記憶を失くした婚約者

桜咲 京華

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記憶を失くした婚約者

3 テオドール視点2

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「さて、今回皆を呼び出したのは他でもない、エルザ・リュミーナ侯爵令嬢に不当な言い掛かりを付けた上、その名誉を著しく傷付けたことでエルザ嬢が失踪するという結果を招いたことだ」

 国王が、淡々と罪状のように述べると同時に第二王子と宰相の息子と次期騎士団長が椅子を倒さんばかりに立ち上がった。

「言い掛かりなどと! 彼女はレティーナを虐め、挙句に階段から突き落とす等という凶行まで行ったのですよ!?」
「そうです! 清楚華憐なレティーナを貶めたのです。婚約者のテオドールの心を得たいが為だけに!」

 自分の名前が挙がって肩が震えた。
 僕は今朝からおかしい。以前ならば第二王子と一緒にレティーナへの気持ちを述べ、ルーザを断罪する側だったというのに。

「ここに、レティーナ・クラシエス男爵令嬢の調査結果がある」
「調査!?」

 国王はいきり立っている第二王子達に視線すら向けず、淡々とした様子で一冊の紙束をバサりとテーブルに投げた。

「アレイスター。お前は王子なのだぞ。そのお前に近づく女性とあらば調査するのは当然。むしろ、本来ならば率先して調査した上で隣に置く人間を選ぶべきだ。違うか?」

 返す言葉が無いと第二王子アレイスタ―が悔しそうに奥歯を噛み締めている。
 そういえばレティーナと出会うまでの彼は簡単に人を寄せ付けない公明正大を絵に描いたような人間だったことを思い出す。側近として傍に置いていた宰相の息子であるカステオにも壁を作っていたのに。
 そういえばそのカステオも、父親からのコンプレックスを抱えた神経質そうなタイプの人間だった。
 そして次期騎士団長だというダルトンも、女性不振だと男ばかりとつるむような人間だったのに、レティーナと会ってからは人が変わったようになった。
 柔らかい笑顔を浮かべ毎日を楽しそうに暮らすようになったと言えば良くなったように思うが、アレイスター王子は執務から逃げるようになり、カステオも社交を一切行わなくなった。次期宰相は無理だという話が出ていると聞く。ダルトンに至っては訓練をさぼるようになったことで一般騎士団員に貶められたと聞く。
 そして僕も……。

「この調査報告によると、レティーナ嬢が受けた虐めと、エルザ嬢に一切の関連が見受けられないとある」

 今度こそ背筋が凍った。崖の上に立ち、足元がガラガラと崩れていくのを為す術も無く立ち尽くしているような気がした。
 冤罪だったというのか。
 僕はどうして調査もせず、一方的に断罪しようなどとしていたのか。いや、分かっている。レティーナの気を引きたくて、頼られたくて、ルーザを疎ましく思っていたのと合わせて、渡りに船とばかりに気持ちを傾けたのだ。
 恥ずかしくてこのまま消えてしまいたい。

「そんな馬鹿な! レティーナが確かにエルザ嬢から嫌がらせを受けたと……」

 アレイスター王子は叫んだものの尻すぼみになって俯いた。宰相の息子は信じられないと目を見開いて固まっている。
 国のトップが主導の調査結果に嘘偽り等ある筈が無いことは分かっているから否定しきれないのだろう。

「そのレティ―ナ嬢だが、アレイスターの子を身ごもっているとの証言が出ているのだが」
「何ですって!?」

 あまりの衝撃発言に僕は固まってしまったが、宰相の息子は叫びながら取り乱して椅子を蹴倒した。騎士団のやつは頭を抱えて唸っている。
 
「えぇ、ですからレティーナとの婚約を一刻も早く認めて頂きたいと再三申し上げておりましたのです」

 アレイスタ―王子は勝ち誇ったように僕達を見回した。
 アレイスターは今でもレティーナを愛しているのかと感心してしまった。僕はもうレティーナを信じることが出来なくなったというのに。どうしてあれほどレティーナを求めたのかすらも分からなくなっている。頭痛さえしてきた。もう帰ってしまいたい。

「そんな馬鹿な! レティーナ……僕だけだと」
「俺は、俺は……」

 カステオとダルトンはブツブツと俯いて呟いている。
 好きな女性が他人の子を身籠っていたと聞けば無理も無いとは思うが、カステオもダルトンもかなり取り乱しているな。
 国王も父親達も彼等を冷めた眼で見ている。
 あまり僕の方を見ないのは、僕が黙っているからだろうか。

「さて、この場に心当たりがある人間が他にも居るようだが、更にもう一人父親を主張する人間が居る。クラシエス男爵家の継承者であり、レティーナ嬢から見れば義理の兄にあたるユジンという男だ。10年程前に女児しかいないクラシエス家を継がせる為親戚筋から迎え入れられたという。つまり、レティーナ嬢は、ここにいるアレイスター、カステオ・ミクディア、ダルトン・ガンタード。そしてユジン・クラシエス。この4名と関係を持っていることがこちらの調査で判明している」

