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二十三・瑞兆
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それは奇妙な雨だった。確かに体に雫が当たるのに、着ているものが濡れることはない。それ以上に強い力を感じる。悠來はその力に覚えがあった。毎日のように龍神の川で布を清めている。そのときに感じるものとよく似ていたのだ。
「あれは――」
雲の間に白銀の何かが見えた。それはゆったりと動きながら降下を始める。そして不可思議な雨を伴いながらそれが姿を現す。
「龍神様……」
あまりに美しい姿に悠來は目を奪われた。動く度に銀の鱗が光を僅かに反射して輝く。複雑に揺れる色彩。それは明らかに超常のものとわかる美しさを纏っていた。
「悠來にいちゃん、誰か乗ってるよ」
「本当か?」
泰良に言われ、悠來は目を凝らす。確かに龍の頭の近くに人影が見えた。龍神の上に乗れる人などいるのだろうか。もっとはっきりとその姿を見ようとしたとき、急に龍が速度を上げた。二人が驚く間もなく、龍は二人の頭上に姿を見せる。
「も、木蓮……!?」
龍に乗っていた人物を見て、悠來が声を上げた。姿形は間違いなく木蓮だ。しかし木蓮は目の前で宿堤に刺されたのだ。あの傷で生きているはずがない。泰良も目を見開いている。死体は確かに見つからなかったが、鬼になりかけていたのならそういうこともあるだろうと片付けていた。しかし今の木蓮は鬼にも見えない。むしろこれまでよりも神々しく見えた。
「……どういうことだ?」
「この者は吾と契りを結んだのだ。吾らはそれを邑の者に知らしめるために来たのだ」
応えたのは木蓮ではなく、龍の方だった。発声しているわけではなく、その声は直接頭に響く。
「其方は邑長の一族の者だろう。吾らを言祝ぐ為、三日三晩の宴を催すように伝えるのだ」
「う……うん、わかった!」
泰良は事態が飲み込めていないが、半ば気圧されるように返事をした。家に向かって駆け出していく泰良を見ながら、悠來は呟く。
「直接言えばいいんじゃ?」
「一応、もうお告げの形で伝えてはあるんだけど……泰良の様子が見たくて、先に。元気にしているか気になって……」
木蓮ならばそういうことを気にするだろう。悠來はこれまでとあまり変わらない木蓮の優しさに安心感を覚えた。
「少し塞ぎ込んでいたが……それでも無理にでも前を向こうと修行をしていた。強い子だ」
「そう……ありがとう、悠來」
「別に俺は何もしていない。それにしても、何がどうしてこうなったんだ?」
木蓮はどこまで説明したものか悩んだ。もちろん瀕死のところを助けられて伴侶となったとだけ言って終わらせることもできる。しかし宿堤にとりついた鬼のことも伝えるべきかもしれない。何かあったとき、あらかじめ話しておけば円滑に協力をとりつけられるだろう。
木蓮はこれまでのことをかいつまんで説明した。宿堤が鬼に取り憑かれていること。そしてその鬼が望むままに木蓮を刺したこと。しかし鬼が目的を果たす前に龍神に助けられたこと。悠來はその話を聞いていても、あまり驚いた様子はなかった。
「あまり驚かないんだね」
「何となくだけれど……何かがおかしいとは感じていた。已須見様が鬼になったとき……俺にもその声が少し聞こえていたし。そもそも木蓮が龍に乗ってここに来たのを見た後で、それ以上に驚かされることなんてあまりないだろ」
「言われてみればそうかもしれないね」
水蓮は木蓮を乗せたままで何も言わずにいる。龍の姿で人の言葉を話すのは少し大変らしい。かといって頭の中に直接声を届けるほどでもない。龍が大人しくしているのをいいことに、悠來はそっと龍に手を伸ばした。
「……悠來って大胆なところあるよね?」
