39 / 61
音のないプロポーズ 39
しおりを挟むその時、春直の右足にまた激痛が走った。
「春ちゃん!?」
あまりの痛みに身体を曲げた。スマホが滑り落ち、派手な音が響く。斗南は飛びついて春直の背中をさすった。
「大丈夫? 痛むの? 春ちゃん!」
ダメだ…安心させなきゃ。平気だって言わないと…。思うのに顔が上げられない。呼吸が荒くなり、言葉を伝えられない。シーツを力の限り握りしめる。右足がけいれんを始めていた。
「先生呼ぼうか? 大丈夫? ハル!」
「春ちゃん、春ちゃん…ッ!」
斗南が手を重ねる。温かい手だ。微かに痛みが和らぐ気がした。ありがとう、大丈夫だよ。――言わなきゃ。言わなきゃ。思うばかりで口ひとつ思い通りに動かない。
「どうしました!?」
騒ぎに気付いて、看護師が駆け込んで来た。ナースコールで応援を呼び、春直の脈や顔色を確かめている。
「鎮痛剤を投与します、下がって」
駆け付けた医師は、斗南と氷影を退かしてそう言った。三人がかりで処置が始まる。春直は苦しそうに荒く呼吸をしていた。音だけの呼吸だ。普通なら混ざるはずの声も呻きもない、無機質な苦しみの音。斗南はまた泣いていた。見ていられなくて、氷影は顔を背ける。
その時たまたま、ベッドの下に丸まった紙が落ちていることに気付いた。何かと思い、医師の足の横からこっそり拾う。斗南は気付いていない。そしてその先――ベッドの奥に、えんじ色の小箱もあった。
それが何なのか。見なくてもわかった。指輪の箱だ。春直の想いが詰め込まれた宝物の小箱。
その瞬間に悟る。どうしてそれがこんなところにあるのか――春直が扇雅に、何をされたのか。
ゆっくり開いた紙には、好きの二文字があった。
紙をつまむ手が強く握られていく。氷影まで呼吸が荒くなってきた。血がにじむほど力を込めても怒りが治まらない。扇雅は春直の想いを土足で踏み散らしたのだ。もう一度春直を見た。目元の痕。苦しそうな表情。全部、扇雅のせいだ。あいつはどこまで二人を苦しめれば気が済むのか。全身の筋肉が、怒りで震えて止まらない。
春直は何度か、氷影に何かを伝えようとしたまま、薬のせいでやがて眠ってしまった。それでも氷影にはその意思がわかっていた。
拾い上げた小箱の中からは、春直の魂が消えていた。
◇
天気が良いのか、眠っていても日差しを感じた。薬のせいだろう、頭が重い。随分長く眠っていた感覚もあった。
近くで微かに物音がする。看護師だろうな、と思った。寝たふりをしていたかったが、時間が気になって、目を開けた。
「あ。ごめん、起こした?」
そこにいたのは氷影だった。あれ、今日は土曜だっただろうか? だが、氷影はワイシャツ姿で、私服ではない。それにどうしてだか、すぐに屈みこんで姿が消えた。春直は起き上がろうとするが、まだ自由が利かない。相手が氷影だから不安はないが、何をしているのか気にはなる。だが声を掛けることも叶わない。
辛うじて手元を探って、スマホを見つけた。まだ朝の八時前だ。しかも、やはり平日だった。どうして氷影がいるのだろう。こんなことは今までなかった。ぼんやりして考えがまとまらないのは、薬のせいなのだろうか。
「ねえ、ハル」
下から声が掛かった。顔を向ける。氷影は手を伸ばしているのか、少し声が吊っている。
「僕ね、田舎に帰ろうと思ってる」
え、と思ったが、すぐには意味が理解しきれなかった。何か遠くへ行ってしまう。そんな虚無が先に生まれて、それから言葉を読み取った。虚ろだった頭が冷めていく。
よっ、という掛け声と共に、氷影は中腰に起き、手元をハンカチで拭った。待ってよ、どういう意味。問おうとすると、扉が開いて看護師が顔を出した。
「如月さん。もうそろそろ」
「あ、すみません。すぐ」
毎日顔を合わせているので、看護師も氷影の名前を憶えている。春直が目を覚ましているのに気付くと、早めにお願いしますよと気を利かせてくれた。本来、こんな朝早くに面会は許可されていない。着替えを置くだけだからと偽って、強引に入れてもらったのだった。
「ごめん、もう行かないと。また夜に来る。顔が見れてよかった」
氷影は立ち上がると笑った。
「着替えに見せるために持ってきたあれ、中に大事な物入ってるから、ちゃんと見てよ」
親指で示した先には、確かに一見着替えのように見える紙袋がある。パイプ椅子に乗せられ、ベッドの奥からちょうど手が届くぎりぎりにあった。看護師に避けられないようにしたのだろう。
――それよりも、田舎に帰るってどういうこと?
