ただΩというだけで。

Another Side of View

3.

  乾が会議から戻ると、デスクにいた部下の里谷さとやがほっとした顔で立ち上がった。

「主任、河野こうの教授とのお約束、3時半です。よろしくお願いします」

「わかってる」

  上着に袖を通す里谷を横目に、早足でデスクに戻って鞄をとる。要領を得ない会議が長引いてしまい、時間に余裕がなかった。

  乾が社の特別顧問である河野と会うのは、今日が初めてだ。
  ヒート開発室室長という肩書きになって以来、一度ごあいさつに伺いたいと何度か申し入れ、8ヶ月も経ってやっと約束を取り付けたのが今日の15時半から30分、という枠だった。

  車より電車の方が時間が読める。駅ナカのデパートで手土産を求める時間くらいはありそうだ。

「河野こうの教授の好物でもググっとけ」

  突っ立って乾を待つ態勢の里谷に指示し、上着のポケットのパスケースを確認する。他の部下への短い業務連絡を済ませてオフィスを出ようとしたところで、低い声に呼び止められた。

「主任」

  振り返ると、津田がデスクから見上げている。
  今のは津田の声だっただろうか。あまり声を聞いたことがなく自信がなかったが、目が合うと津田はいつもの無表情で口を開いた。

「コウノ教授って、T大の…… ASVのコウノ教授ですか？」

  驚いた乾に代わり、里谷が横から「そうですけど」と答えた。
  津田はわずかに目を伏せると、

「カワノです」

  はっきりした声でそう告げた。

「は？」

「カワノです。T大薬学部の教授の名前は、コウノではなくカワノと読むんです。カワノヨシタカです。気難しいので、呼び間違えられると機嫌を損ねます」

  里谷が驚いた顔で乾を見た。