【R18】裏庭には緋が実る

深山瀬怜

文字の大きさ
上 下
29 / 33

12・赤津島_1

しおりを挟む
 橙が駆け込んできたのは、恭一が退院してから一週間が過ぎた深夜のことだった。眠っていた恭一は、ぼんやりとした頭で橙の言葉を聞く。
「天花ちゃんの居場所がわかった」
 その言葉で頭が覚醒する。橙は恭一のために、急いでそれを知らせに来てくれたのだ。
「無事なのか?」
「ああ。話では民宿に泊まり込みで働いているらしい」
「どこの民宿だ?」
 目にも止まらぬような速さで着替えて家を出ようとする恭一を、橙が慌てて制する。
「今から行っても、明日にならないと赤(あか)津(つ)島(しま)には渡れないから」
「赤津島? どこにあるんだそれ」
「日本海側だな。特に観光資源とかがあるわけでもないマイナーな島だ」
 どうやってそこまで辿り着いたのかもわからないくらい遠い場所だ。天花はお金もそれほど持たずに出ていったはずなのに、どうやってそこまで行けたのだろう。それでもとりあえず無事であるということに恭一は安堵した。
「今日のうちに行けるところまで行って、明日、朝イチで島に向かう」
「本当にそれでいいのか?」
 何故そんなことを聞くのだろうか。動きを止めた恭一に橙が言う。
「自分を殺そうとした相手なのは間違いないし、今あの子は銃を持ってるんだぞ」
「わかってる。でもここで躊躇っていたら後悔することになると思う」
「そうか。くれぐれも自分のことは大切にしてくれよ」
 不安げな目で恭一を見る橙に、恭一は少し呆れたように笑った。



 島へ渡る高速船を降りると、早速潮風に煽られた。赤津島は船が発着する港以外は切り立った崖になっている。島の主な産業は漁業らしいが、それ以外は特に有名な観光資源があるわけでもない、一周四キロメートルほどの小さな島。小さな島だから天花を見つけるのはそれほど難しいことではないだろう。問題はおそらくそのあとだ。
「民宿って言ってたよな」
 橙の情報――十中八九、湧谷を経由してもたらされたものだろう――をもとにすれば探す場所はもっと絞られる。ひとまず島の中心街へ向かおうと歩き出した恭一は、不意に誰かに呼ばれて足を止めた。
 恭一が振り返ると、そこには切れ長の目の少年が立っていた。天花と同じくらいか少し下くらいだろうか。どことなく不思議な雰囲気を漂わせている。島育ちという言葉で一般的に想像される逞しさはあまり感じられず、かといって都会が似合うとも思えない。少年は半ば恭一を睨みつけるようにして尋ねた。
「もしかして、天花の知り合い?」
 まさか手がかりが向こうの方からやってくるとは。恭一は素直に頷いた。
「少し雰囲気が似てたからそうじゃないかと思った」
「天花は今、どこに?」
「今日は仕事がほとんどないからまた北の崖の方散歩してると思う。――でも、天花には会わせない」
 少年の目には紛れもなく恭一への敵意が宿っていた。子供特有の、純粋で剥き出しの敵意。恭一は冷静な態度を崩さずに少年に尋ねた。
「どうしてだ?」
「天花はここで過去を捨ててやり直すんだ。お前みたいな奴は邪魔なだけだ」
「天花がそう言ったのか?」
 少年は首を横に振る。天花に会わせないというのは少年の独断のようだ。けれどそんなことを勝手に決めてしまうほど、少年が天花を特別に思っているのは十分に伝わってきた。暫くの間、どこからか響く船のエンジン音と、波の音だけが二人の沈黙を埋める。
「……僕はこの島に来るまでに天花に何があったかは何も知らない。でも夜眠れないほどに天花を苦しめているものがあったことだけはわかる。だから、そのことを思い出させるものに触れさせたくない」
 恭一と一緒に逃げている間は、夜はそれなりに眠れていたはずだ。少年の言うことが本当なら、天花は姿を眩ませてからあまり眠れていないことになる。恭一は唇を噛んだ。少年の言葉は少々独りよがりのきらいはあるが、天花を思ってのものであることは間違いがない。
「それでも、会って話がしたい」
「どうせ連れ戻しに来たんだろ?」
「天花がずっとここにいたいと思うならそれでいい。でも、その前に天花に伝えなければならないことがあるんだ」
「今更遅いんだよ。これまでずっと、天花を助けられなかったくせに」
 恭一に投げつけられる言葉には、確かな怒りが込められていた。少年の言うことに間違いはなかった。恭一はこれまで天花と同じ家で暮らしていながら、天花が抱えてきたものに気が付くことはできなかった。しかし今更遅いとは言えない。それに――恭一は、少年にも、今ここにはいない天花にも伝えるつもりで言葉を続ける。
「そもそも、助けようなんて思ってない」
「え?」
「助けるって言葉は、時々すごく傲慢だよ。その人よりも自分が安全な場所にいるから言えることでもある。でもその場所からじゃ届かない暗闇がある」
 この手を届かせることが出来るのなら、そこが底のない深淵だったとしても行こう。自分が傷つく覚悟をしなければ、今の天花に何かを伝えるなんて不可能だ。周囲の優しさを拒んで、自分自身を縛り付けている彼女に向き合うためには、助けるなんて生半可な言葉を使っている場合ではない。
「……天花は、北の崖の近くに生えてる木のことを何故かやたら気にしてる。昔、この島に来た旅行者か誰かが埋めていった種から勝手に生えてきたやつらしいんだけど」
「その種に毒はあるのか?」
 これは運命的な巡り合わせなのか、それとも必然なのか。ひとつの確信を持って、恭一は少年に尋ねた。
「毒はある。子供なら五粒も食べれば死ぬ。大人でもその三倍くらい食べれば死ぬだろうな」
 全てはそこから始まって、導かれるように、その周りをぐるぐると回っている。逃れられない運命なのかもしれない。あるいは、呪いのようなものだったのかもしれない。けれどもうそろそろ、終わりにしてもいいのではないか。恭一はそう思いながら、島の北側に目をやる少年を見た。
「もし天花に何かあったら、僕は一生お前を許さないからな」
「それは、会いに行ってもいいって意味か?」
「天花は別に、誰か来たら追い返せって言ってるわけではないから」
 素直ではない答えだが、肯定ということだろう。少年は恭一に背を向けた。さっさと行けとその背中が言っている。恭一はふっと笑みを零してから、少年が言っていた島の北側の崖を目指して走り出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約者には好きな人〜ネガティブ思考令嬢は婚約破棄を告げスルーされる〜

