握る。それでも、見ず知らずの人間だったとしても誰かが殺されて、そのことが報道されることすらないような現状に憤っているのだろう。寧々は会ったこともない人間の死をそこまで悼むことはできない。由真はその強大な力とは裏腹に、優しすぎるただの少女なのだ。
「このこと、悠子には?」
「後ろに何がいるかまでは言わなかったけれど、奴らの目的が能力者の抹殺であることは伝えたわ。できるだけ機動隊より前に介入できるようにするとは言ってるけど、さすがに機動隊だけあって速いのよね動きが」
「だよね。それなら……私たちも静観しているだけというわけにはいかない」
「限界があることはちゃんと理解してね。だいいち、現状は由真が一番無防備なんだから」
幸いにも、能力自体に攻撃力はないが、それを駆使して戦うことができる純夏が協力してくれてはいる。純夏はどこにも所属したくないらしく、アルカイドで雇うと寧々が提案したもののすげなく断られてしまった。けれど所属していない状態でも手を貸してくれはするらしい。それほど大きな事件でなければ彼女一人でも十分対処できる。けれど手が足りないのもまた事実だった。
「メンブレンを飲み薬とか注射とかで作用させることはできないかって考えてるんだけど、なかなか難しいのよ。もしそれができたら、全ての能力者の暴走も予防できるかもしれないものではあるのだけど」
「私はこれまで通り、私のやることをやるだけだから。そっちは寧々とハルさんに任せるよ」
そう言われてしまっては、より本気を出すしかない。寧々は由真のクッキーを一枚つまみながら笑みを浮かべた。
*
「……間違い無いわね、残念ながら」
数日後、悠子に病院に呼び出された寧々は、眠っている青年を見るなりそう言った。青年はここ最近巷で発生している謎の通り魔事件の被害者だ。そして悠子が調べているということは、犯人は能力者の疑いがあったということだ。そしてその疑いは寧々の目により事実に変わる。今は眠っている青年の体にある無数の傷口からは、紫色の能力波の残滓がはっきりと見えていた。しかしこれも数時間後には消えてしまうだろう。今回は悠子の呼び出しが早くて間に合った。
「状況を聞く限りそうだとは思ったけれど……やっぱりそうなのね」
「状況?」
「襲われた人も、周りにいた人も犯人の姿を誰も見ていない。ただいきなりその人が傷だらけになったって言ってるのよ。襲われた本人も、何も見てないけど、急にそうなったって。あ、でも、強いて言うなら風を切るような音が聞こえたって人はいたわね」
「風を切る音……なるほど。これだけでは確証は持てないけれど、おそらくは空気や風を操れる能力ね」
寧々の左目は能力波を解析して、その情報を寧々に伝える。射程はそれほど長くはなさそうだ。おそらくは五メートル以内。事件が起きたとき、犯人は被害者の近くにいたはずだ。
「鎌鼬のようなものかしらね。人の目には見えない空気を操って人を傷つけている。被害者に共通点があれば怨恨の説もあるけど、どちらかといえば無差別のような気もするわ」
「今のところ、どこも被害者の共通点には辿り着けていない。能力者か無能力者かも区別していないようだし……」
いずれにしても、寧々としてはこれ以上の情報は与えられそうにはなかった。ここから先は警察の仕事だ。
「ありがとう、寧々。これで本腰を入れて私たちが捜査できる」
「……他には取られないようにしてね。あいつら本当に能力者のことを人だと思ってないんだから」
警察組織の中で、能力者絡みの事件を専門に捜査する悠子たちは異端だ。そもそも能力者は警察組織に入ることすらできないことからもそれが窺える。彼らにとっては能力者は危険な存在でしかなく、悠子のように事件解決に向けて分け隔てなく接するような人の方が珍しいのだ。
「他で確保されてしまったら、尋問中に容疑者が死んでも報道すらされないなんてことになりかねない」
「わかってるわ。今回は私たちで何とかする」
寧々は病院の前で悠子と別れた。通り魔事件はまだ死者までは出していない。おそらくその能力が、人を殺すほどのものにはなり得ていないのだろう。けれど場所が悪ければ人が死ぬこともあるし、もしかしたら犯人はそれを望んでいるのかもしれない。あまり信じたくないことだが、この世界には人を傷つけることに喜びを感じる人が確かに存在しているのだ。
けれどそんな人も人ではある。たとえ卑劣な行為をした人間だとしても、こちら側がその人を痛めつけていい理由にはならない。能力者が人を殺しても、無能力者が能力者を殺していいなんてことは本当はないはずなのだ。
今の警察の後ろには、能力者を消すことで事態の解決を図ろうとする人工知能がついている。悠子のような人がいる以上、警察も一枚岩ではないが、上までしっかりその思想に染まっているとしたら、罪を犯した能力者はもちろん、そうでない人間も殺されてしまう世界になっていくだろう。それは何があっても阻止しなければならないことだ。
*
通り魔事件はいつの間にか鎌鼬事件と呼ばれるようになっていた。警察も捜査はしているだろうが、犯人の手がかりは掴めないままに被害者は増えていく。事件発生の頻度も高くなっていた。しかし依頼されていない事件は基本は警察に任せることにしている。細々とした事件は日々起きているのだ。大きな事件にかまけてそちらを蔑ろにすることもできない。アルカイドとしては日常の範疇の、穏やかな日々が続いていた。
けれど誰もいない店で、能力者と無能力者の小競り合いを解決しに行った星音と由真を待っていた寧々は、悠子からかかってきた一本の電話でその日々が終わりを告げたことを悟った。
「――状況は」
『命に別状はないわ。けれど……これまでの被害者より酷い状況ね』
「わかった。すぐに行くわ」
寧々は急いで店を出ようとして、その前にふと足を止めた。このことを由真にも言っておいたほうがいいだろうか。けれど由真が知ったら、おそらくは――。迷った末に、寧々は星音の番号を選んでタップした。
『もしもし。あ、こっちはたった今終わりました』
「予想より早かったわね。……あのね、星音。冷静に聞いて欲しいんだけど」
警察に任せようと静観を決め込んでいられたのは、自分達にその火の粉が降りかかってこなかったからだ。けれどそうは言っていられないことになるだろう。
「鎌鼬事件は知ってるわね?」
『一応、概要くらいは』
「たった今、その被害者として梨杏が病院に運ばれたわ」
星音が息を呑む。何を言えばいいかわからない状態になっているのだろう。そうしているうちに電話口から由真の声が微かに聞こえ、次に寧々に話しかけてきたのは由真だった。
『場所は?』
「E-3地区の総合病院。現場はその数百メートル手前のコンビニ前の交差点付近だそうよ」
『わかった』
それだけ言うと由真は電話を切った。声は冷静だったが、本当に冷静かどうかはわからない。ひとまずは病院に行って梨杏の様子を見るしかないのは事実だ。寧々は携帯をしまい、店の前に横付けされたハルの車に乗り込んだ。
*
星音は何も言わずに病院までバイクを走らせていた。命に別状はなく、意識もはっきりしているそうだが、怪我は相当ひどいという。外傷ならば星音の能力ですぐに治せるのだが。星音は背中にしがみついている由真の体温を感じながら、ただナビが案内するままに道を進んで行った。
由真が声を発したのは、もうすぐ病院に着くだろうというタイミングだった。ちょうどいい場所でバイクを停めると、由真がバイクを降りて周囲を見回す。由真が目を止めたコンビニ前の交差点あたりには警察らしき男たちが何人と集まっていた。
「由真さん」
「……何か聞こえない? 女の人の声みたいなの」
言われて星音は耳を澄ましてみるが、そもそもそれなりのざわめきがある中で、由真がどの音のことを言っているのかはわからなかった。
「それだけすごくはっきり聞こえたんだけど……人によっては聞こえないってことかな」
由真はその声を追うように歩みを進める。星音も慌ててその後を追った。
「――聞こえなくなった。何だろう……寧々ならわかるかな」
寧々には解析能力がある。そしてそれを使いこなすだけの知識もある。能力者がらみの現象ならば寧々に聞けば説明がつくことも多かった。
「とりあえず病院に行こう。ここにいてももう収穫はなさそうだし」
「はい」
そういってバイクのある場所へ戻ろうとした二人に、後ろから声をかけてきた人間がいた。ビジネスコートを着た、スーツの男。手に警察手帳を持っていなければサラリーマンと勘違いしてしまいそうな風貌だ。
「何しに来た?」
男の態度は明らかに星音たちに敵意を抱いているように見えた。由真は真っ直ぐに男を見据えて言う。
「……襲われたのは私の友達だから。もしかしたら何かわかるかもしれないと思って見てみたけれど、わかることは何もなかった」
由真が淡々と答える。しかし男は由真のその言葉を嘲笑った。
「どうだかな。犯人は必ず現場に戻るという言葉もあるしな」
「田崎さん。……昇進してからも相変わらずみたいだね」
