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第三幕 氷室の祭礼
二 咲くや、此の花、優しい名ね。
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秋の終わりの日没は早い。水面が茜色に眩しく瞬く川沿いを、学校帰りの生徒たちが歩いている。
「今日はちゃんと起きてたね」
司が朔夜の背中に残った葉っぱを取りながら言う。
「やればできるじゃないか」
蓮が朔夜の頭を撫でる。
「昨晩はおふとんで寝たから」
「誇らしげに言わないでよ。毎日そうしなよ」
ごもっともな司の言葉。
「分かってるよ………」
聞き飽きたというふうに膨れる朔夜に、司は気になっていたことをたずねる。
「どうして朔夜はそんなに無茶をするの?」
「早く一人前になりたいんだ」
「でも、一果先生に急かされているわけではないんだろ?」
「そうだけど、早くしないといけないような気がするんだ。漠然とそう感じているんだ。上手く説明できないんだけど、期限がすぐそこまで迫っているような感じ……」
朔夜の声が徐々に小さくなる。蓮と司には朔夜の言葉の意味が理解できない。しかし友人が何やら追い詰められているらしいことは分かった。
「………何言ってるんだよ。一生かけて立派な薬師になればいいんじゃないの。一果先生もきっとそう思ってるよ」
「そうだぞ朔夜。休みの日や学校帰りは一緒に遊んでほしいしさ」
二人は左右から朔夜にこつんと体当たりした。挟まれながら朔夜は笑った。
「ありがとう。変なこと言ってごめん」
「気にするなって。それより、今日は往診の予定は無いんだろ? これからどこか行きたいところはないか?」
元気付けようという蓮の気遣いだろう。
朔夜は俯いて少し考えてから、遠慮がちに答える。
「貸本屋に寄っていい?」
「朔夜が行きたいところを言うなんて珍しいね。いつも『どこでもいい』って言うのに」
- - - - - - -
朔夜が指定した貸本屋は茶屋町の外れの路地裏にある。学生たちが集まるのは学校の近くの大通りの貸本屋だが、そこには目当ての本は無いのだという。
茶屋町は百辰神社の横のうたい坂の袂にあって、仕事でよく行き通いする場所なのに、一果に教えられるまで貸本屋の存在には気付けなかった。
一果の手書きの地図を見ながら人気のない薄暗い路地裏を進んでいくと、それらしいものを見つけた。
行燈に墨で「かしほん」と書かれたのが軒先に掛けられている。足元には、季節はとうに過ぎているはずの白い曼珠沙華が咲いていた。
「朔夜、大丈夫なのか? 怪しい店じゃないよな」
「母さんは怪しくないって言ってた」
「ますます怪しいよ」
朔夜が先陣を切って古い作りの扉を開けると、伽羅の香りがした。
「こんにちは」
礼儀正しく挨拶をして店に入ると、黒に彼岸花を染め抜いた丸髷の女がちらりと三人を見た。
文机の前に斜め座りする裾から朱色の長襦袢が流れている。
文机に描かれた陣の上で、大小色彩いろいろの石を白い手で転がしている。弄石と言って、石を蒐集する趣味がある。集めた石は飾るばかりではなく占いに使うのが石のほんとうの楽しみ方だというのが彼女の考え方だ。
「いらっしゃい。あら、霜辻医院の坊やじゃないの。お友達と一緒? 店に来てくれるのは初めてね」
「どうしておれのことを?」
「こんなに小さい赤ちゃんの頃に、一果先生が連れてきてくれたんですよ。大きくなったのね」
赤ちゃんのころの顔しか知らないのにどうして朔夜って分かるんだよ……と、蓮と司が朔夜の後ろで囁きあっている。
「それで、どんな本をお探しかしら。残念だけど、医学書は置いておりませんよ」
「カペラの言葉が勉強できる本はありますか? 発音も載っているのがいい」
「奥にあったかしら……。探してきますね」
店主は立ち上がり、店の奥へと姿を消した。
「カペラの言葉? どうしたんだよ急に」
蓮の問いに、朔夜本人より先に司が答えた。
