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第23話
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三日後。エルガーと共に森を進みながら、ユウは彼の村の話を聞いた。
なんでも、この森の南にある山を越えた先、ステップの村から来たそうだ。草原の広がる地域は広大だが、何しろ主に草しかない。移動民族も多い中、エルガーの村は泉のそばに建物を作って定住しているそうだ。そこで家族と共に、山羊や羊の世話をして暮らしているという。
ユウはそうして一つの村に生まれ、家を持ち、仕事をすることに少しの憧れがある。エルガーの話を聞きながら、ユウは少々羨ましくなった。もっとも、定住者には彼らなりの苦労も有るだろうが。
あるいは、シャンティと共に暮らせば人生は変わるだろうか。そんな事を考えてユウは一人苦笑した。悪くはないが、きっとお互いに難しいだろう。シャンティは人間との別れに傷ついているから街を離れたのだろうし、ユウはあの何も無い森で暮らすには、都市の生活を知りすぎた。
「……おふくろさん、身体が悪いの?」
考えをそちらから逸らすように、エルガーに尋ねる。彼は慣れない森の道を懸命に進みながら、「はい」と大きくうなずいた。
「何年か前から、臥せりがちになって。でも原因がわからないから、医者にも匙を投げられてしまいました。ダメで元々と、あの街で相談をしたら、森のエルフの薬を勧められて。あれを飲むと、母は調子がいいんです。家事をしたり、人並みのことができるようになって……」
そう言うエルガーの瞳は優しい。母親の為にはるばるこんな森の奥まで来るのだから、きっといい奴なのだろうなとユウは思った。何か力になってやりたいと感じる。シャンティに俺からも頼んでみよう、と思いながら、霧の深い森を進んで行く。
やがて二人は開けた場所に出た。大樹が守る小屋はいつも通りで、せっせとドライアド達が屋根掃除をしているのが見える。そして珍しいことに、シャンティは表に出ていた。
「シャンティ! 来たよ」
「ああ、ユウ……。そろそろ来るかと思っていました。……おや、そちらの方は?」
シャンティはいつものフワフワとした様子で、ゆっくりとエルガーを見て首を傾げた。そんな彼に、ユウは「ああ」と頷く。
「ああ、彼はエルガー。お袋さんが、シャンティの薬の世話になってるんだって。それで、薬の作り方を教えてほしいって言うから、ここまで連れて来たんだけど……」
紹介していると、エルガーがシャンティに歩み寄って行った。ユウはそれをただ見ていただけだったから。
「ーーっ、おいっ!」
突如、エルガーが懐からナイフを取り出したのを見て、慌てて止めようとしたが、間に合わなかった。エルガーの持つナイフは、あっという間にシャンティの衣服を貫き、腹に刺さってしまった。
「……っ」
シャンティが衝撃に俯く。ユウはエルガーをすぐに引き剥がして、そのまま地面にうつ伏せに押し倒した。なにしやがる! と怒鳴りながら、エルガーの腕を背中に回し、関節を固めて動けなくしてやった。若い頃から苦労してきたから得た体術だ。こんな事に役立つなんて、皮肉だった。
エルガーは不思議と無抵抗だ。シャンティを刺したのに、大人しく拘束されたまま、青ざめた顔でシャンティの方を見ている。ユウも心配になってシャンティを見て、驚いた。
シャンティは全く動じる様子もなく、腹にナイフを刺したまま、ぼんやりとこちらを見つめていたのだ。
「……しゃ、シャンティ……大丈夫……?」
ユウが恐る恐る尋ねると、シャンティは「これが大丈夫に見えますか?」と腹に刺さったナイフに触れて言った。そのまま、ソレをゆっくり、ゆっくりと引き抜いていく。
「ひぇ……」
「ほら、血が出ています。危ないですよ、他人をナイフで刺すなんて……」
血に濡れた刃を見せながら、シャンティはゆらりと歩み寄って来る。その様子が、ユウはとても恐ろしいものに感じた。
エルフは人間とは違って、命が無い。感覚は鈍感で不死身。常々聞かされていた事ではあったが、こうまではっきりと思い知らされたのは初めてだった。シャンティは痛みも、死の恐怖も感じていない。いたずらをされた、ぐらいにしか思っていないのかもしれない。腹を刺されたというのに。
