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書きかけですが、時間かけておいて消すのもなんなので投稿
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私は記憶力が悪いです。昨日「私は人と関わるのが苦手で、一人の時間が好きなんですよね」と言ったかと思えば、今日は「私は人との関わりがないとやっていけない人間で、いつも人との繋がりを求めてきました」と書くような人間です。
記憶力が良ければ、「昨日は人と関わるのが苦手だと言ったのですが、それでも本当は心のどこかで、人との繋がりを求めてきました。関係性ができても何か虚しさを感じ、続かないことも多かったです。自分にちって本当に理想的な人付き合いとは……と、常に模索している気がします」とか書くでしょう。そうすれば一応話が繋がります。なのに忘れっぽいもので、おそらく支離滅裂。気まぐれプラス説明力不足なのもあるでしょう。
さて、私はあちこちのSNSを巡ってきましたが、「SNSに向いていないのかもなぁ」と思います。
SNSにいると、SNSに入り浸るようになります。別にダラダラ入り浸っているつもりはないのですが、「やらなくてはならないこと」が増えていく感覚になるのです。タイムラインを見なきゃ、最新投稿を見なきゃ、いいねを返さなきゃ……と。もはや何がやりたいんだかは関係なく行動が決定され、依存症の域です。
ということがあって、アメブロ時代は不満を撒き散らしたあと、アカウント放置しました。
SNSで、フォロワー様が少ないうちは自由なのですが、多くなってくると勝手に自分で不自由になって、アカウント放置する傾向にあります。
今は「自由に過ごすぞ!」と決めていますが、それも、やるべき宿題をどんどん山積みにしているかのような感覚に襲われます。
SNSでは主に最新投稿が読まれ、思い入れのある過去投稿には、もう日の目が当たらない。
また、みんないいねをつけて回るのが癖になっているのか、いいねでアクセスを集めようとしているのか、興味もないのにいいねしてくる人が多く、どれが本気のアクションか分かりません。みんな「自分の投稿を読んでほしい」状態でしょうか。
私は気づくと、自分の投稿をする時間を削って、人の投稿を読んで回ることになっています。
毎日投稿されるので終わりがない。こうなると趣味とか夢というより、もう一つ仕事をしている感じです。しかもお金にならない。
遅読の私は本来、そんなにたくさん見たり読んだりするタイプではないのでしょう。
寝る前にお気に入りの本を開き、パラパラめくり、閉じる……。そういうタイプで、本は100冊くらいを繰り返し読んでいれば満足なのかもしれません。
子どもの頃、例外はありますが、基本的に本は開いては閉じてを繰り返し、かじって回って、好きなものを読んでいました。
しばらく見て、人外(人間以外)が出てこなければ大抵離れました。人間以外が登場するファンタジーが好きなのです。
このように自分の好みは理解していても、SNSでは上手に動けない。ならばSNSをやめるべきか。そもそも、なぜSNSに来たのか。
昨日言ったことも忘れるような私は、「これをしようと思います」とか「こうでした」とか言ったまま忘れていることが多々あるのでしょう。そんな中から、少ない記憶を掘り起こし、自分の創作の歴史をたどってみると……。
昔、まず私は公募ガイドなどで情報を集め、いくつかのコンクールに送ったのですが、ほんのわずかでやめてしまいました。
理由は手応えがないから。作品を送っても、0点なのか75点なのか、見込みがあるのかないのか、審査員の方に読まれたかどうかすらサッパリ分かりません。
「ああです、こうです」と伝えてくれれば、「よーし次も頑張るぞ」となるのですが、上達したとかしていないとか、そういうことも分からないのです。賞の方向性とかもリサーチしていなかったし、送る作品がテーマに沿っているかどうかも不明でした。
さらに、出版社に原稿を送って見ていただいたとき、話の流れで「コネとかないと、小説賞も通りませんし……」と言われたことがものすごく引っかかり、私が小説賞に送ることなんて意味がないんじゃないか、時間を費やした大事な原稿が読まれもせずにゴミ箱に捨てられているんじゃないかと怖くなったのです。
私は時間を浪費しがちですが、浪費したいわけではありません。ゴミ箱に捨てられたり、通る見込みもなかったり、そういうものに時間を費やすのは嫌です。
