上 下
2 / 12
首絞め人形と僕

2

しおりを挟む


 箱がガタガタと震える音で私は目を覚ました。鬼の人形は箱からは出られない。でも箱から出ようともがいているように見えた。私はまず箱の外からそれを眺める。靄の色は黒。そもそも長年祭に使われた人形であるし、これまで起きた事件のこともあって、当然島の人たちの恐れの感情が集まっているだろう。けれど混ざり合って黒になった靄も、ひとつひとつ紐解いて見なければ真実はわからない。私は一気に木の箱を開けた。すると、中から転がり落ちるように鬼の人形が出てくる。
 人形は踊るように動く。髪の毛を模した黒い絹糸が揺れる度に伸びて、私の首に巻き付いた。

「ぐ……っ!」

 絹で首を絞められて死んだのは、楊貴妃だったっけ。そんな呑気なことを考えられたのは一瞬だった。苦しくて思わず閉じた目を必死で開く。目を開けていなければ何も見えない。人形がまとう黒い靄を集中して見つめる。黒の中に混ざる色。恐れや不安ではない何か。

(赤……!)

 乾いた血のような黒っぽい赤。私は笑みを浮かべた。これは恐れや不安などではない。もっとおぞましい感情だ。その色にさらに意識を集中させる。靄は徐々に蛇の形になっていった。

 このあたりが限界か。私は取材道具の入ったカバンに手を伸ばし、中に入っていた筆箱からハサミを取り出した。怪異だろうがなんだろうが、絹糸でできているものはハサミで切れる。私はその黒い糸にハサミを入れた。

「っ……はぁ……助かった」

 この話を景にしたら、また心配をかけそうだ。けれどおかげでこれが私向きの事件であることはわかった。人形は急に糸を切られたことでバランスを崩して倒れる。なおも動こうとするそれに、私は木箱を倒して押さえつけた。乱暴だが仕方がない。

「赤黒い、蛇か……」

 私は振り向き、倉庫の扉を見つめた。わずかにあいた隙間から、人形がまとっていたものと同じ赤黒い蛇の形をした靄が見える。私は倉庫の扉を勢いよく開け放った。


「――依頼者が犯人って、推理小説だと手垢がつくほど使われていると思うんですよね」


 これは推理小説ではないけれど。
 赤黒い蛇の靄を纏ったその人――上原悠一が、露出した自らの性器を扱きながら私と人形を見つめていた。



 生者の思いが怪異を太らせることもあれば、生者の思いが怪異そのものとなってしまう例もある。今回は後者だった。元々この鬼の人形はただの人形だった。けれど上原の思いにより動き出し、そこに島の人たちの恐れや不安の感情が集まって、成長してしまったのだ。

「海老名さんが、鬼の人形を操りながら島の人を殺そうとしているのを見て……僕は言いようのない興奮を覚えました。それまで、僕は何を見ても性的に興奮するということはありませんでした。自分はそういう人間なんだろうと思っていたんですが、違っていたんです。あれ以来、僕は毎日そのことを思い出しながら自分を慰めました。そして――もう一度同じことが起きたらいいのにと思っていたんです」

 その思いが人形を動かした。そして不幸なことに、動いた人形を見て死んでしまった人がいた。心臓が弱かったという宮本珠里は、ひとりでに動いた人形を見て、そのショックで発作を起こしてしまったのだ。目撃したのが他の人間であれば、おそらくそこで死者が出ることはなかっただろう。

「死んでしまった宮本さんを見てから、自分の欲望が膨れ上がるのを止められませんでした。この鬼の人形が人を殺すところばかりを夢に見るようになったんです。毎晩、毎晩――あなたにわかりますか、この苦痛が? 欲望には底がないんです。夢では足りなくなってしまう」
「……わかりますよ。だから、依頼をしたんでしょう?」

 上原は、自分の欲望が人形を動かしていたことには気付いていなかった。けれど人形がこのまま自分の願望を叶えてしまうことが恐ろしくもあった。だから解決する手段を探して私に行き着いたのだろう。