「……私はかまいませんが……貴方が、ユウにも危害を加えるつもりだったのなら、……貴方を見逃すわけにはいきません。どうして、こういうことをしたのですか?」
声音は優しいのに、血塗れのナイフを握ったまま首を傾けているものだから、おっかなくて仕方がない。ユウは怖くなった。シャンティは自分の事になると、何をするかわからない。そんな気がした。このままでは、エルガーに何をするか。ユウは慌てて、エルガーに尋ねた。
「エルガー、どうしてシャンティを刺したんだよ。説明してくれ、じゃないとたぶん、シャンティがすごい怒る気がする」
「……」
「エルガー、頼むよ、事情を説明してくれって! 大丈夫、シャンティは説明したらわかってくれるから。俺、ほんの少ししかエルガーと一緒にいないけど、悪い奴には思えないし……」
とりあえず、俺も刺すつもりだったのか、そうじゃないのかだけでも教えてくれよ。ユウが必死にそう言うと、エルガーはシャンティとユウの顔を交互に見比べてから、途切れ途切れに話してくれた。
エルガーがユウに話したことは、嘘ではない。母親は病気で、薬が切れたことでまた臥せりがちになった。村には他にも病人がいて、皆一様に、薬が手に入らない事で何かしら苦労をしていた。
そんな時、街に行っていた者達から、噂が流れてきた。森には黒いエルフが住んでいて、彼が薬を売買しているようだ。けれど、黒いエルフなんて他に聞いたことも見たこともない。アレは本当にエルフなのか? 森に住む化け物なんじゃないか。
悪い事にはその頃、村の周辺では奇妙な事件が起こっていた。黒い影のような者に、村の男達が襲われたのだ。幸い命は取られなかったが、襲われた者たちはみな数日寝込んで、恐ろしい目に遭ったと言った。
黒い影のような、化け物が、人を襲う。森には黒いエルフのような化け物が住んでいる。薬を断たれると、人々は苦しむ。そんな符号が合致して、村には一つの推測が起こった。
森の化け物が、薬を独占した上で、病気をばら撒いているのではないかーー。
「そんな馬鹿な話があってたまるかよ!」
ユウは思わず怒鳴った。シャンティが人間を襲ったりするはずがない。あれほど人間を愛し、慈しみ、その結果悲しみにくれてここに閉じこもり、傷を癒しているだけの男だ。彼が病気をばら撒いて人を傷付けるはずもないし、仮にそうだとしたら、塩なんかと引き換えに薬を売ったりするものか。
ユウにはシャンティのことがわかる。確かに、化け物かもしれない、と思わないでもない。神秘と魔物の区別など、人間にはつかない。ただ、ユウはシャンティの人格を知っている。少なくとも、エルガー達が推測するようなことは絶対にしないと。
しかし、確かに。ユウ以外の人間にとって、シャンティは正体不明の化け物でしかないのかもしれない。
「でも、僕は、他にどうしていいかわからなくて……。みんなが言うんだ、化け物を退治して、薬を取れるようにしたら、みんな助かるかもって、母さんも治るかもしれないって……」
エルガーが泣き出しそうな声で言う。組み敷いた体は震えていた。ユウが不安になってシャンティを見ると、彼はナイフの血を自分の服の袖で拭いていた。
「シャンティ、許してあげてくれよ、エルガー達、シャンティの事を知らないんだ。知ればきっと……」
「別にその子が私をどう思うと、私は構いませんよ。ユウに危害を加える気がないのなら、それで」
はい、お返しします。シャンティがそう言ってナイフをエルガーの目の前に置いた。そのまま刺し返されると思ったのか、エルガーはガタガタと震えていたが、シャンティはエルガーに何もしなかった。
「ユウ、その子を離してあげて大丈夫ですよ」
「で、でも」
「誤解が生じるのは仕方ない事ですし、真実が何処にあるのかなど、人間は知りたがらないものです。その子は行動に移しただけ立派かもしれませんし、愚かかもしれませんが、どちらにしろ私には関係の無いことですから……」
「関係無くはないだろ、刺されたんだぜ?!」
「ええ、刺されましたよ。ですが……ふふ」
シャンティは子供の悪戯を見た大人のように微笑んで言った。
「こんな小さなナイフで、エルフの腹を一突き。ここは急所でもないですし、迷いと怯えで浅いから、仮に私が人間であっても死んでいたかどうか。しかも、容易くユウに拘束された。……その子が本気でなかった事ぐらいわかりますよ。……もっとも、本気でこられたとしても死ねないのが我々ではありますが……」
