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人気=幸せとは限らないか……。人気が出たり嫌われ者だったりマイナーだったりと、色んな存在に概念が付けられている不思議。

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 私たちの愛情や関心は基本的に偏っている。人間に害を及ぼす生き物は駆除するけど地球環境に害を及ぼす人間は駆除しないとか。人間を害獣とは呼ばないとか。人気の動物はグッズも作るしテレビで特集もするし本も売り出されるし、人間に愛されているとか。私たちの感覚は作り物だ。

 みんなそれぞれ違うものに関心を持つからこの世はうまく回る……と言うけれど、表面的には偏って見える。一部のものだけすごく人気で、似たような他のものは見向きもされなかったり。不公平だ。この気持ちを例えるなら……クラスの人気者に対する隠キャラの嫉妬だろうか。

 私はこの間キンクロハジロを見て衝撃を受けた。なんて堂々とした、迫力のある眼差しなのだろうと。アオサギも凛とした美しさを持っている。



 こんな鳥たちが身近にいて、動物園じゃなく自然の中で暮らしていたのだ。自分たちの力で。

 しかし、テレビでよく見るのはハシビロコウだ。ハシビロコウの何が特別なのかは分からないけど……と言うとハシビロコウに失礼だけれど、なんというか、「何か一つだけが人気で他のものは知名度がない」という状況が常にある。そしてラーテルやチンアナゴやチベットスナギツネみたいに、何かのきっかけで人気が出て知名度が上がる生き物もいる。

 人気とはそんなに偉いものなのか。現代では人気は権力より強いのか。なんとなく、集団心理的な危機感を覚える。


 小説投稿サイトで活動している方はよく言っている……埋もれていても面白い作品はあると。
 この世には魅力的なものがいっぱいだ。しかし人気が出て光が当たるのはごく一部。かなりの偏りを感じる。そして人気とかそういう力を得るための行いを人は「努力」と呼ぶのだろうか。当然のような奇妙なような。

 よく考えたら日本で人気の生き物って海外の生き物ばかりだなぁ。植物も動物も。可愛いと思われるもの、美しいと思われるものも海外の雰囲気っぽいし。ありふれたものより珍しいものに惹かれるのかな。でも逆にパターン化してありふれていたり。

 あと、「可愛い」と言われる生き物は限られているなぁ。ナメクジやコウガイビルや虫たちが「可愛い」キャラとして登場することはあまりないし、話題にも上がらない。もっと色んなものが人気になってほしい。


 とはいえ、人気者には人気者の、嫌われ者には嫌われ者の苦労があるんだろうな……。人や作品であれば人気が出ればアンチも増える。人気になった動物は密猟されたり売られたり。あと、人気の動物でも虐待されたり駆除されたりしているし……捨てられて外来種となって駆除されているアライグマや、密猟されたカワウソの話を聞いていると、注目されたり人気が出たりすることが幸せとは限らないと思う。


 うん、人気でも人気じゃなくても……それぞれの幸せ、好きなものを見つけて自分らしく過ごせれば良いか。……そんな気がしてきた。

 誰も嫌われず追いやられず、のほほんと平和に暮らせる世界になれば良いのになぁ。そのためには物を食べる行為と重力を無くすべきか。(どうやって?)










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