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戦う夏休み

惜敗の明朝

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_智裕、くん……触っていい?

(いいよ、好きに触って。)

_ん……好き、智裕くん……。

(拓海…俺も好きだよ。)


 智裕の身体を拓海がまさぐる、はずはない。


「ん……ゆ、や……さん。」

 拓海の手はもっと滑らかで綺麗で小さい。智裕の肌に這う感触は、自分と同じようにゴツゴツとマメや皮が破れたような掌。

 目が覚めていた智裕は恐る恐る後ろを振り返る。

「ゆう……や……。」

 すぐそばにあるのは、まるでドラマの中に出てくるような美しい青年の寝顔だった。寝ていても端正な口からは、智裕の悪友の名前だった。

 数秒、考えて。


「赤松起きろおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


***


 馬橋学院の部員は朝練で軽く汗を流してから朝食を摂りに食堂へやってきた。四高の部員たちは荷物をまとめて先に食べていた。

「ん?なんやあれ?」

 八良が見かけたのは、質問責めされて憤慨している智裕。その隣には黙々と飯を食べている直倫。

「だーかーらー違いますって!」
「いやいやいや今朝だって何事かと思って覗いたら…ねー。」
「それはコイツが寝ぼけてたんですよ!」
「普通180超えの大男2人がせっまいベッドで寝るか?」

 面白そうなことに敏感な八良はニヤニヤしながら智裕に近づいた。

「おはー!トモちん、どないしたん?」

 八良は無邪気に智裕に後ろから抱きつく。

「おはよーございます、八良せ…くっさ!あっつ!」
「失礼やなー。で、で?何をプンプン丸しとんの?」
「ハッちゃん、松田と赤松、ゆうべはお楽しみしてたんだぜ♡」

 智裕の代わりに3年の当麻が答えた。その答えには勿論八良も面白がる。

「なんやねーん!お前らそういうことやったんかー!まっつんが掘られるんか?」
「八良先輩まで酷いっすよ!俺もコイツもちゃんと相手いるんですって!」
「そうです。俺は松田先輩なんかに欲情しませんから。」
「どの口が言ってんだクソが!テメーのせいなんだぞこの状況!」

 流石の智裕も涼しい顔をする直倫の胸ぐらを掴んだ。すると近くで座っていた清田がまたまた燃料を投下した。


「あーあ、松田、年上の社会人彼女に怒られろー。」


 男子高校生にとって「年上の社会人彼女」というワードは羨望そのものだった。なので四高だけでなく馬橋の生徒たちも一斉に智裕を見た。
 そして配膳をし終えた金子も通りすがりにさらっと爆弾を投下する。


「ええなーまっつん。女教師から手取り足取りあれやこれやを教えて貰えるんやろ?」


 禁断のワード「女教師」に四高の生徒たちは絶叫した。


「松田あぁあぁぁあああ!おま、お前学校の先生に手ぇ出してんのかあああぁぁぁ!」
「ななななななななな何言ってんですかあああぁああ金子先輩いぃぃぃぃぃぃぃ!」

 桑原にブンブンと揺らされながら智裕は金子に向かって青い顔をしながら絶叫する。黙々とご飯を食べる野村は心の中で智裕に謝った。

「誰だ!事務員の久米クメちゃん⁉︎それとも音楽の千葉チバちゃん⁉︎」

 悲しいことに四高で性的対象になり得る女性職員はその2人しかいなかった。そこから「久米か千葉か」問答で責められた。

「違う違う!どっちも違う!俺はどっちかって言ったら久米ちゃんがタイプですけど!」
「久米ちゃん好きはMだからな!M田くん!」
「ぎゃははははは!なんやー“東の松田”はドMなんかぁ!ええこと聞いたでー。」

 まさかの八良にまで弱みを握られて、智裕が体を揺すられすぎたせいで目眩を起こして騒動は収束した。


「ウチも大概やけど、四高もまとめるん大変やな堀さん。ウチはあとでグラウンド5周追加やな。」
「………ウチは明後日の引き継ぎの後に3年もランニング10周だな。」


***


 朝食を終えて、馬橋の女子寮の玄関の前では女子たちの熱い抱擁が交わされていた。

「うう…寂しいわぁ……もっともっと語りたかったわぁ。」

 梨々子は泣きながら増田との別れを惜しむ。そんな梨々子を外薗が慰める。

「リリコ、年末はビッグサイト行くんやろ?」
「行く。」
「じゃ、じゃあ一緒に行きましょう!私の親友もいるし!ね!」
「ホンマ⁉︎絶対やで!アクスクのレーン行くんやで!」
(※アクスク=“アクタースクール”という美少年育成ゲーム)

 3人は年末の再会を約束して、男子たちと合流するために野球部の寮へ向かおうとした。


「キョーカちゃん!おったー!」

 遠くから走ってくる黒髪で馬橋学院の制服を着た女子が外薗を呼び止めた。走ってきたその女子は「はぁ、はぁ」と息を整えながら外薗のシャツに縋った。

「カナちゃん?何でここにおるん?」
「はぁ……ハッちゃんは…ハッちゃんは大丈夫なん?」

 「カナちゃん」と呼ばれたその女子生徒は少し背の高い外薗を見上げる。その目は真っ赤に腫れていたことがわかる。

「ハチローか…今から合流するで。一緒に行く?」
「ホンマ?行く!昨日全然電話もメッセージも繋がらんくてウチ……ウチ…。」
「あーあー、可愛い顔が台無しになるで。」

 また震えて泣き出すその子を外薗は優しく指で涙を拭った。外薗が手を引いて、改めて4人で男子部員たちとの合流地点へ向かう。

 外薗たちの後ろを歩く増田と梨々子はヒソヒソと話す。

「リリコちゃん、あの子誰?」
「あー、あの子はミス馬橋でハチローさんの彼女のかなちゅん先輩やで。」
「は、ハチローさんの彼女⁉︎」
「せや、今日は化粧が薄いからあの盛り写真とは別人やけど…スッピンも美人やろ?」

 目が腫れているとはいえ、かなちゅんという女子はとても可愛いことが窺える。増田は「ふわぁ…」と声を出してしまうほどの天使だった。


「ハッちゃん!ハッちゃあぁぁああん!」

 男子たちの集団が見えるとかなちゅんは走り出した。美少女の声に男子たちは騒然とする。

「ミス馬橋や!」
「ホンマもんか⁉︎」
「か、可愛い…!」

 そう騒ぐ男子たちをよそにかなちゅんは真っ直ぐに八良に駆け寄り、抱きついた。

「ハッちゃん!ハッちゃんハッちゃん!」
「かなちゅん⁉︎…こない朝早よからどないしたん?」
「どないしたんやない!昨日あんなボロボロになって心配したんやで!電話もメッセも全然繋がらんし…ウチ、ホンマに怖くて……。」
「…かなちゅん…。」
「勝つとか…負けるとか……そんなんどーでもええ……ハッちゃんに何かあるんが1番イヤや…うわぁあん…!」
「かなちゅん…すまんな。」

 泣きじゃくるかなちゅんを八良はぎゅっと抱きしめた。ひとしきり泣いたかなちゅんが顔を上げると、八良はかなちゅんを見つめた。

「泣いたらあかん、かなちゅんは笑顔が1番や。」
「うぅ…ハッちゃんのせいやもん。」
「ホンマにごめんなさい。それと、ありがとうな。愛しとるで、かなちゅん。」
「ハッちゃん…。」

 周りの目を憚らず、2人は熱烈なキスを交わした。
 馬橋の2、3年生のレギュラー陣は慣れている様子だったが、その他の男子たちには非常に刺激的な光景だった。

「八良先輩⁉︎」
「うっわー……だいたーん。」
「あはは……相変わらずやなぁ……。」

 智裕と直倫は恋人の顔を思い出して「羨ましい、早くキスしてぇ」と無の表情になる。
 近くで見ていた中川は何故か複雑な表情をする。それに気がつくのは金子だけだった。

駿太シュンタ、顔が怖いで。嫉妬か?」
「んなわけあるかアホ。」

 少しだけ拗ねたように応えると2人から目を逸らして智裕の隣に行った。

「まっつん、またU-18はよろしゅうな。」
「え、あ…はい!」

 無になっていた智裕はその呼びかけで気がつくと、差し出された握手に応えた。そして智裕の手を離すと、隣にいた直倫にも手を差し出す。

「赤松くん。」
「あ…はい…。」
。」
「……ありがとうございます。」

 視線を交わす。直倫は中川の目に圧倒された。その目にはまだ計り知れないほどの闘志があったからだ。戦い終えて改めて赤松は、自分の敵の強大さに気付かされた。

「まっつん、左腕どや?」

 いつのまにか中川の後ろに来ていた金子が、智裕の左手を取る。

「ちょっとまだ痺れというか……力が上手く入らないです。昨日馬橋のトレーナーさんや監督からは神経の疲労とかって……。」

 智裕は腑に落ちないような落ち込む顔をする。金子は察しがよく気がつく。


「またイップスかもしれへん、って思っとるんやろ?」


 冷たいその言葉に智裕はバッと顔を上げた。その顔は恐怖と不安に満ちていた。金子は両手で智裕の顔を挟む。

「ええか、3日で治せ。」
「で、も……。」
「お前はこの俺に死球当てた男やぞ。わかっとるよな?」
「は…。」
「こんなつまらんことで落ち込んで出来ひん奴に死球当てられた俺めっちゃダサない?なぁ?」
「……あ、はい。」
「せやったら……わかっとるよな?」

