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三・鬼化の呪い
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巫となった木蓮は獅子奮迅の活躍をしていた。しかし鬼を一体倒してもすぐに別の鬼が邑に向かってくる。そのうえ木蓮が巫となる前よりも明らかに強い鬼が邑を襲うことが多くなっていた。
今のところは男衆にも一人の犠牲者も出さずに勝てているが、明日はどうなるかわからない。このままでは埒が明かないのだと誰もがわかっている。けれど元を絶つという、誰でも思いつくようなことがこれまでの数百年で実行できていないということは、簡単にできることではないということを示している。
「最近強いのが増えてきたよな」
鍛錬を終え、深く息を吐き出しながら汗を拭う木蓮に、武羅瀬が声をかける。木蓮は武羅瀬が持ってきた茶を受け取りながら応えた。
「弱い奴だと簡単に倒されるっていうのがわかったからなのか……だとしたら、鬼をこの邑に送ってきている指示役みたいなものがいることになるけど」
「宿堤様もそんなことを言ってたな。それの正体がわかれば叩けるのにって」
「私たちで勝てるような相手かどうかはわからないけど」
「何言ってんだよ。最強の巫がついてるんだぜ?」
武羅瀬は木蓮の肩を軽く叩いた。しかし木蓮の表情は晴れない。
「今来ている鬼に手こずっているようじゃ駄目なんだと思う。様子を見て送ってくる鬼を変えられるってことは、後ろにはもっと強い鬼が控えているはずだし」
「大丈夫だって。俺たちだって一緒に戦うんだから。まあ浄化とかはそんなに出来ないけどよ、それでもちょっとくらいは役に立ってるだろ?」
「そうだね。いつも助かってるよ」
武器に力を込める時に少し隙が生まれることがある。男衆はその間の鬼からの攻撃を防ぎ、木蓮の道を開くこともあった。また陽動を任され、気配を消して渾身の一撃を叩き込む瞬間を作り出すこともあった。幼い頃から一緒に鍛錬していたのもあり、男衆との連携はよく取れている。
「でも――最近嫌な予感がする」
「木蓮が言うと洒落にならないんだよな、それ」
強い霊力を持つ木蓮は、勘も鋭い。木蓮の嫌な予感は大抵当たるのだ。それは木蓮も自覚していた。
「鬼はこれからも強いのが出てくると思う。だから――私たちももっと強くならないと」
「そういや鬼の弱点って、浄化の力以外にないのか?」
「首を落としても、瘴気が浄化されないとまた動き出しちゃうから……」
「ってことはやっぱり木蓮が止めを刺すか、俺たち男衆が束になってなんとかするかしかないってことだよな」
木蓮は頷いた。けれど木蓮はこれまでと同じようにやっていては全ての鬼を滅するという目的は果たせないと気が付いていた。だから新しいことを始めた。それについて武羅瀬には話しておこうと思ったそのとき、半鐘の音が鳴り響いた。
「……人型の鬼が一体か」
「行こう」
木蓮は武羅瀬の袖を掴み、右手で印を結ぶ。霊力を込めると木蓮の足下から風が起た。全員を運ぶのは無理だが、武羅瀬一人だけなら連れて行ける。木蓮は小さな声で真言を唱え、術を発動させた。
「『縮地』!」
それは一瞬で遠い場所へと移動するための術だ。刹那の間に邑の外に出たことに気が付いた武羅瀬は驚いて周囲を見回した。
「木蓮、縮地なんて使えたのか……」
「本当の縮地はただ早く移動するだけの術だよ。これはこの場所限定で自分のいるところからここまでの距離をなくす術」
「この場所限定?」
「鬼の現れる場所は大体決まっている。ならそこまですぐに移動できればいいでしょ?」
「確かにそうなんだけども」
木蓮はこともなげに言うが、これまでの巫にはできなかったことだ。改めて木蓮の力の強さを思い知らされる。しかし今はそれどころではないと思い直した。
