Complex

亨珈

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First Contact 海へいこう!

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「ったく、姉貴のやつ約束しといたのに何処行ったんだか……」

 ぶつぶつ言いながら浩司は自分のベッドに腰掛けて組んだ足をイライラと動かした。

「ま、いーじゃん。紫サン社会人なんだし、俺らと違って夏休みもなくて忙しいんだからさ」

 床に座ってくつろいでいるのはウォルター。浩司が作ってくれたアイスコーヒーを飲みながら、カーテンレールに掛けてある風鈴を眺めていた。

「でも愛車はあるんだぜ?」

 コンビニでも行ったのかな、と浩司は首を傾げている。

 部屋のドアと開けっ放しの窓が丁度風の通り道になり、風鈴が心地良い音色を奏でている。いつもきちんと片付けられた浩司の部屋は、そう度々来る訳ではないがウォルターにとって心休まる場所のひとつだった。
 女性には言葉数の多いウォルターも、浩司相手にはさほどしゃべらない。そしてそれが許される雰囲気がある間柄というのは、結構得難いものである。

 夏休みに入って二日後、先日の約束通り浩司の姉に会うために訪れているのだが、このまま昼寝でもしたい気分である。

「あ、そういえば紫サンって仕事なんだっけ」

 浩司が宿題でもしようかと考え始めたとき、唐突にウォルターが尋ね、浩司はくつくつと笑った。

「あの顔あの性格で看護師。ぜってー誰が見ても見えねぇよな? あの病院行くやつは何も知らんか命知らずか……あ、既に棺おけに片足突っ込んでるか」

 くつくつがけらけらに変わったとき、正面からだというのに避ける間もないスピードで雑誌がその頭頂部に直撃した。

「ってぇっ」

 本気で涙目になりながら入り口を見ると、廊下との境目にTシャツ短パン姿の紫が立ち、弟を視線で射殺さんばかりに睨んでいた。

 ストレートの髪はカラスの濡れ羽色。脇の辺りまでさらさらと流れている。男なら、いや女でもつい触れたくなるような理想的な髪質だ。毛先が少し湿っているところを見ると、どうやらシャワーを浴びていたらしい。
 顔立ちは浩司と同じくややきつめの印象だが、整っていて誰がどう見ても美人と形容するだろう。

「なんだよ、いつからそこに」

 階下からこの開放されたドアの前まで、よくも気配を感じさせずに来たものである。
 無意識に腕でガードしながら、浩司は机の方へと移動した。つまり逃げ腰になっていた。

「お生憎様ねぇ。患者さんたちからは『白衣の天使とはよくいったものだ』って大絶賛浴びてましてよ~?」

 弟に対しては厳しい視線を向けていた紫だが、ふいっとウォルターに顔を向けたときには既に天使の微笑を湛えていた。

「おひさしゅうウォルター。いつも愚弟とツルんでくれて感謝の言葉もないわ」

 すとんとテーブル越しにウォルターを正面にして床に腰を下ろした。

「いやいやとんでもないです。それより貴重な非番の日にお邪魔してすみません」

 ウォルターは居住まいを正して紫に向き直った。

「あっらぁ~相変わらず可愛いこと言ってくれるじゃないの」

 いつでも来てくれたらいいのよ、と紫は指先で投げキッスを寄越した。その余韻を壊さないようにごく自然な動きでその指先に手を添えて、ウォルターは唇を寄せた。触れる程度に、ささやかに。

「甘やかすと、付け上がりますよ?」

 微笑と共に、俯き加減からの上目遣いの目線。

「んまっ、テクニシャンね」

 ふふふと笑み崩れ、その動作の一環としてそっと手を戻す紫。

「でもそういうことをいたいけな女子高生にしてちゃ駄目よ? すーぐその気になって本気にとるんだから。頼むから昼ドラみたいなぐろぐろの女関係作らないでよね。似合わないしね、第一」

「昼ドラ…??」

 未知の単語に阻まれて首を傾げるウォルターに、紫の陰から浩司が身振り手振りでサインを送っている。

(ほ・ん・だ・い・は!?)

 実の弟の前でその友人といちゃつかれてはたまったものではないのだが、それ以前にこの二人の度を過ぎた『社交辞令』に付き合っていると貴重な休日などあっという間に一日終わってしまいそうである。

(俺だってしんのところに遊びに行きたいのにっ)

 浩司は幼馴染み本城進を脳裏に思い浮かべた。
 進は当然ウォルターより近所に住んでいるわけだが、サッカー部に所属しており普段は部活動で忙しい。それに加えて中学のときから付き合っている彼女とのデートにも気を遣わねばならず、それ以前には兄弟のようにべったり一緒にいて当然の仲だったのに、高等部に進級してから寂しい思いをしているのだ。
 少なくとも浩司の方は進のことを親友だと思っている。

「そんで? なんかあたしに用事があるってコウちゃんから聞いてるけど」

 有難い事に紫の方から本題に入ってくれた。よく考えたら彼女にとっても貴重な休日なのだから、単刀直入にスパッと決めたいところであろう。

「そうそう、実は俺紫サンと海に行きたいなあと思って」

 単語のことは諦めたらしく、はっと我に返ったウォルターが簡潔に言った。

「う、海……? そりゃまた暑いとこに行きたがるのねぇ」

 ふーっと殊更大きく息を吐くと、紫はテーブルの上に放置されて水滴が水溜りのようになってしまったグラスを持ち上げ飲み干した。浩司が自分用に淹れていたアイスコーヒーだが、いつものことなので文句は出ない。

「だってねぇ、夏休みに学生が行くところって海でしょう、やっぱり。俺一度でいいから本物の海見て体験してみたくて」

 そうしてウォルターは満にしたような説明をした。つまり、生まれてまだ一度も海というものの実物を知らないと。

「あー、そっかぁ、なるほどそういうことならね~」

 束の間考え、紫は快諾した。

「おっけい。車二台出せば足りるかしら?  何人行きたいの?」

「やった、流石紫サン! 理解ある~」

 喜色満面でウォルターはパチンと指を鳴らした。

「まぁね、ウォルターには色々お世話にもなってるし、たまに遊びにつれてくくらいで恩に着せたりはしないわよ」

 紫は左手を振ってにゃははと笑った。ちょっと妙な笑い方だが崩れても美人は美人なので得だ。

「んっと、取り敢えず俺と満だな。浩司は?」

「やーだよ、めんどっちぃ」

 問われてもむくれ顔での即答。

「ふうん、じゃあ二人でいいかな。したら一台で足りるし」

 ウォルターは特に気にした様子ではない。

「じゃああたしの車だけでいいわね。クラゲが出る前に次の休みに行きましょ」

 ちらりと意味有りげな笑みを浮かべて紫は浩司を一瞥し、ウォルターには極上の笑みを寄越したのだった。
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