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弟 壱
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クソ寒い駐屯地にも夏がやって来た。
元々寒い地域だけど、俺達が進軍したのは冬だったから、夏の日差しのありがたい事一入だ。
本来ならこの地域の冬は雪と風で視界を奪われるから軍事行動とかありえないんだけど、そこはそれ紅緒様の魔導錬金術研究所が、良く見えるスコープと偵察機、それから着ていることを忘れそうなほど軽いのに、物凄く暖かい防寒具を開発してくれたお蔭で、こちらにはあまり被害を出さずに進軍出来ている。
特に活躍しているのは常盤様の部隊だけど、うちの部隊だって奇襲を退けたり、そう言うのを逆手に取ってゲリラ戦をやったりで、それなりには働いていた。
そんな中、俺は手柄を一つ立てることが出来て、紅緒様から直々に褒美をいただくことに。
何が欲しいか聞かれたけれど、別に休暇も欲しくないし、金も特に使わないからいらない。
軍に居れば衣食住は保証されているし、紅緒様の副官を四年と半程してるからか、一兵卒よりは少しばかり給金も高いし、軍服だって階級に応じたものを支給されている。
住まいにしても紅緒様の部屋に一番近い場所だし、飯も紅緒様がそもそも贅沢する人じゃなく、部隊の兵士たちと同じものを食堂から運んでもらって食べているから、俺もそれに倣っていてまったく不満はない。
唯一趣味の読書だって、紅緒様がご自分の蔵書を俺に貸してくださるし、専門書なんかは暇がある時は紅緒様自ら解説してくださることもある。
そうなると俺には明確に欲しいものがない訳で。
それを伝えると、紅緒様は困った顔をした。
「信賞必罰は軍の基だ。それを疎かにするわけにはいかない」
「それは解ってんすけど、特に欲しいモンもないんで」
「欲しくない物を与えるのは褒美にならないしな……。本当に何もないのかい?」
こてんと小鳥のように首を傾げると、サラサラと唐紅の長い御髪が揺れる。
それで一つ、欲しい物を思い出した。
「斑鳩みたいな魔導二輪車が欲しいっす」
「魔導二輪車を?」
「はい、できれば」
紅緒様の乗る魔導二輪車は、これまたプロトタイプだけに厳つくてデカい。シート部分は流石に貴人を乗せる物だからと、技術者たちがそれは根性入れて乗り心地の良い物にしたらしいが、それにしたって武骨で、だけど男って奴はそういう鋼の乗り物が好きに出来ているもんで、凄くかっこいい。
二人乗りが出来る代物だから、俺は紅緒様の御供でどこかに行くときは、後ろに跨らせてもらってる。だけど、俺も同じものを持っていたら、それに乗って一緒に遠乗りに行けるし、俺のシートの後ろに跨ってももらえる。
我ながら良い案だと思ったけれど、机に肘をついた紅緒様はやっぱり少し困っていた。
「軍用に何台かある小さい物ならそうでもないんだけれど、斑鳩のような二人乗りの物を作るのは少し難しいんだ。アレにはいくつか武器も搭載されているし」
「へ? そうなんですか」
「うん。おまけに作るのが難しいのだから整備も難しいと来ている、故障したら直せるのが、私か魔導錬金術研究所にいる少数だけだし」
そりゃ大変だ。
となると、斑鳩のような魔導二輪を貰うのは無理だろう。貰った所で整備が出来ないなんて良くない。
「じゃあ、違うのにします」と言った所で、紅緒様が上目遣いに俺を見た。
「そもそも何故魔導二輪なんだい?」
「え? ああ、その……」
緋色の目が俺をじっと見る。その視線がなんだかあどけなくて、俺はついつい魔導二輪を思いついた理由を白状してしまった。
紅緒様の緋色の視線が柔らかくなる。
「そんなことなら、斑鳩を使えばいいじゃないか。アレは私の私物に近いし、私と遠乗りにいくなら二人乗りしていけばいい。行きは私が運転して、帰りは出穂が運転するんだ」