「ん? 何だ……? あそこから動けないのか?」
鬼は姿こそ人に似ていたが、体の何倍もの長さがある黒髪を振り乱してもがいていた。髪は濃い瘴気を纏い、それに触れられたらひとたまりもないことがわかる。
「あれ、人型じゃないね。櫓からだと遠くて区別がつかないんだと思うけど、人形型だ」
「人形型⁉︎ それはまた厄介だな……」
鬼は様々な姿をしている。瘴気によって生き物が変化した姿と言われているが、人形のように元々人の念がこもっていたものが瘴気によって変質してしまうことがある。そして人形型の鬼は痛みを感じないために倒すのが難しいと言われていた。
「でもあそこから動かないな」
「あそこに罠を仕掛けてたからね」
「罠って……」
「出現場所がだいたい同じだから、その近辺に瘴気に反応して拘束と浄化をする陣を敷いておいたの。弱い鬼だと陣の力だけで祓える」
武羅瀬は感嘆の声を上げるが、陣だけでは不十分であることは木蓮が一番理解していた。拘束もすぐに破られるだろう。木蓮は真剣な声で武羅瀬に言った。
「基本的には体の中心を浄化しないと祓えないけど……あの髪の毛が厄介だね」
陣の力で拘束されてなお、人形の鬼は長い髪を振り乱して暴れる。その髪の毛はそれ自体が意思を持っているように複雑に動いていた。その上濃い瘴気を纏っている。髪の毛をどうにかしなければ中心に近付くことはできない。
「矢で狙ってもいいんだけど、多分途中であの髪の毛に邪魔されて落ちる」
「だったら俺たちがあの髪の毛の相手をしている間に、木蓮が真ん中に突っ込むっていうのはどうだ?」
「……うん、多分それが一番いい」
縮地を使わずに走ってやってきた残りの男衆が合流する。武羅瀬は今し方決めた作戦を彼らに伝えた。それぞれが配置につくと同時に、木蓮はその場で息を潜める。
「じゃあそろそろ仕掛けるぜ」
「うん。早めに終わらせられるように頑張るけど、みんな気をつけて」
あの髪の毛で攻撃されて傷を負ったら、男衆の霊力ではひとたまりもないだろう。彼らを危険にさらす作戦であることはわかっていたが、今はこれが最善だ。
武羅瀬が声を上げると、鬼がその髪の毛を男達に向けた。男衆は刀を構え、それぞれにその相手をする。木蓮はじっと息を潜めて隙を窺っていた。
「掛けまくも畏き大水津薙命、諸々の禍事、罪、穢有らんをば――」
神の力を借りるために祝詞を唱える。龍神が加護を与えた武器には神の力を降ろしやすい。刀に力が集まっていくのを感じながら、木蓮は小声で続けた。
「祓え給い、清め給えと白す事を」
男衆は髪の毛の攻撃を避けながら陽動に徹している。そちらに気が行っていて、胴体の守りがおろそかになった瞬間が好機だ。
「――聞こし食せと、恐み恐み白す」
祝詞を唱え終わると同時に、木蓮は駆け出した。一気に距離を詰め、人形の鬼に斬りつける。しかしその刃が届く前に髪の毛で防がれた。木蓮は霊力で風を起こし、鬼から距離を取る。
一度攻撃してしまえば当然警戒されてしまう。木蓮は今度は弓矢を構えた。弓矢はそれほど力は強くないが、動きが鈍った後なら止めを刺すこともできる。力を込めて弓を引き絞り、狙いを定める。狙う一点が定まったその瞬間、男の叫び声が聞こえて木蓮は手を止めた。
「武羅瀬!」
鬼の髪の毛が武羅瀬の体を貫いた。鬼の猛攻を避けきれなかったのだろう。木蓮の喉から微かな音が漏れる。
それはあのときの光景に良く似ていた。変わり果てた父にその体を貫かれた、半狂乱の母。武羅瀬の体からは止め処なく血が流れ、髪の毛が突き刺さった場所から禍々しい黒い文様が体中に広がっていく。このまま放っておけば武羅瀬もまた父と同じ運命を辿るだろう。
「木蓮!」
呻きながらも、武羅瀬は木蓮に向かって叫んだ。木蓮は武羅瀬の方に駆け出そうとした足を止める。
「お前がやるべきことを思い出せ!」
ああ、そうだ。
巫に与えられた役目は鬼を滅すること。ここで仲間を助ける方に動けば鬼を倒す機会を逸してしまう。討ち漏らせば邑に危険が及ぶ。木蓮は唇を噛んで再び弓を構えた。
続け様に二本の矢を射る。一本目を防いだとしても二本目が当たるように。木蓮の目論見通りに二本目の矢が鬼の中心に突き刺さる。同時に念を込めると瘴気が浄化され、鬼の姿が崩れて塵となって風に攫われていった。
「武羅瀬!」
鬼を倒した木蓮はすぐさま武羅瀬に駆け寄った。この少しの間にも蚯蚓がのたくったような禍々しい紋様が武羅瀬の全身を覆い尽くしつつあった。木蓮は躊躇いなく武羅瀬の体に手を置く。鬼化の呪いはある程度の段階までは巫の力で穢れを浄化すれば元に戻る。しかし武羅瀬は首を横に振って木蓮を止めた。
「もう手遅れだ。わかってるだろ」
「っ……そんなことない!」
けれど木蓮も十分に理解していた。浄化が追いつかない。深く蝕まれた体は元には戻らないのだ。こうなれば鬼になるのはもう止められない。出来ることといえば――。
「木蓮。やるべきことは何なのか、お前なら……」
「っ……駄目、最後まで、諦めないで」
全ての霊力を浄化に回せばあるいは。木蓮は微かな希望を抱いて印を結ぶ。しかし武羅瀬は木蓮の手を取ってそれを中断させた。
「木蓮――楽にしてくれ」
瘴気に体を蝕まれるのはかなりの苦痛を伴うという。だが霊力をほとんど持たない人間ならばその苦痛を味わう間もなく鬼に転じてしまう。男衆に選ばれる程度の霊力を持っていることがかえって武羅瀬の苦痛を長引かせることになっていた。
「鬼にはなりたくないんだ。人間のままで、逝かせてくれ」
木蓮は拳を強く握った。今すべきことが何なのかはわかっている。道は一つしか残されていない。木蓮は一度目を閉じてから刀を抜いた。
「掛けまくも畏き大水津薙命、諸々の禍事、罪、穢有らんをば、祓え給い、清め給えと白す事を聞こし食せと、恐み恐み白す――」
白刃が光を放つ。ここまで呪いが回ってしまうと、鬼と同じように塵となって消えてしまうだろう。残るのは瘴気を含んだ血だけだ。肩で息をしながらも静かに目を閉じる武羅瀬に向かって、木蓮は刀を振り下ろした。
***
「そうか、武羅瀬が――」
先に戻った男衆の報告を聞き、宿堤は目を伏せた。鬼と戦う者は誰であっても鬼化の呪いを受ける危険と隣り合わせだ。だからこそ宿堤は霊力を持ちながらも邑に留まることを余儀なくされていた。次の邑長になる人間が鬼になってはならないからだ。
「して、木蓮は」
「先に禊をしてくるとのことで」
「つまり縮地の術は問題なく発動しているということか」
木蓮と宿堤が陣を敷いたのは鬼の出現地の近くと龍神の祠がある滝の近くだ。その術自体は古い書物にも記されていたものだが、それが扱えるほどの霊力の持ち主が長らくいなかったのだ。使えるかどうかは賭けでもあったが、それ自体は問題なかったらしい。
「――宿堤様。ただ今戻りました」
禊を終え、着替えた木蓮がその場に現れる。宿堤は静かに頷いて木蓮を迎え入れた。
「武羅瀬のことは既に聞いている。邑の為に戦った、立派な最期だったと」
「そのことなのですが」
木蓮は宿堤の言葉を遮るようにして言った。
「次からは、私が一人で出ます」
硬い声でそう告げた木蓮に、男衆が声を上げる。それは木蓮に対する文句ではなく、心配の声だった。これまでの巫は男衆と共に戦ってきた。男衆は任命されるときに必ず一つの誓いを立てる。それは命に替えても巫を守るということだ。木蓮の言葉はそれを拒絶するものに他ならなかった。
「武羅瀬のことを気に病んでるんだったら――俺たちは最初から鬼と戦って死ぬ覚悟を決めてるんだ。だから」
「今日の戦い、私ならば一人で倒せる相手でした」
男衆の力を借りたときよりは時間がかかるかもしれない。けれど木蓮が力を尽くせば一人で対処できない相手ではなかった。
「私は助けがあることに甘えていたように思います。最初から一人で倒すつもりでやっていれば、みすみす武羅瀬を死なせることもなかった」
「木蓮……それは違うって。俺たちの力が及ばなかっただけだ」
男衆の言葉に、木蓮は静かに首を横に振る。木蓮の言葉を黙して聞いていた宿堤は、やがてゆっくりと口を開いた。
「今後はその甘えを排するために一人で戦うと、そう言いたいのか?」
「はい、宿堤様」
宿堤は木蓮の水のように透き通った双眸を見ながら腕を組む。並の鬼であれば木蓮一人でも充分倒せることがわかっている。しかし鬼は日に日に強くなっているのも事実だ。男衆は木蓮の考えを変えようとその周りに群がっていた。
「確かに木蓮は強いけど、一人でなんて無茶だ。これからもっと強いのが出てくるかもしれない」
「俺たちだってこれまで一緒に鍛錬してきたんだ。ちょっとくらい役に立つだろ?」
「そうだよ。武羅瀬だって多分反対する」
しかし木蓮の決意は揺るがなかった。男衆の方は一顧だにせずに、決定権を持つ宿堤を真っ直ぐに見つめる。
「足手纏いは要りません。私一人で充分です。鬼の討伐に無駄な戦力を裂くよりも、邑の守りに回すべきです」
木蓮はこれまで一緒に戦ってきた男衆に対して、冷たく突き放すようなことを言う。しかしそれが木蓮の本心から出た言葉でないことは、その場にいる全員が理解していた。宿堤は深く息を吐き出してから、重々しい声で告げた。
「ならば、そうするがいい。男衆はお前が言うように邑の守りに回そう」
「宿堤様! 一人でなんて……木蓮は武羅瀬のことがあったから!」
口々に詰め寄る男衆を、宿堤は片手で制した。宿堤は邑長の息子であり、老齢の邑長に代わり、この邑の一切を仕切っていた。宿堤の決定を覆せる者はこの邑にはほとんどいない。
「それで暫く様子を見よう。不都合があればこれまでのやり方に戻す。それで文句はあるまい?」
木蓮は深く頷く。不都合がある――そのときは自分が鬼を討ち漏らし、死ぬときである。しかし邑を襲う鬼を一人で討伐できないようでは、鬼を全て討ち滅ぼすという目的を達成することなど出来ないということも理解していた。木蓮は宿堤に下がるように言われ、男衆の憂わしげな顔に見送られながらその場をあとにした。
今のところは男衆にも一人の犠牲者も出さずに勝てているが、明日はどうなるかわからない。このままでは埒が明かないのだと誰もがわかっている。けれど元を絶つという、誰でも思いつくようなことがこれまでの数百年で実行できていないということは、簡単にできることではないということを示している。
「最近強いのが増えてきたよな」
鍛錬を終え、深く息を吐き出しながら汗を拭う木蓮に、武羅瀬が声をかける。木蓮は武羅瀬が持ってきた茶を受け取りながら応えた。
「弱い奴だと簡単に倒されるっていうのがわかったからなのか……だとしたら、鬼をこの邑に送ってきている指示役みたいなものがいることになるけど」
「宿堤様もそんなことを言ってたな。それの正体がわかれば叩けるのにって」
「私たちで勝てるような相手かどうかはわからないけど」
「何言ってんだよ。最強の巫がついてるんだぜ?」
武羅瀬は木蓮の肩を軽く叩いた。しかし木蓮の表情は晴れない。
「今来ている鬼に手こずっているようじゃ駄目なんだと思う。様子を見て送ってくる鬼を変えられるってことは、後ろにはもっと強い鬼が控えているはずだし」
「大丈夫だって。俺たちだって一緒に戦うんだから。まあ浄化とかはそんなに出来ないけどよ、それでもちょっとくらいは役に立ってるだろ?」
「そうだね。いつも助かってるよ」
武器に力を込める時に少し隙が生まれることがある。男衆はその間の鬼からの攻撃を防ぎ、木蓮の道を開くこともあった。また陽動を任され、気配を消して渾身の一撃を叩き込む瞬間を作り出すこともあった。幼い頃から一緒に鍛錬していたのもあり、男衆との連携はよく取れている。
「でも――最近嫌な予感がする」
「木蓮が言うと洒落にならないんだよな、それ」
強い霊力を持つ木蓮は、勘も鋭い。木蓮の嫌な予感は大抵当たるのだ。それは木蓮も自覚していた。
「鬼はこれからも強いのが出てくると思う。だから――私たちももっと強くならないと」
「そういや鬼の弱点って、浄化の力以外にないのか?」
「首を落としても、瘴気が浄化されないとまた動き出しちゃうから……」
「ってことはやっぱり木蓮が止めを刺すか、俺たち男衆が束になってなんとかするかしかないってことだよな」
木蓮は頷いた。けれど木蓮はこれまでと同じようにやっていては全ての鬼を滅するという目的は果たせないと気が付いていた。だから新しいことを始めた。それについて武羅瀬には話しておこうと思ったそのとき、半鐘の音が鳴り響いた。
「……人型の鬼が一体か」
「行こう」
木蓮は武羅瀬の袖を掴み、右手で印を結ぶ。霊力を込めると木蓮の足下から風が起た。全員を運ぶのは無理だが、武羅瀬一人だけなら連れて行ける。木蓮は小さな声で真言を唱え、術を発動させた。
「『縮地』!」
それは一瞬で遠い場所へと移動するための術だ。刹那の間に邑の外に出たことに気が付いた武羅瀬は驚いて周囲を見回した。
「木蓮、縮地なんて使えたのか……」
「本当の縮地はただ早く移動するだけの術だよ。これはこの場所限定で自分のいるところからここまでの距離をなくす術」
「この場所限定?」
「鬼の現れる場所は大体決まっている。ならそこまですぐに移動できればいいでしょ?」
「確かにそうなんだけども」
木蓮はこともなげに言うが、これまでの巫にはできなかったことだ。改めて木蓮の力の強さを思い知らされる。しかし今はそれどころではないと思い直した。
「ん? 何だ……? あそこから動けないのか?」
鬼は姿こそ人に似ていたが、体の何倍もの長さがある黒髪を振り乱してもがいていた。髪は濃い瘴気を纏い、それに触れられたらひとたまりもないことがわかる。
「あれ、人型じゃないね。櫓からだと遠くて区別がつかないんだと思うけど、人形型だ」
「人形型⁉︎ それはまた厄介だな……」
鬼は様々な姿をしている。瘴気によって生き物が変化した姿と言われているが、人形のように元々人の念がこもっていたものが瘴気によって変質してしまうことがある。そして人形型の鬼は痛みを感じないために倒すのが難しいと言われていた。
「でもあそこから動かないな」
「あそこに罠を仕掛けてたからね」
「罠って……」
「出現場所がだいたい同じだから、その近辺に瘴気に反応して拘束と浄化をする陣を敷いておいたの。弱い鬼だと陣の力だけで祓える」
武羅瀬は感嘆の声を上げるが、陣だけでは不十分であることは木蓮が一番理解していた。拘束もすぐに破られるだろう。木蓮は真剣な声で武羅瀬に言った。
「基本的には体の中心を浄化しないと祓えないけど……あの髪の毛が厄介だね」
陣の力で拘束されてなお、人形の鬼は長い髪を振り乱して暴れる。その髪の毛はそれ自体が意思を持っているように複雑に動いていた。その上濃い瘴気を纏っている。髪の毛をどうにかしなければ中心に近付くことはできない。
「矢で狙ってもいいんだけど、多分途中であの髪の毛に邪魔されて落ちる」
「だったら俺たちがあの髪の毛の相手をしている間に、木蓮が真ん中に突っ込むっていうのはどうだ?」
「……うん、多分それが一番いい」
縮地を使わずに走ってやってきた残りの男衆が合流する。武羅瀬は今し方決めた作戦を彼らに伝えた。それぞれが配置につくと同時に、木蓮はその場で息を潜める。
「じゃあそろそろ仕掛けるぜ」
「うん。早めに終わらせられるように頑張るけど、みんな気をつけて」
あの髪の毛で攻撃されて傷を負ったら、男衆の霊力ではひとたまりもないだろう。彼らを危険にさらす作戦であることはわかっていたが、今はこれが最善だ。
武羅瀬が声を上げると、鬼がその髪の毛を男達に向けた。男衆は刀を構え、それぞれにその相手をする。木蓮はじっと息を潜めて隙を窺っていた。