 誰も言葉を発しない。
 僕以外全員がすでに手を出していたとは、それよりもそれだけの人間と関係を持っていながらおくびにも出さないでいたレティーナに戦慄すら覚える。

「まだ解けぬか」

 国王はアレイスター達立ち上がっている人間達をジロジロと見比べながら何かを呟いた。
 もはや僕は空気か。
 だったら帰っても良いだろうか。頭が痛くて崩れ落ちそうだ。

「やむを得んな。アレイスター、カステオ、ダルトンを拘束せよ」
 
 突如部屋の壁沿いに立って警備していた近衛達が三人を拘束し、身動きを取れなくした。
 本気で僕は無視されている。

「何故このような事を!?」

 アレイスターが振り解かんばかりに暴れているが、当然ながらビクともしない。
 他の二人は逆らうでもなくぶつぶつと何かを呟いていて不気味だ。

「この場に居る三名は強い魅了の魔術の影響下にあり。もはや解くことは難しい状態にあるからだ」
 
 僕は拘束されるまでもなく激しい頭痛で動けない。
 魅了の魔術だと?
 あまりに悪影響が強い為に禁術指定されている筈で、行使した者は王族ですらも極刑だという。
 何故だろう……辺りが暗くなってきた。

「ルー……ザ……」

 自分が何を言ったのかも自覚出来ないまま僕は暗闇へと放り出された。











『君のことはルーザと呼ぶよ。皆はエルと呼んでいるからね、僕だけの呼び方が良い。僕の事はテオと。残念ながら皆が呼ぶ呼び方だがね』
『そんな気安い呼び方出来ませんわ』
『僕の事好きだって言ってくれたろう? 恋人なら愛称で呼び合うくらい良いじゃないか』
『……そうですね、テオ』



『君は、誰だ?』
『テオ!?』
『気安く呼ばないでくれないか。婚約者といっても親の勝手で決められただけの話だ』
『……申し訳ございません。テオドール様』


 やめろ!
 違う!
 呼んでくれといったのは僕の方なのに……!


『君との婚約を破棄する』
『分かりました。さようなら、テオドール様』


 待ってくれ!
 僕を捨てないでくれ!






「ルーザ!!」

 背を向けて去っていったルーザを引き留めようとした手が、虚しく空を切った時点で自分が気を失って倒れていたことを自覚した。
 先程の話し合いの場に居た時と同じ服のままで、どこかの部屋のベッドに寝かされていたらしい。
 カチャリと扉が開く音がして、部屋に入って来たのは顔見知りの王宮付きのメイドだった。順当に考えればここは王宮付き職員用の仮眠室だろう。客室にしては調度品が簡素だ。

「お目覚めになりましたか」
「僕は一体」
「テオドール様は魅了魔術が完全に解けた影響で気を失われてしまった為ここへ運ばれました。回復するまで滞在する許可がおりています」

 あらかじめ準備させていたのか、メイドは扉のところで別の人間と何やらやり取りをした後、部屋の外から運び込まれた紅茶や軽食の乗ったワゴンを押して近くまで来た。

「魅了魔術……僕の記憶が確かなら、王子やカステオ達も掛けられていたと言っていたが」

 メイドは淡々した表情のまま紅茶差し出してくれたので、素直に手に取る。口に含んだ紅茶は温度も香りも申し分ない。

「はい、アレイスター様、カステオ様、ダルトン様、そしてユジン様は西の塔へと移封となりました」
「なんだって!?」

 衝撃で紅茶を噴き出しそうになった。
 西の塔といえば、貴人用の隔離施設だ。たちの悪い感染症になった者や、罪を犯した者も送られるような場所だ。

「どうして……」

 問いかけると、メイドは痛ましげな表情をつくって、疑問に答えてくれた。

「魅了魔術の恐ろしい所は、あまりに深く掛かってしまうと、精神を蝕んでしまう所にあります。魔術を解くには術者への心酔を揺るがせ、魔術の影響を本人に自覚させる必要があります。ただ、この時点で解けなかった場合は魅了が解けたとしても残された精神が元の状態を失っている場合が多いのです。現に彼等は現在レティーナ嬢の名前を呟くだけで周囲に関心が無い状態に陥っていると聞きます」

 恐ろしさに背筋が凍った。メイドの話は衝撃だったが、それはひとまず置いておいて、気になったことを聞いてみる。

「僕も掛けられていたと聞いたけど」
「はい。ですが、彼等と違い貴方様はかかりかたが緩く、精神を蝕むことは無かったようです。レティーナ嬢の強力な魔術を跳ね除けるとは流石ですね」

 メイドはそれまでの淡々とした態度を幾分緩め、少しだけ微笑んだ。

「どうして僕だけが?」
「魅了魔術は、心から愛する者が居る人間には効きにくいそうです。どなたか心に決めたお相手がおられたのではないですか?」
「ルーザ……そうだ、ルーザの行方は!?」

