5 / 24
再会の狼と赤ずきん
しおりを挟む
怪我を負った翌日、ザシャはすっかり快復していた。傷は塞がり、疲労は影すら見えない。ベッドから下りて軽く跳ねてみたが、どこにも痛みはない。
起きてきたザシャを見て、父は渋い顔をした。
「顔色はいいが、しばらくは家で養生しろ」
「大丈夫だよ。仕事を終えたら少し出掛けてくる」
「だめだ」
もう十七だというのに、末子であるせいか、父だけでなく兄弟からも「大人しくしていろ」「家に居ろ」と押さえつけられ、ザシャは数日間を家で過ごす羽目になった。
その数日間をのんびりしていたかというと、そうでもない。舞い込む仕事を次々押しつけられ、寝る暇も惜しんで子供向けの人形や、金持ちが自慢するための家具を作り続けていたのだ。
一生分工具を握ったのではないかと思う頃、ザシャにようやく外出の許可が下りた。そのときには、ザシャの顔は〈狩人〉に怪我を負わされた日よりもげっそりしていた。
久方ぶりの空は快晴で、気持ちのいい風が吹いていた。ザシャは胸いっぱいに空気を吸い、肺に溜まっていた木屑の匂いを吐き出した。
〈森〉を歩きながら、ザシャはゲルデを探した。会う約束なんてしていない上に、見つけたところで話しかけられないかもしれない。だがザシャは、ゲルデが元気でいる姿を確認したかった。
〈狼〉の家は森の中だが、〈赤ずきん〉の家は〈森〉を東へ出てすぐそば――ちなみに〈狩人〉の家は〈森〉を西へ出てすぐ――の場所だ。物語の悪役である〈狼〉のザシャが家に近づけば袋叩きに遭うかもしれない。だがザシャは、〈森〉でゲルデを見つけられなければそこまで行くつもりだった。
運のいいことに、ゲルデの後ろ姿は〈森〉で見つかった。〈赤ずきん〉の特徴であるフード付きの赤いケープを羽織って、手には甘い香りを漂わせる篭を持っている。〈赤ずきん〉といえど、フードを被るのは役が回ってきた〈赤ずきん〉だけだ。ゲルデはいつも通り、フードを被らずに茶褐色の髪を風に揺らして歩いていた。見た限りでは、怪我をしている様子もない。
彼女を守れたんだな、とホッとするザシャが後ろにいるとも知らず、ゲルデは何かを探しキョロキョロしている。
また〈狩人〉が襲ってこないとも限らないというのに、ゲルデのそばには誰も居ない。心配になったザシャは、驚かせないようにと気を配りながら、ゲルデに声をかけた。
「一人で歩くのは危ないよ」
「きゃあ!」
背後から声をかけられれば、いくら驚かせないようにと配慮されていても驚いてしまうもの。驚くゲルデの声にザシャも驚き、ザシャの耳と尻尾がぶわりと逆立った。
振り向いたゲルデは、耳も尻尾も逆立て固まるザシャを見て「ごめんなさい」としょんぼりした。
「あの、私、あなたを探してたの。探すのに夢中になって、後ろに誰かがいるなんて、思わなくって」
「いや、その……僕こそ、ごめん。驚かせて」
ザシャの狼の耳がへにゃりと垂れるのを目で追いながら、ゲルデは「お礼を言いそびれたから」とザシャを探していた理由を打ち明けた。
「ちゃんとお礼が言いたくて、ずっと探してたの。あのときはすぐ消えちゃったから」
「ああ、うん。兄さんも、急いでたみたいで」
「私のせいでひどい怪我だったもんね。あの……もう、平気?」
「きみが手当てしてくれたからね」
「そっか。よかった。本当に……よかった」
ザシャの返事に胸を撫で下ろしたゲルデは、ザシャが昔出会った〈狼〉の少年だと気づいていないようだ。にこっと微笑んだゲルデは、ザシャに自己紹介をした。
「私、〈赤ずきん〉の子ゲルデ! この前は助けてくれて、本当にありがとう」
「僕は……〈狼〉の子ザシャ。わざわざお礼を言うために、一人で探してくれたのかい?」
問いかけられ、ゲルデはザシャからゆっくり目を逸らした。篭を右手から左手に持ち替え、また右手に持ち替え、何か言いたげにもじもじしている。どうしたんだろうとザシャが訝しんでいると、ゲルデは両手でそっと篭を持ちあげ、ザシャに差し出した。
「お礼を言うだけじゃなくて……サンドイッチとジュースも、持ってきたの」
あなたに食べてほしくて、とゲルデは消えそうな声で呟いた。驚くザシャへ視線を戻すと、ゲルデは不安そうな声で「サンドイッチは好き?」と肩の上で髪を揺らし尋ねた。
「ごめんね、私〈狼〉の友達がいないから、私たちと同じ食べ物でいいかもわからなくて。サンドイッチ、食べても平気? 苦手なものとか、食べちゃいけないものはある?」
