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第11章「四聖獣ポセラドル」

ヨオグス・マルネッロ

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「イグエン、おはよう!」

 またもや声がして振り返った。
 声の主はヴァーヌではなく、小坊主だった。
 どうやら俺は菜園で眠っていたらしい。身を屈め、毛布が背中に掛けられていた。

「祈りは終わったのか?」
「うん」

 小坊主は疲れの色を見せていない。昨日初めて会った時の怯えた様子はまるでない。

「いつからここにいた? 俺は本当にここで眠っていたのか?」

 あの男が姿を現し、暗躍する光景が目に浮かぶ。城の大鏡に映っていた異形の姿。君を手に掛けるか、悪事を吹き込んでいやしないか。

「うん、眠っていた。すやすや寝息を立てて気持ちよさそうだったから、そのまま見てた」
「それならいい」

 おかっぱ頭は乱れていない。
 ふと左腕から痣が消えていることを思い出した。にわかには信じがたいが、あの男はいなくなった。何を恐れる必要があるのか。

「その十字架」

 昨日は気付かなかったが、小坊主の胸に掛かった十字架のペンダントに目が行った。木製で、全体に風を思わせる滑らかな渦巻きが彫られている。

「先生が魔術は頭の中でイメージを思い描いて唱えるものだって言ってた。草いきれ、畑の土の匂い、そよ風、蝋燭で揺れる灯火、雨雫――あらゆるものが詠唱の手助けになる。十字架の木彫は、イメージを形にするための練習だったの」
「君が彫ったのか?」
「僕は失敗しちゃった」

 線は歪むし、やっと彫れたと思ったら、割れるし。隣の線とくっついて、いびつになることもあって、おまけに指まで切っちゃったと続けて、指を舐めた。血はどこにも付いていないのに。

「これは彼が彫ったんだ」
「彼? ヴァーヌか?」
「ううん、違うと思う」
「思う? 覚えていないのか」
「ここに来る前かな」
「君は、俺と同じ魔王に魅入られし者なんだろう。赤子の時に助けてもらったって」
「生まれる前の記憶かな?」

 難しいことは分からないと言わんばかりに、小坊主は首を横に振った。

「顔も名前も知らないけれど、いつも同じ温もりを感じるの」

 頬を赤らめ、十字架を握りしめて、

「あ、こっちに来て!」

 と思い立って、俺の腕を引っ張ってきた。小坊主の足取りは軽く、思わず転びそうになった。
 連れられてやってきたのは講堂だ。ルンサームの教会と同じか、少し狭いくらいのこじんまりとした空間だ。奥は舞台になっていて、手前まで整然と椅子が並べられている。

「観客はいつもヴァーヌ様なんだけど、今日はイグエンだね!」

 椅子に座ってと促されて、真ん中に座る。
 観客は俺だけ。少年は身軽に舞台に駆け上がると、袖に消えた。

「演目はカロイスの奇跡、はじまるよー!」

 少年の上ずった声が聞こえると同時に、再び舞台の中央に姿を見せた。

「カロイスは夜毎悪夢にうなされていた。押し寄せる群衆、目の前で立て続けに人が死に、最後に自分一人だけが取り残される夢だった。なぜ?」
「起きたかね、カロイス」
「おはようございます……ルドゥグール様」

 左右に立ち位置を変え、仕草を交えて少年は演じる。
 どうやら一人芝居をするつもりだ。
 時折おっかなびっくりの表情をし、壇上に転がり、起き上がって、辺りを見回す。と思ったら、いきなり横たわった。

「――ちょっと、イグエン! こっちのセット動かして」

 横になったまま、いきなり呼ばれた。台詞ではなく、俺に向かって。
 おいおい、俺も参加するのか。座れと言ったのは君の方だろう。
 舞台袖に木々を模した大道具が控えている。その後ろには、丸いステンドガラスが描かれた壁のセットが置いてある。

「森を作るよ!」

 森に見えない講堂に、森を組むのか。いったいどういう冗談か。
 場面は獣人ロジウスがカロイスを住みかの森に強引に招待したところだった。獣人嫌いのカロイスは、別の荒くれ者に目を付けられ、手酷く虐げられる。

「おめえか、人間は。外までプンプン臭ってきたぜ。なになに――カロイス君、お疲れさん。手紙は俺が教皇に渡しといた。今晩は休んで、明日ルドゥグールの所に帰れ。彼には言ってあるから、気にすんな。神父の野郎め、ふざけた真似しやがって。こんなのに騙されるお前も大したことねえな。神父と仲良しごっこでもして、楽しいのか?」
「……獣人は北に帰れ。闇の帝国でおとなしくしていればいいじゃないか。災いをもたらさないでくれ」
「おめえ、いつの話をしてやがる。俺等が何をしようが勝手じゃねえか」

 寸でのところで酋長が現れ、命拾いをした。
 ロジウスには腹を空かせた双子の弟妹トウムとトウミがいた。
 弟妹の存在がカロイスの運命を変える。二人も同じ災いの夢を見ていた。カロイスと違うのは、他種族への恨みがないことだ。ロジウスが象り、弟達が願いを込めた木製のペンダントはカロイスを守り、ヴァーヌの亡霊との戦いに終止符を打つ。

「――やるなぁ、全部覚えたのか?」
「うん、彼が真夜中に練習に付き合ってくれたおかげだよ」

 例の十字架の彼か。

「彼ね、役を演じるのもとても上手だったの。演じる役の気持ちになれば自ずと言葉が出てくるとヴァーヌ様が教えてくれたんだけど、彼はまさしくそうだった。僕の代わりに劇に出てよと頼んだんだけど、ロジウス役は君じゃなきゃと断られたの」
「彼は何を演じたんだ? 主役のカロイスか?」
「ううん、大道具。イグエンみたいに、背景を変えるんだよ。でも僕、最後の良いところで頭が真っ白になっちゃって、台詞が出てこなかった。会場にどよめきが湧いた時、彼は役にはない風の精を演じて、僕を勇気づけてくれた」

 こうやって軽やかに足を上げて飛び跳ね、両手をひらひら漂わせて舞いながら袖から登場したよと、例の彼の真似をして真ん中に立つ。

「何と言ったんだ?」

 はたと、少年は中空を仰いだまま佇んだ。まるで石像のように微動だにしない。

「おい、どうした?」

 少年は口を開けたまま、何も言わない。頭が真っ白になってロジウスの台詞が出てこなかった本番を再現しようとしているのか。

「……アスナーなの?」

 こぼれんばかりに目を見開いた。
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