しかも私はほぼアナログだったので、その時は手書き原稿でした。コピーを取るという発想もなく、原稿はバックアップを取らずにオリジナルをそのまま送っていました。受賞しなければ、何事もなかったかのように作品が消えてなくなり、誰にも読まれません。空しすぎて、続きませんでした。
こんな風に消えてなくなるのは嫌だ、小説投稿サイトならまだ読まれるらしいし、作品も消えない、その上チャンスもあるらしいと、私はまず「小説家になろう」に行きました。
そこではたしかにアクセスは入ったけれど、風潮がどうもギスギス、ギラギラしていて苦手で、次第に愚痴っぽくなっていき、創作のやる気が失せました。
そこからしばらく間が空き、収益化できるサイトがあると聞いてカクヨムへ行きました。そこで必死になってアクセスを集めようとしたのですが収益化は程遠く……。
そんなある日、アルファポリスで漫画を投稿してみたら、一気に20円分収益が入ったのを見て呆気にとられました。今までの努力は何だったんだと。ここから収益化研究が始まりました。
以前は色々な情報を見てはワクワクしていましたが、最近ではもう、あまりやる気が沸きません。どうせ何をやっても同じ……と。ただ、その時その時私は、選択してはきたんだなと思いました。リアルだけ見れば、ずっとネットにかじりついて、何もしていない人間に見えるでしょうが。私は私なりにやったのです。
求めるものって、時と共に変化していきますね。また、満足したら「もういらないや」となることもあるかもしれません。
私は「好きなことで生きる」という夢は実現できていませんが、いくつかのことは叶いました。子どもの頃「自分のホームページを持ってマンガを載せられたらなぁ……。でも難しそうだし無理かもなぁ……」と思っていましたが、こうしてアルファポリスでマンガを投稿できています。
また、「小説家になろう」にいたときは、「なんだか、表現者のくせに独りよがりで人間愛がない人ばかり。世の中こんなもんなのだろうか」と思っていたのですが、アメブロでもnoteでもTwitterでもアルファポリスでもノベリズムでもInstagramでも、素晴らしく優しい人たちに出会えました。
冷たいニュースを見た後に、愛情深いコメント欄を覗き見していると、「やっぱこっちが本当の世界だよな」と、ホッとするのです。
また、小説家になろうで書いていた頃はお金にはないりませんでしたが、今はささやかながら、自分の創作でお金を稼ぐという夢を叶えられました。
違うとか足りないばかり言っていないで、もっと満足し、感謝しても良いのではないでしょうか。
もし今この瞬間死ぬならば、文句や不満じゃなく、感謝の走馬灯を見られるでしょうか。ならそれをストレートに思い、表現しても良いのでは。私に必要なのは、「足るを知る」ことかもしれません。……私のようなどネガティバーには難しいんですけどね。
昔いたSNSでは定期的に「関わってくださった人、いつもありがとう」というような投稿をしていたように記憶しているのですが、そうすると、双方振り返りモードに入ります。機会がないとなかなか、「そういえばあの時、この時、ありがとうね」と言う流れにはならないのですが、その機会を気まぐれに勝手に作るのです。記憶力が悪い私は、定期的に振り返らないと忘れるので、振り返りが好きなのかもしれません。
さて……。今甘いものを食べたい食べたいと願っても得られず、もうその熱が冷めた頃に、嫌と言うほど甘いものを食べなくてはいけなくなる、そんな日もありますね。
小学校高学年くらいの頃、「友達が欲しいのにできない」と泣き喚いてクラスメートをドン引きさせた私ですが、就職した頃には、仕事の人間関係だけでヘトヘトなのに休日にまで同期の人との付き合いが入り、うまく断れず、しかも同期の一人と仲が悪く、ストレスがたまっていきました。猛烈に人恋しかった小学生の頃の思いは高校生くらいで「友達がいないって実はすごくラッキーなんじゃない? 友達がいたら付き合いで行動が制限されるけど、一人だと100%自由じゃん!」という気づきに変わりましたが、仕事するようになると、誰ともコミュニケーションを取らないということは不可能になっていきました。
欲しいときに欲しいものは得られないものだし、ある一時は「これが私の夢や生き甲斐、人生のテーマに違いない!」というほど情熱を持って求めたものが、実はそれほどでもなかったということもあって、自分の情熱や直観など信じられないなぁと思います。