「そうか? 安心するんだよ、この力」
「それは多分毎日川で布を清めているからかな」
水蓮も特に嫌ではないらしい。木蓮は和やかなその雰囲気に安堵した。それと同時に恐ろしいほどの喧騒が近付いてくるのを感じていた。
***
「どうして……どうしてなんだ……」
暗闇に包まれた部屋で、宿堤は呻きをあげた。組み敷いている女の体はところどころが透けている。触れることはできるが、その体を維持することが難しくなっているのだという。
「言う通りにすれば、お前が戻ってくると言っていたではないか」
『ええ……けれど、邪魔が入ってしまったのです』
愛する女に言われるがまま、その娘を手にかけた。冷静に考えてももう手遅れだったと言い聞かせながら。鬼化の呪いが手に負えなくなったら、鬼となる前に手を下す。それは木蓮も知っている鉄の掟だ。だから自分のしたことは何も間違っていない。しかしそれで得られるはずのものが手に入らなかったのだ。
木蓮の命をもって緑波を蘇らせることができるはずだった。だが逆にその姿は薄れていく一方になっている。宿堤はそれを繋ぎ止めるように緑波の身体をかき抱いた。
「どうすればいい……どうすれば……」
『私を求めてくださるのなら……そのために何でもしてくださると言うのなら……』
緑波は宿堤の耳元で囁く。それは宿堤ですら躊躇うほどのものだった。
「それは……」
『ですが、そうしなければ私はこのまま消えてしまいます。あの神こそが私を阻んでいるのです』
「だが、俺は」
邑長の一族のものとして、龍神への心は忘れずに生きていた。たとえ愛する者が死ぬそのときに何もしてくれなかったとしても、その恵みがあるからこの邑があるのだということは誰よりも理解していた。
「どうして……どうしてなんだ……」
暗闇に包まれた部屋で、宿堤は呻きをあげた。組み敷いている女の体はところどころが透けている。触れることはできるが、その体を維持することが難しくなっているのだという。
「言う通りにすれば、お前が戻ってくると言っていたではないか」
『ええ……けれど、邪魔が入ってしまったのです』
愛する女に言われるがまま、その娘を手にかけた。冷静に考えてももう手遅れだったと言い聞かせながら。鬼化の呪いが手に負えなくなったら、鬼となる前に手を下す。それは木蓮も知っている鉄の掟だ。だから自分のしたことは何も間違っていない。しかしそれで得られるはずのものが手に入らなかったのだ。
木蓮の命をもって緑波を蘇らせることができるはずだった。だが逆にその姿は薄れていく一方になっている。宿堤はそれを繋ぎ止めるように緑波の身体をかき抱いた。
「どうすればいい……どうすれば……」
『私を求めてくださるのなら……そのために何でもしてくださると言うのなら……』
緑波は宿堤の耳元で囁く。それは宿堤ですら躊躇うほどのものだった。
「それは……」
『ですが、そうしなければ私はこのまま消えてしまいます。あの神こそが私を阻んでいるのです』
「だが、俺は」
邑長の一族のものとして、龍神への心は忘れずに生きていた。たとえ愛する者が死ぬそのときに何もしてくれなかったとしても、その恵みがあるからこの邑があるのだということは誰よりも理解していた。
『私に害をなすものは全て消し去ってください。私を愛しているのなら』
「緑波……だが……」
『思い出してくださいませ。あの時の気持ちを――』
緑波はそういって微笑むと宿堤の唇に触れるだけの口づけをした。その瞬間に宿堤の体の奥に黒い炎が生まれた。内側から体が灼かれているかのような熱に宿堤は呻き声をあげる。
「ううっ……ぐっ……」
『さあ、宿堤様』
緑波の囁きに呼応するように、宿堤は顔を上げた。その甘い声は毒のように入り込んでくる。黒い炎は宿堤に思い出させた。緑波が目の前で死んだあのとき、神は何をしてくれただろうか。何もしてくれなかった。それなのに木蓮のことは助けるのか。目の前が赤に染まっていく。それは紛れもなく神への憎悪であった。
