上 下
32 / 61

音のないプロポーズ 32

しおりを挟む
 
 居住まいを正し直して、軽く呼吸をする。
 それから、うん、と頷いた。

「事故の時、カバン持ってたでしょ」
 佳之もパイプ椅子を引いて座り、まっすぐに座る。実崎家ではいつもこうだ。大切な話は、どちらも気を引き締める。春直はやや緊張していた。
「あんたにも訊かれなかったし、お母さんもちょっと…見るのが辛くてね、しばらくずっと、玄関の段ボールに入れていたの。でも、あんたをずっと支えてたカバンだし、そろそろキレイにしてあげたいと思って、この前、中を開けたのよ」
 どきりとした。別段、見られて不都合のあるものは入れていないはずだが、改めて宣告されると心配になる。大丈夫…だよな? しばらくぶりに中身を思い浮かべた。財布、社員証、仕事のメモ書き用の手帳…よくは思い出せないが、その程度しか入れていないはずだ。
 ――いや…。
「勝手に見たら、悪かったかもしれないけど」
 しまった! ある。見られて困る物があった。そして多分…。
 春直は佳之の顔から一瞬目を逸らし、改めて盗み見た。もう佳之は見てしまったのだろう。小箱の中の…。
「指輪。あんた、プロポーズする気だったの」
「ええっ。そうなのか!」
 直永が歓喜の声を上げた。なんだ、ちゃんと恋人がいたんじゃないか。それも、もう指輪を渡す段階まで来ているとは。直永の頬が自然とほころぶ。
「それで、相手はどんな子なんだ。いや、わかったぞ。あの子だろう、いつも来てくれている、斗南ちゃんだ」
 パチンと指を鳴らし、直永はしたり顔をして見せた。だが、春直には笑い事じゃない。この父親は、何で微妙に勘が良く、そして空気が読めないのか。佳之は歓迎していない。まず何よりそこを察してもらいたい。
「そうなの、春直」
 佳之は変わらず落ち着いた口調で言った。これ以上、誤魔化しようもない。指輪の説明がつかないだろう。斗南本人より前に親に知られたくはなかったが、已むを得ない。春直は腹を括り、ゆっくり頷いた。
「今も、そのつもりなの」
「そりゃあそうだろう、母さん。何を心変わりすることがあるか。あんなに親身に世話をしてくれとるんだぞ」
「お父さんはちょっと黙ってて!」
 ぴしゃりと言われ、直永が鼻にしわを寄せた。ようやく佳之が祝いのムードでないことに気付いたらしい。春直は返答に迷っていた。今も、そのつもりか――。簡単には答えられない。
 氷影には、やめるつもりだと伝えた。だが彼はそれに反対した。氷影は判断を誤ることがない。だから、というのを保険のようにして、また決断を保留に戻した。やっぱり言いたい。そう思った。
 しかし一人になると、自信がなくなった。リハビリが上手くいかないと、自暴自棄になった。斗南といれば、ずっと傍にいたくなる。でも、そのためには言うべきか言わないべきか、わからなかった。今のままでもいいんじゃないか、とも思った。
 言わない方に傾いた。そんな時に、扇雅のことを知った。斗南を狙っている陰湿な先輩。渡したくない、とはっきり思った。斗南は俺の――何だというのか、わからないけど、それでも扇雅よりは自分の方が近くにいるのだ。取られたくない。だが、同時に斗南の気持ちにも気付いた。
 斗南はまだ仕事に打ち込みたい。もっと上に行きたがっている。それを考えると、結婚は明確な足枷でしかなかった。春直たちの会社は男性が多く、ただでさえ女性は「腰掛け」と思われがちな風潮が残っている。実際、結婚や出産を機に女性のほとんどが退社する。だから、女性に大きな仕事は回らない。今、春直が想いを伝えるというのは、そういう枷を背負わせることだ。
 言うべきじゃない。それがわかった。だから、言わなくてもいい。誰にも取られないなら。ずっと今のままでいられるなら、言えなくたっていい。けれど…それでもし、扇雅のものになってしまう可能性があるとすれば……。考えはぐるぐる回るばかりで、答えに行き着かないのだ。
 春直が考えあぐねる姿を見て、佳之はそれを回答とした。そして――。
「あの子はやめなさい」
 佳之ははっきりと言った。
 春直が固まった。直永が目を丸くする。当然、すぐに訊いた。
「何でだ。どうして止めるんだ。いい子じゃないか。何か問題のある子なのか?」
 春直も同じことを訊きたかった。なんで。どうして斗南を否定するの。微かに憎しみに似た感情が芽生えていた。それくらい、斗南をけなされたことが悔しくて腹立たしい。
「春直。あんた、あの子のどこが好き?」
 春直の目が揺れた。また一言では答え辛いことを…。
「そんなの決まっておろう。気が利くし、献身的で、見た目も悪くない。あとあれだ、ファッションセンスというのも悪くないんじゃないか」
「お父さんは黙ってて」
 直永がまた一喝される間に、春直はスケッチブックを自分に向けた。好きなところはいくらでもあるが、言葉には迷う。それに、教えるのがしゃくでもあった。頭ごなしに斗南を否定する佳之に、何かを言って伝わるのか。今は直永の方が、よほど斗南の良さをわかっていると思える。
――ありすぎて書ききれない。
 春直は少し反抗意識も込めて、そう書いた。だが、曖昧にしか言えないんじゃないかと言われたら、思い付く限り書き出すつもりでいた。ひとつでも多く羅列してやる。斗南のいいところならいくらでも言える。百でも二百でも、ページが足りなくなるまで書いてやる。