 メイドは痛ましげに首を振り、「まだ分かっておりません」と告げた。

「くそ……ルーザを忘れるなんて。僕はどうして……」
「レティーナ嬢は関連を否認しておりますが、魅了の魔術を掛けるにあたって彼女の存在が邪魔になると考え、何らかの魔術を行使してテオドール様の記憶を操作しておいたのではという見解が宮廷魔術師から上がっているそうです」
「僕は入学前から眼をつけられていたということか。王子、宰相の息子、次期騎士団長、そして公爵家の嫡子。なるほど、よく選んでいる。それで、そのレティーナ嬢は?」
「気になりますか?」

 メイドの視線が鋭く冷たいものになったのに気付いて焦る。未練があると思われてしまったらしい。

「違う! 記憶を取り戻した今、僕が愛しているのはルーザだけだ。それに、複数の男と関係を持って平気な顔をしているような女性に今更惑わされるものか。ただ、これだけの事件を起こしたのだからただでは済まないのではと気になっただけだ」
「レティーナ嬢は魔術研究棟に送られました」
「魔術研究棟に? 西の塔ではなく?」
「彼女はかなり危険な魔術師として認定されましたからね。彼女の持つ魔術を全て研究した上で、極刑に処すとのことです」
「……」

 4人もの人間を再起不能にするほどの魅了魔術の使い手であり、僕の記憶からルーザに関するものだけを消すという未知の術まで使うような人間は、ただ殺すだけで終わらせるのは惜しいという意見が魔術師からあがったらしい。

「身籠っていると聞いたが……」
「関係を持った時期が近すぎて誰の子なのか不明な上、万が一に王子の子であった場合の危険性も考え、すでに堕胎させられているそうです」
「そ、そうか」

 確かに極刑になるような人間と西の塔に封じられた王子の子など国を挙げての大スキャンダルだ。成長した際に叛意を抱いた場合も考えると妥当な処分だと納得してしまった。
 ただ、良かったとはどうしても思えなかった。魅了魔術の影響とはいえ一度は惹かれていた相手だからだろうか。彼女はどうしてあそこまでしたのか、誰か一人に絞って魔術を掛けていれば発覚することは無かっただろうに。今どういう気持ちで居るのだろうか。

「テオドール様」

 物思いに耽っているのを咎めるような声がかかった。
 レティーナに対する同情心を察知されたのだろうか。

「貴方様は魅了魔術の影響が発覚しなければ廃嫡されようとしていました。エルザ嬢に対する重大な名誉棄損の件で、侯爵家からの強い抗議を受けていたからです。それが無くとも、魅了の影響が深ければ王子達と運命を共にしていたのですよ」
「わ、分かった。もうレティーナ嬢のことは考えるのをやめる」

 レティーナからされたことを分かっているのかと言いたそうだ。確かに、彼女のしたことはどんな理由があっても許されることでは無い。
 それに、僕にとって大事なのはルーザだ。ルーザに会いたい。
 ルーザに会って、何故僕を捨てたのかと問いたい。
 僕は確かにひどい態度だったと思うけれど、ルーザだっていつも冷たい眼差しを向けるだけだった。ただ一言愛を告げてくれていたらレティーナ嬢の魅了魔術など撥ね退けられたかもしれないのに。

 昔からルーザは僕に対して一歩引いた態度を取っていた。
 自分からはけして近寄らない癖に、僕が求めるとほっとしたように微笑むのがどうしようもなく可愛くて、抱きしめると捨てないでというようにしがみつくのが愛おしくて。

 今なら思い出せる、僕がルーザを忘れた瞬間にルーザは僕を諦めてしまった。

 最初は戸惑いすがるような顔をしていた。そんなルーザを、記憶には無い婚約者という存在に戸惑っていたのもあって遠ざけたのは僕だ。だが、ある程度時間が経って冷静になって歩み寄ろうとした僕を遠ざけたのはルーザだった。その頃にはレティーナと出会って魅了魔術の影響を受け始めていたのもあったのか分からないけれど、ルーザのその態度に必要以上に反発した。

 今思えば、ルーザはただ悲しんでいただけだったのに。

 自分だけを忘れ、酷い態度を取り、他の女性の隣に立っている男に笑顔で応対できる女性など居るわけがない。自分が逆の立場だったら掻っ攫って思い出すまで閉じ込めようとしていたかもしれない。
 学生の身で実現可能だったかと言われれば疑問だが、絶対に諦めたりはせず、思い出せなくても再度愛してもらえるように働きかけただろう。

「……侯爵家に謝罪をしてルーザ捜索に協力したい。屋敷に戻れるだろうか」
「まずは御父上に謝罪するべきだと思いますけれど……」

 これからすべき事を再認識してメイドに告げると、呆れた顔をされてしまった。
 
 


 


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