「ああ……そうだ、俺は……」
あの日、復讐を誓ったのだ。
緑波を殺した鬼を必ず滅すると。神が何もしてくれないのなら、自分たちの手で何でもするのだと。そこには間違いなく緑波を救ってくれなかった龍神への怒りがあった。緑波は半分透けた手で宿堤の頬を撫でる。
『神を殺して……私を救ってくださいませ』
「ああ……愛している、緑波……」
宿堤は緑波と深い口づけをしながら、その体を組み敷いた。着物を脱がすと冷たい肌が露わになる。宿堤はその乳房にむしゃぶりついた。緑波は嬉しそうに声をあげて身を捩らせる。
『あぁ、嬉しいです……』
「緑波……もう二度と、離れてくれるな」
宿堤の目に正気の光はなく、ただ欲望のままに体を動かしていた。その体が黒い炎に包まれていることに気づくことなく、宿堤は何度も繰り返し愛していると囁くのだった。
しかし二人の睦み合いを破るように、外がにわかに騒がしくなってきた。宿堤ははっと我に返る。
「父上!」
襖越しに泰良が宿堤を呼ぶ。宿堤は思わず舌打ちをした。どのような用事があるかわからないが、緑波を抱いている最中に邪魔が入るのは許せない。宿堤はその声を無視して緑波の肌に舌を這わせた。
『ああっ……宿堤様……』
欲望に突き動かされ、宿堤の動きは性急になっていく。緑波の脚を開かせると、蜜を湛えた火陰が露わになった。宿堤はそこに指を一本だけ挿れて熱を帯びた呟きを漏らす。
「ああ、こんなに濡らして……」
『宿堤様……』
「緑波……」
宿堤は緑波の脚を抱え上げ、その体を貫いた。その瞬間に緑波が体をしならせる。
『ああっ……いいっ……』
「……くっ」
宿堤が腰を動かす度に、緑波の体は快楽に震えた。その体が徐々に消えていくのも気づかずに、ただ欲望のままに愛を囁く。
しかし負けじと部屋の外の声も大きくなっていた。痺れを切らしたのか泰良が襖を叩く。
「木蓮ねえちゃんが戻ってきたんだ! 龍神様と一緒に!」
その言葉に宿堤は思わず動きを止めた。緑波は向こう側の景色を透かしながら宿堤に手を伸ばす。
「それは……どういう」
「僕にもよくわからないけど、とにかく出てきてよ!」
泰良にせっつかれ、宿堤は舌打ちをした。緑波の脚から手を離して着物を整えると、緑波が静かに微笑んだ。
『そんな顔をなさらないで。これは好機でございます』
「好機だと?」
『ええ。ですから、普段通りに振舞って龍神の油断を誘うのです』
緑波は体を起こし、宿堤の屹立したものを深く咥え込んだ。声が漏れてしまいそうになるのを堪えながら、宿堤は緑波の頭を撫でる。その舌は敏感な場所に絡みつき、甘い毒で宿堤の思考を鈍らせた。
『さあ、お行きください』
「っ、緑波……!」
宿堤は緑波の口内で果てた。緑波がそれをこくりと飲み干す喉の動きに宿堤の目は釘付けになっていた。
『私の心はいつも宿堤様の傍にありますわ。だからどうか……私を救ってくださいませ』
「ああ、わかっている」
宿堤が答えると同時に、緑波の姿は消えてしまった。宿堤は身なりを軽く整えてからゆっくりと襖を開ける。
「父上! 木蓮ねえちゃんが戻ってきたんだよ!」
「泰良……つらいのはわかるが、木蓮は……」
「本当なんだって! みんなももう外に出て見に行ってるよ! 龍神様と木蓮ねえちゃんが契りを結んだから、今から宴を開くって!」
泰良は必死さを滲ませながら言う。身近な人間を二人も同時に失った泰良は、どこか無理に元気を出そうとしているようにも見えた。その姿は両親を失ったばかりのかつての木蓮にも似ている。
木蓮ならわかってくれるだろう。同じ痛みを知っている。何度も何度も、蘇らせることができるならそうしたいと望んだだろう。だからきっと――これから犯す罪も理解してくれる。