*
上の文はちょっと前に書いたものですが、セルフ反論したい部分がいっぱい。
セルフ反論は今後の投稿に代えて、おいおい(?)。
記憶力が良ければ、「昨日は人と関わるのが苦手だと言ったのですが、それでも本当は心のどこかで、人との繋がりを求めてきました。関係性ができても何か虚しさを感じ、続かないことも多かったです。自分にちって本当に理想的な人付き合いとは……と、常に模索している気がします」とか書くでしょう。そうすれば一応話が繋がります。なのに忘れっぽいもので、おそらく支離滅裂。気まぐれプラス説明力不足なのもあるでしょう。
さて、私はあちこちのSNSを巡ってきましたが、「SNSに向いていないのかもなぁ」と思います。
SNSにいると、SNSに入り浸るようになります。別にダラダラ入り浸っているつもりはないのですが、「やらなくてはならないこと」が増えていく感覚になるのです。タイムラインを見なきゃ、最新投稿を見なきゃ、いいねを返さなきゃ……と。もはや何がやりたいんだかは関係なく行動が決定され、依存症の域です。
ということがあって、アメブロ時代は不満を撒き散らしたあと、アカウント放置しました。
SNSで、フォロワー様が少ないうちは自由なのですが、多くなってくると勝手に自分で不自由になって、アカウント放置する傾向にあります。
今は「自由に過ごすぞ!」と決めていますが、それも、やるべき宿題をどんどん山積みにしているかのような感覚に襲われます。
SNSでは主に最新投稿が読まれ、思い入れのある過去投稿には、もう日の目が当たらない。
また、みんないいねをつけて回るのが癖になっているのか、いいねでアクセスを集めようとしているのか、興味もないのにいいねしてくる人が多く、どれが本気のアクションか分かりません。みんな「自分の投稿を読んでほしい」状態でしょうか。
私は気づくと、自分の投稿をする時間を削って、人の投稿を読んで回ることになっています。
毎日投稿されるので終わりがない。こうなると趣味とか夢というより、もう一つ仕事をしている感じです。しかもお金にならない。
遅読の私は本来、そんなにたくさん見たり読んだりするタイプではないのでしょう。
寝る前にお気に入りの本を開き、パラパラめくり、閉じる……。そういうタイプで、本は100冊くらいを繰り返し読んでいれば満足なのかもしれません。
子どもの頃、例外はありますが、基本的に本は開いては閉じてを繰り返し、かじって回って、好きなものを読んでいました。
しばらく見て、人外(人間以外)が出てこなければ大抵離れました。人間以外が登場するファンタジーが好きなのです。
このように自分の好みは理解していても、SNSでは上手に動けない。ならばSNSをやめるべきか。そもそも、なぜSNSに来たのか。
昨日言ったことも忘れるような私は、「これをしようと思います」とか「こうでした」とか言ったまま忘れていることが多々あるのでしょう。そんな中から、少ない記憶を掘り起こし、自分の創作の歴史をたどってみると……。
昔、まず私は公募ガイドなどで情報を集め、いくつかのコンクールに送ったのですが、ほんのわずかでやめてしまいました。
理由は手応えがないから。作品を送っても、0点なのか75点なのか、見込みがあるのかないのか、審査員の方に読まれたかどうかすらサッパリ分かりません。
「ああです、こうです」と伝えてくれれば、「よーし次も頑張るぞ」となるのですが、上達したとかしていないとか、そういうことも分からないのです。賞の方向性とかもリサーチしていなかったし、送る作品がテーマに沿っているかどうかも不明でした。
さらに、出版社に原稿を送って見ていただいたとき、話の流れで「コネとかないと、小説賞も通りませんし……」と言われたことがものすごく引っかかり、私が小説賞に送ることなんて意味がないんじゃないか、時間を費やした大事な原稿が読まれもせずにゴミ箱に捨てられているんじゃないかと怖くなったのです。
私は時間を浪費しがちですが、浪費したいわけではありません。ゴミ箱に捨てられたり、通る見込みもなかったり、そういうものに時間を費やすのは嫌です。
しかも私はほぼアナログだったので、その時は手書き原稿でした。コピーを取るという発想もなく、原稿はバックアップを取らずにオリジナルをそのまま送っていました。受賞しなければ、何事もなかったかのように作品が消えてなくなり、誰にも読まれません。空しすぎて、続きませんでした。
