雨降る朔日

ゆきか

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第五幕 蛇

四 いいこだから、待っていなさい。

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 司の証言で、朔夜の病の正体が確定した。
 一果は紙人形たちを女学校へ向けて飛ばしてから大急ぎで術を組み立て、医院の外へ飛び出した。
 何十枚もの千代紙に抱きかかえられるようにして運ばれてきたのはともえだ。

「一果先生! あの、これは一果先生の紙人形……ですよね?」

 じたばたと手足を動かすが、千代紙はびくともしない。一果が近付くと、そっとともえを降ろしてくれた。
 一果は内緒話をするように、ともえの耳元で小声で言う。

「もえちゃん、手荒な真似をしてすまない。手伝ってほしいことがあるんだ」

 ともえは心の中で悲鳴を上げた。

 ──きゃあ! 一果先生がわたしを頼ってくださっている! 何かしら? 必ずお役に立って見せるわ!

 顔の緩みも目の輝きも抑えられず、上擦った声で返事をする。

「お任せください!」


- - - - - - -


 一果に引っ張られながら朔夜の自室に連れてこられたともえは、その姿を見て声を上げた。

「最近見かけないと思ったら! どうしたの!」

「うぅ……ともえ……?」

 朔夜は意識はあるようだが高熱で頭が茹って朦朧としているようだった。溶けた氷嚢を藤袴が取り替える。
 朔夜が毒草を食べて熱を出しているのはよく見かけるのでそれ自体は心配することではないのだが、ともえは一果の普段と違う様子が気にかかる。

「た、たいへんな病気なのですか?」

「蛇に憑かれているんだ。今から叩き出す」

 一果は毅然とした低い声でそう言いながら朔夜の身体を起こした。

「蛇……?」
「蛇……?」

 兄弟猫のように同時に首を傾けるともえと朔夜。
 一果は袖口から取り出した壺と蓋をともえに渡し、朔夜の向かいに座らせた。金箔で古風な装飾の施された、両手で持てるほどの大きさの壺である。保存状態は良いが、数百年の年代物であると見える。ともえは中を覗き込んだが、何も入っていない。

「壺をこっちに向けて。しっかりと持っているんだよ。いいかい、何があっても絶対に手を離さないこと。よしと言ったら蓋をしめなさい」

「は、はい!」

 訳の分からないまま、ともえは一果の気迫に圧されて返事をした。藤袴は静かに一果の後ろに控えている。

「動くなよ朔夜」

「えっ母さん、何を……」

「天清浄地清浄内外清浄六根清浄………」

 朔夜の後ろで右手を振りかぶりながら唱える。
 そして。

「おらあぁぁぁあああぁあぁああ!!!」

 その手を、渾身の力で朔夜の背中に叩きつけた。
 パァン! と、竹刀を叩きつけたような鮮やかな音が鳴る。同時に朔夜の口から白い蛇が飛び出した。壺の中へと吸い込まれていく。

「んんん………」

「よし、閉めて!」

 蛇が壺の中で暴れ回っているのか、壺が激しく揺れてともえの手から逃れようとする。ともえは一果の指示通り壺を強く握りしめて離さず、やっとの思いで蓋を閉じた。すると壺は動かなくなった。

「はあ……」

 気が抜けてへたり込むともえ。

「よくやってくれたね。今は緊急だから、礼は改めてさせてもらおう」

 一果は朔夜を寝かせて布団をかけてから、ともえの頭をぽんぽんと撫でた。壺を受け取り、蓋の周りに千代紙を固く巻き付ける。

「さて、これでじきに熱は下がるだろう。ネズミ以外の食事もとれるはずだ」

「ネ、ネズミ……?」

 ともえは朔夜がネズミをむしゃむしゃと食べる様子を想像してしまった。

「では、あたしはこいつに用があるから失礼するよ。もえちゃん、もしこのあと時間があればだが、藤袴の指示を聞いてこいつの看病を頼む」

「はい!」

 ともえは端座して凛とした返事をする。
 一果が頷いて部屋を出ようとすると、背後から弱々しい、幽かな声が聞こえた。

「かあ、さん……いかないで………」

 一果は立ち止まった。だが振り向きはしない。今は我が子を助けるために、心を鬼にしなくてはならない時だ。

「いいこだから、待っていなさい」

「や…………」

 朔夜は一果に向かって手を伸ばしたが、力尽きてしまった。涙でぼやけた視界の中で、母が唐紙の向こうへ消えていく。


- - - - - - -


 一果は研究室に戻り、壺の蓋を開け、出てきた白蛇を片手で握って捕まえた。

「ふん、こんな小物にやられるとは。我が弟子ながら情けない」

「離せ無礼者!」

 くねくねと暴れる蛇。一果が握る手に軽く力を込めると、手のひらに乗るほどの大きさに縮んだ。尾の先を指で摘んで顔の高さへ持ち上げる。

「お前は蛇神の眷属か?」

「ああ、そうだ。我は血墨の姫様ひいさまより承り、お迎えに参った者。朔夜様を蒸し殺し、血墨へお連れせよとの仰せじゃ」

「やはりな。あたしとしたことが、お前の正体を見抜くのに幾日もの時間を要してしまった。なかなかのものだな、褒めてやろう」

「小娘が生意気な」

「残念ながら、あたしはお前より年長者なんだよね」

 千代紙が一果の袖の中から飛んできて、蛇に巻きつき包み込んだ。

「何をする!」

 離した手から机の上に落ち、無様にのたうち回るそれを一果は無表情で見下ろす。

「千里のところへ案内しろ」

「姫様をその名で呼ぶな無礼者!」

「やかましい。黙って言うことを聞け。あたしが一つ合図をすれば、その千代紙はたちまち縮んで砂粒のようになる。……意味は分かるな?」

「脅しのつもりか。我が命を惜しんで姫様ひいさまのお住居すまいを人間に明かすとお思いか」

「そうか。血墨はあたしの在所なんだ。あそこの地理は手に取るように分かる。見当もついてはいるんだよね。遅かれ早かれあいつには会えるんだ。言うことを聞いて命を大事にした方が賢いと思わないかい?」

 蛇はしばらく考え、フンッと鼻を鳴らした。

「……仕方あるまい。こんな姿にならなければ、ここでお前も絞め殺しておったわ」

 一果が指を動かすと、千代紙がキュッとやや絞められた。

「口には気をつけな」


- - - - - - -


 気を失った朔夜は、数時間後に目を覚ました。

「せ、せなかいたい……」

「起きた! 藤袴さーん!」

 ともえに連れてこられた藤袴は朔夜を見てにこやかに言う。

「体温、脈拍、全て正常でございます。順調に回復へ向かっていらっしゃいますね。肋骨に軽度の骨折が見られますが、明日まで安静になされば自然と治ります。お薬を調合いたしましょう」

 藤袴には、患者を一目見て状態を把握する能力は備わっていないはずだ。そこから朔夜は状況を把握する。

「母さんの知識が預けられている? ……どこか遠くへ出かけているのか?」

「血墨へ行かれましたよ。お戻りになるのは数日後かと存じます。その間、私が留守を預かるようにとの仰せでございます」

「血墨へ行く用事なんて聞いていない。どうしてそんなところへ?」

「存じません」

「ともえは?」

「知らない……」

 分かりやすく目を逸らすともえ。朔夜が気を失っていた間に藤袴から話を聞いているが、朔夜には言わないようにと口を封じられている。留守を預かっている今の藤袴の言葉は一果の言葉と同じだと、ともえは心得ている。
 朔夜は手がかりを探すため、霞のかかったような頭でこの数日間のことを思い出そうとする。

「……蛇が憑いてるとか言ってた気がするんだけど」

「川に悪い蛇がおりましたようでございますね。一果先生が追い払いましたから、ご心配は無用でございますよ」

 普段通りの柔和な微笑みを浮かべて優しい声で話す藤袴からは感情が読み取れない。それに対して、ともえの顔には文字がびっしりと書かれている。

「そうよ。藤袴さんの言う通り、一果先生が解決してくれたわよ」

 明らかに何かを隠しているが、頑固なともえは絶対に口を割らないだろうと朔夜は諦めた。
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