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3.恋は先手必勝

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「おつきあいは、先手必勝よ」
いつもは、ひらがなの『へ』の字のカドのところがまあるくカーブしたような目で、にこやかに微笑んでいるママさんが、そのときは、瞳をきらりんとするどく開いて、
遊びに来ていた親戚のおねえちゃんに言っていた。
(うちでは、母さんのことをママさんと呼び、父さんのことをパパさんと呼んでいる。小さい頃は平気でそう呼んでいたけれど、高校生の今となっては、けっこう恥ずかしい。)
それは、まだ、ボクが中学生になったばかりのときだった。学校から帰って、友だちの家に遊びに行くからって、その親戚のおねえちゃんに挨拶をしたあとママさんに言ったけど、
ちょっと、ノドが乾いていたから、なにか飲んでから行こうと、玄関からキッチンに戻ったときに、ママさんのその台詞が聞こえたのだった。
キッチンと居間を隔てるガラス戸が少し開いていたから、ママさんの顔もチラリと見えた。
おねえちゃんは、ママさんのお姉さんの子どもで、ボクからするとイトコで、ママさんからみたら姪になる人だ。
まだ、当時、おねえちゃんは、大学に入ったばかりで、
今にして思えば、恋愛相談をママさんにしにきてたのらしかった。
恋の話しは、両親には気恥ずかしくて出来ないから、身近な身内にしたくなるのがよくわかる。
ボクも、ときどき、従兄弟に話しを聞いてもらったりするし。
その、従兄弟はオトコノヒトとつきあってるから―――― 。
で、その時、おねえちゃんとママさんの会話は、おねえちゃんがつきあい始めたばかりの恋人のことらしく、
「つかみ所がないように煙にまいて、ふりまわしておけばいいのよ、オトコなんて。
 ―――― そうしておけば、主導権はこっちのものよ」
とママさんが、おねえちゃんに言っていた。










き、昨日、はじめて、先生とそういうことをした。
気がついたら、してた、というか。
愛の告白とか、遊園地でデートとか、夕焼けの見える公園で初キッスとか、全部、すっとばしてイキナリ・・・・・・。
去年、高校1年生のとき、つきあった先輩とは、ちゃんとそういう順番だった。
キスまでして、その先をしようとしたら、うまくいかなくて(オトコ同士だったから、ノウハウもハウツーもお互いに全然なくて・・・)、すっごい気まずい雰囲気のまま、いつのまにかサヨナラになっちゃってたけど。
でも、いちおう、つきあう前にちゃんとお互いの気持ちの確認は、してたし。
そういうのって、大事だよね。
だからさ、ちゃんと先生にもはっきりしてもらおうじゃん、と思った。
それで、昨日は、全然、流されっぱなしだったけど、今日はボクが、シュドーケンをしっかり握ってやるんだって、計画をたてて来た。
今日は、土曜日だけど、うちの高校は私立だから、他の学校とはちがって、土曜日もしっかり、午前中は授業がある。
その、学校の帰りに、先生に誘われて、ボクは、また、先生のマンションに来ていた。





2回目だけど、やっぱり緊張する先生の部屋で、
先生が、「飲み物を持ってくる」って言って、リビングのすぐ後ろの対面型キッチンへ行ったから、
ぼくは、リビングのソファにちんまりと座っていた。
こげ茶色のソファは、ふんわりとした座り心地で、気持ちよかった。
すごいクッションがよくきいてて、奥行きも深いから、身体がやわらかいソファにつつみこまれるように沈み込む。
まるっこいフォルムの2人用のソファ。
これって『ラヴ・ソファ』っていうんだっけ?
教室で、クラスメイトの関を中心に何人かで見てた、男性雑誌を思い出した。
『部屋でラブラブデート』とかっていうタイトルの特集記事に、写真つきで掲載されてた『ラヴ・ソファ』。説明には、クッションがすごくきいてるから、近くにすわると、自然とよりそうようになって、
奥行きが広いから、座位でつながるのにもOKだとかで、しっかりと図式まであった。
男子高校生には目の毒だ。みんなで、サルのように興奮してたっけ。
その中でも、関がすごくテンションが上がっていて、バイト代ためて、買う、とか言ってたけど、
みんなで、口々に、
「おまえんち、純日本家屋だろう。畳の部屋に似あわねーよ」
とか、
「ってか、お前、彼女いねーじゃん」
と関を撃沈させていた。
その、ラブソファによく似てる。
そんなことを思い出していたら、
先生が、コップについだ、コーラを持ってきてくれて、
ソファの前のガラスのテーブルの上に置いて、ボクの隣に座った。
なるほど、たしかに、先生の体重で、クッションがかなりへこんで、
重心が先生のほうへ傾いた。
(そ、そのうち、ここでボクが先生にまたがって、したりとかすんのかな)
「うわーうわーっ」
ヘンな想像をしてしまって、それをかき消すように、思わず叫んでしまった。
「藤原?」
けげんそうな顔を先生がした。
「えっと、なんでもない・・・です。コーラいただきます」
思わず敬語で言ってしまった。
喉が渇いていたので、炭酸の弾けたのがすごくおいしい。
「おいしいぃ。先生でも、コーラとか飲むんだね」
喉がうるおったからか、いつもの調子がでてきた。
「俺はあんまり飲まないけどな。藤原が好きそうだったから」
・・・・・・・・・・・・・・。
ボクのために用意してくれてた・・?
い、今、ちょこっと胸がキュンってしたけど、スルーしよう。
ボクこそが、先生の胸を切なくさせたり、キュンっとさせたりするんだから!
それに、飲み物ごときで、感動するほど、ボクはお安くないゾ。
「なぁ、藤原。2人でいるときは、『先生』って俺のこと呼ぶのやめにしないか?」
を、いきなり、名前で呼んで欲しい、とか?
ボクに? ボクだから? ボクだからだよな!
「なんで」
心のうちの嬉しさなんかおくびにもださずに聞いてみた。
「なんか、『先生』って呼ばれると悪いことしてる気がするからなあ」
なんだよ、そんな理由かよ。
「わかった、じゃあ、―――― しゅうへぃ」
名前で呼んでみた。なんか、恥ずかしい。語尾がちっちゃくなったし。
「いきなり、呼び捨てか」
呆れたように先生が言った。
え、ダメだった?
「いーだろ、なんでも」
弱気になったけど、そう言い返した。
ボクが主導権をにぎるんだから。
「まあ、いいけど。凛一」
ふ、と笑って先生が言った。
あ、
呼び捨て。
「凛一、顔が赤いな。部屋が暑いか?」
先生がボクの顔を覗き込んできて、
ただでさえ、先生のほうに寄っていた重心がさらに傾いた。
先生の低い声で呼ばれる自分の名前が、何か特別なもののように感じられて、
嬉しくて、少し、恥ずかしかった。
気がついたら、
腰に先生の手がまわってきて、
「窓を開けて、風をいれようか、凛一」
耳元でそう言われても、
黙って、首を横に振ることしか出来なかった。
先生に抱きしめられて、
なんで、街中や電車の中でカップルが身体をぴたっとくっつけあってるのかわかった。
頬に先生のアゴがあたっている。あたたかくて、ざらっとしてる。
もっと、もっと、もっと、
もっと、ぎゅっとして欲しくて、先生に身体をすり寄せた。
そしたら、ヒタイにやわらかいものが触れて、
え? と上を向いたら、先生の顔が近づいてきた。
それで、
「目、閉じて」
言われて、そうしたら、
唇に息がかかって、そして、先生の唇が重なってきた。
ビクっとした身体をなだめるように背中をなでられて、それから、うなじに手をそえられて、自然と口がひらいた。
しばらく、そうやって、先生に舌を吸われながら、抱きしめられたままでいた。




