雨降る朔日

ゆきか

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第二幕 金色に彩る

三 息子の教育に悪いとは思わないか。

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 薬草園の空気はひんやりと濡れている。先ほどまで雨が降っていたらしい。
 朔夜と一果は、薬草園の奥の離れに入った。

 朔夜が主に仕事場として使っている四畳半部屋の奥に、六畳部屋が続いている。
 生活感のある四畳半部屋と異なり、六畳部屋は衣装箪笥や書棚が数個と、畳んだ布団が隅に置かれているのみで、ほとんど使われている様子がない。
 壁一面の格子窓から薬草園が見える。白磁山から運んできた箱は、その座敷の中心に置かれていた。窓際に、朔夜の見覚えのない板のようなものがある。よく見ると低い台のようになっている。畳より一回り大きい。

「なんだこれ?」

「作業台だよ。畳の上では作業できないだろう。朔夜が寝ている間に作った」

「母さんは元気だな……」

「さて、シェデーヴルを出そうか。医院の周りの結界は張り直しておいたから、悪いものが入ってくる心配はないよ」

 ──母さんは、元気だな……。

 一果は窓辺のすだれを下ろして日光を遮った。部屋の中が暗くなる。簾の隙間から差し込む光で、物の輪郭は辛うじて分かる。

 一果が部屋の隅で何かをごそごそとやっているかと思うと、光が灯った。行燈あんどんだった。改造はされていないが、そばに置けば作業に支障は無い程度の明るさは確保できる。

「日中はこうして部屋に日光が入らないようにしてやれ。シェデーヴルの体に使われている鉱物は、日光に長時間晒されると褪色する。瞳に使われている石は、辰砂と同じようなものだから、おそらく黒ずんでいく。できるだけ日光に当てないように気をつけるんだ。反対に、月明かりには当てる必要がある。月明かりを動力源にしているからね。月の出ている晩は簾を開けてやれ」

「わかった」

 蛇腹折の筆記帳に書きとめる。その間に一果は箱の札を剥がし、赤い縄を解いた。

 蓋を開けると、白磁山で見たのと変わらない、シェデーヴルの欠片が姿を現した。

 朔夜は、今もなお、白磁山での出来事を現実と思うことができていなかった。こうしている現在も、夢の続きのような気がする。

「まずはミーシャの元の姿を再現するように欠片を並べてみようか」

「………」

 反応はなく、吸い込まれるようにぼんやりと箱の中を見つめている。

「お返事は?」

「はい」

 朔夜は厚い手袋をはめ、一果は素手で、欠片を一つずつ作業台の上へ移していく。白磁山で触った時と変わらず、手袋を隔ててもその冷たさが伝わってくる。


 頭、腰、左肩周りなど、形を留めている大きな欠片を先に配置し、やや小さな欠片は形状や繋ぎ目を見ながら位置を推測して配置していく。見当のつかない細かな欠片は手箱にまとめておいた。クレアの首をミーシャの顔の横に置く。

 こうして見ても、壊れる前の美しい姿が目に見えるようだった。新雪のように煌めく滑らかな白い肌、白銀の髪、整った顔、すらりと細長い手足。
 ミーシャの顔は男のようにも女のようにも見える。体つきは男のものだが、少年から青年に変わったばかりの年頃の、妖美な未成熟さを残している。
 女のような中性的な顔をした青年の人形だろうか……と考えていると、一果がミーシャの腰回りの大きな欠片の端をやや浮かせ、脚の間を広げた。
 見慣れていないわけではないが、朔夜は思わず息を飲んだ。
 一果はそこに中指を沈み込ませた。

「へえ、ちゃんと入るようになっているんだね。使ったことあるのかな」

 薬指、人差し指、と順に増やしていく。硬い石でできているはずなのに、指の動きに合わせて広がっているように見える。
 朔夜は目を逸らすことができなかった。

「反応が無いと面白くないね。あられもない声を上げるのが見たいのにさ。直ったらまた試してやろう」

 一果はつまらなさそうに指を引き抜いた。

「………息子の教育に悪いとは思わないか」

「こんなことで動じるな」

 ──十の子供に無茶を言うな。

 居心地の悪そうな朔夜をよそに、続けて一果はミーシャの唇をなぞり、指を差し込んだ。口を開けさせて内側を覗き込む。

「ふむ、ここも中までちゃんと作られてるね。飲み込むことはできるようになっているのかな。消化器に当たる構造は見当たらないが……。うんうん、中はそこまで冷たくないんだね。人間の粘膜に当たる部分は比較的温度が高いようだ。よほど長く触り続けなければ凍傷にはならない程度の冷たさだよ」