ゲルデの可愛らしい疑問に、ザシャは篭を受け取りながら「平気だよ」と首を横に振った。
「食べるものは、きみたちと変わらないんだ。僕は好き嫌いもないし」
「そうなんだ! そっか……」
ホッとした様子のゲルデは、ふふっと笑みをこぼした。何を笑われたのかわからないザシャが「な、なに?」とおどおどしていると、ゲルデは眩しいくらいの笑顔をザシャへ向けた。
「ザシャのことが一つわかって、嬉しい!」
ゲルデの一言で、ザシャは自分の顔が林檎より赤くなったことがわかった。どう返せばいいかわからないザシャは、受け取った篭を軽く掲げ、自分の〈花畑〉への道を開いた。
「下心はないんだ。だけどこの前の〈狩人〉にきみと僕が一緒にいるところを見られたら、怪我どころじゃ済まないかもしれない」
開いた〈花畑〉への道に一歩踏み込みながら、ザシャはエスコートするポーズをとって見せた。
「僕の〈花畑〉で嫌じゃなかったら……い、行かない、かい?」
ゲルデは「〈花畑〉?」と目を輝かせた。
「私、〈花畑〉って話で聞いたことしかないの。たくさんの花が咲いてるんでしょう? まだ〈赤ずきん〉じゃないのに、私が招いてもらっていいの?」
「きみ……いや、ゲルデさえ、嫌じゃなければ」
〈狼〉の〈花畑〉は、ゲルデが言う通りたくさんの花が咲いている。そして入ったが最後、〈狼〉にその意思がなければ出ることはできない。
怖がられるか、嫌がられるか、はたしてどちらだろうかとびくびくするザシャを、ゲルデは輝く瞳で見つめた。
「連れてって、ザシャ!」
「……うん。行こう、ゲルデ」
目映く感じるほどの期待に安堵と喜びを感じつつ、ザシャは「こっちだよ」と〈花畑〉への道にゲルデを案内した。
起きてきたザシャを見て、父は渋い顔をした。
「顔色はいいが、しばらくは家で養生しろ」
「大丈夫だよ。仕事を終えたら少し出掛けてくる」
「だめだ」
もう十七だというのに、末子であるせいか、父だけでなく兄弟からも「大人しくしていろ」「家に居ろ」と押さえつけられ、ザシャは数日間を家で過ごす羽目になった。
その数日間をのんびりしていたかというと、そうでもない。舞い込む仕事を次々押しつけられ、寝る暇も惜しんで子供向けの人形や、金持ちが自慢するための家具を作り続けていたのだ。
一生分工具を握ったのではないかと思う頃、ザシャにようやく外出の許可が下りた。そのときには、ザシャの顔は〈狩人〉に怪我を負わされた日よりもげっそりしていた。
久方ぶりの空は快晴で、気持ちのいい風が吹いていた。ザシャは胸いっぱいに空気を吸い、肺に溜まっていた木屑の匂いを吐き出した。
〈森〉を歩きながら、ザシャはゲルデを探した。会う約束なんてしていない上に、見つけたところで話しかけられないかもしれない。だがザシャは、ゲルデが元気でいる姿を確認したかった。
〈狼〉の家は森の中だが、〈赤ずきん〉の家は〈森〉を東へ出てすぐそば――ちなみに〈狩人〉の家は〈森〉を西へ出てすぐ――の場所だ。物語の悪役である〈狼〉のザシャが家に近づけば袋叩きに遭うかもしれない。だがザシャは、〈森〉でゲルデを見つけられなければそこまで行くつもりだった。
運のいいことに、ゲルデの後ろ姿は〈森〉で見つかった。〈赤ずきん〉の特徴であるフード付きの赤いケープを羽織って、手には甘い香りを漂わせる篭を持っている。〈赤ずきん〉といえど、フードを被るのは役が回ってきた〈赤ずきん〉だけだ。ゲルデはいつも通り、フードを被らずに茶褐色の髪を風に揺らして歩いていた。見た限りでは、怪我をしている様子もない。
彼女を守れたんだな、とホッとするザシャが後ろにいるとも知らず、ゲルデは何かを探しキョロキョロしている。
また〈狩人〉が襲ってこないとも限らないというのに、ゲルデのそばには誰も居ない。心配になったザシャは、驚かせないようにと気を配りながら、ゲルデに声をかけた。
「一人で歩くのは危ないよ」
「きゃあ!」
背後から声をかけられれば、いくら驚かせないようにと配慮されていても驚いてしまうもの。驚くゲルデの声にザシャも驚き、ザシャの耳と尻尾がぶわりと逆立った。
振り向いたゲルデは、耳も尻尾も逆立て固まるザシャを見て「ごめんなさい」としょんぼりした。
「あの、私、あなたを探してたの。探すのに夢中になって、後ろに誰かがいるなんて、思わなくって」
「いや、その……僕こそ、ごめん。驚かせて」
ザシャの狼の耳がへにゃりと垂れるのを目で追いながら、ゲルデは「お礼を言いそびれたから」とザシャを探していた理由を打ち明けた。
