上 下
24 / 61

音のないプロポーズ 24

しおりを挟む
 
 その時、春直のスマホがメールを受け取った。氷影だ。

――ホッシー引き止めて。絶対にあいつと二人で帰らせないで。どんな手使っても止めて!
 何だこれ? きょとんとした。その間に、部屋のドアがスライドされる。扇雅が開けたのだろう。突如、焦った。氷影の言う通りにするとすれば、今引き止めるということか。でもそれは無理だ。もう姿が見えない。呼びつけることはできない。斗南にメールをしても、扇雅と一緒ではすぐに見ないだろう。
「さて、何か食べて行こうか」
 廊下から扇雅の声がした。目的はこれか、と斗南と春直が気付く。見舞いはただのダシか。だったら来ない方がマシなのに。
「あの、私…」
「この近くにはあまり良い店がないな。足を延ばして川のある方まで行こうか。季節のワインに美味しく合わせる店がある。それか…」
 断る斗南には一切取り合わず、扇雅が話を進めているのがわかる。いや、聞こえるように話しているのだろう。斗南の返事はかんばしくない。自分のせいで巻き込んだ責任を感じ、春直は罪悪感を覚えた。氷影の言う、止めろというのはこういうことなのだろうか。
「そうだ。さっき家に新鮮なオマール海老が届いたと父上から連絡があったんだよ。そうだ、それにしよう」
「え? 家…?」
「ちゃんとコックが腕を振るうさ。まだ父上も夕食前だろうし、よし、それだ。すぐに行こう」
 扇雅が斗南の手を掴んだ。
 斗南の怯える気配が室内からでもはっきりわかる。だが見知らぬ人でもないのに、食事に誘われたくらいで騒ぎ立ててまで拒めない。カバンもまだ扇雅が持ったままだ。斗南の目が震える。
 今度は罪悪感ではなかった。嫌だと、春直の心が叫ぶ。斗南を連れて行ってほしくない。でもそんな感情で斗南を止めていいのだろうか。それを見透かしたように、氷影が更にメールを送って来た。
――そっちに向かってるから。すぐに行くから、どうにか足止めして! ホッシーを助けると思って!
 さすがに慌てた。よくわからないが、氷影の指示は冗談でも何でもない。扇雅の行動を見透かしているのだろか。とにかく、斗南を止めなければいけない。春直は辺りを見回し、とっさに配膳板を丸ごとひっくり返した。
「えっ、今の音って?」
 派手な音に、斗南が足を止めた。油断した扇雅を振り解き、すかさず部屋に舞い戻る。すると、床にはコップが数個と、フタの開いたペットボトルが落ちていた。
「春ちゃん、大丈夫!?」
 斗南は真っ先に春直の心配をした。また罪悪感がこみ上げる。ごめん、手が滑った、と嘘を吐いた。空のコップをぶちまけてから、わざわざ床を濡らすためにボトルを空けたとはとても言えない。
「何やってるんだか…」
 扇雅が嫌々追いかけてきて、部屋を見て溜め息を吐いた。斗南は春直に怪我がないとわかると、ほっとしたようにコップを拾い始める。
「おい。そんなのナースがやるだろう。帰るぞ」
 扇雅はあからさまな不満を浮かべた。斗南は背を向けたまま、淡々と片づけをしていく。
「私は片付けてから帰ります。扇雅さんは、お先にどうぞ」
 帰れ帰れ、と心で毒づいていたのは言うまでもない。でもこれで帰ってくれれば、少しは春直と話せる。そう期待したのに、扇雅はわざとらしい盛大な溜め息を漏らし、壁にもたれた。
「面倒な。早くしてくれ、僕は帰りたいんだよ」
 それには春直もがっかりした。それに、また焦りも生まれる。斗南は手際よく作業を進めていて、これでは時間が稼げない。
 扇雅はあくびをしながら天井を見ていた。目を盗み、そっと斗南に手を伸ばす。小さく腕を握ると、顔を上げた斗南と目が合った。
――ここにいて。
 無意識に声を潜める動作でそう伝えた。斗南のよそ行きの顔が少し崩れる。春直が自分に助け舟を出してくれたのだと気付いた。いいの、と小声で返すと、氷影から来たメッセージを見せられた。本当は、万が一こうなる可能性を斗南も予期していた。こっちに来てくれているとわかり、安心する。小さく頷くと、敢えて手間取った片付けに切り替えた。扇雅は苛々しているだけで、床を拭く女の様子など見ていない。
 春直はヒヤヒヤしながら、何度も時計を見た。

「おい、まだかよ」
 さすがに怪しいと思い始めたか、扇雅が近付いて来る。
 誤魔化せなくなり、斗南は作業を終わらせ始めた。春直が布団の影で何度もスマホを見る。念入りに床を拭くティッシュが尽きた、ちょうどその時だった。

――着いた!


 (つづく)
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

辣腕同期が終業後に淫獣になって襲ってきます

鳴宮鶉子
恋愛
辣腕同期が終業後に淫獣になって襲ってきます

推活♡指南〜秘密持ちVtuberはスパダリ社長の溺愛にほだされる〜

湊未来
恋愛
「同じファンとして、推し活に協力してくれ!」 「はっ?」 突然呼び出された社長室。総務課の地味メガネこと『清瀬穂花(きよせほのか)』は、困惑していた。今朝落とした自分のマスコットを握りしめ、頭を下げる美丈夫『一色颯真(いっしきそうま)』からの突然の申し出に。 しかも、彼は穂花の分身『Vチューバー花音』のコアなファンだった。 モデル顔負けのイケメン社長がヲタクで、自分のファン!? 素性がバレる訳にはいかない。絶対に…… 自分の分身であるVチューバーを推すファンに、推し活指南しなければならなくなった地味メガネOLと、並々ならぬ愛を『推し』に注ぐイケメンヲタク社長とのハートフルラブコメディ。 果たして、イケメンヲタク社長は無事に『推し』を手に入れる事が出来るのか。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

ハメられ婚〜最低な元彼とでき婚しますか?〜

鳴宮鶉子
恋愛
久しぶりに会った元彼のアイツと一夜の過ちで赤ちゃんができてしまった。どうしよう……。

ワケあり上司とヒミツの共有

咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。 でも、社内で有名な津田部長。 ハンサム&クールな出で立ちが、 女子社員のハートを鷲掴みにしている。 接点なんて、何もない。 社内の廊下で、2、3度すれ違った位。 だから、 私が津田部長のヒミツを知ったのは、 偶然。 社内の誰も気が付いていないヒミツを 私は知ってしまった。 「どどど、どうしよう……!!」 私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?

処理中です...