8 / 61
音のないプロポーズ 08
しおりを挟む「静かなところに行こう。それで、少しでも何か口に入れよう」
斗南は乗り気ではなさそうだったが、頷いた。やはり一人になるのは怖かったのだと思う。それから、か細い声でやっとしゃべった。
「でも、影ちゃん、帰らなくて大丈夫?」
「平気だよ。ホッシーと話もしたいし。どこがいいかな。食欲…は、ないよね」
斗南はまた小さく返事をした。
この辺りは近所ではあるが、普段来ている場所じゃないから土地勘がない。適当に歩いてファミレスを見つけた。覗くと客が少なかったため、二人はそこへ入った。
食事時のつもりでいたが、午後八時をまわると、客足は引くようだ。あるいは単純に流行っていないのかもしれないが、とにかく奥の席を選ぶと、周りは誰もいなかった。流れているメロディも静かなもので、落ち着いて話ができる。ホールに出てくる店員も一人だけだった。
冷めてからでも食べられそうなメニューを適当に注文し、とにかくお茶だけでもと一口飲ませる。斗南は大人しく従ったが、佳之だったらお茶もまだ飲めないかもしれないと氷影は思った。かくいう自分も食欲があるわけではない。ただ、どうしても斗南には食べさせたかった。このまま斗南にまで倒れられるわけにはいかない。
「ハルが起きたとき、ホッシーがそんなだったら、僕怒られちゃうよ」
在り来たりだとは思ったがそう言うと、斗南はやっと少し笑って、パンの端をかじった。今はこれだけでもいい。氷影はほっとすると、ぬるいコーヒーを啜った。
ホットコーヒー、アイスコーヒー、コーラ、メロンソーダ、オレンジジュース……。今この店のドリンクバーに興味など微塵も持ってはいないのに、氷影の目はメニューの羅列を延々と追っている。どの単語も頭には入らず、しばらくするとまたホット、アイス……と列挙が始まる。立てられた三角のメニューを回転させることすらしないまま、どれだけ飲んでも三五〇円の文字を何度も認識したが、その知識を役立てる日は来ないだろう。
未だに、親友が事故に巻き込まれたという事実が信じられずにいる。自分には痛みもケガもなく、このファミレスにもそんな空気は微塵も漂ってはいない。悪い夢なんてよく言うが、目を覚ませば日々の喧騒であっという間に忘却できるくらい、一瞬の記憶に思えた。そして忘れてさえしまえば見なかったのと同じになる。深入りせず別の思念に没頭すれば、こんな事実はただの幻と消えていったり、しないのだろうか。
「心臓発作だった……」
三十分以上続いた沈黙の後、斗南からぽつりと落とされたのはそんな言葉だった。やっぱり、これは幻なんかじゃないのか。氷影は意識を立て直し、斗南の声に耳を傾ける。
「…お父さんのこと、考えてる?」
心臓発作という単語を聞いた時、氷影でも最初に斗南の父を連想した。亡くなったのは十五年も前だそうだ。
斗南がハンカチを握りしめて泣いていた。黙っていただけで、氷影がこの現実を何とか偽りにしようともがいていた間、斗南はずっと涙を流し続けていたことに気付く。
「春ちゃん、死んじゃったらどうしよう……。また心臓発作が、今度は春ちゃんを……」
「ホッシー。そんなこと言うな。ハルは大丈夫だよ。ハルは……今きっと、薬が効きすぎてるだけで、ちゃんと明日には起きるんだから」
「でも……私のせいだよ。春ちゃん、送ってくれようとしてたの。私が断ったりしなかったら、巻き込まれたりなんか……!」
氷影の胸がズキンと痛む。それを言うなら、昨夜飲みに誘ったのは氷影だ。あるいはメッセージのやり取りの時、斗南を追えと、もっと強く言っていたら違っていたかもしれない。春直の隣で、氷影は何度もそのことを考えた。
人に言えば、きっとあなたのせいではない、と言われるだろう。けれど、もう一本早いバスにしていれば。あと一分立ち話をしていれば。氷影があと一通メッセージを送っていたら。斗南が終バスぎりぎりまで粘ろうなんて言わなければ。あの瞬間、あの場所にさえいなければよかった。そうなる未来は数えきれないほどあって、救えたかもしれない道が、氷影にも斗南にも確かに存在した。助けてあげられる道があったのに、選ばなかったことを、選ばせなかったことを、後悔せずにいられるわけがない。
「春ちゃん…、どんなに痛かっただろう……。怖かったのかな……。私、春ちゃんになんて謝っていいのかわからないよ……」
