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11・十六夜の月

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 和紗が薔薇の温室に通うようになってから二週間が過ぎた。最初のうちは誰がそこに来たかをきちんと把握していた和紗だったが、その数が増えすぎた今では、多少曖昧になってきている。そして部活もこなして家に帰る頃にはすっかり疲労困憊になっていた。
 稔の体調も気になってはいたが、あまり余裕はなかった。気持ちいいだけの場所にいるけれど、それでも疲れは溜まっていく。雛と優香に導かれた人たちが入れ代わり立ち代わりやってくるという状況にも目眩がしていた。一人でいる時間も、常に誰かの肌がまとわりついているような気がしてきてしまう。
 風呂に入って、寝間着に着替えて布団にもぐりこむと、すぐに睡魔に襲われた。最近はいつもそうだった。夢も見ない。それなのに朝になったら下着が濡れている。自分はこれからどうなってしまうのだろうか。このまま治らないのだろうか。そう思うとたまらなく不安になったが、それすらも眠りの中に呑み込まれていく。
 そうして眠り始め、一時間ほどが経った頃だった。自室のドアがそっと開いた音で和紗の意識が少しだけ浮上する。けれど体を起こすことはせずに、そのまま目を閉じていた。ちょうどドアのある方向には背を向けている姿勢だ。それを動かすのが億劫だと思うほどには体が重かった。

「……寝てるのか、和紗?」

 けれどその声で、意識は一気に覚醒する。稔が和紗の部屋に来たのは何年ぶりだろうか。二人で過ごすときは居間にいることが多く、それぞれの自室に入ることはなかった。けれど稔は今、和紗の部屋に入ってきて、和紗のベッドのすぐ横に立っている。
 和紗は起きて稔の呼びかけに応えようとした。しかしその前に、稔の手が和紗の布団の中に入ってくる。その手は寝間着の上から和紗の胸を優しく揉み始めた。

「和紗、ごめん。我慢できないんだ」

 そういう契約を結んでいるのだから、好きなようにして構わないのに。
 稔になら何をされてもいい。それは奇しくも、日々和紗の周りにやってくる少女たちの言葉と同じだった。和紗は眠っているふりをする。寝ている自分に稔がどんなことをするのか知りたかった。
 稔は和紗の部屋に布団に自分も入り、後ろから和紗を抱きしめながら和紗の寝間着のボタンを外していく。ナイトブラをずらし、和紗の旨を外気に晒した稔は、両方の手でそれぞれを包み込んだ。親指と人差し指で和紗の乳首を軽くつまみながら、掌を使って乳房を押し上げるように揉む。それだけで甘い痺れが全身に走り、和紗は無意識に内腿を擦り合わせた。
 稔は時折熱い吐息を漏らしながら、和紗の胸を触っていた。昼間も散々愛撫された場所だ。けれど稔に与えられるものはそれとは全く違っていた。少女たちの小さくて柔らかな手とは違う、少し荒れて骨ばった大きな手。和紗も指が長いと言われることがあったが、兄である稔も同じようにすらりと長い指を持っている。それが自分に触れているのだと思うだけで、和紗の体の奥から熱いものが溢れ出すようだった。
 和紗は漏れそうになる声を堪えていた。起きていると気付かれたところであまり問題はないはずだった。そもそも相手が求めれば応じるという契約を結んでいるのだ。起きていても寝ていてもやることは変わらない。けれど何故か眠っているということにしたかった。それでも刺激に合わせて、吐息は勝手に漏れる。和紗は目を閉じたまま、ただ与えられる感覚だけに集中していた。

「本当に寝てるのか、和紗?」

 起きていることに気付いているというよりは、ただの確認といった口調だった。和紗はそのまま稔の問には反応せずに寝ているふりを続ける。すると稔は和紗の寝間着のズボンとショーツを少し下ろし、股の間の割れ目に中指を擦り付けるようにして動かした。そこが充分に濡れているのがわかったのだろう、稔はそこにゆっくりと中指と薬指を挿れていく。中で二本の指が動く度に、濡れた音が聞こえた。

「ん……はぁ、ぁあ……ッ」

 そんなことをされてしまうと、どうしても声が漏れてしまう。けれど稔は既に和紗が寝ているかどうかはあまり気にしていないようだった。あえて音を立てているのかと思うほどに激しく、指が出し入れされ始める。和紗が寝ていると思っているからなのか、それとも余裕がないのか、性急な手付きだ。和紗は下になっている方の手でシーツを掴みながら、その刺激に耐えた。痛みはない。けれど苦しいくらいに気持ちいい。しかしその指はあと少しで和紗が絶頂するというところで抜かれてしまった。

「ごめん、和紗……」

 稔が布団の中で自身を取り出す。内腿に擦り付けられる熱に和紗の体は震えた。これまでは和紗がきっかけを作ることが多かった。けれど今日は自分から和紗のところに来た。それが病気のせいであっても、契約があるからだとしても、和紗は小さな幸福を感じていた。
 和紗は目を閉じたままで手を伸ばし、稔の肉棒の先に触れる。稔は気付いているのかいないのか、切羽詰まったような声を出しながら腰を動かしている。背中で感じる吐息。まるで大きな獣に抱かれているようだと思った。

「はぁっ……璃子……ッ!」

 稔は聞こえていないと思っているのだろうか。それとも和紗になら聞かれても構わないと思っているのだろうか。稔が抱きたいと思っている相手は和紗ではなく璃子なのだ。それが和紗の心に影を落としていく。
 素股では満足できなかったのか、稔は和紗の膣口を開き、自分のものをそこに収めていく。体を開かれていくような感覚に、和紗の口から熱を持った吐息が漏れた。