「海老名さんが取り憑いているんだと思っていたんだけどなぁ……違ったんですね」
「その海老名さんの感情は残念ながら感じ取れませんでした。死者の感情は私には見えないので」

 上原が自分が怪異を生み出したと自覚すれば、この騒動は終わるだろう。これまでの経験上、生者が自分の感情で生み出したものは、それを自覚した途端に力を失ってしまう。意図的に動かせるような人はごく少数だ。けれどこれで解決したと放り出すわけにもいかない。

「私は人間の精神の専門家ではないので、はっきりしたことは言えませんが、一度受診することをおすすめします」
「怪異だと思ったのに、オチが病院ですか。全く……現実的すぎますね」

 上原は笑う。再び赤黒い蛇が鎌首をもたげたので、私は身構えた。

「それで僕の苦痛は消えるかもしれない。でも、僕の、僕だけの悦びも消えてしまうんですよ。ああ……先程のあなたの姿は素晴らしかった。人形の髪で首を絞められて苦しみ藻掻く姿。あのまま死んでくれたらどれだけよかったか! いや、あなた一人では足りませんね。この島の全員が苦しんで死んでいけばいいんです! 想像するだけでほら、もうこんなに……! 僕は嬉しいんですよ! この悦びがなくなって、普通の人のように愛する人とのセックスだけに興奮するようになるなんて、それは僕が僕でなくなるのと同じことですよ!」

 欲望には底はない。上原の言うことも少しだけ理解はできる。普通から外れてしまった苦痛は、彼だけの歓びでもあるのだ。けれどこのまま放置すれば、彼の思いが更に被害を広げてしまうだろう。

「あまりこういうことはやりたくないんだけど」

 上原が再び己のものを両手で扱き始める。同時に鬼の人形が箱を押しのけて動き始めた。私は溜息をついた。

「この島の神は、『まれびと』に分類されるものですね。島の外から飛来したと信じられているから鳥の姿をしているのでしょう」

 島を荒らす鬼を鎮める、島の外からやってきた存在。今の私はそれに当てはまる。私は鬼の人形の隣にあったもう一つの木箱をあける。中にあるのは鳥の姿をした神の人形。


「この島に降り立った神は、夜明けとともに鬼を封じた。――そろそろ、祭は終わりです」


 人の心が作り出す怪異は、定められた手順を踏めば消えることがある。コックリさんにはお帰りいただき、口裂け女にはポマードと言う。祭は鳥の神の降臨で幕を閉じると決まっているなら、それを再現するのは一定の効果があるだろう。
 巨大な人形を二人羽織のような形で動かす。舞う私の姿を、上原が手を止めて呆然と見つめていた。



「……だから何でいつも無茶するんですか、緑川さん」

 東京に戻ってきた私は、助手の景に怒られていた。事の顛末を報告したらこうなることは予想ができていた。おそらく今の景は水色の傘の形をした靄をまとっているだろう。でも薬を飲んでいるから、かなり意識しなければそれは見えない。

「ちゃんと祭の映像見て、振り付けを全部覚えて行ったことを褒めてほしいんだけどなぁ」
「それでどうにもならなかったらどうするつもりだったんですか」
「そうなったら、最後は暴力だよね」
「だから言ってるじゃないですか、一人で行くんじゃなくて二人で行こうって」

 景の気持ちはわかっている。彼は私を心から心配してくれているのだ。だが、これとそれとは別の問題である。

「だからさぁ、景がいると景のせいで見えなくなるって言ってるじゃん」

 その傘に視界を遮られてしまうと、私は何も見ることが出来なくなる。怪異を生み出したり、太らせたりする人の思いが見えなくなってしまうと私ができることはなくなってしまう。だから私は景を連れてはいけないのだ。

「どうにか……心を無にするようにしますから! 最近寺に行って座禅したりしてるんですよ」
「いや、無理だと思うよ……」

 今はまだ、私を心配しているだけのその傘。でも強すぎる思いは怪異を生み出すことがある。座禅に少しでも効果があるといいなと思いながら、パソコンを開いた。東京に帰ってきたからには、ちゃんと記事にしなければならない。少しばかりの嘘を混ぜて、私は記事を組み立てる。


