雨降る朔日

ゆきか

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第五幕 蛇

二 丸呑みするのが美味しいと思うよ。

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 朔夜はぼんやりと天井を見つめている。魂が抜けたように見えるが、頭の中は母の作った料理を拒否してしまった罪悪感で大忙しだ。布団が何十倍も重く感じられる。潰されて地面に埋まってしまいそうだ。

「朔夜、起きてるかい?」

 母の声が聞こえる。唐紙が開いて、声の主が現れ、その手に持っているものが目に入り────つい数秒前まで朔夜の中で澱んでいた感情が全て吹き飛んだ。

「………………何だそれ?」

「これなら食べられるだろう」

「…………………………正気か?」

 つい、心の声がそのまま口から出てしまった。

 朱漆に蒔絵で秋草の描かれたお膳台の上に乗せられていたのは、珠白で生まれ育った者にとってはとても人間の食べ物とは呼べないものだった。

 高く積み上げられた、白いネズミの死体である。

 一果はお膳台を朔夜の前へ運ぶ。箸で一匹を摘み上げ、朔夜の顔に近付ける。
 開かれた赤い瞳と目が合う。

「食べなさい」

 ──ネズミを、それも調理されていないものを食べろと突然言われても。

 弟子が師の言動を理解できないのは、未熟であるからだ。理解できなくても、何か意図があるはずだと信じ、従うべきだ。朔夜はそう心得ている。しかし、それでもネズミを食べろというのは、即座に覚悟を決められることではない。そのはずなのに、不思議とお粥や果物よりも食べられそうに感じられた。
 朔夜が固まっていると、一果は口に指をねじ込んで開けさせた。

「栄養あるよ。これを食べればきっと治る」

 一果の口調は普段と変わらず冷静で明朗だが、その笑顔はやや無理を感じさせるものだった。

 ネズミが口に近付けられていく。身体を捩って抵抗するが、一果にあっさりと組み敷かれ、口にネズミが押し込まれた。
 口の中に体毛と手足の感触がある。喉の奥に鼻先が強く押し当てられている。苦しい。だが、吐き出したいとは思わない。
 飲み込みたいと、本能が訴えている。
 そこへ、一果の言葉。

「丸呑みするのが美味しいと思うよ」

 ネズミの丸呑みなんて、人間にできるわけがない。そう思ったのに。

「んっ……」

 喉は動いて、口内のネズミをするりと腹の中へ運んだ。

「どうだい?」

「………おいしい」

 それが、ネズミを丸呑みした朔夜の、嘘偽りない率直な感想だった。
 一果の表情に光が戻る。

「そうかそうか! もっと食べなさい!」

 二匹目のネズミを箸で摘み上げる。朔夜は素直に口を開け、ネズミをおいしそうに飲み込んだ。
 一果は次々とネズミを朔夜の口に運んだ。最後の数匹は一果に食べさせられるのを待たずに、朔夜自ら手で掴んで飲み込んだ。そうして、あっという間にお膳台の上は空になった。

「よく食べたね。これだけ食欲があれば安心だ」

 朔夜は一果の余計な不安を払拭できたことに安堵したが、何か言いたげに、徐々にその表情を曇らせていく。

「母さん……これはどういうことなんだ? 説明してくれ」

「ミラの一部にはネズミを食べる文化があるらしいよ」

「さすがに生で丸呑みはしないだろ」

「でも、美味しかっただろう?」

「うん…………」

 本当に、美味しかった。

「いやいや、それじゃ説明になってな……うっ」

 一果は咄嗟に、布団の傍にあった桶を朔夜の膝の上に置いた。胃の中のものを喉に詰まらせ吐き出せずに苦しむ朔夜の背中をさする。
 飲み込まれる前と同じ姿のネズミがボトリと桶の中に吐き落とされた。
 何度も喉に詰まらせながら苦心してネズミを全て吐いた朔夜は過呼吸を起こした。

「ごめんなさい……っ、」

「大丈夫だから、落ち着きなさい。息を止めて、ゆっくり吐いて」

 時間をかけてようやく落ち着き、赤く潤んだ目で一果を見上げている。

「かあさん……」

「無理をさせて悪かったね。しばらく何も食べていなかったところへ消化に悪いものを大量に入れたからだろう。少しずつ食べようか」
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