「リコ……っ、璃子、ッ!」

 後ろから抱きしめられた状態で、何度も腰を打ち付けられる。本当は璃子とこういうことがしたいのだろう。けれどそれは許されないから、契約を結んでいる和紗で発散している。それならいっそ、このまま壊されてしまいたかった。快楽の中で、何もわからなくなってしまいたかった。自分のことを抱きしめる腕も、乱れた呼吸も、和紗を埋める熱い楔も、本当は何一つ和紗のものではないのだ。
 それなのに、幸せだと思ってしまった。
 夢だとわかって見る夢のようなものだ。和紗を求めて温室に来る女子生徒たちと似たようなものかもしれない。それが偽物であっても、一瞬でいいから満たされたい。
 和紗はそっと目を開ける。けれど行為に夢中になっている稔はそれに気付いてはいないようだった。窓から差し込んでくるのは月明かり。カーテンの隙間からは少し欠けた月が見えた。
 満月よりも遅れて、躊躇って出てくるように見えるから十六夜いざよいの月。そのことを教えてくれたのは璃子だった。同じ話を稔も聞いていただろう。そして満月を過ぎた月ということは、ここから徐々に欠けていく運命にあるのだ。和紗は唇を噛みながら再び目を閉じた。

「璃子、も、……いっ、」

 深く腰を打ち付けられて、中に熱いものが注ぎ込まれる。子供の頃にきちんと接種を受けていれば妊娠の可能性はほぼないと言われていた。けれどいっそ取り返しのつかないことになってしまえばいいとも思った。
 けれど頭をよぎった悪い考えを、和紗はすぐに否定する。そんなことが起きたら、自分だけではなく稔も破滅するだろう。そんな思いをさせたいわけではない。幸せでいてくれたらそれでいい。
 たとえ璃子への欲望のはけ口にされているのだとしても、それで稔が気持ちいいと感じているならそれでいい。和紗は自分自身にそう言い聞かせた。

***

 自室に戻った稔は、開いたままになっていたクロッキー帳を見て溜息を吐いた。今年の展覧会に出品する絵の構想を立てていた。けれど頭の中に璃子の姿を描く度に、璃子との行為を想像してしまう。始末が悪いことに、それによって自分のものも反応してしまった。
 璃子のことを考えて自分を慰めても満たされず、寝ている和紗を利用した。和紗は起きていても応じてくれただろう。それでも寝込みを襲った形になったのは事実だ。
 かつての芸術家たちには、こういった欲望を作品に昇華していた者もいるらしい。それは稔には途方もないことのように思えた。この衝動は制御するのも難しいし、どうしても反応してしまう体をどうすればいいのかわからない。
 いっそ璃子の絵にしなければいいのだろうか、と稔が思っていると、布団の上に置きっぱなしになっていた携帯端末が振動した。拓海からのメッセージだ。それは最近様子がおかしい稔を心配するものであった。

 拓海にはこのことを相談していた。彼が案外口が堅いということを知っているからだ。相談しても解決するようなことではなかったが、一人で抱え続けるのにも限界があった。病院には通っている。けれど原因も治療法もわからないとなると、それをどうにかしてやり過ごす方法を考えるしかないのだ。
 けれど、拓海から送られてきた長いメッセージは、これまでの役に立ちそうにはないけれど、頭をひねって考えてくれたであろうアドバイスとは違うことが書かれていた。
 メッセージと一緒に送られてきたリンクを開いてみると、英語の羅列が目に飛び込んできた。画面をタップするとすぐに、その下に日本語訳が表示される。それはある国で発生している未知の病気についての記事だった。

「これは……」

 症状が、自分たちのものと酷似していた。何らかの形でその病気が日本に上陸し、それがたまたま和紗に感染したということなのだろうか。それによって一つの村が混乱に陥っているという内容に寒気を覚えながら、拓海のメッセージに目を通す。
 拓海のメッセージを簡単に纏めると、この病気のことは日本ではほとんど報道されておらず、拓海が医者である自分の父親に詳細を伏せたまま話をしたところ、これを教えられたということだった。そういえば拓海の父親は和紗が通っていた病院に勤務していた。これはかなり有益な情報なのではないだろうか。治療法が見つかったわけではない。けれど今までの何もわからない状態よりは前進したと稔は感じた。
 稔は拓海にお礼のメッセージを送った。拓海からはいつもの変なスタンプが返ってくる。しかしそれに続けて、拓海がもう一つメッセージを送ってきた。

『最近、オヤジも様子がおかしいんだよな。今までは仕事終わったらすぐ帰ってきたのに、ここ数週間くらい長いこと病院にいるみたいでさ。この記事くれたときも何かに怯えてるみたいだった』

 何と返せばいいかわからない。けれど拓海も稔が解決法を知っているとは思っていないだろう。悩んだ末に「心配ない、きっと仕事が忙しいだけだよ」と返すと、『医者とか警察は仕事が暇な方がいいことじゃないか?』と打ち返され、言われてみれば確かにそうだと稔は小さく笑った。

 拓海がくれた情報は、もっと深く調べるべきかもしれない。今のところ手がかりらしい手がかりはそれしかないのだ。拓海にもそれを告げると、『俺も色々調べてみるよ』という頼もしい言葉をくれた。
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