文字で打ってる時間はなさそうで、口で訊いた。それが伝わったかはわからないが、本当に答えている時間はなさそうだ。これから仕事もある。
「ハル」
氷影は呼ぶと、手を取って何かを握らせた。片手に心地の良い、慣れた感触。正体はすぐにわかった。
「何を言われても気にするな。僕とホッシーがついてる。絶対に味方だから」
春直の手にしっかり包ませたのを確かめると、氷影はその上からぽんと激励を送った。そしてにっこり笑う。
「如月さーん」
「はーい、今。じゃ、またね、ハル」
手を上げると、氷影は部屋を出て行った。
渡された物を包んだまま、手を引き寄せる。手の中の小箱をそっと開けた。
指輪が帰っていた。
そして隣に、きれいに畳まれた紙が入っている。
好き。
春直の書いた、潰されたはずの言葉が、諦め悪くそこに居座っていた。
(つづく)
0
お気に入りに追加
35
あなたにおすすめの小説
社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
隠れドS上司の過剰な溺愛には逆らえません
如月 そら
恋愛
旧題:隠れドS上司はTL作家を所望する!
【書籍化】
2023/5/17 『隠れドS上司の過剰な溺愛には逆らえません』としてエタニティブックス様より書籍化❤️
たくさんの応援のお陰です❣️✨感謝です(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)
🍀WEB小説作家の小島陽菜乃はいわゆるTL作家だ。
けれど、最近はある理由から評価が低迷していた。それは未経験ゆえのリアリティのなさ。
さまざまな資料を駆使し執筆してきたものの、評価が辛いのは否定できない。
そんな時、陽菜乃は会社の倉庫で上司が同僚といたしているのを見てしまう。
「隠れて覗き見なんてしてたら、興奮しないか?」
真面目そうな上司だと思っていたのに︎!!
……でもちょっと待って。 こんなに慣れているのなら教えてもらえばいいんじゃないの!?
けれど上司の森野英は慣れているなんてもんじゃなくて……!?
※普段より、ややえちえち多めです。苦手な方は避けてくださいね。(えちえち多めなんですけど、可愛くてきゅんなえちを目指しました✨)
※くれぐれも!くれぐれもフィクションです‼️( •̀ω•́ )✧
※感想欄がネタバレありとなっておりますので注意⚠️です。感想は大歓迎です❣️ありがとうございます(*ᴗˬᴗ)💕
ワケあり上司とヒミツの共有
咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。
でも、社内で有名な津田部長。
ハンサム&クールな出で立ちが、
女子社員のハートを鷲掴みにしている。
接点なんて、何もない。
社内の廊下で、2、3度すれ違った位。
だから、
私が津田部長のヒミツを知ったのは、
偶然。
社内の誰も気が付いていないヒミツを
私は知ってしまった。
「どどど、どうしよう……!!」
私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?
Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~
汐埼ゆたか
恋愛
絶え間なく溢れ出る涙は彼の唇に吸い取られ
慟哭だけが薄暗い部屋に沈んでいく。
その夜、彼女の絶望と悲しみをすくい取ったのは
仕事上でしか接点のない上司だった。
思っていることを口にするのが苦手
地味で大人しい司書
木ノ下 千紗子 (きのした ちさこ) (24)
×
真面目で優しい千紗子の上司
知的で容姿端麗な課長
雨宮 一彰 (あまみや かずあき) (29)
胸を締め付ける切ない想いを
抱えているのはいったいどちらなのか———
「叫んでも暴れてもいい、全部受け止めるから」
「君が笑っていられるなら、自分の気持ちなんてどうでもいい」
「その可愛い笑顔が戻るなら、俺は何でも出来そうだよ」
真摯でひたむきな愛が、傷付いた心を癒していく。
**********
►Attention
※他サイトからの転載(2018/11に書き上げたものです)
※表紙は「かんたん表紙メーカー2」様で作りました。
※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる