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Into the Water

4・離れた手3

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「結論から言えば、私は騙されてたわけだけど」
 由真は力なく微笑んで、けれど何故か少し明るい声で言った。星音は膝の上で拳を握りしめた。
「児童養護施設は表向きのカモフラージュで、裏で能力者を利用した違法行為と、違法な研究に手を染めていた。馬鹿だよね。考えてみればおかしいことは沢山あったのに」
「……由真さん」
「梨杏にも、お兄ちゃんにも北斗の家のことは内緒にしろって言われた段階でちょっとおかしいって思うべきだったし、何より上の道から海見えないしさ……っ」
「由真さん」
 声が震えている。目からは止め処なく涙が溢れている。それなのに由真は笑っていた。
「自分で選んだんだよ。自分で、あそこに行くって決めた。だから」
「決めたんじゃなくて決めさせられたんやろ!?」
 星音は由真の言葉を遮る。由真は驚いた顔をして星音を見つめた。暫く沈黙が流れたのちに、由真が幾分か落ち着いた声で言う。
「あとでわかったことだけどね、お兄ちゃんに届いた手紙も、あの日カツアゲしててお兄ちゃんに見つかってお兄ちゃんを攻撃してた奴らも、全部裏であの人が糸を引いていた」
「……最悪やん」
「最悪でしょ。しかも力を使わせる気満々なのにあんなこと書いてさ」
「あれ、本当なんですか?」
「臓器の一つを取っているようなものだから可能性はあるけど、本当かどうかはまだわかってない。……だから、あまり使いたくはない」
 すぐに死ぬわけでもないのだから、と星音は思うけれど、それを気にしてしまうのが由真だ。おそらくはそれをわかっていて由真を追い詰めようとしたのだ。――自ら、北斗の家に行くことを選ぶように。
「騙されてたんだってことは、あの日――北斗の家に行ってすぐわかった」
 由真は話を続ける。けれどその目は先程までとは違い、少し虚ろで、光がないように見えた。
「いつもとは違う裏口から中に入って……多分、地下にある真っ白な変な部屋に通された。そこには自分と同じくらいの男の子が、全身を縛られて、目隠しをされて、口枷もされた状態で座っていて。でもその状態でも獣みたいに叫んでいて」
 由真は目を閉じて、額に手を当てた。
「『あの子は苦しんでいるから助けてあげなさい。君にしかできないことだよ』って言われて……私はわけがわからないと思いながらそれに従った」
 本当に苦しんでいるように見えたのだろう。その状況なら由真は力を使う。それが苦しんでいる人間を助けることになるのなら。
 ――本当に悪いのは、それを利用した人間だ。
「……それまで、咲いた人間は見たことがなかった。何かがいつもと違うと思いながらも、私は種を壊して――」
 星音は目を伏せた。それをすればどうなるか、薬で擬似的なものを再現されていただけだったが、星音はそれを目の当たりにしたことがある。――そのときに由真がどうなったのかも。
「……手遅れだった……私がやらなくても……でも、私は……私が――ッ!」
 声にならない叫びが由真の喉から漏れる。星音は怒りに震えながらも、由真の華奢な体を強く抱き締めた。おそらく全てわかっていたのだ。柊由真という少女はあまりにも優し過ぎる。だから助けられる人は助けようとするし、自分の手で誰かを傷つけてしまうことを恐れている。それなのに、いや、だからこそ――その優しさを利用して、その心を決定的に踏み躙ったのだ。
「っ……ごめん、星音……」
「なんで謝るんですか」
「この先は……多分、無理」
 これ以上話せる状態ではないことは、誰がどう見ても明らかなのに。星音は嗚咽を漏らす由真の背中を優しくさすった。ここまで話せただけでも十分すぎるほどだ。それは一人の少女が背負うにはあまりにも酷で、重過ぎる運命だ。
(何で、由真さんがこんな目に遭わなきゃいけないんや……)
 ただ能力者というだけで。その能力が珍しいものだったというだけで、虐げられ、蔑まれ、利用されて。能力者としては比較的幸運な人生を送ってきた星音には、完全には受け止められないほどのものだった。
「私は……どうすればよかったの……?」
「それは私にもわからへんけど……でも、ひとつだけ言えることはあります」
 運命に向かって転がっていくものを、仮に止められたとするならば――星音にはそれしか思いつかなかった。
「もう、自分から誰かの手を離さないでください」
 たとえ由真がその日に戻ったとして、全てをひっくり返すことができるほどの行動はたったひとつしかない。そして梨杏はそれがわかっていたからこそ、今でも後悔し続けているのだ。

 あの日、その手を離さなければよかった――と。

 本当は二人ともその手を離したくなどなかったのだ。互いに後悔しているのなら、それでも今は再び出会いその手を取ることが出来ているのなら、今度はその手を決して離してはならない。それだけで繋ぎ止められるものがあるのだから。

「もう一つ、聞いていいですか?」
 由真が落ち着いたのを見計らって、星音は尋ねる。それを聞くのは酷なことなのかもしれない。けれど星音は星音で、譲れないものがあった。
「最初の頃は、能力を使っても傷はつかなかった……ってことでええんやな?」
 由真の話を聞きながら、ずっと違和感があったのだ。力を使いすぎたときに自家中毒に陥るのは今も同じだ。けれど今は、それ以上に大きな代償を抱えている。
 能力使用の代償としての傷は、どうして由真の左腕だけに出現するのか。点と点を繋ぐ一本の線が見えかけている。
「……うん」
「いつからなんですか? 傷ができるようになったの」
「北斗の家に行って……二ヶ月くらいだったかな。それまでは――」
 由真は包帯が巻かれた左腕をさすりながら言い淀む。けれど答えを聞かなくても星音はわかっていた。これまでは確かめることができなかっただけだ。
「……自分でつけた傷は、わかります」
「星音……」
「今まで私が何人の怪我を治して来たと思ってるんや」
 由真は何も答えない。ここで由真を責めるようなことを言うつもりはなかった。自分で自分を傷つけてしまうのは、きっと最後の救難信号だ。
「……こんなことをしたらいけないって、わかってたんだよ。でも……能力を使うたびにどうしようもない気持ちになって」
「私はいけないなんて言ってへん。そりゃできればそんなことせんでほしいけど……傷つけなければ生きて行かれへん人もおる」
「星音……」
「私がいる限り、傷ならいくらでも治したるから。だから――そこは大船に乗ったつもりでおったらええ」
 消えてしまいたいと願って、最後に自分自身まで傷つけて、けれど由真が選ばなかった選択肢がひとつだけある。おそらくそれは由真本人ですら気付いてはいないだろうけれど。
(あれだけ大変なことが沢山あっても、死ぬことは選ばなかった)
 それに限りなく近いことを望んだことはあるだろう。けれど踏み越えてはならない一線を踏み越えないでいてくれた。そうでなければ星音と由真は、出会うことすらできなかったのだ。
(だから、これからも――)
 一歩踏み出せば崖下に落ちそうな危うい場所で生きるしかないとしても、自分からその一歩を踏み出さないでいて欲しい。けれどそれを伝えてしまうことは由真の重荷になるような気がして、星音はそれ以上は何も言わず、由真の手にそっと触れた。



「そっか。話せたんだね、あいつ」
 次の日、喫茶店のシフトに入っていたのは梨杏と星音の二人だった。雨が降っていることもあって客はおらず、二人でカウンターに座って梨杏が淹れた紅茶を飲んでいる。由真は、梨杏には話をしたことを言ってもいいと言っていた。その理由は、それを聞いたときの梨杏の安堵の表情を見ればすぐにわかった。
「私だったらあんなこと人に話すの無理だもん」
「ですよね。私も無理やと思います」
「まあでもいざ話すって決めたら強いか、由真は」
 梨杏の淹れた紅茶は優しい味がする。昨夜から色々考えてしまう星音の心を優しくほぐしていくような気がした。
「……それでも、全部は」
「うん、それもわかってる。調べたんでしょ?」
 梨杏にはすぐに見抜かれてしまった。病院から帰ったあと、由真には悪いと思いながらも調べてしまったのだ。「北斗の家」と呼ばれていた施設のこと――それが今も存在しているのか、それともなくなったのか、手がかりなど見つからないかもしれないと思いながらも検索して、最初に見つけたものが全ての答えだった。
「あの事件に関しては由真の家族はみんな知ってるし、私も……ここで由真に再会してから浩兄を問い詰めて知った。調べればすぐにわかることだから……由真は星音は調べるだろうと思って言ったんじゃないかな」
「……知っててほしいってことですか?」
「そうなんじゃない? 意識してるかはわからないけど」
 児童養護施設を隠れ蓑にした違法な施設に軟禁状態にあった――それが由真の行方不明の真相の表層の部分であることは間違いない。そして、そこからどうやって助け出されたのか。それは助け出されたと言うにはあまりに凄惨な事実だった。
「……由真さんしか生き残らなかったってことですよね」
「正確に言えば、この前の――タリタちゃん、だっけ。彼女は混乱に乗じて脱走するか何かして生き残ったみたいだけどね」
 けれどその彼女も死んでしまったのだ。広い施設を全焼させるほどの火事。生き残ったのは少女が一人。そしてその事件が何故起きたのか、全てが焼け落ち、唯一の生存者が何も語らずにいる今、真実は誰にもわからないのだ。
「あの事件を担当したのが悠子さんなんだよ。でも、由真が喋らなかったから結局ほとんど何もわかってない。でも――警察は由真を疑ってる」
「……もしかして、機動隊がやたら由真さんのこと嫌ってるのって」
  緋彩の事件のとき、機動隊の一人が由真に言った言葉を星音は覚えていた。
 ――「お前のしたことを誰も立証できないからお目こぼししてもらっているだけだ。警察にいるなら、お前が何をしたかはみんなわかってるんだ」――
 状況的にはそう思われても仕方ないだろう。何せ他には誰一人生き残らなかったのだ。けれど――どんな事情があろうと、由真がそんなことをするような人だとはどうしても思えなかった。
「言えるようになるまで待つしかないんだけどね。まあ……寧々は、何かを知ってはいるんだろうけど」
「寧々さんも、由真さんが言うまでは絶対言わないやろうな……せやけど」
 星音は唇を噛んだ。由真が抱えているものは、一人で抱え込むにはあまりに重過ぎるだろう。それを抱えたまま生きているのに、由真はあまりに優しすぎるのだ。
「あの日、少し待っても由真が来なかったから、もう一度海に戻ったんだよ。でもそこに由真はいなかった。そして……その前に一台の車とすれ違った」
 あと数分早ければ、もう一度手が届いたかもしれない。絞り出すように発された梨杏の声に胸が締め付けられる。もう少し早ければ、回り続ける運命を変えられたかもしれないのに。
「でも……過去を変えられないのはわかってる。だから」

 ――もう二度と、その手を離さない。

 そう呟いた梨杏の視線の先には、ランプの中に閉じ込められた幽霊屋敷の青い火の玉が揺らめいていた。
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