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抑揚と人間らしさとか、育て方とか
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受け答えの8割が「はい・いいえ」だとしても、抑揚があるだけで人間っぽくなりますね。それができればロボットでも人間っぽいのでしょう。
子どもの頃など、「恥ずかしい」「ダルい」「興味がない」「緊張する」場面などで抑揚がなくなる感じでした。国語の音読とか、校内放送とか。
教科書を読むとき、プロみたいに感情を込めて読む人はほとんどおらず、一本調子だったような。運動会の司会とかも。
今でも、たとえば急に「人形劇をやれ」だとか、アフレコ(?)をさせられたりしたら、声が小さくなり、抑揚がなくなりそうです。
声優さんとか、あるいは小さい子に絵本の読み聞かせをしていた方は、感情を込めて人形劇やアフレコをできるかもしれませんね。
昔から人と話すのが苦手で、小学生のときは大人としか喋れず、中学生の頃はやっとこさ周りの人と話していた私。「仕事」となるとまた緊張しまくり、抑揚がなかったと思います。接客業でもなければ、仕事に抑揚なんて求められていない気もするし。
でも自分一人で働くわけでもなければ、やっぱりコミュニケーション力はある程度必要ですね。
で、仕事上のコミュニケーションはペラペラ喋ることでなく、的確に手短に伝えたり、答えること。
答えも、余計なことを言って相手の足を止めるより「はい」で良いんでしょう。特に忙しそうなときは。それを測るのが「空気読む」ってことなんですかね。
頭の回転早い人ならペラペラ喋りながらできるようですが、仕事でマシンガントークなどされたら、私のような者は頭を引っ掻き回され、「何が重要なことだったか」分かりません。気になったことを質問するタイミングも逃すし。
って「喋られまくって混乱する」というようなことは現状ありません。「自分がやってしまったらこう思われるだろうな」というような感じです。
しょっちゅう愚痴言う人とか、無口な人とか、ピリピリした人、ちょっと言い方キツい人には質問しづらいですかね。
今はできるだけ後輩さんを怖がらせないよう、喋っています。
私自身、先輩が優しく教えてくださったり、仕事ができなくても親切にしてくださったりすると、すごく嬉しかったので。
スピードに関しては、私自身「早く」「遅い」と言われると辛かったし(遅いと言われても治らない、焦ったら物壊すだけ)、仕事の遅い私が後輩さんに「早く」なんて言える資格はないですね。「こうしたら早いかもよ」と言えるような部分を見つければ、お伝えできるかもしれませんが。
後輩さんを怖がらせないように喋るため、気をつけることは「突発的に怒りを出さないようにする」こと。そして「抑揚」。
まだ私は後輩さんに怒りが沸いたことはないような。そのため、「怒りを出さないように堪えなきゃ」という場面はありません。私の方が仕事できないので、基本、私は怒られる専門です。
抑揚に関しては、無意識にやっていました。多分、以前は全部棒読みみたいな喋り方だったと思いますが、今は歌うみたいに喋ってみています。歌も抑揚ですよね。
けっこう後輩さんに質問していただけるところを見ると、そんなには怖がられていないかな? 答えはちょっと自信がなくて、頼りないですが……。「私もよく分かりません」レベル。
で、私がキャパオーバーしないよう、上司の人(?)が、穏やかな後輩さんとばかり組ませてくださっている気もします。
後輩さんには怒りが沸きませんが、先輩に対して「仕事はできるけど人間性がちょっと……。世の中、性格が良くて仕事ができない人より、性格が悪くても仕事ができる人の方を認めるんだよなぁ」と思いますが、まぁ、家庭にせよ会社にせよ、現状、仕事の出来(家事とか手続きとか自己管理含む)がすべてなのでしょう。今のところ「ごもっともです」と言うしかなく、逆らえません。しょうがない、しょうがない。
現代では「セクハラ」や「パワハラ」の概念が浸透しつつあるし、何か追い風でも吹けば反撃するかもしれませんが。基本、職場は喧嘩する場所じゃないし、仕事さえできれば良いですよね。転職するとかいうアテも計画もないのに、無駄に働きづらい環境を作り出してしまったら最悪。
前職で人間関係ぶっ壊して、痛い目見たことで、ほんの少しは学習できているのかもしれません。ドラマじゃあるまいし、仕事なんて「どこまで淡白にできるか」です。
でもちょこっと気にかけてくださったり話しかけてくださったりすると、やっぱりすごく嬉しくなってしまうんですが……。
キツい人や表裏がありそうな人には怯えるけれど、「この人がいるから頑張れるんだよなぁ」というような優しい人、癒しの人もいっぱい。もちろん、信じすぎたら何らかのギャップでショックを受ける可能性もあるので、人に好意を抱くのは控え目に。
