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コミュニケーションの勉強、咀嚼、マニュアル風にアウトプット
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子供の頃のエピソードとして、よく母に言われること。
「アンタは子どもたちみんなでゲームをすることになったときに、『ちょっと待って、得点表作るから』と言って、頼まれてもいないし必要もないことを勝手にやり始めるなど、すごい仕切り屋だった」
よく母に言われたこと。
「考え方が極端」「アンタには親近感ってものがない(=親近感を表さない、愛情表現をしないように見えている?)」
学校でのエピソード。
運動会中、相手チームの子がこけたときに、味方チームの子が駆け寄った。私は、今は赤白チームに分かれて競技しているのだから、敵チームの人を助けるのは間違っていると思って、「なんでそんなことするの?」と言った。
全体的に。
怒ったことがない人の前では安心する。叱られるとビクビクする。叱った人に対してドキドキするが、叱った人の機嫌が直ったようだったら、安心してケロッとする。叱られた内容についてはよく分かっておらず、改善しようと勤めたかは不明。
*
対策。
世間というものは、表面上は「曖昧に」表現し、その実、自分の言ったことを相手が理解する努力をしたかどうかを非常に重要視する。
お客様から商品にクレームが入り、その結果として仕事が一行程増やされる……ということが繰り返され、どんどん業務が増えるのも、「お客様がおっしゃったことに対し、企業が努力する態度を見せるか」が重要であるためだろう。
実際のところは、本当に再発防止の効果があるのかどうか疑問に思うような対策方法が取られることも少なくない。「改善する態度」つまり「聞く耳」「誠意」があるかどうかが重要なのである。
人には「雑談」と「要望」「指示」がある。
「雑談」は「意見」であったりもする。「私はこう思うのにな~」といったもの。これは基本的に、こちらの考え方を変える必要はない。
「要望」「指示」を「雑談」と聞き分ける必要がある。「雑談」は大抵深く考えなくても問題ないが、「要望」「指示」には素早く反応せねばならない。
近年の進展。
わりと最近まで、一本調子で喋る、また、「はい」「そうですね」など単調な言葉の繰り返しで喋ろうとしていた。
これを、「歌うように(=抑揚を付けて)」「色々な言葉を織り交ぜながら」喋るように変えていった。
これは改善のつもりだが、そもそも「はい」「そうですね」など主に使用する言葉数を限定していたのは、自身が失言しやすいことへの対策であった。言葉数を増やしたことに伴い、調子に乗ったアクションや失言数は増えてしまったが(例:冗談のつもりで、まだそこまで仲良くなっていない後輩さんに「これあげるよ」とゴミを渡そうとした。後輩さんは反応に困って戸惑った様子だった)、言葉数を増やしても失言しないよう、レベルを上げたいところだ。
以前は何が正しくて何が間違っているか分からなかった。実際現在も、「正しいとか間違いとかは存在しない」わけだが、コミュニケーションというのはある程度、正解というかルールの決まった儀式であると分かってきた。
たとえば基本的に会話は言葉のキャッチボールであり、一方的に長々と喋ってはいけないが、話を聞いてもらうモードに入ったときは、長々と喋ってOK。相手は相槌に徹してくれる。
相手が説明しているときに割って入らず、最後まで聞くべきであるというのもルールのようだが、私は説明の途中で浮かんだ疑問を、相手の話が終わるまで覚えていられないため、疑問が浮かんだ時点で相手の話を遮って質問する。相手は私に遮られても、私の遮りをスルーして説明し続けたりしておられる。「今一連の説明をしているんだから、最後まで人の話を聞かんか!」と怒鳴ることもなく、暗黙のルールを教え込もうとしてくれるあたり、相手の器の大きさを感じる。
*
近年、自分以外の他の人も、おかしなコミュニケーションの取り方をする人が一定数いることが分かった。俗に言う「非常識」「無神経」に近いだろうか。
そういうときは。「あ、この人、間違ってやがる」と捉える? いやいや。
自分がどれだけかおかしいことをしてきたのを、まわりの人は大目に見て、導いてくれたのだ。ちょっとやそっとのことで「おかしいと思います!」と騒ぎ立てるんじゃない。
そもそも「相手がおかしい」と感じるこっちの感性がおかしい可能性もある。今の時代の、多数決的に見て、ある程度「正解」という名のルールが割り出される。これは現代の風潮によって若干変動するものである。
他の人も人間だから、おかしいところがある。そういうときは、今までの恩を思い出し、優しく相手を導こうと考えるべきである。これは相手が先輩であれ上司であれ。みんな、「無くて七癖」といったところなのだ。
とはいえ前述の通り、傍目に見ておかしいのはこちらである、という場合もあるのだろうが。
これは「自分と相手」以外の第三者の反応を探れるようになることで、「空気」を読めるようになる。明らかにこちらがおかしな言動をした場合、第三者が戸惑い、何らかの反応を見せている。たとえば目の前の相手を論破しようとするとき、まわりの人がこちらに賛同しようとしているか、相手に賛同しようとしているかは、重要であると思われる。
*
マニュアル風なんて上手にはできなかったな……。
「アンタは子どもたちみんなでゲームをすることになったときに、『ちょっと待って、得点表作るから』と言って、頼まれてもいないし必要もないことを勝手にやり始めるなど、すごい仕切り屋だった」
よく母に言われたこと。
「考え方が極端」「アンタには親近感ってものがない(=親近感を表さない、愛情表現をしないように見えている?)」
学校でのエピソード。
運動会中、相手チームの子がこけたときに、味方チームの子が駆け寄った。私は、今は赤白チームに分かれて競技しているのだから、敵チームの人を助けるのは間違っていると思って、「なんでそんなことするの?」と言った。
全体的に。
怒ったことがない人の前では安心する。叱られるとビクビクする。叱った人に対してドキドキするが、叱った人の機嫌が直ったようだったら、安心してケロッとする。叱られた内容についてはよく分かっておらず、改善しようと勤めたかは不明。
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対策。
世間というものは、表面上は「曖昧に」表現し、その実、自分の言ったことを相手が理解する努力をしたかどうかを非常に重要視する。
お客様から商品にクレームが入り、その結果として仕事が一行程増やされる……ということが繰り返され、どんどん業務が増えるのも、「お客様がおっしゃったことに対し、企業が努力する態度を見せるか」が重要であるためだろう。
実際のところは、本当に再発防止の効果があるのかどうか疑問に思うような対策方法が取られることも少なくない。「改善する態度」つまり「聞く耳」「誠意」があるかどうかが重要なのである。
人には「雑談」と「要望」「指示」がある。
「雑談」は「意見」であったりもする。「私はこう思うのにな~」といったもの。これは基本的に、こちらの考え方を変える必要はない。
「要望」「指示」を「雑談」と聞き分ける必要がある。「雑談」は大抵深く考えなくても問題ないが、「要望」「指示」には素早く反応せねばならない。
近年の進展。
わりと最近まで、一本調子で喋る、また、「はい」「そうですね」など単調な言葉の繰り返しで喋ろうとしていた。
これを、「歌うように(=抑揚を付けて)」「色々な言葉を織り交ぜながら」喋るように変えていった。
これは改善のつもりだが、そもそも「はい」「そうですね」など主に使用する言葉数を限定していたのは、自身が失言しやすいことへの対策であった。言葉数を増やしたことに伴い、調子に乗ったアクションや失言数は増えてしまったが(例:冗談のつもりで、まだそこまで仲良くなっていない後輩さんに「これあげるよ」とゴミを渡そうとした。後輩さんは反応に困って戸惑った様子だった)、言葉数を増やしても失言しないよう、レベルを上げたいところだ。
以前は何が正しくて何が間違っているか分からなかった。実際現在も、「正しいとか間違いとかは存在しない」わけだが、コミュニケーションというのはある程度、正解というかルールの決まった儀式であると分かってきた。
たとえば基本的に会話は言葉のキャッチボールであり、一方的に長々と喋ってはいけないが、話を聞いてもらうモードに入ったときは、長々と喋ってOK。相手は相槌に徹してくれる。
相手が説明しているときに割って入らず、最後まで聞くべきであるというのもルールのようだが、私は説明の途中で浮かんだ疑問を、相手の話が終わるまで覚えていられないため、疑問が浮かんだ時点で相手の話を遮って質問する。相手は私に遮られても、私の遮りをスルーして説明し続けたりしておられる。「今一連の説明をしているんだから、最後まで人の話を聞かんか!」と怒鳴ることもなく、暗黙のルールを教え込もうとしてくれるあたり、相手の器の大きさを感じる。
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近年、自分以外の他の人も、おかしなコミュニケーションの取り方をする人が一定数いることが分かった。俗に言う「非常識」「無神経」に近いだろうか。
そういうときは。「あ、この人、間違ってやがる」と捉える? いやいや。
自分がどれだけかおかしいことをしてきたのを、まわりの人は大目に見て、導いてくれたのだ。ちょっとやそっとのことで「おかしいと思います!」と騒ぎ立てるんじゃない。
そもそも「相手がおかしい」と感じるこっちの感性がおかしい可能性もある。今の時代の、多数決的に見て、ある程度「正解」という名のルールが割り出される。これは現代の風潮によって若干変動するものである。
他の人も人間だから、おかしいところがある。そういうときは、今までの恩を思い出し、優しく相手を導こうと考えるべきである。これは相手が先輩であれ上司であれ。みんな、「無くて七癖」といったところなのだ。
とはいえ前述の通り、傍目に見ておかしいのはこちらである、という場合もあるのだろうが。
これは「自分と相手」以外の第三者の反応を探れるようになることで、「空気」を読めるようになる。明らかにこちらがおかしな言動をした場合、第三者が戸惑い、何らかの反応を見せている。たとえば目の前の相手を論破しようとするとき、まわりの人がこちらに賛同しようとしているか、相手に賛同しようとしているかは、重要であると思われる。
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マニュアル風なんて上手にはできなかったな……。
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