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フタリの転機
マツダトモヒロの覚醒
しおりを挟む水上の言葉に、智裕を知る人物は皆黙ってしまった。それ以外の野次馬は騒ついていた。
「ねぇ、まっつんって左投げだよね。何で右で投げて負けてんの?」
「おい!トモは左腕ケガしてんだぞ!」
裕也は思わず大声で反論した。だが水上は冷静だった。
「知ってるよ。それで手術して入院して去年は夏休みも潰れたんだよね。」
「そうだよ!だから左腕は使えねーってわかるだろ!」
「本当素人はすごいよ、どんだけ騙されてんの?まっつんはリハビリ終わってんだよ。」
反論していた裕也も黙ってしまった。そして智裕の方を見ると、智裕は的に立てた空き缶をじっと見つめていた。
「去年の11月にリハビリをやめたっていうのは嘘だよ。あんなことでまっつんの選手生命が断たれると思う?」
「水上。」
いつもより低い声で智裕は声を出した。その声をクラスメートは久し振りに、そして拓海は初めて聞いたので肩を震わせてしまった。
「もういいよ。投げればいいんだろ。」
智裕は右手に持っていた軟球を左手に持ち替え、的に向かって真っ直ぐ向いていた体を左に向けた。智裕の右側にいた直倫はその背中を見た途端、動けなくなった。瞬きすらも封じられるよう。
(思い出した……この投手、この出で立ちだった。画面の向こう、スタンドから見た、憧れた…。)
1つ呼吸をすると、並んだ空き缶を射殺すように見つめ、手を胸に、右足を上げて、しなやかなスリークォーター。
グラウンドにカーン、という鋭い金属音、後にフェンスに激突するガシャーンという音が響き渡る。
的にしていた3本の空き缶は全て倒れていて、1番左側の空き缶はベコベコに凹んでいた。
「はぁ……。」
投げた本人はリラックスする為のため息を吐く。間近で見ていた直倫は圧倒されすぎて腕が震えてしまった。ベンチ側のギャラリーも唖然として沈黙。
拓海は、全く知らない人を見るように、智裕を見つめる。
(え……あの人…智裕くん……なんだよね?)
ただ1人、にこやかにしているのは水上だった。
あまりにも長く感じたこの沈黙、実際には1秒として保っていない。事情を知らない野次馬たちは一斉に沸いていた。
「すげー!なんだあれ!」
「マジでプロ野球じゃん!」
「真っ直ぐかと思ったらグインって曲がったぞ!」
「あんな人2年にいた⁉︎超カッコよくない⁉︎」
口々に放たれる声、いつもヘタレな智裕が一瞬でヒーローになっている。拓海は訳がわからずに周囲をキョロキョロと見る。
拓海の隣にいた江川は怒りの感情を隠せずにいた。宮西は本当に真顔だった。大竹はなぜか不安そうな顔をしている。里崎、高梨をはじめ女子生徒は困惑し、男子生徒も江川と似たような感情を抱いているようだった。
「松田ぁ!」
江川の怒鳴り声で、クラスメートは一斉に智裕に駆け寄った。2年5組に囲まれていた拓海はポツンと残されてしまった。
***
「先生、あれがまっつんの本当の姿ですよ。」
後ろから声をかけられて、振り向くと、嬉しそうな顔をする水上がいた。
「あんな安い挑発に乗っちゃうところも変わってなくて驚いたけど、でも俺がキッカケになって克服してくれたのかな?」
「え…っと……これはどういうことなの、かな?」
「まっつん、身体は完全に治ってて、あとは精神的な問題だけだったって。俺、まっつんとかかりつけ医が一緒だから聞いてたんだ。」
「……そう、なんだ。」
「あのカットボール見れて、俺本当に嬉しいんですよ今。」
頬を赤らめて無邪気に笑う水上を見て、拓海は胸が痛くなる。
