13 / 39
第二幕 金色に彩る
六 こ、琥珀がおれの父親になるのは反対だ。
しおりを挟む
唐紙はすらりと開かず、朔夜が体重を乗せて引くと重たくゆっくりと動いた。
琥珀と松羽はその奥の闇の中で鈍く光る紫色を見て息を止めた。
「色々あって、拾ったんだ。こいつを直すように母さんから言われてる」
朔夜は行燈を灯して六畳間に入り、シェデーヴルの傍に端座して行燈を置いた。二人もそろそろと後に続いた。
「綺麗だな。人形?」
「そうだ。金継ぎで繋いでみようと思ってる」
「ああ、それで……」
琥珀は朔夜から行燈を受け取り、近付けてじっと観察した。
「すごく質の高い石英と紫水晶だな。こんなのは見たことない」
「そういうのって何を見て判断するんだ? おれ、鉱物のことはよく分からなくてさ」
「色と透明度かな。恐ろしいほど深くて透き通るような紫色だろ。でもよく見ると、ひび割れが多いみたいだな。状態さえ良かったら、相当高い値がつくところだ。……うーん、修復に使うなら、これに見合う質の石が必要だよな」
「手に入りそうか?」
「問題ない。任せてくれ」
即答する琥珀。
また何も考えずに返事をしているな……という松羽の冷たい視線が背後から刺さるが琥珀は気にしていない。
「修復とはいっても、新しい石で作り直すことになるんだろ? 量が多いけど何とかしよう。……まさか、この脆くなった石をそのまま使うつもりではないよな」
「いや、可能な限り元の素材を使おうと考えてる。足りない部分だけ新しい石で補ってみるつもりだ」
「それなら今の状態を詳しく見てやろう。触ってもいいか?」
朔夜は頷いて、ねこちゃん柄の厚い手袋を琥珀にはめさせた。琥珀は欠片を一つずつ手に取っては行燈の光に透かした。
「氷みたいに冷たい石だな。うん、こうして見ても、ひびが目立つ。少しの衝撃で壊れてしまいそうだ。これを使うつもりなら扱いには気をつけないと。……一回の衝撃で割れた感じではない。長い時間をかけて負荷が蓄積しているみたいだ。……石英が付いている方が肌の表面側だよな。内側から入っている細かなひびもあるみたいだ」
「そうなのか……」
朔夜は俯いた。何か考え込んでいるようだ。
「どうした?」
「いや、こいつ、過去に色々あったみたいでさ。詳しいことは知らないけど、想像すると悲しくなってしまうんだ」
「人形に感情は無いから、考えすぎないほうがいいぞ」
「………そうだな」
泣きそうな朔夜の頭を琥珀はわしゃわしゃと撫で回した。
そのとき突然、土間に続く障子が勢いよく開いた。
「わかちゃん! まっちゃん! ようこそ!」
重い空気を切り裂くような元気な声。
「あ、一果先生、久しぶり!」
「おじゃましております」
六畳部屋に入ってきて琥珀と松羽の間に入り、二人の肩を抱く。
「元気そうだね。たまにはあたしにも顔を見せなさいね。うんうん、ふたりとも満点だ。やはりたくさん歩くのは健康に良いということかな? ……あれ、わかちゃんは少しお腹がプニプニになったようだね」
「どうして分かるの!?」
一果の腕を振り解いて部屋の隅へ逃げていく琥珀。
「医者だからさ」
当然だよというように答える一果。
──いや、重ねた服の上から見ただけで僅かな体型の変化が分かる医者は、母さんだけだと思う。
「そうなんです。近頃は僕の肩に乗ることを覚えて、自分で歩こうとしないんです」
深く頷きながら訴える松羽の表情には日頃の苦労が滲んでいる。
「それはいけない。少しは歩かせてやってくれ」
「ついでに薬籠も持たせましょうか」
「やだ! 松羽の鬼! 魑魅魍魎!」
部屋の隅から悲鳴が上がっている。
「ははは、わかちゃんは成長期だからね、あまり重いものを持たせてはいけないよ。これは朔夜の薬籠の何倍も大きいからね。子供が持つものではない」
「一果先生、好き!」
抱きついてくる琥珀の顎を一果は軽く持ち上げて顔を向けさせ、演技がかった口調で囁く。
「かわいいねえ。けど、そういうことを軽々しく言うものではない。本気にしてしまうじゃないか。あたしは独身だよ」
「えっと……」
狼狽えながらススッ……と松羽の隣に戻る琥珀。
「こ、琥珀がおれの父親になるのは反対だ」
真面目な顔で主張する朔夜。琥珀のことをお義父さんと呼ばなくてはならなくなる事態は避けたいらしい。
「ふふ、冗談の通じない子だねえ。……それで、みんなでお人形さんを囲んで何をしていたのかな?」
「修復に必要な素材を琥珀に頼もうと思って。町で買うこともできると思うけど、薬師がこういうものを仕入れていたら怪しいだろ」
何より、朔夜には嘘をつくのが下手な自覚があった。
「ああ、なるほどね、良い考えだと思うよ」
一果は腕組みをして頷き、琥珀の方を見る。
「一果先生、ここで見聞きしたことは絶対に誰にも言わないから安心してくれ」
「もちろん、その点については信用してるよ。朔夜もそう思っているからおまえたちに頼んだのだろう」
びわの実を小さな瓶に分けて持たせ、二人を見送った。次はカペラへ行くのだという。
「あっ」
二人の姿が見えなくなってから、朔夜は大変なことを思い出した。
「春夜喜雨を頼むのを忘れてた……」
琥珀と松羽はその奥の闇の中で鈍く光る紫色を見て息を止めた。
「色々あって、拾ったんだ。こいつを直すように母さんから言われてる」
朔夜は行燈を灯して六畳間に入り、シェデーヴルの傍に端座して行燈を置いた。二人もそろそろと後に続いた。
「綺麗だな。人形?」
「そうだ。金継ぎで繋いでみようと思ってる」
「ああ、それで……」
琥珀は朔夜から行燈を受け取り、近付けてじっと観察した。
「すごく質の高い石英と紫水晶だな。こんなのは見たことない」
「そういうのって何を見て判断するんだ? おれ、鉱物のことはよく分からなくてさ」
「色と透明度かな。恐ろしいほど深くて透き通るような紫色だろ。でもよく見ると、ひび割れが多いみたいだな。状態さえ良かったら、相当高い値がつくところだ。……うーん、修復に使うなら、これに見合う質の石が必要だよな」
「手に入りそうか?」
「問題ない。任せてくれ」
即答する琥珀。
また何も考えずに返事をしているな……という松羽の冷たい視線が背後から刺さるが琥珀は気にしていない。
「修復とはいっても、新しい石で作り直すことになるんだろ? 量が多いけど何とかしよう。……まさか、この脆くなった石をそのまま使うつもりではないよな」
「いや、可能な限り元の素材を使おうと考えてる。足りない部分だけ新しい石で補ってみるつもりだ」
「それなら今の状態を詳しく見てやろう。触ってもいいか?」
朔夜は頷いて、ねこちゃん柄の厚い手袋を琥珀にはめさせた。琥珀は欠片を一つずつ手に取っては行燈の光に透かした。
「氷みたいに冷たい石だな。うん、こうして見ても、ひびが目立つ。少しの衝撃で壊れてしまいそうだ。これを使うつもりなら扱いには気をつけないと。……一回の衝撃で割れた感じではない。長い時間をかけて負荷が蓄積しているみたいだ。……石英が付いている方が肌の表面側だよな。内側から入っている細かなひびもあるみたいだ」
「そうなのか……」
朔夜は俯いた。何か考え込んでいるようだ。
「どうした?」
「いや、こいつ、過去に色々あったみたいでさ。詳しいことは知らないけど、想像すると悲しくなってしまうんだ」
「人形に感情は無いから、考えすぎないほうがいいぞ」
「………そうだな」
泣きそうな朔夜の頭を琥珀はわしゃわしゃと撫で回した。
そのとき突然、土間に続く障子が勢いよく開いた。
「わかちゃん! まっちゃん! ようこそ!」
重い空気を切り裂くような元気な声。
「あ、一果先生、久しぶり!」
「おじゃましております」
六畳部屋に入ってきて琥珀と松羽の間に入り、二人の肩を抱く。
「元気そうだね。たまにはあたしにも顔を見せなさいね。うんうん、ふたりとも満点だ。やはりたくさん歩くのは健康に良いということかな? ……あれ、わかちゃんは少しお腹がプニプニになったようだね」
「どうして分かるの!?」
一果の腕を振り解いて部屋の隅へ逃げていく琥珀。
「医者だからさ」
当然だよというように答える一果。
──いや、重ねた服の上から見ただけで僅かな体型の変化が分かる医者は、母さんだけだと思う。
「そうなんです。近頃は僕の肩に乗ることを覚えて、自分で歩こうとしないんです」
深く頷きながら訴える松羽の表情には日頃の苦労が滲んでいる。
「それはいけない。少しは歩かせてやってくれ」
「ついでに薬籠も持たせましょうか」
「やだ! 松羽の鬼! 魑魅魍魎!」
部屋の隅から悲鳴が上がっている。
「ははは、わかちゃんは成長期だからね、あまり重いものを持たせてはいけないよ。これは朔夜の薬籠の何倍も大きいからね。子供が持つものではない」
「一果先生、好き!」
抱きついてくる琥珀の顎を一果は軽く持ち上げて顔を向けさせ、演技がかった口調で囁く。
「かわいいねえ。けど、そういうことを軽々しく言うものではない。本気にしてしまうじゃないか。あたしは独身だよ」
「えっと……」
狼狽えながらススッ……と松羽の隣に戻る琥珀。
「こ、琥珀がおれの父親になるのは反対だ」
真面目な顔で主張する朔夜。琥珀のことをお義父さんと呼ばなくてはならなくなる事態は避けたいらしい。
「ふふ、冗談の通じない子だねえ。……それで、みんなでお人形さんを囲んで何をしていたのかな?」
「修復に必要な素材を琥珀に頼もうと思って。町で買うこともできると思うけど、薬師がこういうものを仕入れていたら怪しいだろ」
何より、朔夜には嘘をつくのが下手な自覚があった。
「ああ、なるほどね、良い考えだと思うよ」
一果は腕組みをして頷き、琥珀の方を見る。
「一果先生、ここで見聞きしたことは絶対に誰にも言わないから安心してくれ」
「もちろん、その点については信用してるよ。朔夜もそう思っているからおまえたちに頼んだのだろう」
びわの実を小さな瓶に分けて持たせ、二人を見送った。次はカペラへ行くのだという。
「あっ」
二人の姿が見えなくなってから、朔夜は大変なことを思い出した。
「春夜喜雨を頼むのを忘れてた……」
2
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
呪配
真霜ナオ
ホラー
ある晩。いつものように夕食のデリバリーを利用した比嘉慧斗は、初めての誤配を経験する。
デリバリー専用アプリは、続けてある通知を送り付けてきた。
『比嘉慧斗様、死をお届けに向かっています』
その日から不可解な出来事に見舞われ始める慧斗は、高野來という美しい青年と衝撃的な出会い方をする。
不思議な力を持った來と共に死の呪いを解く方法を探す慧斗だが、周囲では連続怪死事件も起こっていて……?
「第7回ホラー・ミステリー小説大賞」オカルト賞を受賞しました!
