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第1章「はじまり」
魔王降臨
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――魔王サレプスは封印される刹那、この世に怨念を残した。勇者の渾身の一撃は魔王の肉体を薙ぎ払い、肉体と魂を分断したが、同時に勇者は奴の返り血を浴びた。その血は怨念となり、神にもまた降り掛かった。長き時を経て黒き血は神を蝕み、黒神へと変貌を遂げた。魔王は神から力を吸い取り、虎視眈々と復活の機会を狙っておった。
アーサーさんはすっくと席から立ち上がった。彼女の体は誰が見ても分かるくらい小刻みに震えていた。これは口に出すだけでも恐ろしい話だったのだ。
――黒神が頻繁に現れる……それは魔王の復活が近い証。過去に黒神が発見されたことはあったようだが、三百、二百、百年とだんだん周期は短くなっていった。千四百八十二年もの間、魔王の怨念は強大化してしまったのじゃ。お子の左腕の紋様は『悪魔の紋章』という。これは魔王を象徴する紋章じゃ。
私は我が子の左腕と本を見比べる。後者はただの紙にすぎないのに、描かれた紋章はまがまがしい気を放っていた。
――魔王が復活したとき、この子は奴のものになる。古の言葉で言えば、神に選ばれし者に対して『魔王に魅入られし者』だ。平たく言えば、魔王の魂を定着させるための器じゃ。魔王はその子に憑依して失われた肉体を取り戻し、再び世界征服を企むだろう。
何ということだ……私は絶望し、床にへたり込んだ。椅子に座ってアーサーさんの話を聞く気力がなかった。
――今、この赤子に付いている紋章はほんのり赤いだろう。紋章は魔王の復活が近づくにつれて濃くなっていく……それはまるで奴が流した血のようにな。紋章から赤黒さが抜け、完全に暗黒へと染まったとき、この子の最期じゃ……。
アーサーさんの顔は恐怖で引きつっていた。彼女は体の震えを必死に抑えながら、私に宣告した。
――この子を、世界を救うなら、今ここでお子の命を絶つべきじゃ。
私は決断しかねた。妻を失い、息子までも逝かせたくない。私はアーサーさんに言った、私は全身全霊をささげて我が子を守ると。しばしの沈黙が流れた後、
――まだ時間はある。来たるべき日まで大切に育ててあげなさい。そのときが来たら、我々は動く。容赦はしない。
一つだけ……この子にあざは、神に選ばれし者の証だと教えるのじゃ。生きる希望を与えよ。あんたさんのたった一人の息子だから。
イグエン、私は今日に至るまでお前を育ててきた。お前に出生を話したのは、今のお前ならこれを受け入れられると思ったからだ」
「……魔王に魅入られし者か」
「分かってくれたのだね……イグエン。お前は神に選ばれし者ではなく、魔王に魅入られし者なのだよ」
話が終わる頃には、ジーネイルの声はガラガラに枯れていた。寒さで軋む両足を強く手で押さえ、その場に立っている。
「どうしてもっと早く俺に教えてくれなかったんだ! 俺がどれだけ自分が神に選ばれし者であることを信じていたことか! 俺はそれが誇りだったんだ。あざのことを町の連中にとやかく言われても、俺は神に選ばれし者だって自慢してやった……」
イグエンは地面に膝を突いて泣く。あふれ出る涙が頬を伝い、胸の方へと流れていく。両の拳を石畳にガンガンと打ち付ける。
「イグエン……お前が生きていくためにはそうしなくてはいけなかったんだ」
「そうしなくてはいけなかっただと? 親父はいつだってやれ仕事、やれ公務だと言って忙しかった。俺が家庭菜園で初めて大根を収穫した時も、馬に乗れた時だって、親父はそこにいなかった。俺に何も言わずに、今更そうしなくてはいけなかったなんて虫がよすぎる」
畳み掛けて言った後、ぴたりと拳を打ち付ける音が止んだ。拳は赤く腫れ皮がめくれて血が滲んでいたが、イグエンは何事もなかったようにゆっくりと顔を上げた。
「――と、彼は言うだろう」
イグエンの顔は涙に濡れていたが、無表情だった。
「魔王に魅入られし者――美しい響きだ」
彼は微笑を浮かべる。
「何だって?」
「命名したのは神官どもか。奴らは能無しだと思っていたが、少し猶予を与えてやろう」
一体何を言いだすのか。
イグエンの声色は先程とは違っていた。不安と怒りに震えて裏返った声ではなく、落ち着いた語り口で一言一言に力が込められている。
「イグエン?」
