ある平凡な姉の日常

本谷紺

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春、二の月

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 宿へ戻り、全員の本日の調査結果――収穫と呼べるものはなかったけれど予想通りだ――を簡単にまとめ、昼と同じように夕飯のテーブルを囲み。早々に解散となった。
 明日は朝食を食べたらすぐに出発することになる。夜更かしせずにさっさと寝るように。とはティニリッジ先生の言葉。

 小さな宿だけれどシャワーがあるのはありがたい。
 暖かいお湯を浴びて体の汚れを落とし、さっぱりとした気分で浴室を出た。ひとつしかない浴室の利用順を最後にしてもらったので時間は少し遅くなったけれど、後ろのつかえを気にせず体を洗うことができたので満足だ。
 浴室は宿とは別の小屋だったので、出入りには一階の食堂を通ることになる。私が外に出た時には五人の学生が何やらお喋りに興じていたけれど、戻った時には一人だけになっていた。ランプの灯りの中でターバラがこちらへ視線を向ける。
「ターバラさん、まだ休まれないのですか?」
「うん、キリのいいところまで読みたくて」
 彼の手元には一冊の本。
「馬車の中で読む用に借りたけど、来る時は喋ってばっかりでほとんど読めなかったんだよ。
 あ、バーウィッチさんもお茶どう? 宿のご主人がポットにたくさん作ってくれて」
 勧められると、途端に喉の渇きを感じた。では、と彼と同じテーブルに着く。空いたグラスに手を伸ばそうとしたけれど、それより早くターバラさんがグラスを手に取りお茶を注いでくれた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
「あと、よかったら名前で呼んでよ、アキって。姓で呼ばれるよりそっちの方が好きなんだ」
 さりげない口調、その奥に強固な意志が覗いている気がした。私の記憶が確かなら、ターバラ家は地方貴族だったはずだ。家名が好きではないのだろうか。憶測が頭を掠めるけれど、安易に踏み入るべきではない。
「分かりました。アキさん、ですね。では私のこともリンジットとお呼びください」
「えっ!」
 当然の提案だろうに、ターバラさん――アキさんはなぜか面食らったように声を上げた。
「お嫌でしたら無理にとは言いませんけれど」
「いや、そんな、嫌ってわけではないけど。いいの? オレみたいなのが気安く名前を呼ぶなんて」
「淑女ならばはしたないことかもしれません」
 血縁や恋人でもない異性と親しくすることは、貴族令嬢にはふさわしくない振る舞いだろう。
「けれど、今の私はただの学生ですので」
「……ははっ」
 アキさんが小さく笑う。
「そうだな。うん。違いない。じゃあ改めてよろしく、リンジットさん。
 正直、バーウィッチさんって言いにくいとは思ってたんだよ。妹さんと紛らわしくなるし。
 あ、妹さんと言えば、明日来るんだよね」
 穏やかな気持ちでアキさんの言葉に頷いていた私は、一瞬固まってしまう。
 エリィとラスティが合流することは、当然ながら先生以外も全員が知っている。どうせ明日の夜になれば、過保護な年下二人に挟まれて気恥ずかしい思いをすることは分かっているのだけれど――今はまだ忘れていたかった。
「妹さんたちとも話したことないんだけど、仲良くなれるかな? それとも馴れ馴れしくしない方がいい?」
 全く悪気も含みもない様子のアキさんに私が言えることといえば、ああ見えて素直ないい子たちなので仲良くしてあげてくださいという、よくある姉のお願いくらいのものだった。
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