「そのへんにしておいてやれ……」

「自分で調べるからいいって? さすが熱心だね。素晴らしいよ」

「そうは言ってない……」

「じゃあ、あとは任せたよ。クレアはひとまず仕舞っておいて、ミーシャから取り掛かろうか。生き物ではないから、時間がかかっても手遅れになることはないだろう。安心して仕事や勉強の合間に進めるといい。修復の過程でシェデーヴルについて分かったことは報告しなさい」

 一果は真四角の桐箱を白衣の袖口から出し、クレアの首と細かな破片を納めて赤い縄を巻き、木札に何か呪文のような文字を書いて結びつけた。
 それを置いて部屋を出ようとする一果を、朔夜は慌てて呼び止めた。

「どうしたんだい?」

 一果はきょとんとして振り返る。

「おれは錬金術師でも人形作家でもなく、薬師見習いだ。直すと言ったってどうしたらいいのか見当もつかない」

「まずは自分で考えてやってみろ」

 そう突き放されると、朔夜はこれ以上何も言うことができない。甘えを許さないという合図だと理解しているのだ。

「…………承りました」

 薬師としての修行を始めたとき、まず始めに薬草の種を渡され、育ててみろと言われた。
 植物の名前が特定できるまで育ってから、図鑑で調べた。植物の薬効や毒性を自分の体で確かめた。
 嘔吐したり何日も寝込んだりすることは日常茶飯事で、時には生死の境を彷徨った。
 しかし朔夜自身で十分な試行錯誤を行った後には的確な助言を与え、命が危険に晒されたときには必ず助けた。一果はそういう教え方をする師だった。

 一果は朔夜のそばへ歩み寄り、微笑んで背中を叩いた。

「オリアナの最高傑作の修復なんて、錬金術師の誰もが羨む大仕事だよ! 存分に楽しむといい。だが、本分は忘れるなよ」


- - - - - - -


 六畳間に、朔夜と、ばらばらのミーシャと、桐箱に収められたクレアが残された。

 朔夜はふと、この数日のあいだ薬草園を放置していたことを思い出した。式たちが最低限の世話はしていてくれたはずだが、気になるので見にいくことにした。

 薬草園の様子を確認し、作業を終えて離れに戻った。六畳間は静まり返っている。
 ミーシャの傍に座り、素手で白い頬に触れてみた。その瞬間、あまりの冷たさに手を引っ込めてしまった。

 朔夜はミーシャを観察した。身体の大部分は紫水晶でできている。表面近くに薄い石英の層がある。肌の表面には鉛白が塗られているようだ。
 関節は動かすことができるらしい。球体関節などの機構なのかと思っていたが、そうではないようだ。石でできているようにしか見えないのに、人間と同じ、骨が肉に覆われている構造であるかのように自然に動く。
 内部を調べてみたが、人体のような目に見える複雑な構造は見当たらない。紫水晶の隙間から水銀が滲み出ているところがいくつかある。

 ──瞳は辰砂と同様の鉱物、肌には鉛白、血液は水銀……毒物だらけだ。なかなか良い趣味じゃないか……って褒めると、母さんが嫌な顔をするかな。オリアナとは何やら複雑な関係みたいだから……。

 毒草などを食べて自分の体で試すことが、近頃は薬師の修行の枠を超えて朔夜の趣味にもなっている。金属毒にも興味はあったが試したことはなかった。解毒に時間がかかりすぎるためだ。

 欠片を二つ手にとって合わせてみる。なかなか上手く噛み合わない。組み合わせや角度を変えながら擦り合わせるようにしていると、ぴたりと合うところをようやく探り当てることができた。
 欠片同士の繋ぎ目を特定するだけでも骨が折れそうだ。欠片を配置したときも、朔夜は繋ぎ目を推測することができず、一果に言われるままに置いただけなのだった。

 だが、今の朔夜にできることは、欠片を繋ぎ合わせて物理的に元の形に戻すことだけだ。もしかしたらそれで動くかもしれない。

 修復の方法について考えながら蛇腹折りの筆記帳に筆を走らせていると眠気が襲ってきた。まだ疲れが取れていないようだ。
 部屋の隅に畳まれている布団を作業台の横に敷き、眠りについた。


- - - - - - -


 拝啓 アネッセ殿

 シェデーヴルの回収に成功した。
 壊れてしまったが、このほうが調べやすいから都合がいい。修復は息子に任せた。何事も勉強だからね。
 オリアナについての手がかりも得られた。フタローイを使って生き返って、今はセレーネにいるみたいだよ。
 紙人形をフタローイに付けておいたのだが、オリアナに気付かれたのか、それ以上の情報は得られなかった。具体的な居場所が特定できたら、こんどは嫌がらせに千体の紙人形を送りつけてやろうと思う。
 君は酒場巡りとやらでセレーネに遊びにいく機会が多いだろう。ついでにあいつを探してやってくれないか。
 あたしもからかいに行ってやりたい気持ちは山々だが、いろいろと忙しいんだ。

 敬具 霜辻一果
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