「わかった。支度をしてすぐに向かう。泰良は先に戻っていてくれ」
「うん、わかった!」
泰良が駆け出していくのを見送り、宿堤は自室へ戻った。その奥には、禍々しい影を纏った刀が置かれていた。
「あれは――」
雲の間に白銀の何かが見えた。それはゆったりと動きながら降下を始める。そして不可思議な雨を伴いながらそれが姿を現す。
「龍神様……」
あまりに美しい姿に悠來は目を奪われた。動く度に銀の鱗が光を僅かに反射して輝く。複雑に揺れる色彩。それは明らかに超常のものとわかる美しさを纏っていた。
「悠來にいちゃん、誰か乗ってるよ」
「本当か?」
泰良に言われ、悠來は目を凝らす。確かに龍の頭の近くに人影が見えた。龍神の上に乗れる人などいるのだろうか。もっとはっきりとその姿を見ようとしたとき、急に龍が速度を上げた。二人が驚く間もなく、龍は二人の頭上に姿を見せる。
「も、木蓮……!?」
龍に乗っていた人物を見て、悠來が声を上げた。姿形は間違いなく木蓮だ。しかし木蓮は目の前で宿堤に刺されたのだ。あの傷で生きているはずがない。泰良も目を見開いている。死体は確かに見つからなかったが、鬼になりかけていたのならそういうこともあるだろうと片付けていた。しかし今の木蓮は鬼にも見えない。むしろこれまでよりも神々しく見えた。
「……どういうことだ?」
「この者は吾と契りを結んだのだ。吾らはそれを邑の者に知らしめるために来たのだ」
応えたのは木蓮ではなく、龍の方だった。発声しているわけではなく、その声は直接頭に響く。
「其方は邑長の一族の者だろう。吾らを言祝ぐ為、三日三晩の宴を催すように伝えるのだ」
「う……うん、わかった!」
泰良は事態が飲み込めていないが、半ば気圧されるように返事をした。家に向かって駆け出していく泰良を見ながら、悠來は呟く。
「直接言えばいいんじゃ?」
「一応、もうお告げの形で伝えてはあるんだけど……泰良の様子が見たくて、先に。元気にしているか気になって……」
木蓮ならばそういうことを気にするだろう。悠來はこれまでとあまり変わらない木蓮の優しさに安心感を覚えた。
「少し塞ぎ込んでいたが……それでも無理にでも前を向こうと修行をしていた。強い子だ」
「そう……ありがとう、悠來」
「別に俺は何もしていない。それにしても、何がどうしてこうなったんだ?」
木蓮はどこまで説明したものか悩んだ。もちろん瀕死のところを助けられて伴侶となったとだけ言って終わらせることもできる。しかし宿堤にとりついた鬼のことも伝えるべきかもしれない。何かあったとき、あらかじめ話しておけば円滑に協力をとりつけられるだろう。
木蓮はこれまでのことをかいつまんで説明した。宿堤が鬼に取り憑かれていること。そしてその鬼が望むままに木蓮を刺したこと。しかし鬼が目的を果たす前に龍神に助けられたこと。悠來はその話を聞いていても、あまり驚いた様子はなかった。
「あまり驚かないんだね」
「何となくだけれど……何かがおかしいとは感じていた。已須見様が鬼になったとき……俺にもその声が少し聞こえていたし。そもそも木蓮が龍に乗ってここに来たのを見た後で、それ以上に驚かされることなんてあまりないだろ」
「言われてみればそうかもしれないね」
水蓮は木蓮を乗せたままで何も言わずにいる。龍の姿で人の言葉を話すのは少し大変らしい。かといって頭の中に直接声を届けるほどでもない。龍が大人しくしているのをいいことに、悠來はそっと龍に手を伸ばした。
「……悠來って大胆なところあるよね?」
「そうか? 安心するんだよ、この力」
「それは多分毎日川で布を清めているからかな」
水蓮も特に嫌ではないらしい。木蓮は和やかなその雰囲気に安堵した。それと同時に恐ろしいほどの喧騒が近付いてくるのを感じていた。