 佳之は少し春直の文字を見つめて、それから目を合わせ、顔を見た。
 そして静かに口を開く。
「安心するのね、あの子といると」

 その言葉に、息巻いていた春直の戦意がすっと解けた。



 (つづく) 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

推活♡指南〜秘密持ちVtuberはスパダリ社長の溺愛にほだされる〜

湊未来
恋愛
「同じファンとして、推し活に協力してくれ!」 「はっ?」 突然呼び出された社長室。総務課の地味メガネこと『清瀬穂花(きよせほのか)』は、困惑していた。今朝落とした自分のマスコットを握りしめ、頭を下げる美丈夫『一色颯真(いっしきそうま)』からの突然の申し出に。 しかも、彼は穂花の分身『Vチューバー花音』のコアなファンだった。 モデル顔負けのイケメン社長がヲタクで、自分のファン!? 素性がバレる訳にはいかない。絶対に…… 自分の分身であるVチューバーを推すファンに、推し活指南しなければならなくなった地味メガネOLと、並々ならぬ愛を『推し』に注ぐイケメンヲタク社長とのハートフルラブコメディ。 果たして、イケメンヲタク社長は無事に『推し』を手に入れる事が出来るのか。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

ハメられ婚〜最低な元彼とでき婚しますか?〜

鳴宮鶉子
恋愛
久しぶりに会った元彼のアイツと一夜の過ちで赤ちゃんができてしまった。どうしよう……。

ワケあり上司とヒミツの共有

咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。 でも、社内で有名な津田部長。 ハンサム&クールな出で立ちが、 女子社員のハートを鷲掴みにしている。 接点なんて、何もない。 社内の廊下で、2、3度すれ違った位。 だから、 私が津田部長のヒミツを知ったのは、 偶然。 社内の誰も気が付いていないヒミツを 私は知ってしまった。 「どどど、どうしよう……!!」 私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?

隠れドS上司の過剰な溺愛には逆らえません

如月 そら
恋愛
旧題:隠れドS上司はTL作家を所望する! 【書籍化】 2023/5/17 『隠れドS上司の過剰な溺愛には逆らえません』としてエタニティブックス様より書籍化❤️ たくさんの応援のお陰です❣️✨感謝です(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎) 🍀WEB小説作家の小島陽菜乃はいわゆるTL作家だ。  けれど、最近はある理由から評価が低迷していた。それは未経験ゆえのリアリティのなさ。  さまざまな資料を駆使し執筆してきたものの、評価が辛いのは否定できない。 そんな時、陽菜乃は会社の倉庫で上司が同僚といたしているのを見てしまう。 「隠れて覗き見なんてしてたら、興奮しないか?」  真面目そうな上司だと思っていたのに︎!! ……でもちょっと待って。 こんなに慣れているのなら教えてもらえばいいんじゃないの!?  けれど上司の森野英は慣れているなんてもんじゃなくて……!? ※普段より、ややえちえち多めです。苦手な方は避けてくださいね。(えちえち多めなんですけど、可愛くてきゅんなえちを目指しました✨) ※くれぐれも!くれぐれもフィクションです‼️( •̀ω•́ )✧ ※感想欄がネタバレありとなっておりますので注意⚠️です。感想は大歓迎です❣️ありがとうございます(*ᴗˬᴗ)💕

処理中です...