ゴーストバスター幽野怜
蜂峰 文助
ホラー
ゴーストバスターとは、霊を倒す者達を指す言葉である。
山奥の廃校舎に住む、おかしな男子高校生――幽野怜はゴーストバスターだった。
そんな彼の元に今日も依頼が舞い込む。
肝試しにて悪霊に取り憑かれた女性――
悲しい呪いをかけられている同級生――
一県全体を恐怖に陥れる、最凶の悪霊――
そして、その先に待ち受けているのは、十体の霊王!
ゴーストバスターVS悪霊達
笑いあり、涙あり、怒りありの、壮絶な戦いが幕を開ける!
現代ホラーバトル、いざ開幕!!
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
片翅の火蝶 ▽半端者と蔑まれていた蝶が、蝋燭頭の旦那様に溺愛されるようです▽
偽月
キャラ文芸
「――きっと、姉様の代わりにお役目を果たします」
大火々本帝国《だいかがほんていこく》。通称、火ノ本。
八千年の歴史を誇る、この国では火山を神として崇め、火を祀っている。国に伝わる火の神の伝承では、神の怒り……噴火を鎮めるため一人の女が火口に身を投じたと言う。
人々は蝶の痣を背負った一族の女を【火蝶《かちょう》】と呼び、火の神の巫女になった女の功績を讃え、祀る事にした。再び火山が噴火する日に備えて。
火縄八重《ひなわ やえ》は片翅分の痣しか持たない半端者。日々、お蚕様の世話に心血を注ぎ、絹糸を紡いできた十八歳の生娘。全ては自身に向けられる差別的な視線に耐える為に。
八重は火蝶の本家である火焚家の長男・火焚太蝋《ほたき たろう》に嫁ぐ日を迎えた。
火蝶の巫女となった姉・千重の代わりに。
蝶の翅の痣を背負う女と蝋燭頭の軍人が織りなす大正ロマンスファンタジー。
大正石華恋蕾物語
響 蒼華
キャラ文芸
■一:贄の乙女は愛を知る
旧題:大正石華戀奇譚<一> 桜の章
――私は待つ、いつか訪れるその時を。
時は大正。処は日の本、華やぐ帝都。
珂祥伯爵家の長女・菫子(とうこ)は家族や使用人から疎まれ屋敷内で孤立し、女学校においても友もなく独り。
それもこれも、菫子を取り巻くある噂のせい。
『不幸の菫子様』と呼ばれるに至った過去の出来事の数々から、菫子は誰かと共に在る事、そして己の将来に対して諦観を以て生きていた。
心許せる者は、自分付の女中と、噂畏れぬただ一人の求婚者。
求婚者との縁組が正式に定まろうとしたその矢先、歯車は回り始める。
命の危機にさらされた菫子を救ったのは、どこか懐かしく美しい灰色の髪のあやかしで――。
そして、菫子を取り巻く運命は動き始める、真実へと至る悲哀の終焉へと。
■二:あやかしの花嫁は運命の愛に祈る
旧題:大正石華戀奇譚<二> 椿の章
――あたしは、平穏を愛している
大正の時代、華の帝都はある怪事件に揺れていた。
其の名も「血花事件」。
体中の血を抜き取られ、全身に血の様に紅い花を咲かせた遺体が相次いで見つかり大騒ぎとなっていた。
警察の捜査は後手に回り、人々は怯えながら日々を過ごしていた。
そんな帝都の一角にある見城診療所で働く看護婦の歌那(かな)は、優しい女医と先輩看護婦と、忙しくも充実した日々を送っていた。
目新しい事も、特別な事も必要ない。得る事が出来た穏やかで変わらぬ日常をこそ愛する日々。
けれど、歌那は思わぬ形で「血花事件」に関わる事になってしまう。
運命の夜、出会ったのは紅の髪と琥珀の瞳を持つ美しい青年。
それを契機に、歌那の日常は変わり始める。
美しいあやかし達との出会いを経て、帝都を揺るがす大事件へと繋がる運命の糸車は静かに回り始める――。
※時代設定的に、現代では女性蔑視や差別など不適切とされる表現等がありますが、差別や偏見を肯定する意図はありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる