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音のないプロポーズ 49
しおりを挟む――リハビリを強化してもらえませんか。
春直はそう書いてきた紙を出した。
「…強化?」
田中は眼鏡を合わせ直し、文字を今一度確認した。春直がページをめくる。
――歩けるようになって、早く一人で暮らせるようになりたいんです。
田中は看護師を見た。話は聞いているらしい、彼は本気です、という同意があった。またページが送られる。
――協力してください。お願いします。
それから春直は口でもお願いしますと言って、また頭を下げた。
「ふむ…。何かあったのかい?」
田中が訊いた。春直は少し迷い、それから文字を書き始めた。守、り…。
――守りたいと思いました。
それは春直の決意を表していた。そうか、と田中は背にもたれる。それからさっき横線を入れたメニューを眺め、裏返した。
「わかった。もちろん、協力しよう。一緒にがんばろう!」
握手を求めると、春直は嬉しそうに応じた。そしてまた、お願いします、と言う。その声が耳の奥で鳴った気がした。彼の声を聞いたことはないのに、きっとこれが彼の音なのだろうなという響きが伝わってくる。優しくて力強い。春直が田中に意思を示したのは、初めてといってよかった。
リハビリはすぐに始まった。
春直は宣言通り、これまでとは別人のように気迫を帯びて、懸命に励んでいた。同じ基礎体力作りでも、モチベーションがあるとないとでは、結果がまるで変わってくる。春直は汗だくになりながら、すべてのメニューを必死に取り組んだ。
「一人暮らしと言っていたけど、もしかして、彼女と同棲でも決まったかい?」
休憩の際、田中は訊いてみた。何だかんだ、人がやる気になれる理由の大半は人間絡みだ。春直は笑ったが、ちがいますよと首を振った。
「本当か? いつも来てくれる彼女さんと、結婚するんじゃないのかい」
それは少しだけ田中の希望でもあった。ここに来ることになってしまった人たちに、最後はそれまで以上の幸せを得て出て行ってほしい。苦しい思いをするのだから、それくらいは当然の権利だと田中は思う。そしてここで見ている限り、春直の幸せは確実に斗南との間にあった。
――ホッシーは…、
春直はゆっくり口を動かした。ホッシー。そういえばもう一人の友達がそんな風に呼んでいたことを思い出し、彼女を指していると気付く。
――大事な人です。誰よりも。
「ん? だから、結婚するんじゃないのか?」
田中が問うと、春直ははにかんでまた笑ったが、やっぱり否定した。
「隠す事ないじゃないか」
田中は言ったが、本当にそういうことではないらしい。すると、どうして春直はやる気になったのだろう。あまり詮索するのも良くないが、春直がひとつひとつに根性を見せる度に、何だか気になった。
一人でできるトレーニングも教わり、春直はベッドでもそれに励んだ。やり過ぎてもよくないとは止められたのだが、一ヶ月怠けた反動か体力があり余っているようで、動いていないと落ち着かなかった。
田中に会う前、氷影には既にメールで伝えた。
――告白は、もうしない。
今度こそ、本当に決意していた。
佳之の言ったこと、扇雅に言われたこと、斗南のこと、自分の気持ち。あれこれ考えて、でもやっぱり声のことが決め手だった。自分の口で言えない。それがどうしても春直には認められなかった。
斗南を世話係に欲しいわけじゃない。斗南に負担を掛けても、春直だって幸せにはなれない。本当に、佳之が正しいと思う。それより、二人ともが幸せになれる道は他にあった。
春直は斗南の盾になりたい。それから、斗南が幸せを掴むまで、応援する力がほしかった。
辛いことから斗南を守りたかったし、助けたいとも思う。できれば幸せにしてあげたい。思い上がりかもしれないけれど、それが春直の本心からの願いだったのだ。斗南が幸せになってくれたら、春直も間違いなく幸せだ。心苦しい部分もあるかもしれないけれど、それも乗り越える力を付ける。二人で幸せになる。
そしてそのためには結局、春直は会社に戻る必要があると思った。扇雅や周りの棘から斗南を身近に守るためだ。春直自身も、本当なら戻りたい。ほら、結局二人の幸せはどこかで繋がっている。相反していないことが嬉しかった。
固執するように結婚を求めてきたけど、こうして新たな道を見つけてみると、吹っ切れたみたいにやる気が生まれた。自信も沸いてきた。斗南のパートナーとしては負担を掛けるだけの自分でも、友達としてならまだ価値を見つけられるはずだ。そうなれるよう、これから頑張るのだ。
いい夢を見た。そんな言葉をたまに聞くけど、確かにこれはいい夢だったなと思った。今もあの指輪と小箱は春直のすぐ隣にある。これも一生の宝物だ。
あの小さな背中を、健気な姿を守りたい。それがこれからの春直の希望であり、目標だ。
松葉杖を握った。早く、早く近づきたい。斗南に。
斗南の幸せに――。
(つづく)
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