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我々の敵

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「エミリア?」と翠はつぶやいた。「どうしてここに?」
エミリアは静かに首を振る。「わかりません。でも、あの方に呼ばれたような気がしました」
「じゃあ、やっぱり?」と翠は尋ねる。
「ええ、間違いありません」エミリアが断定する。「あの方とは、翠さんが話されていた『あの方』のことです」
「でも、どうして? どうしてエミリアに呼びかけたの?」
「それは……」エミリアは困った顔をした。「すみません、わからないのです」
「じゃあ、あの山伏は?あの人たちはどうしてあんなことをしたの?」
「それは……」エミリアは困った顔をした。「わかりません」
「じゃあ、どうして?」と翠は質問を繰り返した。
「それは……」エミリアは困った顔をした。「すみません、本当に知らないんです」「どうして?」と翠はしつこく尋ねた。
「えっと、それは――」エミリアは言葉を詰まらせた。
そのとき、巨大なネズミが声を発した。「山吹翠、お前は我々を誤解している」
「どういう意味?」と翠は問い返す。「我々は、お前たち人間の敵ではない」とネズミは告げる。「我々の敵は人間だ」
「でも、あなたたちは、あたしたちを騙したんじゃないの?」と翠が反論すると、エミリアが慌てて口を挟んだ。「翠さん、違います。騙すつもりなら、わざわざ呼び出したりしません」
「そうかもしれないけど」と翠は不満そうに唇を尖らせる。「じゃあ、どうすればよかったっていうの?」
「翠さん」とエミリアが翠をたしなめる。「落ち着いてください」とエミリアは続ける。
「エミリアは知ってるの? あれの本当の目的」と翠がエミリアを見る。
エミリアは、一瞬躊躇してから答えた。「いえ、まだ確信が持てなくて」
――「エミリアさんよ、どうか翠さんを説得してください」大僧正が頼み込んだ。「お願いします。あの方を救えるのはあなただけなのです」
「それは無理です」とエミリアが答える。
「な、何故だ? 貴女は魔法使いだろう」と大僧正が抗議する。「ならば何故、あの方がお亡くなりになるのを阻止できなかったのですか」
エミリアが押し黙った。「それは――申し訳ありません」と彼女は謝ったが言葉が出てこなかった。翠はその様子を見て察したようだ。
「それは、エミリアが知っていたのは、あの人が生きていることだけで」と翠が代わりに説明し始めた。「詳しいことは知らなかったからよ」と彼女は言った。
「翠さんの言うとおりだと思います」とエミリアはうなずいた。「だから私が責任を取って、ここに来たわけで」と彼女は続けた。――エミリアの話を聞き終えたあと、大僧正は「なるほど」とうなずくと、「やはり翠の推測は正しいようだ」と感心した様子だった。
「私の考えが間違っていないと?」翠が確認した。
大僧正がうなずいてみせる。「ああ」
――エミリアは黙って大僧正と翠のやり取りを見守っている。
翠が、ふぅと小さく息を吐き出すと、「あのさ」と大僧正と栗鼠夫婦に声をかけた。
山伏夫婦が、何事かと翠を見た。「あたしに、あなたの願いをかなえる方法があるんだけど、やってみる気はないかな」翠が唐突に提案した。「何を言う」と大僧正は怒りを露わにした。
栗鼠も、そうだとばかりに声を上げた。「私に、その力があれば、そもそも翠に頼らなかったはずですよ」
だがエミリアが「お願いします」と懇願した。山吹夫婦が驚いて彼女を見る。「いいんです」とエミリアが微笑んだ。
「わかった」と翠がうなずき、二人の間に割って入った。山吹は驚いたように翠を見上げた。「本当なのですか?」と彼女が尋ねる。「試してみる?」と翠は尋ねた。山吹夫婦は黙って顔を見合わせたが「はい」と揃ってうなずいた。――そして数分後。山吹翠が大声で何かを言い出したのだが、残念なことによく聞こえなかった。「翠!」とエミリアが呼びかけても彼女は無視していた。やがて声は収まり、エミリアが翠の手を取る。翠は振り返ると笑顔で応じてくれた。「エミリア!」「良かった」と栗鼠が安堵した表情を見せる。翠は栗鼠に抱きついた。栗鼠もうろたえてはいたがしっかりと翠を抱き留めていた。
