上 下
18 / 61

音のないプロポーズ 18

しおりを挟む
 
 ぽかぽかと暖かい日差しを感じて、ゆっくりとまぶたを開けた。
 とろんとした意識の先に、斗南が映る。

 あれ、と思ってから、春直は唐突に身を起こした。

「あ、春ちゃん。おはよう」
 斗南は手にしていたノートを閉じて、春直に振り返る。会社でも何かとメモを取っている姿は見かけるが、休みの日まで何か考え事だろうか。いや、春直が寝てしまったせいだ。斗南を退屈させてしまったから、ここで仕事をしていたのだろう。
――ごめん。俺、寝ちゃって…。
 口をぱくぱくさせたが音にならず、あたふたとスマホを引き寄せようとした。だが、斗南は口の動きだけで主張を読み取り、また笑顔を見せた。
「春ちゃん、いつも謝ってばかりだもん。書かなくたってわかっちゃうよ」
 うろたえたまま時計を見ると、既に午後二時を回っていた。部屋の隅には着替えの入った大きなカバンもあり、佳之たちも既に来ているとわかる。リハビリを終えてここに戻ってすぐから、春直は眠っていたらしい。二時間も客人を放ったらかしていたと思うと、申し訳なくて頭を抱えたくなった。
「お母さんたち、田中先生と話してからお昼食べてくるって。あ、春ちゃんの分はそっちに置いてあるよ。三時頃に取りにくるからって看護師さんが」
 斗南は気にする様子もなく、病院食のトレーからコップを取ると、お茶を注いで手渡してくれた。そろそろ暑くなる季節だが、喉の影響を考えて、春直に許されるのは常温までだ。
――ごめん。本当に。せっかく来てくれたのに。
「いいよ、そんなの。薬の副作用でもあるんだし。眠れるのは大事だよ。リハビリだって頑張ってたし、疲れたでしょ?」
 斗南が椅子に置いたノートを、春直の横目が認識した。
 見たことのないチェック柄だ。
 挟んだボールペンが最初の方だから、使い始めたばかりだろうか。
 斗南の仕事は毎日進行されている。春直の時は止まったままだ。桃ノ木はああ言ってくれたけど、本当に職場に戻る日が来るのだろうか。
 表紙の片隅に貼られたクローバーのシールを、何だか恨みがましく見てしまう。


 そういうことは日に日に増えた。
 例えば氷影が靴を買い換えたとか、桃ノ木が娘にせびられて、ボーナスで電動自転車を買わされたとか、そんな話がチクリと刺さるようになっていた。
 元々外回りなどない春直の靴はろくに磨り減ったりしないし、自分だって中学へ上がった時に親に自転車を買ってもらった。頭ではわかっている。でも、今の自分にない変化が訪れる、外の人たちを羨ましく思い始めていた。
 彼らを「外の人」と仕切り始めていた。
 自身の現況に具体的な自覚が出てきた面も大きかったと思う。リハビリは順調ではなかった。
 何日続けても身体は言う事を聞かなかったし、日に日に疲労だけは溜まって、正直嫌になる気持ちの方が勝っていた。当然、斗南も隣にはいない。彼女は会社で仕事をしているのだ。
 部署は違うけど、斗南とはフロアが同じで、席も近かった。春直の席からはいつも彼女の背中が見えていた。そんなささやかな楽しみも今はない。もう戻らない悦びかもしれないと、頭の片隅が思っていた。
 意欲は減っていった。今は電動車椅子もある。それなら体力がなくても自由に動けるのではないか。杖で自力歩行できずともいいのではないか。外なんて、別にそう行くわけではない。それに。
――右足が動くようになるわけじゃない。
 言えなかったけど、そう思っていた。音にならないのをいいことに、田中と二人のリハビリ中は、何度かこっそり口にも出した。
 動かない足。不自由な生活。とっさに伝わらない声。重荷は毎日増していた。
 最初に目が覚め、佳之たちから事故についてを聞いた時は、命だけでも助かってよかったという言葉をそのまま受け入れていた。斗南と氷影に会えた時は、再会を素直に喜べた。これが命あっての物種という意味かと解釈した。不運だったが、仕方ない。受け入れるしかない。そのくらいには前を向けていた。
 けれど、今は違う。はっきりわかっていた。今の春直は、回復など求めてはいない。どうせ、元には戻らない。それなのにこんな苦労だけして、先に何があるというのだろうか。春直は今の身体と上手く付き合いたいのではない。元に戻りたかった。

 元の身体に、生活に、――元の関係に。
 そんな話をできる相手は、やっぱり氷影しかいなかった。



 (つづく)
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」 私を脅して、別れを決断させた彼の両親。 彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。 私とは住む世界が違った…… 別れを命じられ、私の恋が終わった。 叶わない身分差の恋だったはずが―― ※R-15くらいなので※マークはありません。 ※視点切り替えあり。 ※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。

Princess story 〜御曹司とは付き合いません〜

鳴宮鶉子
恋愛
Princess story 〜御曹司とは付き合いません〜

推活♡指南〜秘密持ちVtuberはスパダリ社長の溺愛にほだされる〜

湊未来
恋愛
「同じファンとして、推し活に協力してくれ!」 「はっ?」 突然呼び出された社長室。総務課の地味メガネこと『清瀬穂花(きよせほのか)』は、困惑していた。今朝落とした自分のマスコットを握りしめ、頭を下げる美丈夫『一色颯真(いっしきそうま)』からの突然の申し出に。 しかも、彼は穂花の分身『Vチューバー花音』のコアなファンだった。 モデル顔負けのイケメン社長がヲタクで、自分のファン!? 素性がバレる訳にはいかない。絶対に…… 自分の分身であるVチューバーを推すファンに、推し活指南しなければならなくなった地味メガネOLと、並々ならぬ愛を『推し』に注ぐイケメンヲタク社長とのハートフルラブコメディ。 果たして、イケメンヲタク社長は無事に『推し』を手に入れる事が出来るのか。

crazy Love 〜元彼上司と復縁しますか?〜

鳴宮鶉子
恋愛
crazy Love 〜元彼上司と復縁しますか?〜

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

処理中です...