「分かった、また一果先生に変な課題を出されたんだ」
「そんなところかな……」
嘘ではない。修復の方法の手掛かりがミーシャから聞けるかもしれないからだ。
しかし朔夜にとってはそれと同じくらい大きな理由があった。
──言葉の通じない異国に連れてこられたら、どれほど心細いだろう。
「この本はどうかしら。分かりやすくて、発音は全て仮名で書かれていますよ。辞書もあるとよいと思って一緒に持ってきましたよ」
戻った店主が持ってきた本を、朔夜は大切そうに受け取った。
「いつまでに返せばいいですか?」
「この店の本は、一月後までに返していただくことになっています。でも、その本を借りたい人は綴見には他におられないでしょうし、ひと月ごとに代金を払いにいらしてくれさえすれば、いつまで借りていてもよろしいですよ。けれど、ほんとうに外国語を学ぶつもりであれば、辞書は買うことをおすすめするわ」
司と蓮は絵草紙を借りた。三人で店を出ようとすると、店主が朔夜を呼び止めた。
「あなた、お名前は何といったかしら」
「霜辻朔夜といいます」
「さくや、さくや……。咲くや、此の花、優しい名ね。春生まれ?」
「いいえ、秋です。新月に生まれました」
「成程、なら朔日の夜と書く方ね。美しい少年にふさわしい名……。そう、朔日に生まれたの………」
陣の上で石を転がしながらぼそぼそと呟いている。
「それがどうかしましたか?」
「あら、医者なのに知らないの? 珠白ではね、朔日には子供が生まれないの」
「まさか、迷信ですよ。おれは朔日に母さんから生まれたんです。母がこのことに嘘をつく理由はありません」
「そう」
店主は微笑んで石を片付けた。
朔夜が店を出ると、司と蓮が落ち着かない様子で待っていた。
「帰ってきた!」
「鬼に食われたりしてるかもしれないから助けに行こうかって話し合ってたんだよ!」
いくらこの店の雰囲気が怪しげだからって妄想が過ぎるだろう、と朔夜は呆れて笑った。
「話してただけだよ」
「何を話してたんだよ」
「ちょっと、占ってもらってた。あまり当たらないみたいだ」
「今日はちゃんと起きてたね」
司が朔夜の背中に残った葉っぱを取りながら言う。
「やればできるじゃないか」
蓮が朔夜の頭を撫でる。
「昨晩はおふとんで寝たから」
「誇らしげに言わないでよ。毎日そうしなよ」
ごもっともな司の言葉。
「分かってるよ………」
聞き飽きたというふうに膨れる朔夜に、司は気になっていたことをたずねる。
「どうして朔夜はそんなに無茶をするの?」
「早く一人前になりたいんだ」
「でも、一果先生に急かされているわけではないんだろ?」
「そうだけど、早くしないといけないような気がするんだ。漠然とそう感じているんだ。上手く説明できないんだけど、期限がすぐそこまで迫っているような感じ……」
朔夜の声が徐々に小さくなる。蓮と司には朔夜の言葉の意味が理解できない。しかし友人が何やら追い詰められているらしいことは分かった。
「………何言ってるんだよ。一生かけて立派な薬師になればいいんじゃないの。一果先生もきっとそう思ってるよ」
「そうだぞ朔夜。休みの日や学校帰りは一緒に遊んでほしいしさ」
二人は左右から朔夜にこつんと体当たりした。挟まれながら朔夜は笑った。
「ありがとう。変なこと言ってごめん」
「気にするなって。それより、今日は往診の予定は無いんだろ? これからどこか行きたいところはないか?」
元気付けようという蓮の気遣いだろう。
朔夜は俯いて少し考えてから、遠慮がちに答える。
「貸本屋に寄っていい?」
「朔夜が行きたいところを言うなんて珍しいね。いつも『どこでもいい』って言うのに」
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朔夜が指定した貸本屋は茶屋町の外れの路地裏にある。学生たちが集まるのは学校の近くの大通りの貸本屋だが、そこには目当ての本は無いのだという。
茶屋町は百辰神社の横のうたい坂の袂にあって、仕事でよく行き通いする場所なのに、一果に教えられるまで貸本屋の存在には気付けなかった。
一果の手書きの地図を見ながら人気のない薄暗い路地裏を進んでいくと、それらしいものを見つけた。
行燈に墨で「かしほん」と書かれたのが軒先に掛けられている。足元には、季節はとうに過ぎているはずの白い曼珠沙華が咲いていた。
「朔夜、大丈夫なのか? 怪しい店じゃないよな」
「母さんは怪しくないって言ってた」
「ますます怪しいよ」
朔夜が先陣を切って古い作りの扉を開けると、伽羅の香りがした。
「こんにちは」
礼儀正しく挨拶をして店に入ると、黒に彼岸花を染め抜いた丸髷の女がちらりと三人を見た。
文机の前に斜め座りする裾から朱色の長襦袢が流れている。
文机に描かれた陣の上で、大小色彩いろいろの石を白い手で転がしている。弄石と言って、石を蒐集する趣味がある。集めた石は飾るばかりではなく占いに使うのが石のほんとうの楽しみ方だというのが彼女の考え方だ。
「いらっしゃい。あら、霜辻医院の坊やじゃないの。お友達と一緒? 店に来てくれるのは初めてね」
「どうしておれのことを?」
「こんなに小さい赤ちゃんの頃に、一果先生が連れてきてくれたんですよ。大きくなったのね」
赤ちゃんのころの顔しか知らないのにどうして朔夜って分かるんだよ……と、蓮と司が朔夜の後ろで囁きあっている。
「それで、どんな本をお探しかしら。残念だけど、医学書は置いておりませんよ」
「カペラの言葉が勉強できる本はありますか? 発音も載っているのがいい」
「奥にあったかしら……。探してきますね」
店主は立ち上がり、店の奥へと姿を消した。
「カペラの言葉? どうしたんだよ急に」
蓮の問いに、朔夜本人より先に司が答えた。
「分かった、また一果先生に変な課題を出されたんだ」
「そんなところかな……」
嘘ではない。修復の方法の手掛かりがミーシャから聞けるかもしれないからだ。
しかし朔夜にとってはそれと同じくらい大きな理由があった。
──言葉の通じない異国に連れてこられたら、どれほど心細いだろう。
「この本はどうかしら。分かりやすくて、発音は全て仮名で書かれていますよ。辞書もあるとよいと思って一緒に持ってきましたよ」
戻った店主が持ってきた本を、朔夜は大切そうに受け取った。
「いつまでに返せばいいですか?」
「この店の本は、一月後までに返していただくことになっています。でも、その本を借りたい人は綴見には他におられないでしょうし、ひと月ごとに代金を払いにいらしてくれさえすれば、いつまで借りていてもよろしいですよ。けれど、ほんとうに外国語を学ぶつもりであれば、辞書は買うことをおすすめするわ」
司と蓮は絵草紙を借りた。三人で店を出ようとすると、店主が朔夜を呼び止めた。
「あなた、お名前は何といったかしら」
「霜辻朔夜といいます」
「さくや、さくや……。咲くや、此の花、優しい名ね。春生まれ?」
「いいえ、秋です。新月に生まれました」
「成程、なら朔日の夜と書く方ね。美しい少年にふさわしい名……。そう、朔日に生まれたの………」
陣の上で石を転がしながらぼそぼそと呟いている。
「それがどうかしましたか?」
「あら、医者なのに知らないの? 珠白ではね、朔日には子供が生まれないの」
「まさか、迷信ですよ。おれは朔日に母さんから生まれたんです。母がこのことに嘘をつく理由はありません」
「そう」
店主は微笑んで石を片付けた。
朔夜が店を出ると、司と蓮が落ち着かない様子で待っていた。
「帰ってきた!」
「鬼に食われたりしてるかもしれないから助けに行こうかって話し合ってたんだよ!」
いくらこの店の雰囲気が怪しげだからって妄想が過ぎるだろう、と朔夜は呆れて笑った。
「話してただけだよ」
「何を話してたんだよ」
「ちょっと、占ってもらってた。あまり当たらないみたいだ」
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