シャンティは少し思案して、それから一つ頷く。
「いいでしょう。ユウ、貴方にも見せてあげましょう。この森の真実を。それが、その子にとっての答えにもなるでしょうから」
なんでも、この森の南にある山を越えた先、ステップの村から来たそうだ。草原の広がる地域は広大だが、何しろ主に草しかない。移動民族も多い中、エルガーの村は泉のそばに建物を作って定住しているそうだ。そこで家族と共に、山羊や羊の世話をして暮らしているという。
ユウはそうして一つの村に生まれ、家を持ち、仕事をすることに少しの憧れがある。エルガーの話を聞きながら、ユウは少々羨ましくなった。もっとも、定住者には彼らなりの苦労も有るだろうが。
あるいは、シャンティと共に暮らせば人生は変わるだろうか。そんな事を考えてユウは一人苦笑した。悪くはないが、きっとお互いに難しいだろう。シャンティは人間との別れに傷ついているから街を離れたのだろうし、ユウはあの何も無い森で暮らすには、都市の生活を知りすぎた。
「……おふくろさん、身体が悪いの?」
考えをそちらから逸らすように、エルガーに尋ねる。彼は慣れない森の道を懸命に進みながら、「はい」と大きくうなずいた。
「何年か前から、臥せりがちになって。でも原因がわからないから、医者にも匙を投げられてしまいました。ダメで元々と、あの街で相談をしたら、森のエルフの薬を勧められて。あれを飲むと、母は調子がいいんです。家事をしたり、人並みのことができるようになって……」
そう言うエルガーの瞳は優しい。母親の為にはるばるこんな森の奥まで来るのだから、きっといい奴なのだろうなとユウは思った。何か力になってやりたいと感じる。シャンティに俺からも頼んでみよう、と思いながら、霧の深い森を進んで行く。
やがて二人は開けた場所に出た。大樹が守る小屋はいつも通りで、せっせとドライアド達が屋根掃除をしているのが見える。そして珍しいことに、シャンティは表に出ていた。
「シャンティ! 来たよ」
「ああ、ユウ……。そろそろ来るかと思っていました。……おや、そちらの方は?」
シャンティはいつものフワフワとした様子で、ゆっくりとエルガーを見て首を傾げた。そんな彼に、ユウは「ああ」と頷く。
「ああ、彼はエルガー。お袋さんが、シャンティの薬の世話になってるんだって。それで、薬の作り方を教えてほしいって言うから、ここまで連れて来たんだけど……」
紹介していると、エルガーがシャンティに歩み寄って行った。ユウはそれをただ見ていただけだったから。
「ーーっ、おいっ!」
突如、エルガーが懐からナイフを取り出したのを見て、慌てて止めようとしたが、間に合わなかった。エルガーの持つナイフは、あっという間にシャンティの衣服を貫き、腹に刺さってしまった。
「……っ」
シャンティが衝撃に俯く。ユウはエルガーをすぐに引き剥がして、そのまま地面にうつ伏せに押し倒した。なにしやがる! と怒鳴りながら、エルガーの腕を背中に回し、関節を固めて動けなくしてやった。若い頃から苦労してきたから得た体術だ。こんな事に役立つなんて、皮肉だった。
エルガーは不思議と無抵抗だ。シャンティを刺したのに、大人しく拘束されたまま、青ざめた顔でシャンティの方を見ている。ユウも心配になってシャンティを見て、驚いた。
シャンティは全く動じる様子もなく、腹にナイフを刺したまま、ぼんやりとこちらを見つめていたのだ。
「……しゃ、シャンティ……大丈夫……?」
ユウが恐る恐る尋ねると、シャンティは「これが大丈夫に見えますか?」と腹に刺さったナイフに触れて言った。そのまま、ソレをゆっくり、ゆっくりと引き抜いていく。
「ひぇ……」
「ほら、血が出ています。危ないですよ、他人をナイフで刺すなんて……」
血に濡れた刃を見せながら、シャンティはゆらりと歩み寄って来る。その様子が、ユウはとても恐ろしいものに感じた。
エルフは人間とは違って、命が無い。感覚は鈍感で不死身。常々聞かされていた事ではあったが、こうまではっきりと思い知らされたのは初めてだった。シャンティは痛みも、死の恐怖も感じていない。いたずらをされた、ぐらいにしか思っていないのかもしれない。腹を刺されたというのに。
「……私はかまいませんが……貴方が、ユウにも危害を加えるつもりだったのなら、……貴方を見逃すわけにはいきません。どうして、こういうことをしたのですか?」
