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音のないプロポーズ 21
しおりを挟む――カゲ?
春直が眉をひそめる。氷影が言い掛けてやめるなんて、あまりあることじゃない。訊かない方が良いだろうか。しかし、斗南絡みの話だ。我慢できず腕を伸ばして、氷影の方を掴む。
「う…。ハルはこういう時、見逃してくれないよねえ…」
氷影が苦笑いをした。へきえきした様子はあるが、ひかなければ口を割ってくれそうな素振りでもあった。これは押していい時だと春直は知っている。
白状しろ、と口で伝えた。読み取って、氷影が大きなため息をつく。
「わかった、わかったよ」
氷影は眉を掻き、天井をあおいだ。
「…あのさ、前にメールで、いつか手遅れになることもあるかもって僕書いたでしょ」
春直が腕を離して頷いた。もちろん覚えている。
――声が出なくなった。手遅れってこういうことかって思った。
「いやいや。そんな予知してないよ。知ってたら止めるから!」
――でも、先延ばしにしてきた罰かも。
それは半分、本気だった。
どんなことでもそうだ。いつかと言っていた報いは、結構思いがけない形で降って来たりする。
「罰…か」
だが残り半分は冗談だった。氷影に言った意味としては、九割方ただの自虐ネタだ。しかし、氷影は思いの外、深刻に受け取ったように表情を曇らせた。
――ごめん。話の腰を折った。忘れて。
春直は書いたが、氷影は尚も悩ましげな顔をしていた。ただ、冗談を真に受けたというより、なにか自身にも身に覚えがあるみたいな、そういう顔に見える。もしかして、深く悩むような何かを一人で抱えているのだろうか。春直が訊こうと入力を始めた時、先に氷影が顔を上げた。
「そうそう、ホッシーのことだったね。まあこれ、本当はハルに言わないつもりだったんだけど……」
氷影は一瞬捉われた思考を置き去りにして、春直に話を戻した。不安になって、春直は書きかけたメッセージを続けようとする。氷影がそれを留めるように言葉を重ねた。
「実はホッシー、お見合いの話があるんだってさ」
ぴたりと春直の指が止まった。それはそうだろう、そんな話は聞いたことがない。訊きかけた氷影の話題は、悪いが後回しにせざるを得なかった。そうなるように、氷影も言葉を選んでいた。
「それも、初めてじゃない。結構何回かあったらしいんだけど、全部ホッシーが断ってた。まだ結婚する気はないって理由で」
――誰情報?
「本人。少し前にスマホ見て苦い顔してたから問いただした」
ガツンと頭を殴られたような衝撃だった。考えたこともない。斗南に見合いの話? ということは、斗南にその気さえあれば、もう結婚していたことも有り得るということなのか? でも幸い斗南にはその気がなくて、だからまだ自分にもチャンスが、……いや、その気がないならチャンスも何もない? 春直の顔にあからさま過ぎるほどの焦燥が浮かんでいく。
「ホッシーのお母さん、わかるでしょ」
――うん。一回写真で見た。
「そのお母さんが、ホッシーを一刻も早く結婚させたいんだって」
それは二発めの殴打だった。斗南の母と会ったことはないが、たまに斗南の話に出るから少しは知っている。斗南が小学生のうちに夫を病気で亡くし、以来女手ひとつで斗南を育てた人だ。
そういえば入社した頃、斗南はまだ母親と一緒に住んでいた。一年ほどしてから一人暮らしを始めると言った時、その理由を親が結婚についてうるさいからと仄めかしていたのだっけ。すっかり忘れてしまっていた。
その頃の春直にとって、結婚などまだまだずっと先の話でしかなく、また斗南の口調も軽いものだった。自分が、会社の近所が便利だと独り立ちしたのと同じように、斗南にもさほど大きな理由はないだろうと、安易に受け取っていたのだ。
――親、公認…?
それはもう既に負けているのではないか、と春直は思った。
「いや、公認っていうか、…強行?」
氷影は首を捻った。春直もつられて同じ仕草になる。
「むしろホッシーの方が認めてないんだけど、お母さんはかなり本気みたい」
てっきり斗南もそろそろと思い始めているのかと思ったが、それとも違うらしい。なら、なぜ今それを言うのだろう。いつ気が変わるかわからない、というのはあるだろうが、氷影の雰囲気はそれだけじゃなく思える。
「親の婚活って知ってる? 子供のために親同士で婚活して、結婚相手を探そうってやつ」
聞いたことはあるけど、と答えた。
「子供が忙しくて、条件の合う相手ならいいって代理で探すような場合もあるけど、中には全然その気がない子供同士をくっつける親もいるみたい。ホッシーのお母さんはちょっとそれに近い…。一緒に暮らし始めれば仲良くなるでしょって考えみたい」
氷影はスマホで何かを検索すると、ある婚活サイトを見せてくれた。確かに「親の婚活」と大きく描かれている。それを斗南の母親が使っているということらしい。
「それでも相手には妥協してないみたいで、だから結構長い間、斗南が断れば済むくらいで収まってた、んだけど…」
氷影は声を落として春直を見た。つまり、彼の焦らせる意味とは。
「相当気に入った相手が、見つかっちゃったんだってさ」
どこか申し訳なさすら匂わせて、氷影は白状した。
(つづく)
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