「俺もまだ子供だけど、それでも日の丸背負って戦ったことあるから、まっつんの気持ちは分かっているつもりなんです。同じような境遇だからこそ、俺は支えになれると思ってます。」
「支え…に……。」
「まっつんのこと好きだから、ただそれだけなんで。」
そう言って水上はグラウンドを去って行った。拓海はまた更に胸が痛む。拓海は耐えられずに走って校舎に戻ろうとした。
「また逃げんのかよ!バカ!ヘタレ!」
智裕たちがいた場所から、女子の高い怒鳴り声が聞こえた。そして、1人の女子生徒が走って拓海を横切った。
(あれは…高梨さん⁉︎)
拓海は智裕たちがいる方に振り向くと、クラスメートに囲まれている智裕が泣き崩れていた。水上の言葉に嫉妬と痛みを受けて拓海は自分のことで精一杯だった。そんな間にも、智裕はあんなになってしまっていた。
「石蕗先生!」
「増田さん…。」
拓海に駆け寄ってきた増田は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「先生……高梨さん、お願いしてもいいですか?」
「え…。」
「今の高梨さんに……何て言ったらいいのか分からなくて……。」
増田越しにもう一度智裕たちを見ると、江川と裕也と智裕は泣いていた。いつも明るくて仲の良いクラスが、とんでもない負のオーラを放っていることが一目でわかる。
「増田さん、高梨さんは俺が話をするから……みんな、落ち着くんだよ。」
「はい……お願いします…っ!」
拓海は走って校舎に向かった。まず、2年5組の下駄箱を確認するが高梨はまだ外にいるようだった。
「石蕗先生、どうしたんですか?」
「星野先生!あ、あの、今すぐグラウンドへ行ってください!」
「あぁ、なんか凄い騒ぎになっているみたいでしたど。」
飄々とする星野に対して拓海は必死だった。星野の服を掴んで、背の高い星野を見上げながら頼みをする。
「お願いします!智裕くんが泣いてて…それをどうにか出来るのは先生しかいないんです……!」
他の人に任せるしかない状況で、ふと水上の自信に満ちた言葉が脳裏に過ぎる。
_同じような境遇だからこそ、俺は支えになれると思ってます。
(ああ…今の俺は寄り添える自信がないからこうして他人に頼んでしまっている。こんなことで、智裕くんを支えられるの?)
泣きそうになるが、自身の気持ちより、増田の苦しそうな顔を思い出して頭を振り、拓海は今やるべきことを再認識する。
拓海に掴まれ困惑していた星野は、外へと目を向けると、なんだか異様な雰囲気になっている集団を見つけた。あれが自分の受け持ちの生徒たちかもしれない、ということなら。
「あーあーあー、ありゃ学級会議かもなー…ったく、あいつらホンットにお人好しなのかお節介なのか…。」
呆れたように溜息を吐いて、星野は拓海の両腕を取って自分から引き剥がした。
「石蕗先生は、何をそんなに急いでいるんですか?」
「えっと、高梨さんがどこかに逃げちゃって……。」
「あー、高梨なら多分体育館の裏辺りにいると思いますよ。あいつの泣き所、とでも言いますか……。」
「そうですか。」
「ご迷惑おかけしますが、高梨をお願いします。申し訳ないですが、あとでお互い報告をしましょう。高梨は落ち着いたら帰宅させて下さい。」
「わかりました。」
拓海は教諭の顔になって気を引き締めた。今は智裕のことは星野に任せることが教諭としての最善の判断だと言い聞かせた。
星野に言われた通りに体育館の裏に行くと、膝を抱えて泣いていた女子生徒がいた。
(ついこの前、俺が若月くんにここで慰められたんだよね…。)
「高梨さん。」
「……先生…。」
拓海は高梨の隣に腰を下ろした。高梨は懸命に涙を拭う。
「……俺は何も知らないから、話を聞くだけしか出来ないけど、それで高梨さんの心が楽になるなら、悲しいことや怒ったこと、全部話してみてくれる?」