声音は優しいのに、血塗れのナイフを握ったまま首を傾けているものだから、おっかなくて仕方がない。ユウは怖くなった。シャンティは自分の事になると、何をするかわからない。そんな気がした。このままでは、エルガーに何をするか。ユウは慌てて、エルガーに尋ねた。
「エルガー、どうしてシャンティを刺したんだよ。説明してくれ、じゃないとたぶん、シャンティがすごい怒る気がする」
「……」
「エルガー、頼むよ、事情を説明してくれって! 大丈夫、シャンティは説明したらわかってくれるから。俺、ほんの少ししかエルガーと一緒にいないけど、悪い奴には思えないし……」
とりあえず、俺も刺すつもりだったのか、そうじゃないのかだけでも教えてくれよ。ユウが必死にそう言うと、エルガーはシャンティとユウの顔を交互に見比べてから、途切れ途切れに話してくれた。
エルガーがユウに話したことは、嘘ではない。母親は病気で、薬が切れたことでまた臥せりがちになった。村には他にも病人がいて、皆一様に、薬が手に入らない事で何かしら苦労をしていた。
そんな時、街に行っていた者達から、噂が流れてきた。森には黒いエルフが住んでいて、彼が薬を売買しているようだ。けれど、黒いエルフなんて他に聞いたことも見たこともない。アレは本当にエルフなのか? 森に住む化け物なんじゃないか。
悪い事にはその頃、村の周辺では奇妙な事件が起こっていた。黒い影のような者に、村の男達が襲われたのだ。幸い命は取られなかったが、襲われた者たちはみな数日寝込んで、恐ろしい目に遭ったと言った。
黒い影のような、化け物が、人を襲う。森には黒いエルフのような化け物が住んでいる。薬を断たれると、人々は苦しむ。そんな符号が合致して、村には一つの推測が起こった。
森の化け物が、薬を独占した上で、病気をばら撒いているのではないかーー。
「そんな馬鹿な話があってたまるかよ!」
ユウは思わず怒鳴った。シャンティが人間を襲ったりするはずがない。あれほど人間を愛し、慈しみ、その結果悲しみにくれてここに閉じこもり、傷を癒しているだけの男だ。彼が病気をばら撒いて人を傷付けるはずもないし、仮にそうだとしたら、塩なんかと引き換えに薬を売ったりするものか。
ユウにはシャンティのことがわかる。確かに、化け物かもしれない、と思わないでもない。神秘と魔物の区別など、人間にはつかない。ただ、ユウはシャンティの人格を知っている。少なくとも、エルガー達が推測するようなことは絶対にしないと。
しかし、確かに。ユウ以外の人間にとって、シャンティは正体不明の化け物でしかないのかもしれない。
「でも、僕は、他にどうしていいかわからなくて……。みんなが言うんだ、化け物を退治して、薬を取れるようにしたら、みんな助かるかもって、母さんも治るかもしれないって……」
エルガーが泣き出しそうな声で言う。組み敷いた体は震えていた。ユウが不安になってシャンティを見ると、彼はナイフの血を自分の服の袖で拭いていた。
「シャンティ、許してあげてくれよ、エルガー達、シャンティの事を知らないんだ。知ればきっと……」
「別にその子が私をどう思うと、私は構いませんよ。ユウに危害を加える気がないのなら、それで」
はい、お返しします。シャンティがそう言ってナイフをエルガーの目の前に置いた。そのまま刺し返されると思ったのか、エルガーはガタガタと震えていたが、シャンティはエルガーに何もしなかった。
「ユウ、その子を離してあげて大丈夫ですよ」
「で、でも」
「誤解が生じるのは仕方ない事ですし、真実が何処にあるのかなど、人間は知りたがらないものです。その子は行動に移しただけ立派かもしれませんし、愚かかもしれませんが、どちらにしろ私には関係の無いことですから……」
「関係無くはないだろ、刺されたんだぜ?!」
「ええ、刺されましたよ。ですが……ふふ」
シャンティは子供の悪戯を見た大人のように微笑んで言った。
「こんな小さなナイフで、エルフの腹を一突き。ここは急所でもないですし、迷いと怯えで浅いから、仮に私が人間であっても死んでいたかどうか。しかも、容易くユウに拘束された。……その子が本気でなかった事ぐらいわかりますよ。……もっとも、本気でこられたとしても死ねないのが我々ではありますが……」
シャンティは少し思案して、それから一つ頷く。
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