「良いんすか? 俺の後ろに紅緒様、乗ってくれるんすか?」
「うん。でも私と遠乗りに行ったり、私を後ろに乗っけたいとか、出穂は変わったやつだなぁ」
「俺は通常運転です」
そう、これが俺の普通だ。
紅緒様と仕事して、紅緒様をお守りして、紅緒様と他愛無い話をして、人生の至るところに紅緒様がいる。
へらっと笑えば、紅緒様もへにょりと眉を下げた俺の好きな笑顔を見せてくれた。
この人のこの表情を見るたびに、俺は許されている事を──紅緒様の人生に俺が存在している事を確信する。
そんな訳で、俺への褒美は斑鳩の使用権の下賜となった。
で、俺は日和の良い日に、もしも空き時間が出来たら遠乗りするという約束まで、手に入れることが出来た訳で。
その貴重な空き時間を、日和が良い日にさっと準備できるよう、俺は毎日仕事に力をいれた。
それなのに、だ。
「今、暇だな?」
「イイエ、少シモ」
俺は何故か、書類を必要部署に届けた帰り、常緑樹の葉のような色の髪の偉丈夫に執務室への道を通せんぼされていた。
俺は紅緒様より頭一つくらい背が高くて、それは瑞穂の国の成人男性の平均からしても結構な体格の良さだが、その偉丈夫はその俺より卵一個分くらい背が高い。胸板は俺の方が厚いけど。
そう言えば顔つきが紅緒様のお兄上様の青洲様にほんのり似ている。そう言えば常盤様は最近うちの部隊と同じ駐屯地に来たんだっけ?
面倒くせぇ。
はっきりとそう思ったのが声に出たのか、男に問われて出た言葉は随分と棒読みだった。
男がむっとする。
「そんな訳あるか。もうすぐ昼食の時間だ。兄貴には俺の方からお前を借りる事は連絡しておいた。安心してツラを貸せ」
「それ事後承諾ってやつですよね? 他所の部隊の隊員を連絡なしに連れてくって、軍規に反しませんか?」
「非常時だから問題ない」
「俺には何も起こっていないので、問題大ありです」
紅緒様は服装とか話し方はゆるゆるだけど、軍規には物凄く厳しいお方だ。権力の私的濫用もひどく嫌う。それをこの緑の髪の方……恐らくは青洲様と紅緒様の実弟である常盤様が知らない筈ない。
案の定、常盤様はぎりっと唇を引き結んだ。が、自分の後ろに控えた年配の副官を一瞥すると、その男が蹲った。
「ぐ、持病のぎっくり腰が!?」
「おお、それは大変だ! そこのお前、兄貴の副官のお前! ちょっと手を貸せ!」
「は!?」
「早く!」
常盤様の戦場でもよく通る声で叫ばれると、周りの部屋から人が出て来て。
あっという間に「常盤様の副官がぎっくり腰を起こした」という非常事態を作られてしまう。「兄貴の副官」と名指しで助力を請われたとなれば、俺は断れない。断れば紅緒様の評判に関わる。退路を断たれたことを苦々しく思っていると、白々しく「すまんなぁ、兄貴にはお前を借りる事を伝えておこう。非常事態だから後付けになるが」と常盤様はニヤリと笑った。畜生。
致し方なく俺は常盤様と、彼の年配の副官を抱えて指示された部屋へ。
寝台に担いでいた男を下ろすと、同じくその男を担いでいた常盤様が、俺を睨むように仁王立ちになる。
「さて、俺の事は知ってるな?」
「お名前はかねがね」
「なら単刀直入にいうが、お前は兄貴のなんなんだ」
何言ってんだ、この人。
何を言われたのか一瞬意味が解らずに半眼になると、寝台から降りて常盤様の後ろで控えていた年配の副官が咳払いする。
「なんだと言われましても……副官ですが?」
「それは知ってる。そういう事じゃなくて、だな!」
「そういう事じゃないって、それ以外なんもないですが?」
「そんなわけないだろう!?」
俺の言葉に常盤様が眉を跳ね上げる。
そんな訳がないと言われても、実際それ以外の何もないので困惑していると、ごにょごにょと年配の副官が常盤様に何やら耳打ちをして。
ごふんと常盤様が咳払いする。
「あくまで副官なんだな!? それ以上の事はないんだな!?」
本当に何言ってんだ、この人。
元々寒い地域だけど、俺達が進軍したのは冬だったから、夏の日差しのありがたい事一入だ。
本来ならこの地域の冬は雪と風で視界を奪われるから軍事行動とかありえないんだけど、そこはそれ紅緒様の魔導錬金術研究所が、良く見えるスコープと偵察機、それから着ていることを忘れそうなほど軽いのに、物凄く暖かい防寒具を開発してくれたお蔭で、こちらにはあまり被害を出さずに進軍出来ている。
特に活躍しているのは常盤様の部隊だけど、うちの部隊だって奇襲を退けたり、そう言うのを逆手に取ってゲリラ戦をやったりで、それなりには働いていた。
そんな中、俺は手柄を一つ立てることが出来て、紅緒様から直々に褒美をいただくことに。
何が欲しいか聞かれたけれど、別に休暇も欲しくないし、金も特に使わないからいらない。
軍に居れば衣食住は保証されているし、紅緒様の副官を四年と半程してるからか、一兵卒よりは少しばかり給金も高いし、軍服だって階級に応じたものを支給されている。
住まいにしても紅緒様の部屋に一番近い場所だし、飯も紅緒様がそもそも贅沢する人じゃなく、部隊の兵士たちと同じものを食堂から運んでもらって食べているから、俺もそれに倣っていてまったく不満はない。
唯一趣味の読書だって、紅緒様がご自分の蔵書を俺に貸してくださるし、専門書なんかは暇がある時は紅緒様自ら解説してくださることもある。
そうなると俺には明確に欲しいものがない訳で。
それを伝えると、紅緒様は困った顔をした。
「信賞必罰は軍の基だ。それを疎かにするわけにはいかない」
「それは解ってんすけど、特に欲しいモンもないんで」
「欲しくない物を与えるのは褒美にならないしな……。本当に何もないのかい?」
こてんと小鳥のように首を傾げると、サラサラと唐紅の長い御髪が揺れる。
それで一つ、欲しい物を思い出した。
「斑鳩みたいな魔導二輪車が欲しいっす」
「魔導二輪車を?」
「はい、できれば」
紅緒様の乗る魔導二輪車は、これまたプロトタイプだけに厳つくてデカい。シート部分は流石に貴人を乗せる物だからと、技術者たちがそれは根性入れて乗り心地の良い物にしたらしいが、それにしたって武骨で、だけど男って奴はそういう鋼の乗り物が好きに出来ているもんで、凄くかっこいい。
二人乗りが出来る代物だから、俺は紅緒様の御供でどこかに行くときは、後ろに跨らせてもらってる。だけど、俺も同じものを持っていたら、それに乗って一緒に遠乗りに行けるし、俺のシートの後ろに跨ってももらえる。
我ながら良い案だと思ったけれど、机に肘をついた紅緒様はやっぱり少し困っていた。
「軍用に何台かある小さい物ならそうでもないんだけれど、斑鳩のような二人乗りの物を作るのは少し難しいんだ。アレにはいくつか武器も搭載されているし」
「へ? そうなんですか」
「うん。おまけに作るのが難しいのだから整備も難しいと来ている、故障したら直せるのが、私か魔導錬金術研究所にいる少数だけだし」
そりゃ大変だ。
となると、斑鳩のような魔導二輪を貰うのは無理だろう。貰った所で整備が出来ないなんて良くない。
「じゃあ、違うのにします」と言った所で、紅緒様が上目遣いに俺を見た。
「そもそも何故魔導二輪なんだい?」
「え? ああ、その……」
緋色の目が俺をじっと見る。その視線がなんだかあどけなくて、俺はついつい魔導二輪を思いついた理由を白状してしまった。
紅緒様の緋色の視線が柔らかくなる。
「そんなことなら、斑鳩を使えばいいじゃないか。アレは私の私物に近いし、私と遠乗りにいくなら二人乗りしていけばいい。行きは私が運転して、帰りは出穂が運転するんだ」
「良いんすか? 俺の後ろに紅緒様、乗ってくれるんすか?」
「うん。でも私と遠乗りに行ったり、私を後ろに乗っけたいとか、出穂は変わったやつだなぁ」
「俺は通常運転です」
そう、これが俺の普通だ。
紅緒様と仕事して、紅緒様をお守りして、紅緒様と他愛無い話をして、人生の至るところに紅緒様がいる。
へらっと笑えば、紅緒様もへにょりと眉を下げた俺の好きな笑顔を見せてくれた。
この人のこの表情を見るたびに、俺は許されている事を──紅緒様の人生に俺が存在している事を確信する。
そんな訳で、俺への褒美は斑鳩の使用権の下賜となった。
で、俺は日和の良い日に、もしも空き時間が出来たら遠乗りするという約束まで、手に入れることが出来た訳で。
その貴重な空き時間を、日和が良い日にさっと準備できるよう、俺は毎日仕事に力をいれた。
それなのに、だ。
「今、暇だな?」
「イイエ、少シモ」
俺は何故か、書類を必要部署に届けた帰り、常緑樹の葉のような色の髪の偉丈夫に執務室への道を通せんぼされていた。
俺は紅緒様より頭一つくらい背が高くて、それは瑞穂の国の成人男性の平均からしても結構な体格の良さだが、その偉丈夫はその俺より卵一個分くらい背が高い。胸板は俺の方が厚いけど。
そう言えば顔つきが紅緒様のお兄上様の青洲様にほんのり似ている。そう言えば常盤様は最近うちの部隊と同じ駐屯地に来たんだっけ?
面倒くせぇ。
はっきりとそう思ったのが声に出たのか、男に問われて出た言葉は随分と棒読みだった。
男がむっとする。
「そんな訳あるか。もうすぐ昼食の時間だ。兄貴には俺の方からお前を借りる事は連絡しておいた。安心してツラを貸せ」
「それ事後承諾ってやつですよね? 他所の部隊の隊員を連絡なしに連れてくって、軍規に反しませんか?」
「非常時だから問題ない」
「俺には何も起こっていないので、問題大ありです」
紅緒様は服装とか話し方はゆるゆるだけど、軍規には物凄く厳しいお方だ。権力の私的濫用もひどく嫌う。それをこの緑の髪の方……恐らくは青洲様と紅緒様の実弟である常盤様が知らない筈ない。
案の定、常盤様はぎりっと唇を引き結んだ。が、自分の後ろに控えた年配の副官を一瞥すると、その男が蹲った。
「ぐ、持病のぎっくり腰が!?」
「おお、それは大変だ! そこのお前、兄貴の副官のお前! ちょっと手を貸せ!」
「は!?」
「早く!」
常盤様の戦場でもよく通る声で叫ばれると、周りの部屋から人が出て来て。
あっという間に「常盤様の副官がぎっくり腰を起こした」という非常事態を作られてしまう。「兄貴の副官」と名指しで助力を請われたとなれば、俺は断れない。断れば紅緒様の評判に関わる。退路を断たれたことを苦々しく思っていると、白々しく「すまんなぁ、兄貴にはお前を借りる事を伝えておこう。非常事態だから後付けになるが」と常盤様はニヤリと笑った。畜生。
致し方なく俺は常盤様と、彼の年配の副官を抱えて指示された部屋へ。
寝台に担いでいた男を下ろすと、同じくその男を担いでいた常盤様が、俺を睨むように仁王立ちになる。
「さて、俺の事は知ってるな?」
「お名前はかねがね」
「なら単刀直入にいうが、お前は兄貴のなんなんだ」
何言ってんだ、この人。
何を言われたのか一瞬意味が解らずに半眼になると、寝台から降りて常盤様の後ろで控えていた年配の副官が咳払いする。
「なんだと言われましても……副官ですが?」
「それは知ってる。そういう事じゃなくて、だな!」
「そういう事じゃないって、それ以外なんもないですが?」
「そんなわけないだろう!?」
俺の言葉に常盤様が眉を跳ね上げる。
そんな訳がないと言われても、実際それ以外の何もないので困惑していると、ごにょごにょと年配の副官が常盤様に何やら耳打ちをして。
ごふんと常盤様が咳払いする。
「あくまで副官なんだな!? それ以上の事はないんだな!?」
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