エミリアはそんな二人を見て、なぜか複雑な心境になった。「翠、もう行きましょう」と彼女をうながした。
だが、翠は動こうとしない。「ねえ、大僧正」と彼女に話しかけた。「なんだ?」大僧正が怪しみながら答える。「大僧正が、今度こそ、みんなを幸せにする方法を、ちゃんと考えるって約束してくれたら、あたしも考えてあげてもいいけど」
翠の言葉に、大僧正が苦笑する。「お前、何を言っておるかわかっとらんの」
「大僧正」栗鼠が彼を遮る。
「お姉さまのおっしゃっているのは」とエミリアが口を開いたとき、栗鼠の声が被せられた。
――翠と栗鼠は、手を取り合い笑い合っていた。
だが突如として地響きが襲ってきた。二人は手を放すと、それぞれ杖を構えた。エミリアは呪文を唱え始めるが間に合わないようであった。揺れはますます激しくなり立っていられないほどだった。地面が激しく波打つ。
そのとき「やめろー」という怒声とともに何者かが現れた。それは巨大な蛇のモンスターであるらしい。「お前は……」と翠が叫ぶ。
「あのときの……」と栗鼠もつぶやく。
巨大な蛇の怪物は、翠たちに襲いかかろうとするが、エミリアの魔法に阻まれた。
「これは、どういうことだ?」と翠が叫んだ。
「あの方は……」とエミリアが答えたとき、地響きがおさまった。
そして、そこには、巨大なネズミが立っていた。
***
「あの方が、なぜここに?」とエミリアが驚きのあまり目を大きく見開いた。
「あの方とは?」と翠が尋ねる。「ええ、それは……」とエミリアが言いかけたとき、巨大なネズミが声を発した。「山吹翠、私はお前の知っている者ではない」
「えっ?」と翠が聞き返す。「どういう意味?」
「私は、かつてこの世界を救ったことがある」とネズミが言う。「しかし、その代償は大きく、私は、二度と人前に出ることができなくなった」
「でも、それじゃあ……」と翠が言いかけると、ネズミが「心配はいらない」と答えた。「お前たちが私を必要としてくれる限り、私はお前たちの味方だ」
「えっ?」と翠は戸惑った。「どういう意味?」「私は、お前たちの敵ではない」とネズミが繰り返す。
そのとき、「待ってくれ」と、山伏が翠たちの会話に割り込んできた。
「俺の願いは叶えられたのか?」と彼は尋ねた。
「はい」とエミリアがうなずく。「あなたは、翠さんのおかげで、救われました」
「そうか」と山伏は満足げに答えた。「これで安心して逝ける」
「え?」と翠がつぶやいた。「ちょっと、あんた、まさか……」「では、そろそろ時間だ」とネズミが告げた。「待って」と翠が呼び止める。「あたしはまだ何も……」
「翠さん」とエミリアが翠を抱きしめた。「ありがとうございました」と彼女が囁く。
「どうして?」と翠がエミリアの肩越しに尋ねる。
「あなたが、私たちを助けてくれなければ、私たちはここに来ることはできませんでした」とエミリアが答える。
「だって、あたしは……」と翠が言いかけて止めた。
――山吹夫婦が互いに寄り添っていた。「翠」と大僧正が声をかける。
「翠」と栗鼠が翠を呼ぶ。「お姉さま」とエミリアが翠を呼んだ。
翠は、三人の顔を見つめた。
「わかった」と翠がうなずき、エミリアから離れた。「じゃあ、またね」と翠が別れを告げる。
「お元気で」とエミリアが告げる。
「達者でな」と山吹が告げる。
「お姉さま」と栗鼠が告げる。
「うん」と翠がうなずいた。「さよなら」
翠は、そう告げると歩き始めた。「さようなら」とエミリアが告げる。
――エミリアは、翠の背中を見送った。彼女の姿が見えなくなるまで、ずっとそうしていた。
「行ってしまいました」エミリアは誰に言うでもなく、そう呟いた。
「エミリア」と声をかけられて彼女は振り返る。山吹大僧正が近づいてきた。
「どうかしましたか?」とエミリアは尋ねた。「いいのかね」と大僧正が問いかける。
エミリアがうなずく。
――「さて、これからどうするかだな」と山吹が言った。「エミリアさん、何かアイデアはありませんか?」と栗鼠が尋ねる。
「そうですね」エミリアは、少し考えてから話し始めた。「とりあえずレーキ帝国には、もう戻りたくありません」と彼女は主張した。
「私も同感だ」と山吹が同意した。――「お師匠様」と栗鼠が声を上げる。
「なんだ?」「私も一緒に行ってもいいでしょうか」
「いいぞ」
「エミリアは?」と大袈裟な口調で尋ねてくる栗鼠に対し、エミリアは静かにうなずいた。――「お兄ちゃんも」と言いかけた栗鼠をエミリアが制止したのだが、「あのな」と栗鼠は諦めなかった。――そして結局は、三人ともついていくことになってしまった。――大僧正だけが、「まあ仕方あるまい」と言っただけだった。
「お父様!」
突然聞こえてきた叫び声は間違いなく娘であるはずの声であった。その声があまりにも緊迫していたため父は驚いて顔を上げたのだった。だがすぐに顔の険を消すと、落ち着いた様子で尋ねた。
「いったい何事か?」
すると声の調子を一段落とした声音がかえってくる。「申し訳ありません、少々急ぎでしたもので」そして声の主、娘が言葉を継ぐ。「ただ……」
父の目が細くなる。何やら言いにくいことのようだ。
「申せ、今はどんな情報も欲しい」そして急かすように言葉を足した。「それに、お前がわざわざここまで足を運んだということは、それほどまでに重大な事態が発生したということであろう?」
声は返ってこない。だが、しばらくして意を決したかのような響きの声が続いた。
「……わかりました。申し上げます。実は、陛下が行方不明に」
「なんだと!?」
「お心当たりは?」
「な、何を馬鹿な!私が王を置いて逃げ出すなど……」と慌てて立ち上がりかけ途中で思い直して座りなおした。そして咳払いをし「とにかく詳しい説明をするがよい」と言うと、目の前の娘、いや王女に対して座るよう身振りをして促した。王女は一瞬だけためらう仕草を見せ、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。だがそれでも表情に変化は見られない。いつもならもっと感情が表に出やすいはずなのに……。だがそんなことを考えている場合ではないと思い直し、「して、それは事実なのか?」と尋ねた。王女が肯定したのを確認して父がさらに尋ねる。「どこへ行くと言っていた?」
やはり声はない。しばらく待つと「…………へ」「なんだ?」よく聞こえずにもう一度聞き返した。
王女が今度ははっきりとした声で告げた。「日本へ」……その途端、父の顔に明らかな狼の色が走ったのを見て王女の表情にかすかな緊張の色が浮かんだのは、それが初めてのことだったかもしれない。「日本だと?」
だが父はそれ以上追及する気はなさそうに、別の質問を投げかけることにしたようであった。
だが王女はすぐに答えることができなかった。
「なぜそんなことを?」という疑問をぶつけられたら答えることができたのだろうか?……王女は黙り込んだまま下を向いてしまっていた。その様子を見て父が尋ねる。「本当に知らないのか?」
「は、はいっ」やっと反応らしい反応を示したもののその返答は明らかに嘘であった。
王は知っていたのだ。自分が何をしようとしていたかを。だからこそそれを邪魔しようと動き出したのではないか……。だがそのことをここで明かすことはできないのだった。それは、おそらくは死よりもつらい責め苦となって自分をさいなみ苦しめるだろうとわかっていたからである。だからこの場を切り抜けるために考えねばならなかった。どうやってごまかせばよいのかを。……もちろん答えは出ないままだった。「どうやら、私の勘違いだったようである」と、やや間があって王が答えた。その声は落ち着いているように思えたが、どこか無理に平静を保っている感じもあった。それが本音ではないとわかっているせいかもしれなかったが。
「そ、そうなんですの」と何とか相槌を打つことができたのは、自分の能力に少しばかり誇りを持つことができてきたせいなのだろう。この国では、王族は生まれながらに人より秀でたものを持っていると信じられているから。とはいえ自分の中にある自信が揺らいでいることも否定できなかった。今のこの状況を作り出した張本人が自分でないと知ったら父は一体どういう顔をするだろうかと不安になる。「ところで、そのことについて詳しく知りたいのだが」
「ええっと……」
「そうだな、ではこういうのはどうだ?」
「え?」
「私とお前の二人だけで話をしようではないか」
「ええっ?」
「何か問題でもあるのか?」
「いえ……」「ならば早速行こうではないか」
「ええっ?」
「ほれ、早く」
「ええっ?」
こうして、王女は半ば強制的に連れ出されたのだった。
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