「ちゃんとお礼が言いたくて、ずっと探してたの。あのときはすぐ消えちゃったから」
「ああ、うん。兄さんも、急いでたみたいで」
「私のせいでひどい怪我だったもんね。あの……もう、平気?」
「きみが手当てしてくれたからね」
「そっか。よかった。本当に……よかった」
ザシャの返事に胸を撫で下ろしたゲルデは、ザシャが昔出会った〈狼〉の少年だと気づいていないようだ。にこっと微笑んだゲルデは、ザシャに自己紹介をした。
「私、〈赤ずきん〉の子ゲルデ! この前は助けてくれて、本当にありがとう」
「僕は……〈狼〉の子ザシャ。わざわざお礼を言うために、一人で探してくれたのかい?」
問いかけられ、ゲルデはザシャからゆっくり目を逸らした。篭を右手から左手に持ち替え、また右手に持ち替え、何か言いたげにもじもじしている。どうしたんだろうとザシャが訝しんでいると、ゲルデは両手でそっと篭を持ちあげ、ザシャに差し出した。
「お礼を言うだけじゃなくて……サンドイッチとジュースも、持ってきたの」
あなたに食べてほしくて、とゲルデは消えそうな声で呟いた。驚くザシャへ視線を戻すと、ゲルデは不安そうな声で「サンドイッチは好き?」と肩の上で髪を揺らし尋ねた。
「ごめんね、私〈狼〉の友達がいないから、私たちと同じ食べ物でいいかもわからなくて。サンドイッチ、食べても平気? 苦手なものとか、食べちゃいけないものはある?」
ゲルデの可愛らしい疑問に、ザシャは篭を受け取りながら「平気だよ」と首を横に振った。
「食べるものは、きみたちと変わらないんだ。僕は好き嫌いもないし」
「そうなんだ! そっか……」
ホッとした様子のゲルデは、ふふっと笑みをこぼした。何を笑われたのかわからないザシャが「な、なに?」とおどおどしていると、ゲルデは眩しいくらいの笑顔をザシャへ向けた。
「ザシャのことが一つわかって、嬉しい!」
ゲルデの一言で、ザシャは自分の顔が林檎より赤くなったことがわかった。どう返せばいいかわからないザシャは、受け取った篭を軽く掲げ、自分の〈花畑〉への道を開いた。
「下心はないんだ。だけどこの前の〈狩人〉にきみと僕が一緒にいるところを見られたら、怪我どころじゃ済まないかもしれない」
開いた〈花畑〉への道に一歩踏み込みながら、ザシャはエスコートするポーズをとって見せた。
「僕の〈花畑〉で嫌じゃなかったら……い、行かない、かい?」
ゲルデは「〈花畑〉?」と目を輝かせた。
「私、〈花畑〉って話で聞いたことしかないの。たくさんの花が咲いてるんでしょう? まだ〈赤ずきん〉じゃないのに、私が招いてもらっていいの?」
「きみ……いや、ゲルデさえ、嫌じゃなければ」
〈狼〉の〈花畑〉は、ゲルデが言う通りたくさんの花が咲いている。そして入ったが最後、〈狼〉にその意思がなければ出ることはできない。
怖がられるか、嫌がられるか、はたしてどちらだろうかとびくびくするザシャを、ゲルデは輝く瞳で見つめた。
「連れてって、ザシャ!」
「……うん。行こう、ゲルデ」
目映く感じるほどの期待に安堵と喜びを感じつつ、ザシャは「こっちだよ」と〈花畑〉への道にゲルデを案内した。
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
愛娘(JS5)とのエッチな習慣に俺の我慢は限界
レディX
恋愛
娘の美奈は(JS5)本当に可愛い。そしてファザコンだと思う。
毎朝毎晩のトイレに一緒に入り、
お風呂の後には乾燥肌の娘の体に保湿クリームを塗ってあげる。特にお尻とお股には念入りに。ここ最近はバックからお尻の肉を鷲掴みにしてお尻の穴もオマンコの穴もオシッコ穴も丸見えにして閉じたり開いたり。
そうしてたらお股からクチュクチュ水音がするようになってきた。
お風呂上がりのいい匂いと共にさっきしたばかりのオシッコの匂い、そこに別の濃厚な匂いが漂うようになってきている。
でも俺は娘にイタズラしまくってるくせに最後の一線だけは超えない事を自分に誓っていた。
でも大丈夫かなぁ。頑張れ、俺の理性。
ねえ、私の本性を暴いてよ♡ オナニークラブで働く女子大生
花野りら
恋愛
オナニークラブとは、個室で男性客のオナニーを見てあげたり手コキする風俗店のひとつ。
女子大生がエッチなアルバイトをしているという背徳感!
イケナイことをしている羞恥プレイからの過激なセックスシーンは必読♡
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる