生きていくのなんかチョー簡単、であってほしい。そう思いたい。
テレビからは「生きるって難しいんだなぁ」と思うような情報が流れてくる。人々はあれが正しいこれが正しいと言い合っていて、「自分は正しくないのかも」と誰かに思わせようとしたり自分がそう思ったり。野生の生き物としては毎日エサや水があればそれでいいはず、なんだけどね。エサや水を得るためにあんな我慢もこんな苦労もしなきゃいけない、毎日エサや水を得続けるのは難しいと思ってる。この思い込みを外しさえすれば生きるのがチョー簡単になるというのならそうしたいもんだ。
あなたにおすすめの小説
オオチョウバエの幼虫
月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
人類の脅威や人間関係に疲れたら、逆さハートなオオチョウバエでも眺めて癒されましょう。
幼虫のエッセイですが幼虫の写真はありません。ごめんなさい。
昆虫や小さな生き物の写真は、100均のスマホ用接写レンズを使って撮っています(虫写真50枚つき)
月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
ある日100均でスマホ用接写レンズというものを見つけ、「ふーん……」と思いながら素通りしたものの、その後昆虫撮影にハマり、スマホ用接写レンズが気になって買いに行きました。そして「こんなに撮れるの!?」とビックリ。写真上級者の方にとっては物足りないのかもしれませんが、私はこれでかなり楽しめています。ちなみに私が撮影に使っているのはスマホじゃなくタブレットです。
なんでこの世界には同じ種類の生き物がたくさんいるのか
月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
「世界に一人しかいないあなた」とか言うけれど、結局すべての生物は同じ種類の個体がたくさんいるのであって、私はどうしたって人間であるし、世界に一匹しかいない生物ではないんだよね。
美食の漫遊記 〜美食の追求〜
創食 味美
エッセイ・ノンフィクション
漫遊記それは旅の事。
美食を追求する事もまた旅と同じ事。
日本全国をリアルに飛び回り
美食を追い求め2つの意味で漫遊し
ご当地グルメやその土地の美味しい物を食す
美食とは何か?高級食材を使った食べ物だけが美食なのか?B級グルメや誰でも食べられる物の中で美食かどうか評価しつつ真の美食とは何かという哲学を思考する新感覚美食評論エッセイ
自由な考えに正しいも間違いもない、ってどういうことだろう
月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
スズメを見て「これはきっとタカの子どもだ!」と言った人がいるとする。それを聞いて私は「この人間違っているな」と思ったとする。でもより自由な世界で生きている人はどっちなんだろう。私は鳥類学者でもないのに、タカはタカ、スズメはスズメという考え方を頑なに守って生きていくのだ。一体なんのために。……そういう思い込みというか、「知識を間違えたくない。私の方が正しい知識を持っている」なんてちっぽけなプライドを増やしていくことに何か意味はあるのだろうか? もしかして、そういうものから解き放たれれば人生面白くなる?
虫にビビらないようになりたい
月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
耳元での羽音、正面から向かってくる虫、頭の上に何か落ちてきた感触、など、頭付近への接近に弱いのです……。頭にイラガの幼虫落ちてきたこともあるし……。