星音は男の手帳に書いてある文字を見る。捜査一課――警察に詳しくない星音でもそれが警察の花形部署で、強行犯捜査三係係長の田崎という男がかなり偉いということはわかる。そして由真はどうやら田崎のことを知っているらしいということも。
「今回は目的は同じだと思うけどね。――行こう、星音。面会時間終わっちゃう」
由真に促され、星音は慌てて由真を追いかけた。バイクに乗り込みながら、由真が小声で説明する。
「……北斗の家の事件のとき、あの人は機動隊にいた。そこから出世したっていうのは聞いてたんだけど」
「あの人明らかに由真さんのこと犯人みたいに言ってましたけど」
「あの事件の犯人、あの人はずっと私だって思ってるからね」
「何で否定しないんですか、あんなこと言われて」
「否定したところで聞く耳なんて持ってくれないから」
由真はどこか諦めたように言うが、星音は納得がいかなかった。北斗の家の事件の犯人は今でも誰なのか明かされてはいない。けれど星音にしてみれば、由真がそんなことをするとは露ほども思えないのだった。
「でもどうにか全員成功したからよかったじゃない。それにミスってもまた作るって言ってたし」
「でも『失敗しちゃった、ごめん』とか言えるような問題じゃないじゃん。……今日はもう疲れたよ」
「理世子がアイスボックスクッキー置いて行ったわよ。食べる?」
「食べる」
能力を使うと空腹になるというわけではないが、疲れたときは甘いものが一番だ。これで星音を含め、すぐにでも何かが起こるという危険はなくなった。けれど安心ばかりとしていられない。クッキーとココアを由真の前に用意すると、由真はゆっくりと体を起こした。
「――それで、この前の話だけど」
由真には先日ハルから聞いた話を全て伝えた。由真だけは寧々の過去を、寧々の復讐すべき相手を知っている。
「まだ具体的にどう動くかは決めてないわよ。相手が相手だもの。気付いていないふりをして今の膠着状態を維持しながら準備を整えたいところね」
「でもハルさんの話が本当なら、あの人たちの目的は」
機動隊、というよりは警察組織の後ろについている存在は、能力者のいない元の世界に戻すことを目的としている。そのための強力な特殊光線を発する警棒が機動隊に支給されているのだ。何か事件が起きたときにそれが使われる可能性は高い。
「……私たちが関わる前に終わった事件もある。その中であれが使われていたなら」
「実際、表立って言ってはいないけど、制圧後に亡くなっている人は増えている。でも闇雲に行ったところで向こうが本気を出したら私たちでは勝てない」
まず数が違いすぎる。由真がいくら強くても、黄乃が多人数への攻撃を得意としていても、勝つことができる相手ではない。今まで膠着状態を維持してこれたのは、互いに本気を出してはいなかったからだ。これまでのアルカイドの立場は、あくまで警察の協力者である民間の調停人だったのだから。
「無策で襲撃するわけにもいかないし。今方法を考えているから、それまでは同じように過ごすしかない」
「それはわかるんだけど」
由真は膝の上で拳を握る。それでも、見ず知らずの人間だったとしても誰かが殺されて、そのことが報道されることすらないような現状に憤っているのだろう。寧々は会ったこともない人間の死をそこまで悼むことはできない。由真はその強大な力とは裏腹に、優しすぎるただの少女なのだ。
「このこと、悠子には?」
「後ろに何がいるかまでは言わなかったけれど、奴らの目的が能力者の抹殺であることは伝えたわ。できるだけ機動隊より前に介入できるようにするとは言ってるけど、さすがに機動隊だけあって速いのよね動きが」
「だよね。それなら……私たちも静観しているだけというわけにはいかない」
「限界があることはちゃんと理解してね。だいいち、現状は由真が一番無防備なんだから」
幸いにも、能力自体に攻撃力はないが、それを駆使して戦うことができる純夏が協力してくれてはいる。純夏はどこにも所属したくないらしく、アルカイドで雇うと寧々が提案したもののすげなく断られてしまった。けれど所属していない状態でも手を貸してくれはするらしい。それほど大きな事件でなければ彼女一人でも十分対処できる。けれど手が足りないのもまた事実だった。
「メンブレンを飲み薬とか注射とかで作用させることはできないかって考えてるんだけど、なかなか難しいのよ。もしそれができたら、全ての能力者の暴走も予防できるかもしれないものではあるのだけど」