 島の怪異は、一度祭が途中で終わったから発生したものだった。神の人形が動き出し、伝説の再現が行われることにより島の怪異は封じられた。そんな筋書きの話だ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

死界、白黒の心霊写真にて

天倉永久
ホラー
暑い夏の日。一条夏美は気味の悪い商店街にいた。フラフラと立ち寄った古本屋で奇妙な本に挟まれた白黒の心霊写真を見つける…… 夏美は心霊写真に写る黒髪の少女に恋心を抱いたのかもしれない……

【連作ホラー】伍横町幻想 —Until the day we meet again—

至堂文斗
ホラー
――その幻想から、逃れられるか。 降霊術。それは死者を呼び出す禁忌の術式。 歴史を遡れば幾つも逸話はあれど、現実に死者を呼ぶことが出来たかは定かでない。 だがあるとき、長い実験の果てに、一人の男がその術式を生み出した。 降霊術は決して公に出ることはなかったものの、書物として世に残り続けた。 伍横町。そこは古くから気の流れが集まる場所と言われている小さな町。 そして、全ての始まりの町。 男が生み出した術式は、この町で幾つもの悲劇をもたらしていく。 運命を狂わされた者たちは、生と死の狭間で幾つもの涙を零す。 これは、四つの悲劇。 【魂】を巡る物語の始まりを飾る、四つの幻想曲――。 【霧夏邸幻想 ―Primal prayer-】 「――霧夏邸って知ってる?」 事故により最愛の娘を喪い、 降霊術に狂った男が住んでいた邸宅。 霊に会ってみたいと、邸内に忍び込んだ少年少女たちを待ち受けるものとは。 【三神院幻想 ―Dawn comes to the girl―】 「どうか、目を覚ましてはくれないだろうか」 眠りについたままの少女のために、 少年はただ祈り続ける。 その呼び声に呼応するかのように、 少女は記憶の世界に覚醒する。 【流刻園幻想 ―Omnia fert aetas―】 「……だから、違っていたんだ。沢山のことが」 七不思議の噂で有名な流刻園。夕暮れ時、教室には二人の少年少女がいた。 少年は、一通の便箋で呼び出され、少女と別れて屋上へと向かう。それが、悲劇の始まりであるとも知らずに。 【伍横町幻想 ―Until the day we meet again―】 「……ようやく、時が来た」 伍横町で降霊術の実験を繰り返してきた仮面の男。 最愛の女性のため、彼は最後の計画を始動する。 その計画を食い止めるべく、悲劇に巻き込まれた少年少女たちは苛酷な戦いに挑む。 伍横町の命運は、子どもたちの手に委ねられた。

トランプデスゲーム

ホシヨノ クジラ
ホラー
暗闇の中、舞台は幕を開けた 恐怖のデスゲームが始まった 死にたい少女エルラ 元気な少女フジノ 強気な少女ツユキ しっかり者の少女ラン 4人は戦う、それぞれの目標を胸に 約束を果たすために デスゲームから明らかになる事実とは!?

理由なき殺意

ビッグバン
ホラー
ある日、親友達が謎の失踪を遂げた。唯一帰って来た主人公の弟も記憶や感情を全て失って帰って来た。唯一覚えている事は海岸沿いにあるという古びた神社の事だけ、主人公 田奥は親友達を探すため、その神社があるという場所まで行くが。

茨城の首切場(くびきりば)

転生新語
ホラー
 へー、ご当地の怪談を取材してるの? なら、この家の近くで、そういう話があったよ。  ファミレスとかの飲食店が、必ず潰れる場所があってね。そこは首切場(くびきりば)があったんだ……  カクヨム、小説家になろうに投稿しています。  カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330662331165883  小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n5202ij/

(ほぼ)5分で読める怖い話

アタリメ部長
ホラー
ほぼ5分で読める怖い話。 フィクションから実話まで。

意味がわかるとえろい話

山本みんみ
ホラー
意味が分かれば下ネタに感じるかもしれない話です(意味深)

「   」

茶々あやめ
ホラー
初心者。投稿がよく分からない、大丈夫でしょうか。

処理中です...