こんな風に消えてなくなるのは嫌だ、小説投稿サイトならまだ読まれるらしいし、作品も消えない、その上チャンスもあるらしいと、私はまず「小説家になろう」に行きました。
そこではたしかにアクセスは入ったけれど、風潮がどうもギスギス、ギラギラしていて苦手で、次第に愚痴っぽくなっていき、創作のやる気が失せました。
そこからしばらく間が空き、収益化できるサイトがあると聞いてカクヨムへ行きました。そこで必死になってアクセスを集めようとしたのですが収益化は程遠く……。
そんなある日、アルファポリスで漫画を投稿してみたら、一気に20円分収益が入ったのを見て呆気にとられました。今までの努力は何だったんだと。ここから収益化研究が始まりました。
以前は色々な情報を見てはワクワクしていましたが、最近ではもう、あまりやる気が沸きません。どうせ何をやっても同じ……と。ただ、その時その時私は、選択してはきたんだなと思いました。リアルだけ見れば、ずっとネットにかじりついて、何もしていない人間に見えるでしょうが。私は私なりにやったのです。
求めるものって、時と共に変化していきますね。また、満足したら「もういらないや」となることもあるかもしれません。
私は「好きなことで生きる」という夢は実現できていませんが、いくつかのことは叶いました。子どもの頃「自分のホームページを持ってマンガを載せられたらなぁ……。でも難しそうだし無理かもなぁ……」と思っていましたが、こうしてアルファポリスでマンガを投稿できています。
また、「小説家になろう」にいたときは、「なんだか、表現者のくせに独りよがりで人間愛がない人ばかり。世の中こんなもんなのだろうか」と思っていたのですが、アメブロでもnoteでもTwitterでもアルファポリスでもノベリズムでもInstagramでも、素晴らしく優しい人たちに出会えました。
冷たいニュースを見た後に、愛情深いコメント欄を覗き見していると、「やっぱこっちが本当の世界だよな」と、ホッとするのです。
また、小説家になろうで書いていた頃はお金にはないりませんでしたが、今はささやかながら、自分の創作でお金を稼ぐという夢を叶えられました。
違うとか足りないばかり言っていないで、もっと満足し、感謝しても良いのではないでしょうか。
もし今この瞬間死ぬならば、文句や不満じゃなく、感謝の走馬灯を見られるでしょうか。ならそれをストレートに思い、表現しても良いのでは。私に必要なのは、「足るを知る」ことかもしれません。……私のようなどネガティバーには難しいんですけどね。
昔いたSNSでは定期的に「関わってくださった人、いつもありがとう」というような投稿をしていたように記憶しているのですが、そうすると、双方振り返りモードに入ります。機会がないとなかなか、「そういえばあの時、この時、ありがとうね」と言う流れにはならないのですが、その機会を気まぐれに勝手に作るのです。記憶力が悪い私は、定期的に振り返らないと忘れるので、振り返りが好きなのかもしれません。
さて……。今甘いものを食べたい食べたいと願っても得られず、もうその熱が冷めた頃に、嫌と言うほど甘いものを食べなくてはいけなくなる、そんな日もありますね。
小学校高学年くらいの頃、「友達が欲しいのにできない」と泣き喚いてクラスメートをドン引きさせた私ですが、就職した頃には、仕事の人間関係だけでヘトヘトなのに休日にまで同期の人との付き合いが入り、うまく断れず、しかも同期の一人と仲が悪く、ストレスがたまっていきました。猛烈に人恋しかった小学生の頃の思いは高校生くらいで「友達がいないって実はすごくラッキーなんじゃない? 友達がいたら付き合いで行動が制限されるけど、一人だと100%自由じゃん!」という気づきに変わりましたが、仕事するようになると、誰ともコミュニケーションを取らないということは不可能になっていきました。
欲しいときに欲しいものは得られないものだし、ある一時は「これが私の夢や生き甲斐、人生のテーマに違いない!」というほど情熱を持って求めたものが、実はそれほどでもなかったということもあって、自分の情熱や直観など信じられないなぁと思います。
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上の文はちょっと前に書いたものですが、セルフ反論したい部分がいっぱい。
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