***
「どうして……どうしてなんだ……」
暗闇に包まれた部屋で、宿堤は呻きをあげた。組み敷いている女の体はところどころが透けている。触れることはできるが、その体を維持することが難しくなっているのだという。
「言う通りにすれば、お前が戻ってくると言っていたではないか」
『ええ……けれど、邪魔が入ってしまったのです』
愛する女に言われるがまま、その娘を手にかけた。冷静に考えてももう手遅れだったと言い聞かせながら。鬼化の呪いが手に負えなくなったら、鬼となる前に手を下す。それは木蓮も知っている鉄の掟だ。だから自分のしたことは何も間違っていない。しかしそれで得られるはずのものが手に入らなかったのだ。
木蓮の命をもって緑波を蘇らせることができるはずだった。だが逆にその姿は薄れていく一方になっている。宿堤はそれを繋ぎ止めるように緑波の身体をかき抱いた。
「どうすればいい……どうすれば……」
『私を求めてくださるのなら……そのために何でもしてくださると言うのなら……』
緑波は宿堤の耳元で囁く。それは宿堤ですら躊躇うほどのものだった。
「それは……」
『ですが、そうしなければ私はこのまま消えてしまいます。あの神こそが私を阻んでいるのです』
「だが、俺は」
邑長の一族のものとして、龍神への心は忘れずに生きていた。たとえ愛する者が死ぬそのときに何もしてくれなかったとしても、その恵みがあるからこの邑があるのだということは誰よりも理解していた。
「どうして……どうしてなんだ……」
暗闇に包まれた部屋で、宿堤は呻きをあげた。組み敷いている女の体はところどころが透けている。触れることはできるが、その体を維持することが難しくなっているのだという。
「言う通りにすれば、お前が戻ってくると言っていたではないか」
『ええ……けれど、邪魔が入ってしまったのです』
愛する女に言われるがまま、その娘を手にかけた。冷静に考えてももう手遅れだったと言い聞かせながら。鬼化の呪いが手に負えなくなったら、鬼となる前に手を下す。それは木蓮も知っている鉄の掟だ。だから自分のしたことは何も間違っていない。しかしそれで得られるはずのものが手に入らなかったのだ。
木蓮の命をもって緑波を蘇らせることができるはずだった。だが逆にその姿は薄れていく一方になっている。宿堤はそれを繋ぎ止めるように緑波の身体をかき抱いた。
「どうすればいい……どうすれば……」
『私を求めてくださるのなら……そのために何でもしてくださると言うのなら……』
緑波は宿堤の耳元で囁く。それは宿堤ですら躊躇うほどのものだった。
「それは……」
『ですが、そうしなければ私はこのまま消えてしまいます。あの神こそが私を阻んでいるのです』
「だが、俺は」
邑長の一族のものとして、龍神への心は忘れずに生きていた。たとえ愛する者が死ぬそのときに何もしてくれなかったとしても、その恵みがあるからこの邑があるのだということは誰よりも理解していた。
『私に害をなすものは全て消し去ってください。私を愛しているのなら』
「緑波……だが……」
『思い出してくださいませ。あの時の気持ちを――』
緑波はそういって微笑むと宿堤の唇に触れるだけの口づけをした。その瞬間に宿堤の体の奥に黒い炎が生まれた。内側から体が灼かれているかのような熱に宿堤は呻き声をあげる。
「ううっ……ぐっ……」
『さあ、宿堤様』
緑波の囁きに呼応するように、宿堤は顔を上げた。その甘い声は毒のように入り込んでくる。黒い炎は宿堤に思い出させた。緑波が目の前で死んだあのとき、神は何をしてくれただろうか。何もしてくれなかった。それなのに木蓮のことは助けるのか。目の前が赤に染まっていく。それは紛れもなく神への憎悪であった。
「ああ……そうだ、俺は……」
あの日、復讐を誓ったのだ。