辺りに異様な空気が流れると同時に、イグエンの周囲に風が吹き、同心円を描きながら水溜まりを散らした。かまいたちの如くまともに受けたなら体を真っ二つにされるだろう、凶器に値する風だった。ジーネイルは転びながらもすれすれのところで風の刄から免れた。
アーサーさんはすっくと席から立ち上がった。彼女の体は誰が見ても分かるくらい小刻みに震えていた。これは口に出すだけでも恐ろしい話だったのだ。
――黒神が頻繁に現れる……それは魔王の復活が近い証。過去に黒神が発見されたことはあったようだが、三百、二百、百年とだんだん周期は短くなっていった。千四百八十二年もの間、魔王の怨念は強大化してしまったのじゃ。お子の左腕の紋様は『悪魔の紋章』という。これは魔王を象徴する紋章じゃ。
私は我が子の左腕と本を見比べる。後者はただの紙にすぎないのに、描かれた紋章はまがまがしい気を放っていた。
――魔王が復活したとき、この子は奴のものになる。古の言葉で言えば、神に選ばれし者に対して『魔王に魅入られし者』だ。平たく言えば、魔王の魂を定着させるための器じゃ。魔王はその子に憑依して失われた肉体を取り戻し、再び世界征服を企むだろう。
何ということだ……私は絶望し、床にへたり込んだ。椅子に座ってアーサーさんの話を聞く気力がなかった。
――今、この赤子に付いている紋章はほんのり赤いだろう。紋章は魔王の復活が近づくにつれて濃くなっていく……それはまるで奴が流した血のようにな。紋章から赤黒さが抜け、完全に暗黒へと染まったとき、この子の最期じゃ……。
アーサーさんの顔は恐怖で引きつっていた。彼女は体の震えを必死に抑えながら、私に宣告した。
――この子を、世界を救うなら、今ここでお子の命を絶つべきじゃ。
私は決断しかねた。妻を失い、息子までも逝かせたくない。私はアーサーさんに言った、私は全身全霊をささげて我が子を守ると。しばしの沈黙が流れた後、
――まだ時間はある。来たるべき日まで大切に育ててあげなさい。そのときが来たら、我々は動く。容赦はしない。
一つだけ……この子にあざは、神に選ばれし者の証だと教えるのじゃ。生きる希望を与えよ。あんたさんのたった一人の息子だから。
イグエン、私は今日に至るまでお前を育ててきた。お前に出生を話したのは、今のお前ならこれを受け入れられると思ったからだ」
「……魔王に魅入られし者か」
「分かってくれたのだね……イグエン。お前は神に選ばれし者ではなく、魔王に魅入られし者なのだよ」
話が終わる頃には、ジーネイルの声はガラガラに枯れていた。寒さで軋む両足を強く手で押さえ、その場に立っている。
「どうしてもっと早く俺に教えてくれなかったんだ! 俺がどれだけ自分が神に選ばれし者であることを信じていたことか! 俺はそれが誇りだったんだ。あざのことを町の連中にとやかく言われても、俺は神に選ばれし者だって自慢してやった……」
イグエンは地面に膝を突いて泣く。あふれ出る涙が頬を伝い、胸の方へと流れていく。両の拳を石畳にガンガンと打ち付ける。
「イグエン……お前が生きていくためにはそうしなくてはいけなかったんだ」
「そうしなくてはいけなかっただと? 親父はいつだってやれ仕事、やれ公務だと言って忙しかった。俺が家庭菜園で初めて大根を収穫した時も、馬に乗れた時だって、親父はそこにいなかった。俺に何も言わずに、今更そうしなくてはいけなかったなんて虫がよすぎる」
畳み掛けて言った後、ぴたりと拳を打ち付ける音が止んだ。拳は赤く腫れ皮がめくれて血が滲んでいたが、イグエンは何事もなかったようにゆっくりと顔を上げた。
「――と、彼は言うだろう」
イグエンの顔は涙に濡れていたが、無表情だった。
「魔王に魅入られし者――美しい響きだ」
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「何だって?」
「命名したのは神官どもか。奴らは能無しだと思っていたが、少し猶予を与えてやろう」
一体何を言いだすのか。
イグエンの声色は先程とは違っていた。不安と怒りに震えて裏返った声ではなく、落ち着いた語り口で一言一言に力が込められている。
「イグエン?」
辺りに異様な空気が流れると同時に、イグエンの周囲に風が吹き、同心円を描きながら水溜まりを散らした。かまいたちの如くまともに受けたなら体を真っ二つにされるだろう、凶器に値する風だった。ジーネイルは転びながらもすれすれのところで風の刄から免れた。
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