「掛けまくも畏き大水津薙命、諸々の禍事、罪、穢有らんをば――」
神の力を借りるために祝詞を唱える。龍神が加護を与えた武器には神の力を降ろしやすい。刀に力が集まっていくのを感じながら、木蓮は小声で続けた。
「祓え給い、清め給えと白す事を」
男衆は髪の毛の攻撃を避けながら陽動に徹している。そちらに気が行っていて、胴体の守りがおろそかになった瞬間が好機だ。
「――聞こし食せと、恐み恐み白す」
祝詞を唱え終わると同時に、木蓮は駆け出した。一気に距離を詰め、人形の鬼に斬りつける。しかしその刃が届く前に髪の毛で防がれた。木蓮は霊力で風を起こし、鬼から距離を取る。
一度攻撃してしまえば当然警戒されてしまう。木蓮は今度は弓矢を構えた。弓矢はそれほど力は強くないが、動きが鈍った後なら止めを刺すこともできる。力を込めて弓を引き絞り、狙いを定める。狙う一点が定まったその瞬間、男の叫び声が聞こえて木蓮は手を止めた。
「武羅瀬!」
鬼の髪の毛が武羅瀬の体を貫いた。鬼の猛攻を避けきれなかったのだろう。木蓮の喉から微かな音が漏れる。
それはあのときの光景に良く似ていた。変わり果てた父にその体を貫かれた、半狂乱の母。武羅瀬の体からは止め処なく血が流れ、髪の毛が突き刺さった場所から禍々しい黒い文様が体中に広がっていく。このまま放っておけば武羅瀬もまた父と同じ運命を辿るだろう。
「木蓮!」
呻きながらも、武羅瀬は木蓮に向かって叫んだ。木蓮は武羅瀬の方に駆け出そうとした足を止める。
「お前がやるべきことを思い出せ!」
ああ、そうだ。
巫に与えられた役目は鬼を滅すること。ここで仲間を助ける方に動けば鬼を倒す機会を逸してしまう。討ち漏らせば邑に危険が及ぶ。木蓮は唇を噛んで再び弓を構えた。
続け様に二本の矢を射る。一本目を防いだとしても二本目が当たるように。木蓮の目論見通りに二本目の矢が鬼の中心に突き刺さる。同時に念を込めると瘴気が浄化され、鬼の姿が崩れて塵となって風に攫われていった。
「武羅瀬!」
鬼を倒した木蓮はすぐさま武羅瀬に駆け寄った。この少しの間にも蚯蚓がのたくったような禍々しい紋様が武羅瀬の全身を覆い尽くしつつあった。木蓮は躊躇いなく武羅瀬の体に手を置く。鬼化の呪いはある程度の段階までは巫の力で穢れを浄化すれば元に戻る。しかし武羅瀬は首を横に振って木蓮を止めた。
「もう手遅れだ。わかってるだろ」
「っ……そんなことない!」
けれど木蓮も十分に理解していた。浄化が追いつかない。深く蝕まれた体は元には戻らないのだ。こうなれば鬼になるのはもう止められない。出来ることといえば――。
「木蓮。やるべきことは何なのか、お前なら……」
「っ……駄目、最後まで、諦めないで」
全ての霊力を浄化に回せばあるいは。木蓮は微かな希望を抱いて印を結ぶ。しかし武羅瀬は木蓮の手を取ってそれを中断させた。
「木蓮――楽にしてくれ」
瘴気に体を蝕まれるのはかなりの苦痛を伴うという。だが霊力をほとんど持たない人間ならばその苦痛を味わう間もなく鬼に転じてしまう。男衆に選ばれる程度の霊力を持っていることがかえって武羅瀬の苦痛を長引かせることになっていた。
「鬼にはなりたくないんだ。人間のままで、逝かせてくれ」
木蓮は拳を強く握った。今すべきことが何なのかはわかっている。道は一つしか残されていない。木蓮は一度目を閉じてから刀を抜いた。
「掛けまくも畏き大水津薙命、諸々の禍事、罪、穢有らんをば、祓え給い、清め給えと白す事を聞こし食せと、恐み恐み白す――」
白刃が光を放つ。ここまで呪いが回ってしまうと、鬼と同じように塵となって消えてしまうだろう。残るのは瘴気を含んだ血だけだ。肩で息をしながらも静かに目を閉じる武羅瀬に向かって、木蓮は刀を振り下ろした。
***
「そうか、武羅瀬が――」
先に戻った男衆の報告を聞き、宿堤は目を伏せた。鬼と戦う者は誰であっても鬼化の呪いを受ける危険と隣り合わせだ。だからこそ宿堤は霊力を持ちながらも邑に留まることを余儀なくされていた。次の邑長になる人間が鬼になってはならないからだ。
「して、木蓮は」
「先に禊をしてくるとのことで」
「つまり縮地の術は問題なく発動しているということか」
木蓮と宿堤が陣を敷いたのは鬼の出現地の近くと龍神の祠がある滝の近くだ。その術自体は古い書物にも記されていたものだが、それが扱えるほどの霊力の持ち主が長らくいなかったのだ。使えるかどうかは賭けでもあったが、それ自体は問題なかったらしい。
「――宿堤様。ただ今戻りました」
禊を終え、着替えた木蓮がその場に現れる。宿堤は静かに頷いて木蓮を迎え入れた。
「武羅瀬のことは既に聞いている。邑の為に戦った、立派な最期だったと」
「そのことなのですが」
木蓮は宿堤の言葉を遮るようにして言った。
「次からは、私が一人で出ます」
硬い声でそう告げた木蓮に、男衆が声を上げる。それは木蓮に対する文句ではなく、心配の声だった。これまでの巫は男衆と共に戦ってきた。男衆は任命されるときに必ず一つの誓いを立てる。それは命に替えても巫を守るということだ。木蓮の言葉はそれを拒絶するものに他ならなかった。
「武羅瀬のことを気に病んでるんだったら――俺たちは最初から鬼と戦って死ぬ覚悟を決めてるんだ。だから」
「今日の戦い、私ならば一人で倒せる相手でした」
男衆の力を借りたときよりは時間がかかるかもしれない。けれど木蓮が力を尽くせば一人で対処できない相手ではなかった。
「私は助けがあることに甘えていたように思います。最初から一人で倒すつもりでやっていれば、みすみす武羅瀬を死なせることもなかった」
「木蓮……それは違うって。俺たちの力が及ばなかっただけだ」
男衆の言葉に、木蓮は静かに首を横に振る。木蓮の言葉を黙して聞いていた宿堤は、やがてゆっくりと口を開いた。
「今後はその甘えを排するために一人で戦うと、そう言いたいのか?」
「はい、宿堤様」
宿堤は木蓮の水のように透き通った双眸を見ながら腕を組む。並の鬼であれば木蓮一人でも充分倒せることがわかっている。しかし鬼は日に日に強くなっているのも事実だ。男衆は木蓮の考えを変えようとその周りに群がっていた。
「確かに木蓮は強いけど、一人でなんて無茶だ。これからもっと強いのが出てくるかもしれない」
「俺たちだってこれまで一緒に鍛錬してきたんだ。ちょっとくらい役に立つだろ?」
「そうだよ。武羅瀬だって多分反対する」
しかし木蓮の決意は揺るがなかった。男衆の方は一顧だにせずに、決定権を持つ宿堤を真っ直ぐに見つめる。
「足手纏いは要りません。私一人で充分です。鬼の討伐に無駄な戦力を裂くよりも、邑の守りに回すべきです」
木蓮はこれまで一緒に戦ってきた男衆に対して、冷たく突き放すようなことを言う。しかしそれが木蓮の本心から出た言葉でないことは、その場にいる全員が理解していた。宿堤は深く息を吐き出してから、重々しい声で告げた。
「ならば、そうするがいい。男衆はお前が言うように邑の守りに回そう」
「宿堤様! 一人でなんて……木蓮は武羅瀬のことがあったから!」
口々に詰め寄る男衆を、宿堤は片手で制した。宿堤は邑長の息子であり、老齢の邑長に代わり、この邑の一切を仕切っていた。宿堤の決定を覆せる者はこの邑にはほとんどいない。
「それで暫く様子を見よう。不都合があればこれまでのやり方に戻す。それで文句はあるまい?」
木蓮は深く頷く。不都合がある――そのときは自分が鬼を討ち漏らし、死ぬときである。しかし邑を襲う鬼を一人で討伐できないようでは、鬼を全て討ち滅ぼすという目的を達成することなど出来ないということも理解していた。木蓮は宿堤に下がるように言われ、男衆の憂わしげな顔に見送られながらその場をあとにした。
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