「身体は大丈夫か?」
って先生の腕の中で聞かれた。昨日、帰るときにちょっと腰がヨロっとしてたから。
けど、
余裕ぶって、
「ぜんぜん、平気」って答えた。
心配そうに尋ねてくる先生の声はすごく甘く耳にとどいてきて、
なんか、すっごく先生に全部、もたれかかりたくなるようなこの感じは、
ちょっと、ボクが計画してきた予定の展開とちがってるし・・。
いけない、いけない、と思って、
グっと気を引きしめた。
それで、
最強のカードを出すことにした。
「しゅ、修平は、まだボクのこと好きって言ってないよ」
顔を上げて、強気で言ってみた。
一瞬、・・・「はぁ?」とか言われたらどうしようか、「アソビだろ」って言われるかも、と不安になったけど。
先手必勝だし!
ちょっと、口調がオドってしたけど、瞳をキッとつよくして先生を見上げたから、バレてないはず。
先生は、目を丸くして、
それから、やさしげに口元をゆるめると、
「好きだよ」
って言った。
それで、目のはしっこにキス、とかされたから、
頭がほわんとした。うっかり、ボクも、って言いそうになった。ってか、言いたくなった。
でも、ハッとして、
すぐに、また気をひきしめた。
よし! まずは一勝だ。
このあときっと先生もボクに「お前は?」とかって聞いてくるはずだから、そこは気をもたせるようにしてはぐらかすんだ。
けど、
先生は、全然、聞いてこなくて、
手、とか握ったり、背中をなでたりするばかりで、
ボクの気持ちとか知りたくないのかなあ、と心配になった ―――― 少しだけだけど!
「し、修平は、聞かなくていーの?」
名前も、そんなにすんなりと呼べない。
「何を?」
「っから、―――― ボクの気持ちとか・・・」
「いいさ、別に」
ビクっと心臓がちぢこまった。
別に、って言われちゃった・・・。
思わず、先生の着ているシャツの胸んとこをつかんでしまった。
あ、
耳たぶを口ではさまれた。
ひゃっと思って、先生の腕の中で首をすくめると、
「昨日、さんざん言ってくれたからな」
「な、なに、を?」
どきどきがしてきた。
昨日、先生の舌が耳の中まで舐めていったのを思い出して。
あれされると、すごく、ヘンな気分になるから。
「俺を好き好き何度も言ってただろう」
え、?
「ってないよ!」
そういえば、ちょびっとは言ったような気もするけど、何度もなんて言ってない・・・・・・と思う。覚えてるかぎりでは。
「いーや、言ってたね。アンアン言いながら、好き好き。そりゃもー、何度も」
「言ってない、言ってないってば!!
そ、それに、あ、ぁんあん、とかも言うわけないし」
「そうか、じゃあ、ためしてみようか?」
ヤらしい感じでそんなこと言うから、
あれだけ、身体は平気だからって澄ましてたのも忘れて、
あわてて、自分の身体を両腕で抱くようにして、先生からあとずさって、
「無理っ。なんか、まだヒリヒリしてるもん」
ってうっかり、ホントのことを言っちゃったら、
先生が、
ぷっ、と吹き出して笑った――――。


・・・・・・ボクって、つかみ所がありすぎのような気がする。






( おわり )

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