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しおりを挟む「ただいまぁ……」
バタン、と玄関が閉じる。すぐに部屋の電気を付けると、寒々とした自室がパッと浮かび上がった。ベッドの上で、ヒツジが寂しく寝転がっている。エアコンのスイッチを入れながら、和真はクッションに背を預け、ぼんやりと天井を見上げた。
シノに話しても、そんなに解決にはならなかったけれど。考えの整理はついたような、そうでもないような。
和真は溜息を吐く。
薫さんに銀色鉛筆のことを聞くのは無理だ。改めてそう思う。恋人と答えられようとそうでなかろうとダメージがあるなら、いっそ聞かない方がまだマシかもしれない。
じゃあ、これからどうするのか。それに関しては、シノが教えてくれた。
「……薫さんに、幸せになって欲しい、かあ……」
それさえ見失わなければ大丈夫。そう言っていたけれど、どう解釈すればいいかはまだよくわからない。ただ、薫には元気で笑っていてほしいと感じるのは事実だ。
問題は、そこに自分の欲望が絡んでくるだけで……。
「ハッ! つまり俺の欲望だけで薫さんにちょっかい出したりしちゃダメ……ってことか!?」
その先に薫の幸せが待っていると保証できないなら、しないほうがいい。そういうことなんだろうか。和真はそう仮定し、しばらく考えて。
「……いや、誰かを確実に幸せにするとか無理じゃね?」
現に自分だってそうではないか。どんな理由や事情が有ったか知らないけれど、本当の両親には捨てられたのだから――。
そのことを深く考えそうになって、慌てて首を振る。今の問題は、そこではない。
育ての両親は和真を引き取った。きっと責任を持って幸せにしたかったろう。その結果、今の自分はどうなっているか。寂しがりのセックス狂いが、今更思春期のような恋愛で転がり周っているわけだ。
人生は、何が起こるかわからない。約束なんて本当は果たせるかもわからないものなのだ。ましてや幸せなんて不定形なことは、誰にも。
そうなると要するにシノは、薫のことを諦めろと言いたかったんだろうか……。
和真が悶々としていると。
ピンポーン、とチャイムが鳴って、和真は飛び上がった。慌てて玄関ドアの覗き穴から外を見れば、広角な廊下に薫が佇んでいるのが見えた。
「わ! 薫さん! こんばんは!」
「わあ! 和真君、元気だね」
すぐ玄関を開けたことに驚いたらしい。薫はびっくりした顔をした後に、いつもの微笑みを浮かべた。
「だいぶ遅い時間になっちゃったけど、これ、作りすぎちゃったからどうかと思って」
薫はそう言って、タッパーを見せる。夕飯のおすそわけだ。焼肉をたっぷり食べて帰った手前、今夜のおかずにはならないが、明日でもいいだろう。問題はそこではない。
「外、寒いでしょ。連絡くれたら取りに行きますよ」
薫がもこもこのルームウェアに上着を羽織っただけの姿だから、心配になる。この間のように体調を崩したら大変だ。
しかし薫は「寒いのは和真君も同じだから」と笑うばかりで、タッパーを差し出す。感謝しながら受け取ると、どうやら中身はカレーのようだった。
「……薫さん、もしかして、カレーしか作れません……?」
「えっ! あ、いや、ほ、他にも作れるよ? シチューとか、ハヤシライスとか、グラタンとか……」
「……市販のルーがあるやつだけ、です……?」
「う……うん……」
薫が恥ずかしそうに俯いた。責めているわけではないし、見下しているわけでもない。ないのだが。
その食生活では野菜なんかは取りにくいだろうし、随分と栄養バランスが崩れそうだ。体力にものを言わせた貧乏学生とは違い、薫は身体が弱いのだから、そういうところは気を遣ったほうがいいだろう、絶対。
そして本人にそれができない、というのなら……。
「か、薫さん。よかったら、俺が夕飯作りましょうか?」
「えっ?」
「ほ、ほら、去年の年末みたいに。俺もその、ひとり分作るのもふたり分作るのも変わらないですし。ね? そしたら色々食べられるから……」
あの楽しかった年末年始のことを思い出すと、胸が温かくなり、そしてきゅうっと締め付けられるような心地になる。もう既に、なんだか懐かしい気がして。
薫はといえば、和真の言葉に、真剣に考える表情を浮かべた。
「……うーん、ありがたいけど……遠慮しておくよ。気にかけてくれて、ありがとうね」
薫が申し訳なさそうに断る。
薫に、初めて断られたような気がする。和真の胸を更なる痛みが襲った。
(それは!! あの銀色鉛筆がいるから! 俺はもういらないってことなんですか、薫さん~~~~!!)
叫びはなんとか喉の奥で止めて、和真は「あは、あはははは」と乾いた笑いと共に、「もしその気になったらいつでも言ってください」と付け足した。なんだか涙が出そうだった。
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