ドール
恋愛
   ザシアール侯爵家の長女レミリアは、入学式の日、婚約者と待ち合わせの場所で、自分ではない女の子と手を取り、微笑み合う姿を見てしまう。    両親からも愛されず、愛を知らずに育ったレミリアは、やはり自分に居場所はないのだと、愛される事はない関係を終わらせようと婚約解消を告げた。  けれど彼に聞かなかった事にされたあげく、彼が想い人を優先する姿に傷つくが、大好きだった彼の幸せを考える日々を送りながら自分の気持ちと葛藤していく、実はすれ違いストーリー。  最後はハッピーエンドです。 *誤字脱字、設定などの不可解な点はご容赦ください。 だだの自己満作品です。 R18の場合*をつけます! 他作品完結済みも、宜しければ! 1作目<好きな人は兄のライバル〜魔導師団団長編〜>【完結】後日談は継続中 2作目<好きな人は姉への求婚者!?〜魔導騎士編〜>【完結】 あとは獣人ストーリーもあります 3作目 獣人の番!?匂いだけで求められたくない!〜薬師(調香師)の逃亡〜【本編完結】後日談継続中 4作目 獣人の番!?勝手に結んだ婚約なんて破棄してやる!〜騎士団長の求愛と番の攻防〜【完結】    

婚約破棄までの168時間 悪役令嬢は断罪を回避したいだけなのに、無関心王子が突然溺愛してきて困惑しています

みゅー
恋愛
アレクサンドラ・デュカス公爵令嬢は舞踏会で、ある男爵令嬢から突然『悪役令嬢』として断罪されてしまう。 そして身に覚えのない罪を着せられ、婚約者である王太子殿下には婚約の破棄を言い渡された。 それでもアレクサンドラは、いつか無実を証明できる日が来ると信じて屈辱に耐えていた。 だが、無情にもそれを証明するまもなく男爵令嬢の手にかかり最悪の最期を迎えることになった。 ところが目覚めると自室のベッドの上におり、断罪されたはずの舞踏会から1週間前に戻っていた。 アレクサンドラにとって断罪される日まではたったの一週間しか残されていない。   こうして、その一週間でアレクサンドラは自身の身の潔白を証明するため奮闘することになるのだが……。 甘めな話になるのは20話以降です。

