雨降る朔日

ゆきか

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第一幕 白磁の神

二 もしかして、潰したのも朔夜かな?

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「先日風邪を引いて熱は引いたのだけれど咳がちっとも治らなくて。これではお店に出られないから困っているんです」

 こほ、こほ……と、先ほどの紙人形の送り主、天野まき子は乾いた咳をする。

 珠白しゅはくの薬師は、調薬に必要な材料や道具を入れた重い薬籠くすりばこを弟子に背負わせ、患者の家を訪れてその場で調薬を行う。

一果は仙術を施した千代紙を綴見町つづみまちの全ての家に配り、
「医者が必要なときは、この千代紙に用件を書いて空飛ぶ生き物の形に切って飛ばすといい」
 と、説明している。

 一果と朔夜は座敷に通され、天野の話を一通り聞いた。

「なるほど。今日は勉強のために朔夜に担当させてもいいかな? あたしが見ているから」

 端正な所作で座礼する朔夜。
 天野は朔夜の顔を見て微笑む。

「ええ。朔夜くんはまだ小さいけれどしっかりしてるもんね。先日だって、うちの店で酔い潰れたお客さんを介抱してくれて……」

「待って。もしかして、潰したのも朔夜かな?」

 天野が言い終わる前に口を挟み、腕を組んで朔夜の顔を見る一果。
 朔夜は一果の視線に縮こまりかけるも、負けずに開き直って言い返す。

「向こうが飲み比べの勝負を仕掛けてきたんだ。受けるしかないだろ。もちろんおじさんが死なないように加減したよ」

 天野は頷く。

「あの人、気を遣われている時点で負けているわね。お酒はおいしく飲んでほしいわね」

「おれは、おいしく頂いたよ」

 頭を抱える一果。患者の前でガミガミとお説教はしたくない。言いたいことは山ほどあるが、今は大人として一旦飲み込んだ。

「……さて、診察を始めようか。天野さんは忙しいだろうからね。頼むよ朔夜」

「はい」

 朔夜は天野のそばへいざり寄り、
「失礼します」
 と、両手首にそれぞれ3本の指で触れた。

 天野は首を傾げる。

「変わったことをするのね」

「患者を一目見るだけで診断できる医者は、母さんくらいじゃないかな。これは脈を見ている。五臓の状態がある程度分かるんだ」

「悪いけど付き合ってやってくれ。あたしも歳だから後進を育てないといけなくてさ」

「もちろん構いませんけれど……。一果先生、まだお若いでしょう?」

「そうでもないよ。たしか今年で……」

 一果は難しい顔をして、両手の指を順番に折って開くのを何往復か繰り返してからパッと広げ、

「二百歳くらいかな」

 天野はわざとらしく目を見開き驚いた顔をしてから「まあ」と笑った。
 集中している朔夜は会話の流れを気にせず質問する。

「天野さん、最近の食欲は?」

「あまり無いわ。がんばって食べてはいるのだけど」

「眠れてる?」

「なかなか寝付けないの。でも以前からよくあることよ」

 いくつか質問を終えると朔夜は一果の隣に戻って、
「……だと思う。この処方でどうかな」
 と相談する。

「うん、悪くない判断だ。だがもう一歩というところだな」

 これはこうして、これを組み合わせて、と指示する一果。聞き終えて朔夜は頭を下げ、薬籠くすりばこの外箱を開ける。

 外箱は硬く丈夫に作られ、側面には人型の総角結びの赤い飾り紐が付けられている。
 取り出された内箱は桐の三段の引き出しで、黒漆塗に蒔絵で四季の草花が幽玄に描かれ、金具にも繊細な装飾の施された重厚な造り。
 引き出しを開けると、墨で文字の記された和紙の包みが隙間なく整然と並べられたのが現れて、薬の香りがした。

「とても綺麗な箱ね」

 身を乗り出して箱を見つめる天野。

「そうだろう、さすが見る目があるね。この薬籠くすりばこ血墨ちずみの職人、柊計ひいらぎかずえの作品だ。彼は珠白で最も古い技法を用いながらも、自然物の観察眼は個性的で、特に植物については……」

 語り出す一果の横で朔夜は黙々と道具を並べ、百を超える薬種の中から今回の調薬に使用するものを取り出していく。

「チズミ?聞いたことがないわ、どのあたりかしら」

「ここから北東に行くと、低い山が連なっているだろう。あのあたりだよ。大きな鉱山や製錬所があって、とても栄えていたんだ。血墨という地名の由来は言うまでもなく、そこで多く採掘されたという鉱物の色だ」

「母さん、いつの話をしてるんだよ。文字での記録が残ってないし、今の時代の人は知らなくて当然だろ」

 朔夜に指摘され、一果は大袈裟に両手を振る。

「いけないいけない。すまないね、年寄りは昔話が好きなんだよ」

 天野は曖昧に微笑んでから朔夜の方を見た。
 朔夜は調合を行なっている。それだけなのだが、その姿は綴見の芸者を思わせるほど優雅で洗練された美しいものだった。
 天野の思ったことを見通したように一果は語り出す。

「薬師は病を治すのが仕事だが、その姿は美しくなくてはならないとあたしは考えている。美しい道具、美しい所作、朔夜は美少年であるから尚良い。調薬は植物を始めとした自然物について熟知しそれらを媒体として神霊の力で病を退ける術だ。美しい姿で行うのが神霊に対する礼儀というものだよ。無論、完璧な治療をするのが前提だ」

 朔夜は水の入った薬缶に調合した薬を入れて火にかけた。

「四半刻ほどかかるよ」

 薬の香りが広がる。朔夜は調薬の道具を丁寧に片付け始めた。

「煎薬ができるのを待っている時間がいつも憂鬱だわ。時間が勿体無いって思っちゃう」

 天野のつぶやきに、一果は微笑んで答える。

「その気持ちもごもっともだ、天野さんは働き者だからね。でも余裕も大切だよ。まあ、今はお喋りでも楽しもうじゃないか。春はゆったりとした気持ちで迎えるべきだよ」

「そうね。……もう春になるのね。冬が終わるのもあっという間ね。このあたりは雪が多いから、ようやく終わるのだと思うとほっとするわ。これからは雨が大変なのだけど」

「珠白の土地は水に恵まれている。いいことだよ。豊かな土と水に育てられた植物は目に美しいのみでなく薬効も素晴らしい。それに水自体も清潔を保ち病を退けるのに役立つ。珠白が農業と医学の国である所以だよ」

「山神様のおかげだな。明日はその白磁様を迎える大切な祭りだ」

「今年も作物がよく育ってくれるといいね。そうするとみんなが病気しにくくなって、うちの仕事が減るんだ」

 天野は目をぱちくりとさせる。

「商売でしょう、困るじゃないの」

「医者の仕事は少ないほうがいいんだよ」

 良いことを言ったでしょという顔で、ふふんと笑う一果。
 他愛もない雑談をしているうちに時間は過ぎて、煎薬ができあがった。朔夜が注いで天野に渡す。

「今煎じたのは今日と明日の朝の分。昼から火が使えなくなるから作っておいた」

 綴見町では春祭りの物忌みで、祭礼の前日の昼頃から火や針などを禁じる。

「あとは一日分ずつに分けて包んでおいたから、今みたいに煎じて飲んでくれ」

「三日後にはすっかりよくなったと感じるだろうけど、それでも渡した分は飲みきるんだよ」

「わかったわ。ありがとうね」
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