ただΩというだけで。

さほり

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松の内

16.

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  口に出すべき言葉が見つからないまま、ちびちび飲んでいたカップ酒は、いつの間にかほとんど底をついていた。佐伯のグラスの水面は、いつまでもさざ波のような波紋で揺れている。

「ユキが幸せになるなら、それでいいんだよ」

  そんな都合のいい台詞を夢想してみるけれど、実際には佐伯はそんなに穏やかな男ではなかったのだ。怒っているかもしれないな、そう思うと、津田の心は逆に軽くなった。

「俺が死んだら、殴っていいから」

  津田はからになったカップを置き、佐伯の写真に手を伸ばした。親指でそっと頬に触れると、ガラス板の氷のような冷たさが、指のはらを冷やす。
  いつまでも愛しい、一生を共にと誓った人。
  でも。

「ごめんな」

  津田は佐伯のグラスをあおり、そのさざ波を一気に飲み干した。




  翌日は、目に痛いほどの晴天がまぶしい土曜日だった。

  佐伯邸に連れて行くと律はご機嫌ではしゃいでいたが、津田が自分を置いて出かけると知って不安そうに袖をつかんできた。
  暗くなるまでには迎えに来るから、と約束しても離れようとしない律を、無理なく引き離してくれたのはゆり子だ。正月に遊びに来た時、もっと遊ぶと言って帰りたがらなかったブロックのおもちゃを出して、誘ってくれたのである。

  律を送ってきた津田が、いつもより長く仏壇の前に座っている姿に、佐伯夫妻は何かを感じ取ったらしい。そもそも、またおいでとは言われていたものの、急に律を預かってほしいと頼んだ時点で、その意図に気づかれてもおかしくはないのだった。

  恥ずかしさが無いわけがない。津田は後ろめたいような気持ちで、一人佐伯邸を後にした。

  乾との待ち合わせは、12時。下のカフェで軽く食事を、と言われていた。
「部屋をとっておきます」
  熱を帯びた彼の声を思い出すと、発情期でもないのに顔が火照る。

(なんか…… いろいろ恥ずかしいな…… )

  津田は自分の顔が紅潮していないことを願いつつ、駅までの道を早足で歩いた。



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