「奇遇ですね。私の婚約者と同じ名前だ」

ねむたん
恋愛
侯爵家の令嬢リリエット・クラウゼヴィッツは、伯爵家の嫡男クラウディオ・ヴェステンベルクと婚約する。しかし、クラウディオは婚約に反発し、彼女に冷淡な態度を取り続ける。 学園に入学しても、彼は周囲とはそつなく交流しながら、リリエットにだけは冷たいままだった。そんな折、クラウディオの妹セシルの誘いで茶会に参加し、そこで新たな交流を楽しむ。そして、ある子爵子息が立ち上げた商会の服をまとい、いつもとは違う姿で社交界に出席することになる。 その夜会でクラウディオは彼女を別人と勘違いし、初めて優しく接する。

離婚しましょう、私達

光子
恋愛
「離婚しましょう、私達」 私と旦那様の関係は、歪だ。 旦那様は、私を愛していない。だってこの結婚は、私が無理矢理、お金の力を使って手に入れたもの。 だから私は、私から旦那様を解放しようと思った。 「貴女もしつこいですね、離婚はしないと言っているでしょう」 きっと、喜んで頷いてくれると思っていたのに、当の旦那様からは、まさかの拒否。 「私は、もう旦那様が好きじゃないんです」 「では、もう一度好きになって下さい」 私のことなんて好きじゃないはずなのに、どうして、離婚を拒むの? それどころか、どうして執着してくるの? どうして、私を離してくれないの? 「諦めて、俺の妻でいて下さい」 どんな手を使っても手に入れたいと思った旦那様。でも違う、それは違うの、そう思ったのは、私じゃないの。 貴方のことが好きだったのは、私じゃない。 私はただ、貴方の妻に転生してしまっただけなんです! ―――小説の中に転生、最推しヒロインと旦那様の恋を応援するために、喜んで身を引きます! っと思っていたのに、どうしてこんなことになってしまったのか…… 不定期更新。 この作品は私の考えた世界の話です。魔法ありの世界です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。 R15です。性的な表現があるので、苦手な方は注意して下さい。

裏切られた令嬢は死を選んだ。そして……

希猫 ゆうみ
恋愛
スチュアート伯爵家の令嬢レーラは裏切られた。 幼馴染に婚約者を奪われたのだ。 レーラの17才の誕生日に、二人はキスをして、そして言った。 「一度きりの人生だから、本当に愛せる人と結婚するよ」 「ごめんねレーラ。ロバートを愛してるの」 誕生日に婚約破棄されたレーラは絶望し、生きる事を諦めてしまう。 けれど死にきれず、再び目覚めた時、新しい人生が幕を開けた。 レーラに許しを請い、縋る裏切り者たち。 心を鎖し生きて行かざるを得ないレーラの前に、一人の求婚者が現れる。 強く気高く冷酷に。 裏切り者たちが落ちぶれていく様を眺めながら、レーラは愛と幸せを手に入れていく。 ☆完結しました。ありがとうございました!☆ (ホットランキング8位ありがとうございます!(9/10、19:30現在)) (ホットランキング1位~9位~2位ありがとうございます!(9/6~9)) (ホットランキング1位!?ありがとうございます!!(9/5、13:20現在)) (ホットランキング9位ありがとうございます!(9/4、18:30現在))

【R-18・連載版】部長と私の秘め事

臣桜
恋愛
彼氏にフラれた上村朱里(うえむらあかり)は、酔い潰れていた所を上司の速見尊(はやみみこと)に拾われ、家まで送られる。タクシーの中で元彼との気が進まないセックスの話などをしていると、部長が自分としてみるか?と尋ねワンナイトラブの関係になってしまう。 かと思えば出社後も部長は求めてきて、二人はただの上司と部下から本当の恋人になっていく。 だが二人の前には障害が立ちはだかり……。 ※ 過去に投稿した短編の、連載版です

老竜は死なず、ただ去る……こともなく人間の子を育てる

八神 凪
ファンタジー
世界には多種多様な種族が存在する。 人間、獣人、エルフにドワーフなどだ。 その中でも最強とされるドラゴンも輪の中に居る。 最強でも最弱でも、共通して言えることは歳を取れば老いるという点である。 この物語は老いたドラゴンが集落から追い出されるところから始まる。 そして辿り着いた先で、爺さんドラゴンは人間の赤子を拾うのだった。 それはとんでもないことの幕開けでも、あった――

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

処理中です...