「こうだってば。分かった?」と言われるか、優しく笑顔で話してもらえるかだけで、同じ作業、同じような一日でも印象が変わってきます。
「自分のことかな?」と思うような嫌味っぽい言葉や、誰かの陰口を耳にしたら、「頑張るぞ!」と思っていたのにやる気失せるし、「もうどうでもいいや」と心も体も重たくなります。
褒められたら元気が出ます。「この人の負担を減らすために頑張るぞ!」と思います。
どうせ仕事ができてもできなくても、みんないつかは死ぬんだから、一分一秒楽しい方が良いです。長い時を働いて生き、働いて死ぬのなら、せめて仕事が楽しくなきゃ、やってられません。後輩さんも私と話したこと、ちょっとは楽しいとか感じてくれていたらいいな。
優しくしてもらえると力が沸く。
今引きこもりの人が増えているのは、社会に「無駄に厳しい」部分が多いことも一因だと思います。
愛ある厳しさでもなく、何らかの意図や計画性が見えるわけでもなく、完全に無駄。感情的に鬱憤を撒き散らしているだけ。それを厳しさと履き違えているんじゃないでしょうか。
「説明しても理解してくれない」、それは説明不足の可能性も大いにアリ。端から見ていて、ベテランの人たちが感情的で説明不足に見えるんで。なんでそんなことで怒るんだろう、なんで仕事できるのに教えてあげられないんだろうって思います(教える暇もないくらい忙しいなら分かりますが、愚痴を語り合う暇はたくさんあるみたいなんで)。仕事できるのと仕事教えられるのは別なんですね。
そりゃ、何遍言われても分からない、私のようなポンコツもいますが、ポンコツはポンコツで頑張って生きています。死にたくないならどこかで働かなきゃいけないし、誰もが夢叶ったり、特技を見つけられるわけでもないのだから、社会にポンコツがいるのもしょうがないでしょう。
それに全員がポンコツというわけでもなく、「何が分からないのか」推し量って助言してあげれば伸びそうな人いっぱいいるんで。薄暗くどんよりした、無駄に厳しい空気だと、憂鬱になってしまって、本来できることもできなくなりそう。最悪心を病むのでは。まぁ前職の方が空気悪かったし、今はよっぽどマシですが。
感情的に蹴散らす、追い返すような態度、これで引きこもりの人や自殺する人が増えたり、人手不足に陥っているとしたら、自業自得じゃないでしょうか。本当に差別のない温かい世界を目指してくれる気があるならば、社会はもっと人間性を高める努力をした方が良いんじゃないかと思います。余計なとこにばかり労力かけてないで。
って仕事できないヤツが偉そうなこと言ってもお門違い。分不相応なのです。
表では謙虚ぶって、化けの皮剥がれないよう気をつけます。あー、強くなりたい。
子どもの頃など、「恥ずかしい」「ダルい」「興味がない」「緊張する」場面などで抑揚がなくなる感じでした。国語の音読とか、校内放送とか。
教科書を読むとき、プロみたいに感情を込めて読む人はほとんどおらず、一本調子だったような。運動会の司会とかも。
今でも、たとえば急に「人形劇をやれ」だとか、アフレコ(?)をさせられたりしたら、声が小さくなり、抑揚がなくなりそうです。
声優さんとか、あるいは小さい子に絵本の読み聞かせをしていた方は、感情を込めて人形劇やアフレコをできるかもしれませんね。
昔から人と話すのが苦手で、小学生のときは大人としか喋れず、中学生の頃はやっとこさ周りの人と話していた私。「仕事」となるとまた緊張しまくり、抑揚がなかったと思います。接客業でもなければ、仕事に抑揚なんて求められていない気もするし。
でも自分一人で働くわけでもなければ、やっぱりコミュニケーション力はある程度必要ですね。
で、仕事上のコミュニケーションはペラペラ喋ることでなく、的確に手短に伝えたり、答えること。
答えも、余計なことを言って相手の足を止めるより「はい」で良いんでしょう。特に忙しそうなときは。それを測るのが「空気読む」ってことなんですかね。
頭の回転早い人ならペラペラ喋りながらできるようですが、仕事でマシンガントークなどされたら、私のような者は頭を引っ掻き回され、「何が重要なことだったか」分かりません。気になったことを質問するタイミングも逃すし。
って「喋られまくって混乱する」というようなことは現状ありません。「自分がやってしまったらこう思われるだろうな」というような感じです。
しょっちゅう愚痴言う人とか、無口な人とか、ピリピリした人、ちょっと言い方キツい人には質問しづらいですかね。
今はできるだけ後輩さんを怖がらせないよう、喋っています。
私自身、先輩が優しく教えてくださったり、仕事ができなくても親切にしてくださったりすると、すごく嬉しかったので。
スピードに関しては、私自身「早く」「遅い」と言われると辛かったし(遅いと言われても治らない、焦ったら物壊すだけ)、仕事の遅い私が後輩さんに「早く」なんて言える資格はないですね。「こうしたら早いかもよ」と言えるような部分を見つければ、お伝えできるかもしれませんが。
後輩さんを怖がらせないように喋るため、気をつけることは「突発的に怒りを出さないようにする」こと。そして「抑揚」。
まだ私は後輩さんに怒りが沸いたことはないような。そのため、「怒りを出さないように堪えなきゃ」という場面はありません。私の方が仕事できないので、基本、私は怒られる専門です。
抑揚に関しては、無意識にやっていました。多分、以前は全部棒読みみたいな喋り方だったと思いますが、今は歌うみたいに喋ってみています。歌も抑揚ですよね。
けっこう後輩さんに質問していただけるところを見ると、そんなには怖がられていないかな? 答えはちょっと自信がなくて、頼りないですが……。「私もよく分かりません」レベル。
で、私がキャパオーバーしないよう、上司の人(?)が、穏やかな後輩さんとばかり組ませてくださっている気もします。
後輩さんには怒りが沸きませんが、先輩に対して「仕事はできるけど人間性がちょっと……。世の中、性格が良くて仕事ができない人より、性格が悪くても仕事ができる人の方を認めるんだよなぁ」と思いますが、まぁ、家庭にせよ会社にせよ、現状、仕事の出来(家事とか手続きとか自己管理含む)がすべてなのでしょう。今のところ「ごもっともです」と言うしかなく、逆らえません。しょうがない、しょうがない。
現代では「セクハラ」や「パワハラ」の概念が浸透しつつあるし、何か追い風でも吹けば反撃するかもしれませんが。基本、職場は喧嘩する場所じゃないし、仕事さえできれば良いですよね。転職するとかいうアテも計画もないのに、無駄に働きづらい環境を作り出してしまったら最悪。
前職で人間関係ぶっ壊して、痛い目見たことで、ほんの少しは学習できているのかもしれません。ドラマじゃあるまいし、仕事なんて「どこまで淡白にできるか」です。
でもちょこっと気にかけてくださったり話しかけてくださったりすると、やっぱりすごく嬉しくなってしまうんですが……。
キツい人や表裏がありそうな人には怯えるけれど、「この人がいるから頑張れるんだよなぁ」というような優しい人、癒しの人もいっぱい。もちろん、信じすぎたら何らかのギャップでショックを受ける可能性もあるので、人に好意を抱くのは控え目に。
「こうだってば。分かった?」と言われるか、優しく笑顔で話してもらえるかだけで、同じ作業、同じような一日でも印象が変わってきます。
「自分のことかな?」と思うような嫌味っぽい言葉や、誰かの陰口を耳にしたら、「頑張るぞ!」と思っていたのにやる気失せるし、「もうどうでもいいや」と心も体も重たくなります。
褒められたら元気が出ます。「この人の負担を減らすために頑張るぞ!」と思います。
どうせ仕事ができてもできなくても、みんないつかは死ぬんだから、一分一秒楽しい方が良いです。長い時を働いて生き、働いて死ぬのなら、せめて仕事が楽しくなきゃ、やってられません。後輩さんも私と話したこと、ちょっとは楽しいとか感じてくれていたらいいな。
優しくしてもらえると力が沸く。
今引きこもりの人が増えているのは、社会に「無駄に厳しい」部分が多いことも一因だと思います。
愛ある厳しさでもなく、何らかの意図や計画性が見えるわけでもなく、完全に無駄。感情的に鬱憤を撒き散らしているだけ。それを厳しさと履き違えているんじゃないでしょうか。
「説明しても理解してくれない」、それは説明不足の可能性も大いにアリ。端から見ていて、ベテランの人たちが感情的で説明不足に見えるんで。なんでそんなことで怒るんだろう、なんで仕事できるのに教えてあげられないんだろうって思います(教える暇もないくらい忙しいなら分かりますが、愚痴を語り合う暇はたくさんあるみたいなんで)。仕事できるのと仕事教えられるのは別なんですね。
そりゃ、何遍言われても分からない、私のようなポンコツもいますが、ポンコツはポンコツで頑張って生きています。死にたくないならどこかで働かなきゃいけないし、誰もが夢叶ったり、特技を見つけられるわけでもないのだから、社会にポンコツがいるのもしょうがないでしょう。
それに全員がポンコツというわけでもなく、「何が分からないのか」推し量って助言してあげれば伸びそうな人いっぱいいるんで。薄暗くどんよりした、無駄に厳しい空気だと、憂鬱になってしまって、本来できることもできなくなりそう。最悪心を病むのでは。まぁ前職の方が空気悪かったし、今はよっぽどマシですが。
感情的に蹴散らす、追い返すような態度、これで引きこもりの人や自殺する人が増えたり、人手不足に陥っているとしたら、自業自得じゃないでしょうか。本当に差別のない温かい世界を目指してくれる気があるならば、社会はもっと人間性を高める努力をした方が良いんじゃないかと思います。余計なとこにばかり労力かけてないで。
って仕事できないヤツが偉そうなこと言ってもお門違い。分不相応なのです。
表では謙虚ぶって、化けの皮剥がれないよう気をつけます。あー、強くなりたい。
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