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エピローグ
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自宅のものより大きな湯船に二人で浸かった頃には日付が変わっていて、今すぐ眠りたい体を叱咤しての帰り支度。
体は疲れているけれど、心が満たされているから、きっと今晩は二人とも熟睡できるだろう。
「春になったら、農園やってみたいなって」
助手席で告げると、哲朗ははりきって頷いた。
「おう。なんか良さそうな苗用意しとく。あ、記念樹もいいかも」
「いいね、記念樹。果樹がいいかな」
「実が付くのは何年も先だぞ」
そんなんでいいのかと尋ねられ、実は力強く頷いた。
「ん。だって、これからずっと付き合うんだから、何年掛かっても大丈夫だよ。
のんびり見守ったらいいよね。おれたちの、二人の子供みたいな感じでさ」
ぶあぁっと、哲朗が赤面し、慌てて前へと向き直した。
やっべーと呟きながら、左手で口元を覆う様子が幼く見えて、どうしたのと実はくすくす笑った。
会いたいと思う気持ち。傍に居たいという願い。
頭でいくら考えても堂々巡りで、今ようやく手に入れたのが、きっと純粋な恋心。
不安なんて、きっといつだって誰だって感じているから、今はただ、この気持ちを大事にしようと思っていた。
夜中に車を走らせるのを躊躇わなかった。
知らない町へ、下調べもなしに向かった。
あの日、いやそれを決心した時に、既に実は哲朗に全てでぶつかろうということまで決めていたのだろう。
未来なんて、明日の事だって判らない。確定なんてしていない。あるかどうかも判らない再婚話を気にして一喜一憂して、大切な哲朗に気持ちをぶつけられないなんて、一番馬鹿げている。
「わったん、おれさ」
ふと漏らした問いに、哲朗は一瞬だけ視線を遣ってまた前を見た。
「十年前にキスした後のこと、憶えてなくて……気付いたら、朝布団の中で目が覚めてたんだ」
なにかやらかしてない? と恐る恐る尋ねると、哲朗は、片側が川になっているガードレール沿いに車を寄せて停車させた。
その行動が、あの晩と同じで、実は服の上から心臓を押さえた。
くしゃりと髪を掻き上げて唸っている哲朗は、何処かすまなさそうに口を開いた。
「それ、多分俺のせいだ」
「え? なんで」
「思い出したい?」
それは、哲朗の犯した過ちを思い出したいかと、そういう意味合いのようだった。
実は、迷うことなく首を振った。
「別にいいんだよ。要らないから忘れたんだろ? 誰にも迷惑掛けてないなら別にいい」
ふるふると首を振る実の瞳には、心底そう考えているのだと取れる光しかないから、哲朗は安堵と申し訳なさとで、そのまま腕を伸ばして頭を抱きこんだ。
柔らかな髪に鼻を埋め、それからそっと唇を重ねる。
あの日よりも、優しく。しかし、込められている熱は、あの頃と変わらぬままに。
「愛してる。だけど、この場限り、忘れてくれ。お前の中から、俺の想いを消し去ってくれ」
繰り返し告げたあの晩。その熱も、想いも、言葉も。言われたとおり、実は忘れたのだ。
そうして、自分が片思いだったという思い出だけを胸に生きて、哲朗の望んだとおり、別の人間を選んだ。
それが本当に幸せな恋愛だったなら、哲朗ももう何も言わずに、ただ、昔の友人の一人として接するつもりだった。
それが、覆ったのは。
あの露店で再会した日、実が恋する相手に満たされていないと感じたから。
それでも問うことすら出来ず、思いがけず行動の方が先になってしまった。
そこからはもう、相手のことなどどうでも良くなるくらいに、このまま実と先へ進むことしか考えられなくなった。
いつか、もう一度誘ってみよう。
隣の席で、知らない土地を見に行こう。
俺たちの木が、大きくなって実を結ぶのを楽しみに待とう。
あの広大な土地で、小さな二人だけの家に住もう。
きっと、いつの日か。
Fin.
体は疲れているけれど、心が満たされているから、きっと今晩は二人とも熟睡できるだろう。
「春になったら、農園やってみたいなって」
助手席で告げると、哲朗ははりきって頷いた。
「おう。なんか良さそうな苗用意しとく。あ、記念樹もいいかも」
「いいね、記念樹。果樹がいいかな」
「実が付くのは何年も先だぞ」
そんなんでいいのかと尋ねられ、実は力強く頷いた。
「ん。だって、これからずっと付き合うんだから、何年掛かっても大丈夫だよ。
のんびり見守ったらいいよね。おれたちの、二人の子供みたいな感じでさ」
ぶあぁっと、哲朗が赤面し、慌てて前へと向き直した。
やっべーと呟きながら、左手で口元を覆う様子が幼く見えて、どうしたのと実はくすくす笑った。
会いたいと思う気持ち。傍に居たいという願い。
頭でいくら考えても堂々巡りで、今ようやく手に入れたのが、きっと純粋な恋心。
不安なんて、きっといつだって誰だって感じているから、今はただ、この気持ちを大事にしようと思っていた。
夜中に車を走らせるのを躊躇わなかった。
知らない町へ、下調べもなしに向かった。
あの日、いやそれを決心した時に、既に実は哲朗に全てでぶつかろうということまで決めていたのだろう。
未来なんて、明日の事だって判らない。確定なんてしていない。あるかどうかも判らない再婚話を気にして一喜一憂して、大切な哲朗に気持ちをぶつけられないなんて、一番馬鹿げている。
「わったん、おれさ」
ふと漏らした問いに、哲朗は一瞬だけ視線を遣ってまた前を見た。
「十年前にキスした後のこと、憶えてなくて……気付いたら、朝布団の中で目が覚めてたんだ」
なにかやらかしてない? と恐る恐る尋ねると、哲朗は、片側が川になっているガードレール沿いに車を寄せて停車させた。
その行動が、あの晩と同じで、実は服の上から心臓を押さえた。
くしゃりと髪を掻き上げて唸っている哲朗は、何処かすまなさそうに口を開いた。
「それ、多分俺のせいだ」
「え? なんで」
「思い出したい?」
それは、哲朗の犯した過ちを思い出したいかと、そういう意味合いのようだった。
実は、迷うことなく首を振った。
「別にいいんだよ。要らないから忘れたんだろ? 誰にも迷惑掛けてないなら別にいい」
ふるふると首を振る実の瞳には、心底そう考えているのだと取れる光しかないから、哲朗は安堵と申し訳なさとで、そのまま腕を伸ばして頭を抱きこんだ。
柔らかな髪に鼻を埋め、それからそっと唇を重ねる。
あの日よりも、優しく。しかし、込められている熱は、あの頃と変わらぬままに。
「愛してる。だけど、この場限り、忘れてくれ。お前の中から、俺の想いを消し去ってくれ」
繰り返し告げたあの晩。その熱も、想いも、言葉も。言われたとおり、実は忘れたのだ。
そうして、自分が片思いだったという思い出だけを胸に生きて、哲朗の望んだとおり、別の人間を選んだ。
それが本当に幸せな恋愛だったなら、哲朗ももう何も言わずに、ただ、昔の友人の一人として接するつもりだった。
それが、覆ったのは。
あの露店で再会した日、実が恋する相手に満たされていないと感じたから。
それでも問うことすら出来ず、思いがけず行動の方が先になってしまった。
そこからはもう、相手のことなどどうでも良くなるくらいに、このまま実と先へ進むことしか考えられなくなった。
いつか、もう一度誘ってみよう。
隣の席で、知らない土地を見に行こう。
俺たちの木が、大きくなって実を結ぶのを楽しみに待とう。
あの広大な土地で、小さな二人だけの家に住もう。
きっと、いつの日か。
Fin.
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