「私はこれまで通り、私のやることをやるだけだから。そっちは寧々とハルさんに任せるよ」
そう言われてしまっては、より本気を出すしかない。寧々は由真のクッキーを一枚つまみながら笑みを浮かべた。
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「……間違い無いわね、残念ながら」
数日後、悠子に病院に呼び出された寧々は、眠っている青年を見るなりそう言った。青年はここ最近巷で発生している謎の通り魔事件の被害者だ。そして悠子が調べているということは、犯人は能力者の疑いがあったということだ。そしてその疑いは寧々の目により事実に変わる。今は眠っている青年の体にある無数の傷口からは、紫色の能力波の残滓がはっきりと見えていた。しかしこれも数時間後には消えてしまうだろう。今回は悠子の呼び出しが早くて間に合った。
「状況を聞く限りそうだとは思ったけれど……やっぱりそうなのね」
「状況?」
「襲われた人も、周りにいた人も犯人の姿を誰も見ていない。ただいきなりその人が傷だらけになったって言ってるのよ。襲われた本人も、何も見てないけど、急にそうなったって。あ、でも、強いて言うなら風を切るような音が聞こえたって人はいたわね」
「風を切る音……なるほど。これだけでは確証は持てないけれど、おそらくは空気や風を操れる能力ね」
寧々の左目は能力波を解析して、その情報を寧々に伝える。射程はそれほど長くはなさそうだ。おそらくは五メートル以内。事件が起きたとき、犯人は被害者の近くにいたはずだ。
「鎌鼬のようなものかしらね。人の目には見えない空気を操って人を傷つけている。被害者に共通点があれば怨恨の説もあるけど、どちらかといえば無差別のような気もするわ」
「今のところ、どこも被害者の共通点には辿り着けていない。能力者か無能力者かも区別していないようだし……」
いずれにしても、寧々としてはこれ以上の情報は与えられそうにはなかった。ここから先は警察の仕事だ。
「ありがとう、寧々。これで本腰を入れて私たちが捜査できる」
「……他には取られないようにしてね。あいつら本当に能力者のことを人だと思ってないんだから」
警察組織の中で、能力者絡みの事件を専門に捜査する悠子たちは異端だ。そもそも能力者は警察組織に入ることすらできないことからもそれが窺える。彼らにとっては能力者は危険な存在でしかなく、悠子のように事件解決に向けて分け隔てなく接するような人の方が珍しいのだ。
「他で確保されてしまったら、尋問中に容疑者が死んでも報道すらされないなんてことになりかねない」
「わかってるわ。今回は私たちで何とかする」
寧々は病院の前で悠子と別れた。通り魔事件はまだ死者までは出していない。おそらくその能力が、人を殺すほどのものにはなり得ていないのだろう。けれど場所が悪ければ人が死ぬこともあるし、もしかしたら犯人はそれを望んでいるのかもしれない。あまり信じたくないことだが、この世界には人を傷つけることに喜びを感じる人が確かに存在しているのだ。
けれどそんな人も人ではある。たとえ卑劣な行為をした人間だとしても、こちら側がその人を痛めつけていい理由にはならない。能力者が人を殺しても、無能力者が能力者を殺していいなんてことは本当はないはずなのだ。
今の警察の後ろには、能力者を消すことで事態の解決を図ろうとする人工知能がついている。悠子のような人がいる以上、警察も一枚岩ではないが、上までしっかりその思想に染まっているとしたら、罪を犯した能力者はもちろん、そうでない人間も殺されてしまう世界になっていくだろう。それは何があっても阻止しなければならないことだ。
*
通り魔事件はいつの間にか鎌鼬事件と呼ばれるようになっていた。警察も捜査はしているだろうが、犯人の手がかりは掴めないままに被害者は増えていく。事件発生の頻度も高くなっていた。しかし依頼されていない事件は基本は警察に任せることにしている。細々とした事件は日々起きているのだ。大きな事件にかまけてそちらを蔑ろにすることもできない。アルカイドとしては日常の範疇の、穏やかな日々が続いていた。
けれど誰もいない店で、能力者と無能力者の小競り合いを解決しに行った星音と由真を待っていた寧々は、悠子からかかってきた一本の電話でその日々が終わりを告げたことを悟った。
「――状況は」
『命に別状はないわ。けれど……これまでの被害者より酷い状況ね』
「わかった。すぐに行くわ」
寧々は急いで店を出ようとして、その前にふと足を止めた。このことを由真にも言っておいたほうがいいだろうか。けれど由真が知ったら、おそらくは――。迷った末に、寧々は星音の番号を選んでタップした。
『もしもし。あ、こっちはたった今終わりました』
「予想より早かったわね。……あのね、星音。冷静に聞いて欲しいんだけど」
警察に任せようと静観を決め込んでいられたのは、自分達にその火の粉が降りかかってこなかったからだ。けれどそうは言っていられないことになるだろう。
「鎌鼬事件は知ってるわね?」
『一応、概要くらいは』
「たった今、その被害者として梨杏が病院に運ばれたわ」
星音が息を呑む。何を言えばいいかわからない状態になっているのだろう。そうしているうちに電話口から由真の声が微かに聞こえ、次に寧々に話しかけてきたのは由真だった。
『場所は?』
「E-3地区の総合病院。現場はその数百メートル手前のコンビニ前の交差点付近だそうよ」
『わかった』
それだけ言うと由真は電話を切った。声は冷静だったが、本当に冷静かどうかはわからない。ひとまずは病院に行って梨杏の様子を見るしかないのは事実だ。寧々は携帯をしまい、店の前に横付けされたハルの車に乗り込んだ。
*
星音は何も言わずに病院までバイクを走らせていた。命に別状はなく、意識もはっきりしているそうだが、怪我は相当ひどいという。外傷ならば星音の能力ですぐに治せるのだが。星音は背中にしがみついている由真の体温を感じながら、ただナビが案内するままに道を進んで行った。
由真が声を発したのは、もうすぐ病院に着くだろうというタイミングだった。ちょうどいい場所でバイクを停めると、由真がバイクを降りて周囲を見回す。由真が目を止めたコンビニ前の交差点あたりには警察らしき男たちが何人と集まっていた。
「由真さん」
「……何か聞こえない? 女の人の声みたいなの」
言われて星音は耳を澄ましてみるが、そもそもそれなりのざわめきがある中で、由真がどの音のことを言っているのかはわからなかった。
「それだけすごくはっきり聞こえたんだけど……人によっては聞こえないってことかな」
由真はその声を追うように歩みを進める。星音も慌ててその後を追った。
「――聞こえなくなった。何だろう……寧々ならわかるかな」
寧々には解析能力がある。そしてそれを使いこなすだけの知識もある。能力者がらみの現象ならば寧々に聞けば説明がつくことも多かった。
「とりあえず病院に行こう。ここにいてももう収穫はなさそうだし」
「はい」
そういってバイクのある場所へ戻ろうとした二人に、後ろから声をかけてきた人間がいた。ビジネスコートを着た、スーツの男。手に警察手帳を持っていなければサラリーマンと勘違いしてしまいそうな風貌だ。
「何しに来た?」
男の態度は明らかに星音たちに敵意を抱いているように見えた。由真は真っ直ぐに男を見据えて言う。
「……襲われたのは私の友達だから。もしかしたら何かわかるかもしれないと思って見てみたけれど、わかることは何もなかった」
由真が淡々と答える。しかし男は由真のその言葉を嘲笑った。
「どうだかな。犯人は必ず現場に戻るという言葉もあるしな」
「田崎さん。……昇進してからも相変わらずみたいだね」
星音は男の手帳に書いてある文字を見る。捜査一課――警察に詳しくない星音でもそれが警察の花形部署で、強行犯捜査三係係長の田崎という男がかなり偉いということはわかる。そして由真はどうやら田崎のことを知っているらしいということも。
「今回は目的は同じだと思うけどね。――行こう、星音。面会時間終わっちゃう」
由真に促され、星音は慌てて由真を追いかけた。バイクに乗り込みながら、由真が小声で説明する。
「……北斗の家の事件のとき、あの人は機動隊にいた。そこから出世したっていうのは聞いてたんだけど」
「あの人明らかに由真さんのこと犯人みたいに言ってましたけど」
「あの事件の犯人、あの人はずっと私だって思ってるからね」
「何で否定しないんですか、あんなこと言われて」
「否定したところで聞く耳なんて持ってくれないから」
由真はどこか諦めたように言うが、星音は納得がいかなかった。北斗の家の事件の犯人は今でも誰なのか明かされてはいない。けれど星音にしてみれば、由真がそんなことをするとは露ほども思えないのだった。
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