斗南の肩に触れようと、伸ばした氷影の手が震える。本当に。本当に大丈夫なのか。こんなところにいていいのか。もしも、万が一最悪のことがあった時、ここにいたら春直の手は握れない。ばかなこと言うな。ふざけたこと考えるな。大丈夫に決まってる。自分の中で繰り返される押し問答は、自身をますます不安へと駆り立てる。
結局、机の上で斗南と手を重ねた。彼女を励ますためなのか、あるいは自分の方が縋ってした行為なのか。わからないが、斗南の手は温かかった。それだけでほっとした。きっと斗南も、同じことを感じた気がする。
少なくとも、斗南は生きている。氷影は無事である。それを確かめ合うことで、春直もきっと助かると信じる勇気になった。春直の手も温かかった。必死に戦っているからだ。
必ず打ち勝って、彼は帰ってくる。今は待つことしかできないけど、だからこそ全身全霊で待っていよう。決意を固めて、斗南はやっと涙を拭った。
(つづく)
0
お気に入りに追加
35
あなたにおすすめの小説
社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
推活♡指南〜秘密持ちVtuberはスパダリ社長の溺愛にほだされる〜
湊未来
恋愛
「同じファンとして、推し活に協力してくれ!」
「はっ?」
突然呼び出された社長室。総務課の地味メガネこと『清瀬穂花(きよせほのか)』は、困惑していた。今朝落とした自分のマスコットを握りしめ、頭を下げる美丈夫『一色颯真(いっしきそうま)』からの突然の申し出に。
しかも、彼は穂花の分身『Vチューバー花音』のコアなファンだった。
モデル顔負けのイケメン社長がヲタクで、自分のファン!?
素性がバレる訳にはいかない。絶対に……
自分の分身であるVチューバーを推すファンに、推し活指南しなければならなくなった地味メガネOLと、並々ならぬ愛を『推し』に注ぐイケメンヲタク社長とのハートフルラブコメディ。
果たして、イケメンヲタク社長は無事に『推し』を手に入れる事が出来るのか。
Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~
汐埼ゆたか
恋愛
絶え間なく溢れ出る涙は彼の唇に吸い取られ
慟哭だけが薄暗い部屋に沈んでいく。
その夜、彼女の絶望と悲しみをすくい取ったのは
仕事上でしか接点のない上司だった。
思っていることを口にするのが苦手
地味で大人しい司書
木ノ下 千紗子 (きのした ちさこ) (24)
×
真面目で優しい千紗子の上司
知的で容姿端麗な課長
雨宮 一彰 (あまみや かずあき) (29)
胸を締め付ける切ない想いを
抱えているのはいったいどちらなのか———
「叫んでも暴れてもいい、全部受け止めるから」
「君が笑っていられるなら、自分の気持ちなんてどうでもいい」
「その可愛い笑顔が戻るなら、俺は何でも出来そうだよ」
真摯でひたむきな愛が、傷付いた心を癒していく。
**********
►Attention
※他サイトからの転載(2018/11に書き上げたものです)
※表紙は「かんたん表紙メーカー2」様で作りました。
※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
二人の甘い夜は終わらない
藤谷藍
恋愛
*この作品の書籍化がアルファポリス社で現在進んでおります。正式に決定しますと6月13日にこの作品をウェブから引き下げとなりますので、よろしくご了承下さい*
年齢=恋人いない歴28年。多忙な花乃は、昔キッパリ振られているのに、初恋の彼がずっと忘れられない。いまだに彼を想い続けているそんな誕生日の夜、彼に面影がそっくりな男性と出会い、夢心地のまま酔った勢いで幸せな一夜を共に––––、なのに、初めての朝チュンでパニックになり、逃げ出してしまった。甘酸っぱい思い出のファーストラブ。幻の夢のようなセカンドラブ。優しい彼には逢うたびに心を持っていかれる。今も昔も、過剰なほど甘やかされるけど、この歳になって相変わらずな子供扱いも! そして極甘で強引な彼のペースに、花乃はみるみる絡め取られて……⁈ ちょっぴり個性派、花乃の初恋胸キュンラブです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
10 sweet wedding
国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる