46 / 61
音のないプロポーズ 46
しおりを挟む夕方、極力早い時間に氷影は病院へ行った。
今日は話さなければならないことが沢山ある。春直の元へ行くのに、こんなに気が重いのは初めてだった。
なのにいざ行ってみれば、春直と斗南はすっかり談笑してリラックスしきっていた。
「ちょっと。病人と謹慎中の人間にしては、元気すぎるんじゃない?」
仲間外れで、まるでこっちが謹慎しているみたいだ。氷影はふて腐れた。
「謹慎じゃないもん。早退だもん」
斗南がむくれながら訂正する。クスクスと肩を揺らすと、春直も負けじと書いてみた。
――病人じゃなくて、怪我人だもん。
「もう、何だよ。二人して」
氷影はやれやれと溜め息をついて、どっかりと腰を下ろした。
――疲れてる?
春直が訊いた。自分たちは日常離れした午後を送っていたが、氷影は大変だったのかもしれない。
「まあね」
氷影は認めた。
「ホッシー。明日から、相当覚悟した方がいい。噂、ひどくなってる」
斗南から顔を背けて言った。ペットボトルからコップへお茶を注ぐ。それを氷影が飲み干す間、二人は黙りこくっていた。
「…扇雅の同期が昼休みに連絡したらしい。噂の元はあいつだろ、当たり前といえばそうだけど、余計拍車掛かるようなことを色々仄めかしたみたいなんだ」
会社の休憩所なんて、普段は一部の喫煙者が一服に来るだけなのだが、今日は違った。進展を聞こうとあちこちから人が寄る。口から口へと噂はどんどん尾ひれを付け、斗南はすっかり悪女扱いだった。
「扇雅が来たらますますひどくなると思う。ホッシー、本当の話、少し休んだ方がいいよ。少なくとも明日だけでも。そうしたら土日挟んで、少しは…クッション入る、かも」
言いつつ、それでも大した効果はないだろうなと思った。社内で結婚の話は聞いても、こんな泥沼の噂は耳にしたことがない。第三者にしてみれば、めったにない最高の肴がぶら下げられたようなものなのだろう。
「一応、火消ししようとはしてみたんだよ。僕と、あと桃ノ木さんも。けど、何を言っても全然…むしろ火に油っていうか……。僕とも如何わしい関係なんじゃないかって言うやつまで出てくる始末で……。ごめん」
社員百人は、嫌な噂が盛り上がるのにちょうどいい人数だった。斗南が笑顔を作る。
「影ちゃんのせいじゃないよ。ありがとう。いつも仲良くしてもらってるもん…そりゃ、そうなるよね…」
「してもらってるとか言うなよ。親友でしょ」
「うん…。でも、ごめんね……」
斗南は俯いたまま、顔が上がらなくなってしまった。春直と氷影が目を合わせる。だが、対策というような術は何も見つからない。
「まあ…僕が思い付く策、といえば、さ…?」
氷影が咳払いをして、少しわざとらしく話し出した。
「ホッシーが、結婚しちゃえばいいと思うんだよね」
反応したのは春直だ。
「そうすれば、とりあえず噂がデマってことは証明になるじゃん。扇雅の言ってることも、証拠があるわけじゃないんだし。って思うんだけど…どうかなあ、ハル?」
露骨に話を向けられて、春直は顔の前で手を振った。斗南は俯いたまま無反応だ。氷影が春直を顎でけしかける。今度はバツを作り、春直は無理を強調する。
「あ、そうだ」
素っ頓狂な声をあげたかと思えば、斗南はまるで聞いていなかったかのように話題を変えた。
「春ちゃん。桃ノ木さんがね、春ちゃんに夏の決算を手伝ってほしいって言ってたんだよ」
春直の顔がまた引き攣った。その話も都合が悪いのだ。春直はスケッチブックを引き寄せ、思考を巡らせる。それから大きめの文字で別の話題を書き記すと、それを氷影の前にどんと突き立てた。
――田舎に帰るってなに?
「あ。退職願…」
斗南も思い出したように反応した。今度は氷影がゲッという顔をする。話すつもりで来たには違いないが、できる限り先延ばしにしたかったのに。
「何だよ、もう。今日は二人で同じようなことばっかして」
「それはごめんだけど、でも本当に聞きたかったんだよ。ねえ、退職ってどういうことなの?」
斗南が詰め寄ると、春直も同意した。
「仕事辞めて、実家に帰るってこと? ユキちゃんも? 何かあったの?」
斗南は心配そうだ。もともと昨日話す予定が延期になっていたわけだし、これ以上勿体ぶったところで事情が変わるものでもない。言わなくたって、その日が待ってくれるわけもない。
氷影はもう一杯お茶を飲むと、覚悟したように息をついた。
「言えなくてごめん。本当は相談したかったんだけど…言い出せなくて。届を出す前に話すと決心がつかなくなりそうな気がして、言わずに出した。僕、ユキと一緒に、地元に帰るよ」
斗南はすっと背筋が冷たくなるのを感じた。
(つづく)
0
お気に入りに追加
35
あなたにおすすめの小説
社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ワケあり上司とヒミツの共有
咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。
でも、社内で有名な津田部長。
ハンサム&クールな出で立ちが、
女子社員のハートを鷲掴みにしている。
接点なんて、何もない。
社内の廊下で、2、3度すれ違った位。
だから、
私が津田部長のヒミツを知ったのは、
偶然。
社内の誰も気が付いていないヒミツを
私は知ってしまった。
「どどど、どうしよう……!!」
私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?
10 sweet wedding
国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。
推活♡指南〜秘密持ちVtuberはスパダリ社長の溺愛にほだされる〜
湊未来
恋愛
「同じファンとして、推し活に協力してくれ!」
「はっ?」
突然呼び出された社長室。総務課の地味メガネこと『清瀬穂花(きよせほのか)』は、困惑していた。今朝落とした自分のマスコットを握りしめ、頭を下げる美丈夫『一色颯真(いっしきそうま)』からの突然の申し出に。
しかも、彼は穂花の分身『Vチューバー花音』のコアなファンだった。
モデル顔負けのイケメン社長がヲタクで、自分のファン!?
素性がバレる訳にはいかない。絶対に……
自分の分身であるVチューバーを推すファンに、推し活指南しなければならなくなった地味メガネOLと、並々ならぬ愛を『推し』に注ぐイケメンヲタク社長とのハートフルラブコメディ。
果たして、イケメンヲタク社長は無事に『推し』を手に入れる事が出来るのか。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる