Complex

亨珈

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Sixth Contact SAY YES

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 葵町中央にある五階建ての白いマンションの玄関付近に原付を停め、そのシートに座って缶珈琲片手に咥え煙草で夜空を仰いでいる少女が一人――新菜である。左手首の腕時計に目を落とした時、返した手首からキラリと光が反射する。

(十一時半かあ……)

 ちらほらと家やビルの明かりが消えて行く中、そのマンションの三階左端の窓の明かりはずっと消えたままである。

(も少し待ってみっか)

 もう一度その窓を見上げた時、背中に車のエンジン音とライトを浴び、振り返るとタクシーがマンションの前で停まるところだった。後部席から、深い青色のスーツを着こなした男性が降り立つ。セカンドバッグを小脇に抱え、その手をポケットに突っ込んだ彼は、タクシーが去った後エントランス前の新菜に気付いて片手を挙げた。新菜はそれを見て微笑んだが、相手からは見えていないだろう。

「一人じゃ寂しくって眠れないってか?」

 歩み寄る彼がおどけて言うのに対し、

「結構いいトコ住んでんじゃんか」

 答えになっていない言葉を口にすると、新菜はまだ少し残っている缶珈琲の中へ火の付いた煙草を入れ、マンションを見上げた。

「ちょっと時間ある? 保」

 常夜灯でようやくはっきりと相手の表情が判る所まで近付いた保に尋ねると、保は足を止めてニッと笑いながら親指で上を指した。

「ちと上がるか? 七元なら大歓迎だけど」

 新菜が静かに首を振るのを見届けて、保は両手をポケットに突っ込むと「だろーな」と呟いた。新菜はシートからは下りたものの、

「あ、あの……そのォ……」

 と俯き加減でどもりながらはっきりしない。それを見て、保はふうっと吐息して「場所変えねえか?」と提案する。
 いつもより低い声にドギマギしながらも、新菜は頷いてからシートの上に缶を置き、保の後に続いた。
 百メートルほど歩いた所に、滑り台と鉄棒、そしてブランコがある小さな公園があり、二人はそこへ足を踏み入れた。保はスチール製のベンチの上を軽く払い、ハンカチを敷くと「どうぞ」と新菜を促す。こういった英国紳士のような振る舞いは、したくても恥ずかしさが前に来てなかなか出来るものではない。それが自然に出来るヤンキーってどうなんだろうと苦笑する新菜。

(な、何か言いにくい……今日はキッパリと返事するって決めて来たのに、訊かれてもないのに自分から言うのって、やっぱねぇ……。さてどうやって切り出そうか……)

 俯いて悩んでいると、保の方が先にベンチに腰掛けて背凭れに両肘を掛けて足を組み、夜空を仰いだ。

「今日、久し振りに七元の喧嘩見たけど、全然鈍ってねえのな」

「やっ、やめてよ! んな話はぁっ」

 顔を上げると、にっと笑った保と目が合ってしまった。

(やっぱこいつっていい顔してるわ……)

 一瞬ドキッとして、新菜が慌ててそっぽを向きながら、パーカーのポケットから煙草を取り出すと、カチッと音がして腕が差し出される。新菜は近寄って火をもらうと、そのまま先程のハンカチに腰を下ろした。
 「さんきゅ」と礼を言うと、保も自分の煙草を咥えて火を点け、夜空に向かって煙を吐いた。
 付き合いの長さの分だけ、新菜の呼吸に合わせて行動してくれる。そのさり気ない気遣いに感謝する。
 二人は黙って静かに煙草を吸った。

(んー……どうしょっかなぁ……。何から言えば……。でも、もう何ヶ月も前のことだしィ、保にはもうそんな気なくなってんかもしれんしィ。んなんで言ったりしたら、ただの自惚れ強い大馬鹿モンだよなぁ。
 そうだよ、あれから保も今まで通りだし、あっちこっちの女に手ェ出しまくってんのは変わんねえんだし)

 ここに至ってもまだ踏ん切りが付かずに、新菜が心の中でうだうだやっていると、

「いつから待ってた?」

 静かに保が口を開いた。

「んー……五分前くらい、かな」

(って、ほんとは三十分以上は経ってんじゃねえかな。こいつってば、いつ掛けても留守電で殆ど夜中に帰って来るんだから、ケータイくらい持てっつーのに)

「今まであの子と一緒にいたんだ」

「へぇ……それって、もしかすっと嫉妬っつーやつ?」

 保は新菜に顔を近付けて、にまっと笑う。それを見なかった振りをして、新菜は煙草を落として靴で揉み消しながら「ぶぁーかっ」と冷めた口調で返した。「やっぱ?」とおどける保。いつもの遣り取りだ。

「美月ちゃんの後、あーちゃんにりっちゃん」

「もてる男は辛いですねぇー」

 皮肉たっぷりに言った時、ぐいっと肩を引き寄せられた。あまりにも突然だったので思わず声を上げてしまい、慌ててその胸の中から逃れようとする。

「こないだの返事、だろ?」

 寂しそうな声に顔を上げると、保は腕を緩めて夜空を仰いでいた。

「んな事でもねえと、七元がわざわざ一人でんな時間に来ておれを待ってるなんて事ありえねえし」

 新菜を見下ろして「な?」と笑い掛けると、また新菜は俯いてしまった。肩に置かれた手を振り払わないなんて、いつもなら有り得ない事だった。

「保、あたし……」

 その続きをどう言ったら良いか判らず、口を閉ざしてしまう。

「解ってんから、おれ。七元が何を言いに来たかって事。結局、駄目だったっつー事だろ? その様子じゃ、あのミチルとか言う奴にも『ごめんなさい』ってか」

 新菜はパッと顔を上げて保を見つめる。

(何で判んの!?)

 保はふうっと吐息すると、火の付いた煙草をピンッと指で弾いた。

「伊達に一年半も見てたワケじゃねえさ。それに、ダンパにも姿なかったみてーだし」

 言われて「それもそうか……」と呟く新菜。

(あの時、満くんの申し込みにOK出したのに、結局……。けど、良かったんだよな。その方が、変に期待させちまうよりも)

 満に返事をした時の事を思い出してまた俯いてしまう新菜に、上から元気良く保の言葉が降り注ぐ。

「言っとくけどっ! おれは『ごめんなさい』されて『はいそうですか』ってワケにゃーいかねえから。
 これからだって今まで同様モーションかけさせてもらうし、駄目元は先刻承知! けど、それでこれから先おれに振り向いてくれりゃあもうけもんだしな」

 驚いて新菜が振り仰ぐと、言い終えた保はウインクを寄越した。

(ごめん……それとありがと)

 この時、初めて自分から保に身を預けた。言葉ではとてもじゃないが言えっこない。けれど、それで伝わる筈だった。保は一瞬驚いた様子だったが、ふっと優しく微笑むと両腕で新菜を包み込む。

「悪かったな。色々悩ませちまって……。けど、おれがお前の事想ってるのはホントだから」

 侘びの言葉を口にしながらも、この機会を逃せば次があるのかどうかも判らなくて、保はついつい抱き締める腕に力が入ってしまう。
 新菜もこの時ばかりは、されるがままおとなしく腕の中に居た。正直、本気で好きになれたらどんなに楽だろうとも思わずにはいられない。

 暫くそうしていた後、保が決心したようにくぐもった声を漏らした。

「おれも、いい加減ハッキリさせなきゃ、な」

 新菜はゆっくりと体を離すと、

「しらばっくれるのは、良くないと思うよ」

 と保を見つめた。
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