 金子の笑顔に智裕は縮こまる。

「分かってます分かってます!み、3日で!」
「明日や。」
「明日の朝までには145km/h投げれるようにします!」

 智裕はビーンと右手で敬礼をした。

「明日の12時までにハチローか駿太に動画を送ること、ええな。」
「イエッサーーーーーー!」


***


「そろそろ出発するぞ。」

 はい!


 森監督の一声で、四高の部員は整列する。
 そして一歩前に出た堀が代表をして挨拶をする。

「数日間大変お世話になりました。そして悔いのない全力の戦いに感謝します。僕たちの分まで決勝まで勝ち抜いて必ず優勝してください!気をつけ!礼!」

 ありがとうございました!


 監督同士が握手を交わし、四高の部員は新大阪駅に向かうバスに乗り込む。

「トモちーん!またなー!」
「今度は味方でよろしゅーな!」
「キョースケ!今度は春やで!絶対秋は優勝せぇよ!」

 それぞれ仲良くなった人に声をかけて、智裕たちは手を振って応えた。

 バスのドアが閉まって出発した。四高の部員たちは見えなくなるまで馬橋の部員に手を振った。それは馬橋も同様だった。


「………キョースケ…。」

 明らかにしょぼくれた畠の後ろで、梨々子はほくそ笑んだ。

「畠さーん。」
「何や、飯田姉。」
「ウチは応援しますよ。」
「は?」
「好きなんやろ?清田さんが。」

 耳元で梨々子がそう言うと、畠は一気に全身が真っ赤になった。

「なななな何でや!そそ、そんなこと!俺はトライアウト受かる気満々やねん!それでキョースケに、その…松田くんのリードとか…その。」
「隠さんでええですって。ホンマ可愛いわぁ♡」
「なんやねん飯田姉!」

 ムキになる畠を外薗はこっそりムービーで隠し撮りしていた。

 別のところでは馬橋の美男美女カップルはずっとイチャイチャしていた。

「ホンマ良かったな、ハッちゃん。」
「ん?何で?」
「戦いたかったんやろ?トモちんと。」
「……けど負けてもぉたわ。かっこ悪いよなぁ。」
「そんなことない!ハッちゃんは最高やった!宇宙一かっこええ!」
「ホンマ?」
「ホンマやで!」
「かなちゅーん♡」

 また2人は抱き合って、顔を接近させてバカップル振りを発揮していた。そのベビーピンクのオーラに慣れない部員たちは戸惑った。

「………はぁ。」
「中川、顔。」
「あ?何やキョーカ。」
「怖なってるって。」
「別に…。」

(なんか報われへんなぁ、中川……。)

 寮に入っていく中川の背中を外薗は切なく見送った。


***


 四高の部員たちは新幹線に乗って、グッタリとしていた。

「どうだ、松田。」
「いや……俺よりお前の方が重症じゃね?」

 新幹線は負傷バッテリー同士で隣になった。清田は至って普通だが、足首には痛々しく包帯が巻かれている。智裕も半袖の制服なのでサポーターやテーピングを隠せなかった。

「松田、清田、お前らは今日の報告会は欠席でいい。着いたらすぐに病院に行け。」

 通路を挟んで隣にいた森監督から冷静に指示されると2人は「はい。」と返事をした。

「松田…悪かったな……最後までリード出来なくて…。」

 清田は窓の外を見ながらポツリと呟いて謝った。智裕もその言葉で俯いた。

「俺も……清田いなくなって頭真っ白になって…ごめん。」
「……俺たちは秋もあるから……絶対春行くぞ。」
「あぁ……。」

 智裕は右手に力を込めた。左はまだ震えて力が入らない。

「その前に俺はU-18があるんだけど。」
「……明日の朝までに145km/hだっけ?俺は無理だから野村に頼めよ。」
「はぁ……またイップスだったらどーしよー……。」
「そういうマイナスな発言しない。」
「うぅ……。」

(……ま、今は恋人がいるんだろうし、大丈夫だろ。)

 根拠のない安心をして清田は窓に向かってひとつため息を吐いた。

 しかし智裕のスマホは昨日の朝から電源が切られたままだった。それをONにする勇気はまだ出ないことに、清田は気付いていたが、時間の経過を信じることにした。
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