「先生……ごめんね………ごめん、なさい。」
高梨の背中をさすりながら、拓海は黙って、高梨からの言葉を待った。高梨は益々泣きながら、言葉を紡ぐ。
「私ね、松田のこと……ずっと好きなんだ……だから、だから…あんな情けない姿、見たくなかったから……。」
拓海は高梨の告白にまた心臓を掴まれたような気持ちになるが、慰めることはやめなかった。
「……小学生の時から…ずっと本当は松田が好きだったけど……あいつは天才で…ずっと野球ばっかで、遠征で学校休むこと多かったし……国際試合なんか…テレビで見て……私なんか…って思ってた。」
高梨の言葉が、拓海には鋭利なナイフのようだった。痛いほどにわかる、高梨の智裕への想い。本当に好きだからこそ怒鳴ってしまったという後悔。
「先生から松田こと横取りする気はないし……ずっと逃げ続ける松田を……見たくない…からぁ……。」
「高梨さん……。」
包み込むように拓海は高梨を抱きしめた。
(俺は……智裕くんのことを想って、こんなに涙を流せる?本当に智裕くんのこと、考えてる?俺は、今が居心地が良いから…好きなの?)
拓海の頬にも涙が伝う。
「高梨…さん……ごめんね……俺…智裕くんを…全然知らないくせに……。」
「せんせ…?」
「俺は……。」
***
2年5組は全員、星野に連れられて教室に戻った。まるでお葬式のような静けさに包まれた。
「で、まず、何で下校せずにグラウンドで騒いだ?」
「……すいません。なんか俺が原因みたいっす。」
挙手しながら裕也はそう答えた。星野はまたひとつため息をついた。
「まぁそれはもう済んだことだから追及しねぇよ。全員が全員、松田を囲んで何してた?江川、お前暗殺者みてぇなツラしてたぞ。」
「………松田が嘘ついてたから問い詰めただけです。」
江川は珍しく星野から目をそらしながら低い声で答えた。星野は江川を少し気にしつつも話を進める。
「で、そんだけで何で高梨が泣くんだ?松田。」
「………それはわかりません。」
「……お前、高梨に何か言ったか?」
「江川に……もう投げられんじゃねーかって言われて……やだ、投げないって言ったら…勝手に、怒っただけっす…。」
智裕は下を向いたまま不貞腐れたように答えた。
「……松田、お前みんなに何て嘘ついてたんだ?」
「………リハビリのことです。」
「左腕のか?」
「はい……本当は、医者からは完治したって言われてました……。」
「そうか……完全に治らないっていうのは嘘だった、と。」
「……はい。」
星野が呆れたようなため息を吐くと、1人の男子生徒が立ち上がった。
「それは嘘じゃない!松田くんは本当に投げられなかったんだ!」
「野村…?」
訴えたのはいつも智裕イジリを傍観するグループにいるメガネをかけた野村だった。野村は唇を震わせて、言葉を続けた。星野は野村のほうを真剣に見る。
「俺、去年の10月に松田くんが治ったっていうから、キャッチボールと投球練習を頼まれたんです。」
「野村って野球やってたっけ?」
「中学で辞めた。俺、リトルリーグで、松田くんがプロのジュニアチームいくまでバッテリー組んでた。だから俺に頼んできたんだ…ね、松田くん。」
野村が智裕の方を見ると、智裕は下を向いて泣いていた。野村も目頭が熱くなってくるが耐えて星野を見て訴える。
「松田くん、確かに腕は元に戻ってたけど、制球はめちゃくちゃだったし球威も無くなっていた。多分、イップスです。」
スポーツのことに詳しい生徒たちはざわついた。そして智裕は左腕を庇うようにする。
「松田くんは…っ!5組がお節介だからきっと自分のことを考えてくれるだろうって、そんなことにもう時間を使って欲しくないからって俺に黙ってて欲しいって…松田くんは…。」
「もういい、野村。ありがとう。」
星野は野村の肩を優しく叩いて座らせた。そしてそのまま智裕の隣に立った。
「松田…今のが本当か?」
「……はい。」
「そうか……わかった。じゃあなんで泣いてんだ?」
「それは……俺は…みんなに、嘘ついて、バレて…。」
「怖いか?」
腕で目を隠しながら智裕は頷いた。星野はその茶髪にポンと手を乗せた。
「なら乗り越えろ。そして自分がどうしたいか、考えろ。俺はそれを手伝ってやる。お前らも、一緒だ。」
教卓に戻りながら星野はクラス全員をおさめる。
「お節介も結構、ここまで1人のことを考えてやれる天然記念物なクラスを俺は誇りに思う。だが、今は松田のことは見守ってやって、松田が本当に助けて欲しい時まで待つこと。そして松田もまた誰かが困っていたら助けてやれ、わかったか?」
「あい……ありがとぉ、ズズッ!」
「誰かー、松田にティッシュ渡してやれ。そんでとっとと全員下校しやがれ。俺も飯前で腹減ったんだよ。」
星野の一声で本当にクラスは元に戻った。そして野村が急いで智裕に駆け寄った。
「松田くん、ごめん…。」
「いいよ……あんがとな……野村。あのさ、今度また気持ちに整理つけたらキャッチボール頼んでもいいか?」
「当たり前だよ、俺でよければ。」
***
夕方のグラウンド、野球部の道具がある倉庫の前に制服を着た男子生徒がいた。体育着をゼッケンを着た野球部員が部活動の準備をしに倉庫にやってきた。
「赤松!」
待ち伏せていたのは裕也だった。呼ばれた赤松は目を丸くしたが、同時に嬉しさがこみ上げた。
「ちょっといいか?」
「…はい!」
赤松は他の部員に断って、裕也についていく。そして2人が着いたのは、既に人気のない昇降口の前だった。
「今日は悪かったな……あのあと、なんか放ったらかしになって。」
「いえ……俺が蒔いた種ですので、気にしてません。」
気まずそうに裕也は直倫から目を逸らして、頬を掻く。
「その……2年の清田から聞いた。お前ホントは内野だって……なのにトモにあんな勝負する為に練習したって。」
「……そんなこと、ないです。」
「なんかお前勘違いしてるっぽいけど、俺とトモはマジで幼馴染ってだけだし、トモにはもう恋人いるから。」
「はい、先ほど松田先輩から聞きました。」
「そっか…なら、いいや。」
また数秒の沈黙。下を向いた裕也は、かなり恥ずかしそうに言葉を発する。
「あのさ……俺、あんなこと言ったけど……お前の本気度とか、なんか見てさ……俺もちゃんと、お前と向き合わねーとダメだなって……思ってさ。」
「……先輩。」
「だからー…そのー……まぁ、これからは先輩後輩から、よろしくなって…ことだよ!バカ!」
顔を真っ赤にして直倫の顔を少し睨みながら人差し指を向ける。
ドクン ドクン
「先輩……俺、頑張ります。先輩に好きになってもらえるように。」
「は?そ、そ、そんなことさせねーし!てか好きになんねーし!」
「裕也って呼んでもいいですか?」
「はぁ⁉︎ダメだダメ!家族以外はその呼び方禁止!」
「じゃあ俺、裕也って呼びます。」
「話きいてた?嫌がらせ?」
「裕也先輩。」
また反論しようとする裕也の口は塞がれた。直倫の唇で。
長く、長く、されているようだったけど、それは一瞬。
触れるだけのキスをした直倫は、ふわりと笑った。
「では、また明日。失礼します。」
直倫は一礼するとグラウンドへ走って行ってしまった。取り残された裕也は頭が真っ白になって、それからわけがわからなくなって、叫んで走って帰宅した。
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