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音のないプロポーズ 09

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「…そういえばホッシー、誰から聞いたの? 事故のこと」

 どうにか気持ちが落ち着いてきた頃合いで、氷影がふと尋ねた。
「あ、桃ノ木もものきさんだよ」
 斗南が馴染みの名前を口にする。
 会社の上司だ。
 三人が入社した時に指導係をしてくれた先輩で、現在は斗南と春直の直属の上司になる。部署の離れた氷影にも、何かと声を掛けてくれる優しい人だ。
「桃ノ木さんか。そういえば、今日は来なかったね」
「いま泊まりの研修会なんだ。週明けには戻るけど、ちょっと抜けるのは無理だから、代わりに様子を見てきてほしいって。――あ」
 不意に斗南が不安な顔をした。理由は氷影にもわかる。病院に来てから、ずっと春直の傍から離れずにいた。桃ノ木に連絡を入れていないのだろう。
「ごめん。ちょっと、電話してくる」
 斗南は立ち上がると、慌てて席を離れて行った。その動作に日頃の速度が戻っていて安心する。自分も店内を見回し、客の数を認識する余裕ができていた。思っていたよりずいぶん混んできている。二十四時間営業とは知っていたが、案外ここからが流行る時間なのかもしれない。
 氷影はスマホを取り出すと、二件入ったメッセージを確かめた。時間はどちらも早朝で、随分放置してしまったことになるが、次いだ催促はない。本当なら直接電話を掛けて返答すべきだとは思ったが、斗南と店を出るのもそんなに先ではないだろう。簡単な返事を打つと、すぐに返信があった。

「ごめんね、おまたせ」
 二、三度やり取りをしたところで斗南が帰ってきて、少し落ち着いた顔を見せた。恐らく桃ノ木が何かうまく言ってくれたのだろう。そういう機転に長けた人だ。
「事故のこと、ニュースサイトに出てたって」
「みたいだね。ユキからもネット記事のアドレスが来てた」
 氷影は先刻のメッセージのひとつを思い出したが、斗南に見せることはしなかった。世間的にはよくある深夜の事故のひとつだ。大して目新しい情報もない短い記事だった。
「ユキちゃん、大丈夫? ずっと待たせてるんだよね」
 斗南も桃ノ木から同じように聞いたか、名前の方を拾った。
「さっき連絡した。もうすぐ帰るって言ったら、泊まってこないのかって驚かれたよ」
 氷影は、今度は絵文字付きの返信を見せた。届いたばかりのキャラクターの絵が、画面の中で跳ねている。
「そっか。でも、そろそろ帰ろうか。やっぱり心配してるよ」
「まあ、それはそうだろうけど、でも僕っていうよりハルの心配じゃないかな」
 来ていた二件のもうひとつは、まさしくそういう内容だった。
「ホッシーはひとりで平気?」
「うん。ありがとう、なんとか平気」
 斗南は冷静な顔になっていた。氷影も安心して、それならと席を立つ。気持ちが落ち着いているうちに家へ帰した方がいいはずだ。
「送ってくよ。僕もタクシー拾うし」
「いいよ、いいよ。方角、真逆じゃん」
「だめ。ホッシーにまで事故に遭われたら、ほんと困るんだから」


 外に出ると、相変わらずの雨が地面を叩いていた。運転手の意識のことがあったとはいえ、タイヤのスリップや視界の影響も決して軽くないと警官は言っていた。この先、雨を見るたびに心を乱されることになるのだろうか。
 今度のタクシーの運転手は、濡れた傘を持ち込まれることに眉をひそめたが、車内は既に足場どころかシートまでどことなく湿り気に侵されていた。斗南をアパートの前まで送り、明日の待ち合わせを決める。日曜だからいいが、明日も春直が目を覚まさなければ、この気持ちのまま出勤するのは辛いなと氷影は思った。職場の仲間であろうと、仕事に私情が持ち込めるはずもない。
――早く、起きてよ。ハル。
 一人になると途端に不安が再燃した。明日には目を覚ます。布団に入って眠りに落ちるまで、何度そう言い聞かせたかわからなかった。


 だが、月曜日になっても、火曜日の朝を迎えても、春直は眠ったままだった。



 (つづく)
 
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