緑波を殺した鬼を必ず滅すると。神が何もしてくれないのなら、自分たちの手で何でもするのだと。そこには間違いなく緑波を救ってくれなかった龍神への怒りがあった。緑波は半分透けた手で宿堤の頬を撫でる。
『神を殺して……私を救ってくださいませ』
「ああ……愛している、緑波……」
宿堤は緑波と深い口づけをしながら、その体を組み敷いた。着物を脱がすと冷たい肌が露わになる。宿堤はその乳房にむしゃぶりついた。緑波は嬉しそうに声をあげて身を捩らせる。
『あぁ、嬉しいです……』
「緑波……もう二度と、離れてくれるな」
宿堤の目に正気の光はなく、ただ欲望のままに体を動かしていた。その体が黒い炎に包まれていることに気づくことなく、宿堤は何度も繰り返し愛していると囁くのだった。
しかし二人の睦み合いを破るように、外がにわかに騒がしくなってきた。宿堤ははっと我に返る。
「父上!」
襖越しに泰良が宿堤を呼ぶ。宿堤は思わず舌打ちをした。どのような用事があるかわからないが、緑波を抱いている最中に邪魔が入るのは許せない。宿堤はその声を無視して緑波の肌に舌を這わせた。
『ああっ……宿堤様……』
欲望に突き動かされ、宿堤の動きは性急になっていく。緑波の脚を開かせると、蜜を湛えた火陰が露わになった。宿堤はそこに指を一本だけ挿れて熱を帯びた呟きを漏らす。
「ああ、こんなに濡らして……」
『宿堤様……』
「緑波……」
宿堤は緑波の脚を抱え上げ、その体を貫いた。その瞬間に緑波が体をしならせる。
『ああっ……いいっ……』
「……くっ」
宿堤が腰を動かす度に、緑波の体は快楽に震えた。その体が徐々に消えていくのも気づかずに、ただ欲望のままに愛を囁く。
しかし負けじと部屋の外の声も大きくなっていた。痺れを切らしたのか泰良が襖を叩く。
「木蓮ねえちゃんが戻ってきたんだ! 龍神様と一緒に!」
その言葉に宿堤は思わず動きを止めた。緑波は向こう側の景色を透かしながら宿堤に手を伸ばす。
「それは……どういう」
「僕にもよくわからないけど、とにかく出てきてよ!」
泰良にせっつかれ、宿堤は舌打ちをした。緑波の脚から手を離して着物を整えると、緑波が静かに微笑んだ。
『そんな顔をなさらないで。これは好機でございます』
「好機だと?」
『ええ。ですから、普段通りに振舞って龍神の油断を誘うのです』
緑波は体を起こし、宿堤の屹立したものを深く咥え込んだ。声が漏れてしまいそうになるのを堪えながら、宿堤は緑波の頭を撫でる。その舌は敏感な場所に絡みつき、甘い毒で宿堤の思考を鈍らせた。
『さあ、お行きください』
「っ、緑波……!」
宿堤は緑波の口内で果てた。緑波がそれをこくりと飲み干す喉の動きに宿堤の目は釘付けになっていた。
『私の心はいつも宿堤様の傍にありますわ。だからどうか……私を救ってくださいませ』
「ああ、わかっている」
宿堤が答えると同時に、緑波の姿は消えてしまった。宿堤は身なりを軽く整えてからゆっくりと襖を開ける。
「父上! 木蓮ねえちゃんが戻ってきたんだよ!」
「泰良……つらいのはわかるが、木蓮は……」
「本当なんだって! みんなももう外に出て見に行ってるよ! 龍神様と木蓮ねえちゃんが契りを結んだから、今から宴を開くって!」
泰良は必死さを滲ませながら言う。身近な人間を二人も同時に失った泰良は、どこか無理に元気を出そうとしているようにも見えた。その姿は両親を失ったばかりのかつての木蓮にも似ている。
木蓮ならわかってくれるだろう。同じ痛みを知っている。何度も何度も、蘇らせることができるならそうしたいと望んだだろう。だからきっと――これから犯す罪も理解してくれる。
「わかった。支度をしてすぐに向かう。泰良は先に戻っていてくれ」
「うん、わかった!」
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